第585話:楽園の虚像(2/8)

「……やっぱり、やめだ」


 俺は、ちらつかせていた銀貨をあらためて彼女に見せる。


「嬢ちゃんは……そうだな。顔は可愛いんだが、どうも色気が足りないな。嬢ちゃん相手にこの銀貨を出すくらいなら、つじ娼婦しょうふにでも出したほうが、よっぽど楽しい時間を過ごすことができそうだ」


 打ち合わせ通り、リファルも同じようなことを言って銀貨を引っ込めてみせた。

 自身を辻娼婦つじしょうふ──店に所属せず、街頭に立って客と直接やり取りをする最下級の売春婦以下だと言われたに等しい扱いに、ショックを隠せないのだろうか。サファイアブルーの髪の少女──ヴァシィは、大きく目を見開いた。

 

「わ、私、頑張りますから! おふたかたにご満足いただけるように、きっと、きっと……!」


 うろたえる少女に、俺はそっと声を低く抑えて答える。


「いや、やはり君に銀貨はもったいない。かといって銅貨で済ませるほど、僕も別にカネに困っているわけでもない。単純に、君という存在の価値は、僕にそぐわないというだけだよ。さ、話は終わりだ。行きたまえ」


 うなだれたヴァシィがもう一度顔を上げたとき、彼女は自分だけが取り残されていること、ほかの少女たちはすでに列に戻っていることに気づいたようだった。


「あ、あの……!」


 ヴァシィが何かを言いかけた時、あの背の曲がった男が、ひょこひょことこちらにやってきた。


「どうかされましたか? そのムスメ、気に入っていただけましたかニ? 顔もいいですが、脱げばもっと──」


 男は、俺がヴァシィを気に入って交渉・・していると踏んだらしい。下卑た薄笑いを浮かべるその醜悪なツラに俺は吐き気すら覚えつつも、営業用スマイルを作ってみせた。


「いや、遠慮しておく。顔の器量はそこそこ認めるが、残念だが色気が足りない。やはり所詮しょせんは孤児、娼婦しょうふの代わりにはならないようだな」


 そう言って、ちらつかせた銀貨二枚を握り直し、懐に収める。リファルも同様に、銀貨をしまい込んだ。


 男はあからさまに舌打ちをすると、ヴァシィに対して「ナニやってるだニ! とっとと持ち場に戻るだニ!」といら立ちを隠そうともせずに言い放った。

 男はいまいましげに振り向き、俺をにらみつけてから地面に唾を吐いて、ひょこひょこと元いた場所に戻って行く。

 行きがけの駄賃とばかりに、ヴァシィの尻を左手で撫で、そしてひっぱたいて。


「……ムラタ。あの野郎、今すぐあの左手の指が平たくなるまで金槌でぶん殴りたいんだがいいか?」

「待てリファル。あのクソ野郎の指をやるのは、俺が万力で指を一本一本、全部平たく潰してからだ」


 ……珍しく、やりたいことがほぼ一致した。思わずリファルと手を握り合う。




 雑踏からやや離れた壁際で、俺たちは各自、バラバラなほうを見ながら集まった。

 俺から半径約五メートル以内で。

 翻訳首輪は便利だが、こういう時、使い方が難しい。内密な話も、誰に聞かれてしまうか分からないからだ。


「……さて、俺たちは怪しまれないように、一度広場から出る。ファルツヴァイ、トリィネ、ハフナン。お前たちはあの男に面が割れていない。打ち合わせ通り、それとなくあの歌唱隊の撤収について行ってくれ」

「だから、言われなくても分かってるって」

「トリィネ、ファルツヴァイと一緒に頼む。別に危険を冒してまで何かをする必要はないからな?」

「はい!」

「ハフナン、君らに頼みたいのは様子を見ることだ。こっちをじっと見られるとか、近寄ってこられるとか、少しでも危険を感じたらすぐに中止。いいな?」

「分かりました!」


 不機嫌そうなファルツヴァイと、神妙な顔でうなずくトリィネ。この二人は普段からずっと一緒に行動しているらしいから、きっとうんの呼吸という奴で、何かあっても互いに助け合ってなんとかしようとするだろう。

