第586話:楽園の虚像(3/8)
ファルツヴァイの暴走を止めるために走り出した俺に、リノが焦りを感じさせる声で聞いてきた。
『だ、だんなさま! ボク、どっちにいたらいいの?』
……そうか、すでに対象が二手に分かれているからな。どうする……?
一瞬悩んだが、俺たちがファルツヴァイに追いつくのが優先だろう。
「リノ、ファルツヴァイが先だ。道の特徴を知りたい。目を向けてくれ」
『うん。……だんなさま、これで分かる?』
リノは移動を始め、目印となる屋根や窓などが分かりやすい位置に視点を変えてくれた。俺のあいまいな指示を、よく理解してくれている。あとで思いっきりほめてやろう!
「ありがとう、リノ。よく分かるよ。ちょっと入り組んでいるが、すぐに行けそうだ」
俺の言葉に、リノが弾む声で返してくる。
『だんなさま、もっといっぱいお願いして! ボク、もっともっとだんなさまのお役に立ってみせるから!』
「ああ、頼りにしているよ、可愛いリノ」
可愛らしい歓声を上げる彼女に、目立たないように監視を続けるように念を押してから、俺たちは走り出した。
リノの「高いところからの目」という支援が得られるのは、本当に便利だ。GPS機能もマップ機能もナビ機能もないから、彼女が送ってくる映像をもとに、自分で場所を判断しなければならないのは大変だが、それでもほぼリアルタイムで情報を得られるのは何よりも素晴らしい。
ただ、送信側がリノ一人だけというのは、やはり限界がある。こうやって相手が二手に分かれてしまうと、どうしても対応が難しくなる。「遠耳の耳飾り」の力を、少し過信しすぎたかもしれない。
だが、それでもあるのとないのでは天地ほども違う。使いきれていない俺の未熟さが悪いだけだ。今ある「力」を工夫して有効活用する。まずはそれが最優先。
角を左に曲がり、そして次の路地を右へ。抜けた先に──あった。目印の、特徴的な石壁の家!
「リノ、ありがとう。ここから先はもう行ける。リノは、さっきの路地に連れて行かれた女の子の方に行ってくれ」
俺の言葉に、リノは元気な声で返事を返してきた。
『はーい! だんなさま、気をつけてね?』
「ああ、ありがとう。そっちも、見つからないように、慎重にな?」
リノからの映像が大きく動き始めて、俺は思わず足がすくんでしまった。突然足元が消えて、ずっと下の方に広がる地面、なんて景色を見せられるのだ。
だいぶ慣れたとはいえ、急に足元が消えるような動きはやはり心臓に悪い。とはいっても、それでリノの動きを制限してしまったら、それこそ本末転倒だ。
縦横無尽に動き回れる彼女の力を活かしてこそ、この耳飾りの意味があるというもの。慣れなければならないのは俺の方だ。
薄暗い石畳の道は、雨など降っていないのに妙に濡れている。腐った木箱や踏み潰された残飯などが散乱する、人ひとり歩くのがやっとの細い路地を走り抜けながら、俺たちはファルツヴァイの元に向かった。
「ムラタ! ファルツヴァイは今、何してるんだ⁉」
「リノの監視を外したから、もう分からない! 分からないが、間に合うことを信じて急ぐしかないだろ!」
といっても、全くの無策でもない。ウカートがフォローに入ってくれているはず。俺たちは、リノが送ってくれた映像の記憶を頼りにとにかく走り続けた。
──見えた! 丸窓のついたあの赤レンガの家を右に曲がれば、ファルツヴァイたちがいた場所まですぐのはずだ!
