第578話:甘くて酸っぱくて

 夕食後、マイセルが三番街で購入した木苺を食べながら、今日一日の話をしていた。


「ふふ、それであんなにも木苺を買ってきたんですか?」

「はい! だって、まだ今の季節だと、木苺ってちょっと早いでしょう? それなのにあんなに安く売ってたんですもん、いっぱい買っちゃいました!」

「いっぱい……そうですね、いっぱい、ですね」


 リトリィが微笑みながら、台所の隅に置かれている藤籠を見た。藤籠には、木苺が山になっている。

 いっぱい、どころじゃない。買い占めたんだ、マイセルの奴。なにせ、市場のすみで見かけたみすぼらしい農夫の前に置かれていた木苺を、それが入れてあった藤籠ごと持ち上げて「いくらですか!」とやらかしたのだから。


 いまも口に放り込んで、両手で頬を押さえながら「至福」を絵にかいたような顔でもぐもぐやっている。よほどの好物なのだろうか。でも、去年はそんな姿、一度も見せたことがなかったように思うんだけど。


「だ、だって! 結婚したばっかりだったんですもん!」


 マイセルが、顔を真っ赤にして訴えた。


「分からないことばっかりでしたし、なんでもお姉さまに相談しなきゃって思ってましたし、わがまま言っちゃだめだって思ってて……!」


 なるほど。結婚して一年が経って、もはやムラタなどには遠慮する気も必要もなくなったと。


「そ、そそ、そういうわけじゃなくて……!」


 わたわたと両手を振る彼女が可愛らしくて、皿の上の木苺をつまんで彼女の口の中に放り込む。


「あむ……む、ムラタさんっ!」

「美味いか?」

「……む……ん……。お、美味しいですよ!」

「ならばよし」


 俺も一粒つまんで口に放り込む。

 紫の小さな粒の集合体のような果実の、その柔らかなつぶつぶを噛み潰すたびに、やや強めの酸味と後を引く渋み、そしてさわやかな甘みという複雑な味わいの果汁が、口の中に広がる。さらに、粒の中に一つずつ入っている小さな種をパリポリと噛み砕く食感も楽しい。


「……だんなさま、すっぱくないの? ボクも食べなきゃダメ……?」

「無理に食べなくていい。そのうち、美味しいと思えるようになるかもしれないよ」


 リノがおそるおそる聞いてきたので、頭をなでながら笑いかけてやる。

 ヒッグスとニューは特に好きでも嫌いでもなさそうで、今も普通にもぐもぐやっているのだが、リノだけは口に含んだとたん、しっぽを立てて「しぶいーっ!」と顔をしかめていた。猫属人カーツェリングの彼女には、不快に感じる味覚なのかもしれない。


 そういえば、猫にはあまりラズベリーを与えない方がいいとか聞いたことがあったけど、なんでだったっけ?


「だ、だったらボク、いらない……。あ、えっと……マイセルお姉ちゃんがせっかく、買ってきてくれたのに……ご、ごめんなさい」


 耳を後ろに倒して、酷く申し訳なさそうな顔をする。

 マイセルは気にした様子もなく、「だったら、乾燥果実がまだあるから、そっちを食べる?」と微笑んだ。リノがうれしそうにうなずくと、マイセルは席を立ってキッチンに向かう。


 マイセルの優しさにもグッとくるのだが、さらに感動したのはリノの言葉だった。

 ストリートで育ち、人のものを盗んでもそれが当たり前のように育ってきたリノ。だが、いま彼女は、自分の不義理が相手を不快にしたかもしれないと考え、それを申し訳なく感じている。


 思わず抱きしめてしまった。リノは「だ、だんなさま……?」と戸惑った様子だったが、けれどすぐに、嬉しそうに俺の懐に顔をこすりつける。


「自分の言葉が、マイセルを傷つけたと思ったんだな?」


 そう聞くと、リノは少しだけためらったようだったが、胸の中でうなずいた。俺はもう嬉しくて、彼女の頭をわしわしと撫でる。


「俺は嬉しいぞ、リノ。そうやって、ちゃんと相手の気持ちをおもんぱかることができる心遣い。優しい子になったな。……いや、もともと優しい子だったかな、ちゃんと言葉にできるようになったってことかな」