 ハフナンも友達思いの少年のようだし、三人いれば万が一の事態にも助けを呼びやすいに違いない。


「リノ。聞こえるか?」

『うん、だんなさま。ボク、だんなさまの声、はっきり聞こえるよ!』


 広場を見下ろす四階建ての商店の屋根の上から、リノが手を振ってみせる。


「いい子だ。あまり目立たないように頼むぞ? 俺の可愛らしい未来の花嫁が怪我をするところなんて、もう二度と見たくないんだ」

『えへへ、ボク可愛い? ボクすごくうれしい! だんなさま、ボクだーいすき!』


 俺も小さく手を挙げると、彼女は遠目でも分かるくらいにくねくねと身をよじりながら、ひときわ手を大きく振ってみせた。目立つからそれをやめろっていうのに。仕方のない──可愛い子だ。


「ウカートは三人の支援を頼む。君はこの中で一番、実戦を知っている人だからな。万が一の時──いや、万が一のことになりそうだと判断したら、その前になんとか彼らの安全を頼む」

「任せてください」


 ウカートが、眼鏡の中央部分──ブリッジを押し上げながら不敵に笑う。


「ムラタ君。君こそ、こちらの提案通りに動いてくださいよ? 君はすぐに熱くなりすぎますから」

「なんだ、ムラタの暴走癖はみんな知ってんのか」


 ウカートの言葉に、リファルが笑う。そ、そんなことないぞ、きっと!


 リファル。ファルツヴァイとトリィネとハフナン。ウカート。リノ。

 体の向きはばらばらだけれど、全員でうなずき合う。

 リヒテルをひどい目に遭わせた奴に報いを与える、今日はそのための第一歩だ。


「……散開!」




 リノが屋根から屋根へ飛び移り、状況を的確に報告してくれる。

 この世界において、この「高所から情報を収集する」こと、そしてそれをリアルタイムに把握し続けること。それは、いわゆるチート級の力だというのは間違いない。


『だんなさま!』


 リノが、戸惑い混じりの声を上げた。


『青髪の子が離れてく。あの嫌なおっちゃんと一緒!』


 リノの言葉を待つまでもなく、リノが送ってくる映像からは、最後尾を歩いていた青髪の少女と、用心棒なのか筋肉質な男が二人、子供たちの列から離れて細い路地に入っていく。あの、ウカートが言っていた状況と同じなのだろうか。


『だんなさま、あれ!』


 リノの映像──つまり彼女の視点が、元の列のほうに移動した。

 同じく最後尾を歩いていた男性二人のうち、太った男は、不満げに何かを言っているようだ。列から離れていった四人を追おうとはしないが、何度も細い路地の先を振り返りながら、隣の男に話しかけているらしい。


 その時だった。

 突然太った男は、最後尾を歩いていた少女を突然突き飛ばした。

 少女はたまらずに倒れ込む。

 もう一人の男性がなにやら手を差し伸べるように見えたが、それはあくまでも肩をすくめる仕草だけだったようだ。道にへたり込む少女に対し、目もくれずに歩いてゆく。


 子供たちの誰も、倒れた少女の方を見ない。

 ──見ようとしない、と言った方が正しいだろうか。


 太った男は、倒れ込んだ少女を何度か蹴り飛ばした。彼女がなにか失敗をしたとかそういった状況には見えなかったのに。


 遠くて小さいからよくわからないが、倒れ込んだ少女の長い髪を、太った男がつかんで揺すぶっているような状態だ。罵声のようなものも聞こえてくるが、遠すぎるのだろう、翻訳が効かない。


 前を歩く子供たちの中には、ちらちらと後ろを向こうとする者もいるようだった。しかし誰も、止めに入らない。


 ふと、視界の端に、コーラス隊を尾行していた「恩寵の家」三人組が視界に入った。何やら不穏な様子だ。


「リノ、歌唱隊を追う三人の様子は?」

『……なんか、けんかしてるっぽいよ?』

「けんか……?」


 見ると、暗褐色の髪の背の高い少年が歌唱隊のほうに近づこうとし、それを二人がかりで止めようとしている少年たち、という状況だった。背の高い少年は、二人を振り払おうとしている。

