第567話:あなたの仕事は
「……で、なんでお前がついてくるんだ」
リファルが、妙に不機嫌そうな顔で言う。
「それはもちろん、おもしろそう──じゃなくて、トモダチが一世一代の告白をするんだから、やっぱり見届けないとな」
「誰がトモダチだ、誰が」
「お前」
「ぶっ飛ばすぞ」
なぜ俺がぶっ飛ばされるんだ、解せぬ。
「……それも気になるけど、孤児院の様子を見たくてさ。というかリファル。俺が孤児院の様子をちょくちょく見に行っているのは知ってるだろう? たまたまだ」
もちろん大嘘だ。リファルの様子を見るために決まっているじゃないか。玉砕してへこむ姿を見届けることができればなおグッドだ。
ただ、「ちょくちょく様子を見に行く」のは事実だし、それはリファルも知っていることだから、彼は渋面になりながらもそれ以上は追求してこなかった。
いつものように視察にやってきたという
いつも通りに赤ん坊部屋に行くと、そこにいたのは赤ん坊と、そして担当の少年たちだけで、コイシュナさんも、そしてナリクァン夫人から派遣されているはずのヴェスさんもいなかった。
「コイシュナさんなら、いま晩メシ作りに行ってる。ヴェスさんも一緒だよ」
少年たちが、当たり前のように赤ん坊をあやしながら答えた。最初、嫌そうな顔で世話を始めた少年たちが、だ。
素直に驚いて称賛すると、彼らは目をそらしてそっぽを向いてしまった。だが、それでやめてしまうようなことはない。
それにしても、この赤ん坊部屋の印象もずいぶんと変わった。
以前よりも、ずっと賑やかになったのだ。赤ん坊の泣き声や笑い声などが聞こえるのである。
赤ん坊はやっぱり泣くのが仕事だと思うから、この変化はいいことだと思っている。赤ん坊が泣かないなんて、そんな不気味なことがあってたまるか。
しかし、それはそうと赤ん坊部屋に誰も大人がいないのはどうなんだろう。いいのか、これで。
「なに言ってんだ、べつに多少のことくらい構わねえだろう。こいつらもしっかり役目を果たしてるみたいだしな」
「でも、何かあったら──」
「その『ナニか』が起こらねえようにするのが、ベッドの仕事だろう」
そう言われて、いまさら気が付いた。一つ一つのベッドを囲むように、柵があるのである。以前はこんな柵などなかった。一体いつの間に。
「もちろんオレに決まってんだろ。屋根の修理の合間とか、塔の工事の帰りとか……ま、暇を見つけては端材を集めて作ったんだよ」
「……いつのまにやったんだ。気づかなかったぞ。ていうか、お前の仕事はなんなんだ。そっちを優先しろよ」
「大工仕事のひとつもロクにできねえお前が言うな。ま、片手間仕事だから、大したことはできてねえけどな」
リファル本人はこともなげに言ってみせたが、なかなかに丁寧な作りになっているようだ。少なくとも角をきれいにかんなで削り落とし、万が一赤ん坊がぶつかっても怪我をしにくいようにできている。
でも、以前はなかったのに、なぜ今こんなものが作られているんだろう。
「何言ってんだバカ。お前のせいだろう」
「俺のせいとは、どういうことだ?」
「ほら、前は赤ん坊を手ぬぐいでぐるぐる巻きにしてただろ。それをお前が辞めさせたじゃないか。それで赤ん坊が寝返りでゴロンゴロン転がるようになって、コイシュナさんが大変だったんだぜ。だからこれを作ったんだ」
──そうか。手足の自由が利くようになれば、当然赤ん坊も寝返りを打ったりするようになるわけだよな。そうか、そのための柵か。
「お前、そんなことも気づかずに、あのぐるぐる巻きをやめさせたのか? お前が言いたいことも分からなくもないけどな、コイシュナさん一人でできることだって限界ってもんがあるんだぞ」
確かにそうだ。親戚の家で見たことがあるベビーベッドで、ぐるりと回りを囲っていて、その中で当時まだ小さかった
あれは子供が自由気ままに這い回ることで、目の届かないときに危険な目に遭わないようにするためだと思っていたけれど、それ以前──寝返りの段階でも、親が安心して家事をするために必要なものだったというわけか。
少年たちをねぎらった俺たちは、コイシュナさんたちがいるという厨房に向かった。確かに、中庭を挟んだ向かい側にある厨房の煙突からは、うっすらと煙が立ち上っている。俺たちは中庭を横切るようにして、厨房に向かった。
「炊事といえば水だろ」
というリファルの言葉で、井戸で水を汲んでから。
「まあ、リファルさん!」
厨房の勝手口から顔をのぞかせた俺たちに、コイシュナさんは驚き、そして嬉しそうに声を上げた。隣にはヴェスさんもいて、俺たちを見ると眼鏡をかけ直し、急いで服の裾を伸ばすように払う仕草をして背筋を伸ばした。
「どうも。ちょっと赤ん坊たちの様子を見にきたんですが、お二人はこちらだと聞いたものでして」