「……離せって。女に手を上げるヤツなんて、許せるわけないだろ」
「だから、ムラタさんが
「トーリィ、さっきそうやって言った、あの
「それでも、ムラタさんは──」
「うるせえよハフナン。お前がそんなに腰抜けだったなんて知らなかったぜ。民兵だかなんだか知らねえけどよ、しょせんは一人だったからダメだったんだろ。だったらオレたち三人なら──」
ファルツヴァイが、ハフナンを突き飛ばそうとした時だった。
「待てお前ら!」
リファルが声を絞りつつ、三人に呼び掛けた。
ファルツヴァイはハッとしたような顔をして、そして気まずそうにうつむく。
「トリィネ、ハフナン。よくこらえてくれたな。ファルツヴァイ、正義漢のお前だ、ただ待っているだけなんてできなかったんだろう。その気持ちは分かる。だが待ってくれ」
俺は息を整えながら、三人に話しかけた。
「ウカートは今、どうしているんだ?」
「太ったおっさんを止めようとしてたんですけど……。そこのわき道に、女の子と一緒に引っ張り込まれました。そのあとは分かりません」
「そうか……」
ハフナンが、不安を隠せぬ表情でつぶやく。
ファルツヴァイは不満そうにうつむいたままだ。だが、その気持ちはよく分かる。
「分かった。それでファルツヴァイは、ウカートの加勢に行こうとしていたんだな」
「加勢ってか……ただオレは、女に手を上げるヤツが許せなかっただけだ。女に手を上げる最低野郎だぞ、それにウカートのおっさんだって帰ってこない。それでも知らん顔をしていろって言うのか」
そう言って、フンとそっぽを向く。
小言でも言いたければ勝手にしろ──そんな姿に、リファルが「おい、なんだその態度」とつかみかかるが、俺はその手を抑えた。
「いいんだ。それだけ義憤に駆られたってことだろ。確かに、この三人に万が一のことがあったらダムハイト院長に申し訳が立たないから、
ファルツヴァイが、きまり悪そうに、目だけ俺の方に向ける。
「それにお前、つい最近言ってたじゃないか。『無謀で熱くて、ついでに義に厚いバカを見捨てるような人間は見捨てておけない』、だっけ?」
「……んなこと言ってねえよ」
「似たようなことを言ってただろ。そんなことより──」
ウカートは無事なのか──そう言おうとしたときだった。
「……やあ、ムラタ君。どうして君がここに?」
わき道から、少女を連れてウカートが出てきたのだ。
「ウカート! 無事だったのか?」
「無事と言いますか……。ちょっとばかり『お話し合い』をしたら、快く手を引いてくれましたよ」
「……お話し合い?」
何やら不穏な響きに、俺は思わず問い返す。ウカートは、右手の中指で眼鏡の
「ええ、『お話し合い』ですとも。ちょっとばかり、拳をきかせたお話し合いです。気持ちよく寝てもらっていますよ? やはり物理力。物理力は全てを解決します」
そっとわき道をのぞき込むと、ああ、たしかに肉の塊が壁にもたれかかるようにして『気持ちよく』寝入っているのが見えた。
──っておい、あの巨体を沈めたのか?
ウカート、恐るべし!
「なに、簡単ですよ。顎の下からとらえるように、頭を揺らしてあげるだけです」
簡単に言うなよ!
少女は俺たちに何度も頭を下げたが、かといってコーラス隊のほうに戻ろうとするでもない。困った様子で、あちこち見回している。
……ああ、そういえばもう一人、用心棒らしき人間がいたことを思い出す。あのわき道で転がっているデブと一緒に戻らなければ、怪しまれるというわけか。
「……ウカート、こうなったらこの子と一緒に行動してくれないか?」
「構いませんが、いずれにしても彼女は孤児院に戻らねばならないのではないですか?」
「迷子を保護したという体裁で、なんとかならないか?」
「それは……まあ、なんとかしましょう」
それを聞いて少し安心する。
「じゃあ、ファルツヴァイとトリィネは、ウカートと一緒に、例の歌唱隊とつかず離れずで監視を頼む。あのデブが復活したあと、追ってくる恐れがあるから、それには気をつけて──」
「ああ、彼なら快く『話し合い』に応じてくれましたから、こちらに報復を仕掛けるようなことはたぶんありませんよ。なにせご自身が不利になりますからね」
──いったい何を吹き込んだんだ。
少し背筋が寒くなるが、気を取り直す。
「そうするとそっちが大所帯になるからな、ハフナン。こっちに来てくれ」
「僕ですか? わかりました」
こうして再び別れた俺たちは、ヴァシィが連れて行かれた路地の方に向かった。
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