第565話:可愛いあなた

 月明かりのなかで、庭の満開のシェクラが、わずかに揺れている音がする。

 フェルミがわずかに身じろぎしたが、起きる様子はなかった。


「あ……む……」


 月の角度からすると、すこしだけ眠っていたらしい。


「ふふ、起きてしまわれましたね」

「君の舌を感じたからな」


 目の前には、だいぶ通常に戻りつつあるとはいえ、まだまだ赤紫色に輝く、愛しい妻の瞳。普段の瞳は透き通るような青紫だから、それだけ「藍月らんげつ」の夜の特殊性が感じられる。


「やっと……やっとあなたを、ひとりじめできます」


 そう言って、彼女は再び唇を求めて来た。そんな姿がいとおしくて、背も折れよとばかりに、力いっぱい抱きしめる。


「……今朝のこと、覚えていらっしゃいますか?」

「今朝?」

「おしごとのおへやで、わたしに口づけをされましたよね?」


 そういえばそうだったか。言われて思い出した、服の話からそうなったんだっけ?


「あのあと、わたし、たいへんだったんですよ?」


 少し上目遣いになって、頬を膨らませてみせる彼女が可愛らしくて、そっと唇を重ねてから聞いてみた。


「……もう。あなたがあんなことするから、ずっと体がほてってしまって……。お着替えをお借りしたとき、ほんとうに、……ほんとうに、はずかしかったんですからね?」

「恥ずかしかった? なにが?」

「……あえて言わせるのが、あなたのおこのみなんですか?」


 そう言うとリトリィは俺の手をつかみ、彼女の秘部に引き込んだ。


 ……ああ、可愛いやつめ。




 ──春とはいえ、夫婦で過ごす夜は、まだまだ、長かった。




♥・―――――・♥・―――――・♥


リンク先…【閑話23:月に濡れて】

※性的な描写あり。楽しめるという方のみ、お進みください。

※読まなくても支障はありません。

https://kakuyomu.jp/works/16817139556498712352/episodes/16817330649375814357


♥・―――――・♥・―――――・♥




「相変わらずっスね」


 フェルミが朝食の準備を手伝いながら、なかば感嘆、なかばあきれたように言った。


「朝から温かいものを食べることができるなんて、ちょっと信じがたいっス」

「それがムラタさんのお望みですから」


 マイセルが、焼きたてのパンを籠に詰めて持ってきて答えた。


「ムラタさんのお望みは、私たちの望みですから! 美味しいものが食べたいって言ってくれるムラタさんのおかげで、私たちも美味しい食事のために、堂々とお金をかけられるんです!」


 ふんす、とふんぞり返るマイセルが、妙に可愛らしい。

 ぽっこり出てきているお腹のせいだろうか、カーチャン属性を身にまとい始めている気もするが。


「こんな贅沢、ウチでは到底できないっスよ」

「何を言っているんだ? フェルミにも、ちゃんと生活費をそれなりに渡してあるだろう?」


 フェルミのお腹には俺の子がいるんだ。この世界では、まだまだ出産は命がけだというし、母子ともに健康を維持して出産の日を迎えてもらわないと。

 するとフェルミは、困ったような苦笑いを浮かべた。


「……子供のためを思ったら、なかなか使えないっスよ。産まれたあとだって、お金がかかるんスから。ご主人だって、お金が無限にあるわけじゃないスよね? いくら監督でも──」

「何を言い出すかと思えば」


 フェルミの言葉を、俺は遮る。


「俺の子を産んでくれるフェルミに、そんな不自由な思いなんてさせるわけにはいかないだろ。金のことはとりあえず心配しなくていいから」


 監督業で人より多めにもらっているからと言っても、それだけで贅沢ができるようになるわけではない。だが、ちょっとした副収入があるのだ。


 それが、ナリクァン夫人からの定期的な収入──俺がこの世界で提案したカラビナの、独占契約による副収入だ。実は、商人や俺たち建築関係の職人の間では、それなりに評価されて少しずつ広まっている。その売り上げの一部が、特許料のような形で俺たちの収入になっていた。