 ……ファルツヴァイだ。何やってんだあいつは。


「どうしたムラタ、何かあったのか?」

「……ファルツヴァイの奴がキレてる」

「は?」


 あのぶっきらぼうな少年ファルツヴァイは、口では悪ぶっているけれど、本当は面倒見のいい少年だ。おそらく、少女に暴力を振るっているあの男の振る舞いに義憤を覚えたのだろう。


 ……だが、まずい!

 あの体格の大人に、孤児院育ちのやせぎすな少年がかなうはずがない!


「……ええい、くそっ! 仕方がない! リノ、いったんそこから降りるんだ。近くにウカートがいるだろう? ファルツヴァイに自重じちょうさせるように言ってくれ!」

『うん、分かった』


 子供を虐待している恐れのある大人がいる──それは確かにそうだった。

 だが致命的なミス──その大人は一人だと、無意識に思い込んでいた!


『……だんなさま!』


 リノが小さな悲鳴を上げた。

 例の太った男は、少女の髪をつかんで、そばの細い路地に引きずり込もうとしている。遠いためよく分からないが、少女は抵抗らしい抵抗はしていないみたいだ。それでも、あれが心温まる説諭せつゆにつながるとは到底思えない!


「……ああもう! リノ、予定変更だ! ウカートに、あのデブ男の行動をさりげなく妨害するように言ってくれ!」

『……だんなさま、じかに関わることは、その……しないんじゃなかったの?』


 リノが、ためらうように聞いてくる。

 ……そうだ、確かにそうなんだ。今日は情報を集めるだけ──


 ……なんだけど! 見てしまった以上、放ってなんておけないだろ!


「どう見てもあれは虐待につながるはずだ! 別にぶん殴って止めるとかしなくていい、通りすがりの人間がそばにいて話しかけるだけでも、虐待ってのはやりにくくなるもんだ!」

『わ、分かったよ!』

「ただし、ファルツヴァイの暴走は止めなきゃならない! そっちの方は自重するように言ってくれ! 俺もすぐそっちに行く」

『うん、だんなさま、気をつけてね』

「リノこそ気をつけるんだぞ」

『ボクは平気だよ? 今日は生理月のものじゃないし!』


 思わずつんのめって転ぶ。

 そういえば、あの戦場でリノがドジったのは、生まれて初めての生理で体調を崩してしまっていたからだった。

 

「どうしたムラタ、急に走り出したと思ったらコケやがって。なにか変更でもあったのか」


 ……ああ、しまった。リファルにも説明をしないと。

 本当は、俺たちは別ルートから回り込んで怪しい点がないか確かめてゆくはずだったのだ。だがファルツヴァイの暴走を押しとどめないと、どうなるか分からない。


 リファルにはこのまま打ち合わせ通り別ルート、俺はいったんこちらを離れて、という手も考えたが、一人は危険だ。二人で駆けつけるしかないだろう。


「すまない、予定変更だ。ファルツヴァイのところに行く。あいつ、歌唱隊の女の子に暴力を振るっている大人がいるのを見て、止めに行こうとしてるらしいんだ!」

「あれだけ自重じちょうしろって言ったのにか⁉ 仕方ねえヤツだな」


 だが、リファルの口元は緩んでいる。


「まったく……アイツ、普段は悪ぶってやがるくせに、ムラタ以上に無謀で熱いヤツなんだな。そういうヤツは、見捨てておけねぇよ」

「悪かったなリファル、俺が無謀な奴で!」

「バカ、それがいいって言ってんだよ、ムラタ」


 俺に手を差し伸べたリファルは、俺を立ち上がらせると背中をぶっ叩いた。


「無謀で熱くて、ついでに義に厚いバカを見捨てるような人間は、大工なんてやってねえよ!」

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