「だ、だんなさま、ボク、そんなこと……」

「リノはいい子だ。これからも人のことを思いやれる、そんな優しいひとでいてくれよ?」


 そう言って額にキスしてやると、リノは真っ赤になって、蚊の鳴くような声で、けれど確かに、「うん」と笑った。


 マイセルが、小皿にドライフルーツを盛ってやってくると、やり取りを見ていたのだろう、リノの口にドライフルーツのかけらを放り込む。


「はい、やさしいリノちゃんにごほうびです」


 嬉しそうにもぐもぐやっているリノを見て、ニューが「こっちにもくれよ!」と手を差し出す。マイセルがどうぞ、と皿を差し出すと、これまた嬉しそうに手を伸ばした。


「……にしても、たくさん買ってきたんだな」


 ヒッグスが、驚きとあきれがない交ぜになったような視線を、藤籠に送っている。

 そうだろうな。俺だって、藤籠ごと買わされることになるとは思ってもみなかったからな。


「だって、この季節にあのお値段ですよ! 買うしかないじゃないですか!」


 マイセルはにこにこ顔だ。俺は相場なんて知らないから、まあ割安だったというマイセルの主張は正しかったとして、それでも値段はそれなりにしてたぞ?


 アレだな、某アメリカ仕込みのコスなんたらとかいう大型の倉庫型店舗で買い物をしたときに感じるアレ。「割安のはずだが大容量品ばかりなのでやっぱり高いけど、割安だと思って買っちゃうからやっぱり合計の支払金額が高くなる」という、あの現象だな!


 ……とはいえ、マイセルがこんなにも「買うべき価値があった」と力説するほど喜んでいるんだから、これ以上は言うまい。


「でも、全部食いきる前に腐るんじゃね?」

「そんな簡単には腐りませんよ!」


 半目で見上げるヒッグスに、マイセルが胸を張る。


「にーちゃんにわがまま言って買わせたんだから、あのカゴぶん、全部食いきらないとバチが当たるぜ?」

「そんなこと言うなら、食べさせてあげないわよ!」

「そんなに欲しいわけじゃないし」


 マイセルが眉を吊り上げかけたところで、リトリィが、微笑みながら割り込んできた。


「ふふ、わたしも木苺は好きですけれど、やっぱりみなさんでおいしくいただきたいですから。だんなさま、木苺のパイはお好きですか?」

「食べたことはないけど、リトリィがつくるならきっと美味しいんだろうな。食べてみたい」


 するとリトリィは顔をほころばせた。


「だんなさまは、あまーい実と、あまずっぱい実とでは、どちらがお好みですか?」

「そうだな……。どちらかっていうと、ただ甘いだけのものよりも、甘酸っぱい方が好きかな?」


 みかんを思い浮かべながら答える。今食べた木苺だって、やや酸っぱすぎるきらいはあるが、この酸味が全部無くなってしまうとなったら、やっぱり魅力は半減するだろう。

 リトリィはにっこりして、マイセルの手を取る。


「じゃあ、やっぱり木苺のパイにしましょう。おかし作りなら、マイセルちゃんのほうがとってもおじょうずですからね。マイセルちゃん、手伝ってもらえますか?」

「パイですか? それなら任せてください!」

「じゃあ、ついでに木苺ジャムも作りましょう。もちろん、食べる分もちゃんと残しておきましょうね」

「はい!」

「みんなも、たのしみにしていてくださいね?」


 リトリィの言葉に、チビたちも両手を上げて歓声を上げる。

 ところが。


「ヒッグスちゃんは、木苺なんて欲しくないって言っていましたから、いりませんね?」

「ね、姉ちゃん! ずりィよそれ!」

「ふふ、あまくておいしいものをつくってくれるひとには、ちゃんと敬意をはらわなければだめですよ? ずるいと言う前に、まず言わなければいけないことは、なんですか?」

「う……。ま、マイセル姉ちゃん、ごめんなさい……!」


 ああ、さすがリトリィだ。甘いだけじゃない。世の中のちょっとだけ酸っぱいことも、ちゃんと教えている。というかあの対応、山で兄貴たちにもやっていたっけ。

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