 ついでに、カラビナの件についてナリクァン夫人を介して鉄工ギルドともより深いつながりができた。おかげで、リトリィは共用の工房が空いていれば、いつでも使わせてもらえるようになった。


 今では、リトリィが何かしら欲しいものを思いつくと、鉄工ギルドに赴いて鉄を叩いてくる。いつの間にか増えた包丁やらナイフやらのたぐいは、全てリトリィが自分で鉄を打ってこしらえたものだ。


 そんな事情もあるから、差し当たってフェルミを含めた家族全員が食べていくに困るようなことはない。

 もちろん、火を使うぶん燃料代がかさむし、好きにできるほどの余裕があるわけでもないから、無駄遣いは戒めなければならない。


 リトリィもそのあたりは家計を預かる主婦の感覚として十分に理解してくれていて、適度に引き締めているようだが、健康に関しては別だ。ビタミン剤みたいなものがないこの世界では、食は健康に直結する。しっかり食べることで、健やかな体を作らないといけない。母子ともにだ。


「子供の分は別でちゃんと渡すから、しっかり食べることに使えって。お前の健康は、赤ちゃんの健康でもあるんだからな」

「はいはい。本当に口うるさいひとっスね、ご主人って。自分の持ち物には、一から十まで口を出さなきゃ気が済まない性質タチなんスか?」

「分かった分かった、なんとでも言え。お前は俺のものなんだ、俺の言うことを聞け──これでいいんだな?」


 そう言うと、隣で皿を並べていたリノが手を挙げた。


「はいはいっ! ボク! ボクもだんなさまのものだよ!」

「……そうだな。リノも、俺の大事な未来の花嫁さんだよ」


 頭をわしわしと乱暴に撫でてやると、リノは「むふーっ!」と、本当に嬉しそうに目を細めた。ああ、なんて可愛らしいんだろう。


「いいのかな、リノちゃん。ムラタさんのモノになるってことは、ムラタさんの好きなようにされちゃうってことっスよ?」


 からかうように言ったフェルミに、リノはまっすぐな目を向け、不思議そうに首をかしげた。


「んう? いいよ? だってボク、だんなさまのこと大好きだもん」

「……ホント、愛されてるっスよね、ご主人」

「ふふ、もちろんですよ」


 リトリィが、スープの鍋と共に現れる。


「だって、わたしたちみんなを愛してくださる、わたしたちのだんなさまですから」


 そう言ってテーブルに鍋を置き、それぞれの皿にスープを取り分け始めるリトリィを手伝いながら、フェルミが口の端を歪めてみせた。


「……今はともかく、口うるさい人は、そのうちに面倒くさがられるようになるっスよ?」

「なんとでも言え、俺はお前のためにやってるんだ」

「……強引な人っスね」


 あきれたように、ため息と共にそう言ったフェルミ。だが──


「ふふ、でもね? 私の中の女の部分が、ご主人のそういう強引さ、嫌いじゃないって思っています。……ううん、むしろ──」


 そう言って、彼女は上目遣いに微笑んだ。


「──むしろ、強引にでもあなた色に染めてほしいって思っていますよ、ご主人?」


 そう言ってしなだれかかってくる。俺の頬に胸を押し付けるようにして。

 ……だから、夜でもないのにみんなの前でそういうことするなって。

 するとフェルミはくすくす笑ってから、俺の耳元でささやいた。


「そういう照れ屋なところも、可愛らしくて好きっスよ?」


 ああ、もう、なんとでも好きに言え。だから──


「ふふ、だから好きなようにしてるじゃないスか」

「……お前な」

「本当に可愛いひとっスね、ご主人?」


 ……そうやって俺をからかうお前だって、本当はとっても可愛い女の子だよ。


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