俺が声を掛けると、コイシュナさんは「いつもありがとうございます」と笑顔を見せた。
厨房の大きなかまどでは、これまた大きな鍋が火にかけられている。中ではスープが煮えているようだ。といっても孤児院の食事は基本的に非常に質素で、具は菜園で取れたもののみじん切りのみの薄いスープ。あとは、昼に焼かれて硬くなったパン。
それも、パンは二人で一つを半分に切って、といった大きさ。
彼らの苦しい台所事情が分かる。朝から温かいものを食べている俺たちとは、雲泥の差だ。そういえば、ゲシュツァー氏が運営しているという孤児院の子供たちは、誰もがつやつやした、とても健康そうな肌をしていた。
ゲシュツァーさんが金持ちだから、運営でも余裕があるのだろうか。二つの孤児院の子供たちを比べてみると、その大きな格差をどうしても感じずにはいられない。
だが、それもある意味仕方がない。誰でもできることは限られているのだ。
夕食のスープの仕込みは一段落ついたところだったようなので、俺はヴェスさんに声をかけると、コイシュナさんにも、「なんかリファルが、話があるって言ってましたよ?」と伝える。
「リファルさんが、お話……ですか?」
「ああ、なんでも安息日のことについて、どうしても伝えたいことがあるって」
もちろんそんな打ち合わせなどしていないし、あいつはその話のために来たに違いないのだから、さっさと状況をセッティングしてやったほうがいいに決まっている。
外から「なに勝手に話を進めてんだ!」と狼狽するリファルのつぶやきが聞こえてきたが、こういうとき、翻訳首輪は実に便利だ。
コイシュナさんはコイシュナさんで、心当たりがあるように顔を曇らせた。この反応は微妙だと思ったが、あとはリファルが押し切れるかどうかだ。その先なんて知ったことか。フラれたあとのヤケ酒タイムになら付き合ってやってもいい。
コイシュナさんはちらりとヴェスさんの方を見たが、ヴェスさんがにっこり笑ってみせたのを見て、足早に外に出て行く。厨房には、俺とヴェスさんが残された。
「お話とは、なんでしょうか」
「はい?」
ヴェスさんに問われて、俺は間抜けな返事を返してしまった。そうだ、そういえばそうやって声を掛けたんだっけ。
「ああ……。ええと……」
話しかける内容なんて微塵も考えていなかったから、答えに詰まってしまう。必死に頭の中をぶん回して、「そうそう、赤ん坊たちの話です」と無理矢理言葉をひねり出した。
「赤ん坊たち……ですか?」
「は、はい。その……以前と比べて、あの部屋の赤ん坊から、泣き声が聞けるようになりましたね」
言ってしまってから、俺は自分の失策に気づいた。
子守りのプロフェッショナルに、以前よりもうるさくなった、と言ってしまったようなものだ。
「泣き声……ですか?」
ヴェスさんが、眼鏡を押し上げる。
目が、なんとなく厳しくなったように見えた。
……まずい!
大変まずい!
これは機嫌を損ねたに違いない!
ナリクァン夫人に「子守りのイロハもしらないムラタとかいうド素人に難癖をつけられました」とかなんとか報告されたら、ろくでもないことになるのは間違いない!
「あ……いや、俺はその、子供のことなんて詳しくないから、おかしなことを言って申し訳ない! そうだな、赤ん坊は泣くのが仕事だし、泣いて当然だもんな!」
必死に取り繕おうとしたが、「赤ん坊は、泣くのが、仕事……」という、ヴェスさんのつぶやきに、さらに背筋に冷たいものが走る! なんてこった、さらに地雷を踏んでしまった気分だ!
「あ、その、決してうるさいと言いたいわけじゃなくてですね……!」
「……でも、以前よりも騒がしくなった、そうおっしゃるんですね?」
うぐっ⁉
彼女の背後に、笑顔で爪剥がしを持つナリクァン夫人の姿が浮かび上がる!
ステイ! ステイですよご夫人ッ!
脂汗が一気に噴き出した俺に、ヴェスさんはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。わたしもそう思います」
あっ……おれしんだ!
この世界に来てからの様々な出来事が、一気によみがえる。
でもなんでこういうときに、リトリィを泣かせたことから始まって、俺のろくでもない失敗シリーズばかりが脳裏を駆け巡るんだ!
「私も、やっとあの子たちの泣き声を聞くことができるようなったと思っています。それに気づいていただけるなんて、嬉しいですね」
「え……?」
「はい? 違うんですか?」
「あ、い、いやいや! 俺もそう思っていたんですよ! 赤ん坊は泣くのが仕事ですからね、泣いてなんぼだと思いますし! あは、あははは……!」
「ふふ、おかしなムラタさん」
微笑むヴェスさんに、俺は心底、首の皮が繋がった思いがした。
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