第587話:楽園の虚像(4/8)
ファルツヴァイたちと別れた俺たちは、リノがいるであろう区画に向かって走っていた。
「リノ、聞こえるか?」
『うん! だんなさま、聞こえるよ!』
リノの返事が聞こえてくる。だが、さっきよりも元気がなさそうな気がする。
「どうした、リノ。見ているものも定まらないようだし、何か困ったことでもあるのか?」
『えっと……その、だんなさま……あのね?』
リノがためらいながらといった様子で、言葉を返してきた。
『ご、ごめんなさい! ボク、いま、迷子になっちゃってるの』
「……迷子?」
俺は、自分の目が点になったことを自覚した。
「……ええと、迷子っていうのは、自分が今、どこにいるかが分からないってことか?」
『ううん、違うの……。ボク、あの女の子がどこにいるか、分からなくなっちゃったの』
そういうことか。リノ自身が迷子になったのではなく、監視対象を見失ったんだ。
……考えてみれば当たり前だ。俺がリノに、ファルツヴァイを止めるための伝令に使ってしまったからだ。
くそっ、何をやっているんだ、俺は。
「リノ。大丈夫だ。今から俺も行く。見つかることの方が問題だからな、リノはそのまま慎重に探していてくれ」
『うん……』
返事に力がない。『お役に立つよ!』と意気込んでいただけに、その役割をうまく果たせていないことを悔やんでいるのだろうか。だがそれは、俺の采配がまずかっただけだ。俺が余計な指示を入れるまでは、ちゃんと追跡できていたのだから。
「……よし。分かった、リノはこれからすぐにもと来た道を戻って来るんだ。そこまでの、俺たちの案内を頼みたい」
『……いいの? ボク、探さなくて……』
「大丈夫だ。みんなで一緒に探そう」
屋根を走るリノと合流した俺たちは、リノの記憶を頼りに改めて道筋をたどった。
俺たちが路地を見て、リノが上から探す。
特徴的なサファイアブルーの髪、こんな裏路地には似合わない上等な制服。見つけるのは簡単だと思ったのに。
『だんなさま、ごめんなさい……ボク、お役に立ててない……』
ついに泣きそうな声が伝わってくる。お前のせいじゃないんだ、リノ。せっかく上手にできていたお前を、その場から離してしまったのは俺なんだから……!
「ムラタ、泣き言なんか言ってんじゃねえよ。とりあえず一人、もうブチのめしてんだ。お前の『当たってほしくない予想』はすでに当たってんだ。リヒテルをやりやがったヤツも間違いなくいる。とにかくやるしかねえんだよ!」
リファルが、腐って壊れた木箱らしき残骸を蹴飛ばしながら叱咤してくる。
「大工ってのはな、途中で間違えたからって、半分出来上がったものをなかったことにはできねえんだよ! 泣き言を言う前に、そっからどうするかに頭をブン回せ!」
実にまったくそのとおりだ、後悔
リノを不安にさせてどうする、俺がしっかりしなきゃな!
『だんなさま、ここ! この先に歩いて行ったのは見たの』
昼間だというのに薄暗い路地は、狭く人影もまばらで、静まり返っていた。どこか遠くのほうから、三番大路のにぎやかさが伝わってくる。だが、ここにはそんな喧騒はない。
直角に交差する道には、地下排水路が通っていた。幅は五十センチメートルから六十センチメートルほどか。本来なら石のふたで覆われているはずの排水路だが、ここはところどころ外されていて、そこからひどいニオイが漂ってくる。
狭い裏路地には、幾人かの人がいた。
湿った石畳に座り込み、生気のない目を反対の壁に向けている男。
荒れた肌もあらわに、
破れ目だらけのすすだらけの服をまとった、すすだらけの顔に目の白さだけがぎらぎらと光る少年たち。
時々、うめき声とも悲鳴ともつかぬ声や罵声が聞こえてきたりすることもあるが、基本的には静寂が支配する場だった。三番街という、最も華やかなはずの街とは思えない、重い泥の中にいるような、息の詰まりそうな空間。
「……長居したい場所じゃないな」
「ムラタもか。オレも同じ意見だ」
俺の言葉に、油断なく周囲を見回しながら、リファルも同意する。
『だんなさま、ボクも下に降りる。だんなさまと一緒に探したいの』
「いや、リノは上で見ていてくれ、俺たちでは気づかないことも、リノなら見つけられるかもしれないからな。リノが見ていてくれるから、俺たちは安心できる」
『……うん、わかった。だんなさまの言う通りにするね』
俺たちは、この先に向かったというリノの言葉に従い、そろそろと前進する。
突然の鉢合わせは、リノが上から見ていてくれる限り無いはずだ。
だが、リノの視界にはヴァシィの、目の覚めるようなサファイアブルーの長い髪も見当たらない。
別のルートをたどって、すでに孤児院に帰ってしまったのだろうか。道は一本ではないのだ、用が済んだあと、同じ道を通って帰るとは限らない。だとしたら、この辺りを探していても無駄ということになる。
別の場所を探そうか──そう考えたときだった。
『……だんなさま。何か声が聞こえる。あのお姉ちゃんの声と、背中曲げてた男のひとの声と……知らない人の声』
リノがそう言って、すぐそばの建物を凝視した。
「……声?」
『うん。あの青い髪のお姉ちゃんの、……苦しそうな声、とか』
……寄付金が少ないと責められていたな。その
それにしては、やけに奥まったところまで連れてこられている。
「リノ、いま君が見ている建物から聞こえてくるんだな?」
『うん』
その建物は、周囲の建物同様に酷く古びた赤レンガの建物で、窓にはこれまた腐ってボロボロになった木の板が打ち付けられている。人が住んでいるような状態には見えなかった。
「……この中なのか?」
リファルが首をかしげながら、しかしそばに寄った。俺も続く。
窓には木が打ち付けられているが、ガラスは無かった。木の
この中にヴァシィたちがいる、それがリノの耳が捉えた情報。
見つからないようにとだけ意識して、中を覗き見た。
──見て、後悔した。
リヒテル、お前……やっぱり、女運がないんだな。
俺は唇をかみしめた。
中では、最も考えたくなかった……想定の内で最悪に近い出来事が、繰り広げられていた。
そうか。
きっとリヒテルは、
そしておそらく、止めようとしたのだろう。
そして返り討ちに遭い、おそらくさっき通り抜けた、あのふたの外された排水路に、捨てられたんだ。
……クソが。
クソがクソが、クソったれめが!
孤児院の子供が、親の縁をなくした子供が、幸せをつかむための場所、それが孤児院じゃないのか?
なんで世の中、こんなにも、こんなにも子供が食い物にされなきゃいけないんだ!
神様、あんたら十五人プラスアルファが揃ってるんだろう⁉
なんでこんなにも、理不尽がまかり通るんだよ!
俺は頭を抱えながら窓辺を離れる。
声すらも聞きたくない。
けれど少女のうめき声が、耳にまとわりついて離れない。
「……ムラタ、どうする?
リファルがため息をつきながら聞いてくる。
だが、いまから大路まで戻って
そう、逡巡したときだった。
気づいた時には遅かった。
窓をのぞき込んでしまったハフナンが、突然走り出したのだ。
少し先にある、腐ってボロボロのドアめがけて。
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