第557話:デートへGo!withファミリー(3/9)

 紳士はゲシュツァーと名乗った。小さな事業を営んでいるという。だが、彼自身も、そして娘さん二人も、身なりはかなりよいと思われたので、小さな事業、というのは謙遜だろう。


「子供というのは、実に良いものです」


 ゲシュツァー氏は、おしゃべりをしながら前を歩く五人に目を細めながら言った。


「うちの娘はどちらかというと内向きでして、あまり外に出たがらぬのですが……先ほどから、実に楽しそうです。そちらのお子さんとは年も近いようですし、気の合う何かがあったのでしょう。こうした小さな変化が、見ていて飽きぬのです」


 小さな変化……か。

 いつも俺のそばにいて、現場の大人たちの中で過ごすことが多いせいだろうか。リノは、ゲシュツァー氏の娘さんたちととても楽しそうにしている。俺相手の甘える姿ではなく、年相応の愛嬌を振りまいている彼女は、これはこれで愛らしい。


 対して、決して楽しくないわけではないのだろうが、妙に固いのがニューだ。さっきまではゲシュツァー氏の娘さん――フェルとヴァイシィというらしい――と一緒に、橋の上で楽しそうに魚(?)を指差していたというのに。知らない大人が近くにいるということで、緊張しているのだろうか。


 そんな五人の中で、最年長という自負なのか、四人に増えた女の子を守る騎士を意識しているのか、いつもより目つき鋭く、目くばせの多いヒッグス。なんだか頼もしく感じられる。


「……なるほど、確かにそうですね。ゲシュツァーさんのおっしゃる通りかもしれません」


 そういえば、同年代の子供たちと遊ぶチビたちの姿を俺は見たことがなかった。

 なるほど、これはチビたちの変化をとらえる、貴重な機会なのかもしれない。


「そういえば、ムラタさんは奥様が初のお子さんを身ごもられたとのことですが、ご結婚なすってからいかほどですかな?」

「今日が丁度一年目の記念日なんですよ」

「ほう、それは……!」


 ゲシュツァー氏は目をみはってみせた。


「それは、とても大切な日にお会いできたものですな」

「そうですね。普段は仕事ばかりで、こうして夫婦で出掛けるようなことがあまりなかったものですから」

「それはそれは……では、今日は貴重な一日ではありませんか」


 ゲシュツァー氏は、実に申し訳なさそうな顔をすると、マイセルに向けて非礼をわびてみせた。


「いつもお忙しいご主人との貴重な結婚記念、ご主人を一人独り占めできたはずのお時間をいただいてしまい、申し訳ない気分ですな」


 ゲシュツァー氏の言葉にマイセルがはにかみつつ会釈をしてみせる。

 リトリィの方も同様に会釈をしてみせたが、彼女の方が動きがやや大きくめりはりがあって、より優雅に感じられた。さすが、ナリクァン夫人から直々に厳しく指導されただけのことはある。


 ゲシュツァー氏はリトリィを見て、少し戸惑い気味に聞いてきた。


「大変珍しい色の毛並みをしたこちらのご婦人は、失礼ですが、ご関係は……」


 なるほど。普通の庶民が嫁さんを一度に二人ももらうなんてことは、普通ないだろうからな。俺とマイセルとリトリィ、この三人がどんな関係かと気になるのだろう。

 それに今の今まで、ゲシュツァー氏はマイセルの方ばかりを見ていた。つまり、獣人のリトリィははなから眼中になかったということだ。


 それが今、マイセルと同じように――いや、むしろマイセルよりも優雅な礼をしてみせたものだから、そりゃあ気にもなるに違いない。俺はとびきりの笑顔を作って答えた。


「こちらが、私の第一夫人のリトリィです」

「はじめまして、ゲシュツァーさま。『幸せの鐘塔』現場責任者たるムラタが妻、リトリィと申します。本日はこうしてお会いできて光栄です。以後、お見知りおきを」


 リトリィの発音は、聞いた話によると幼少期の発達段階でヒトの言葉の獲得が十分でなかったらしく、どうしてもやや息が抜けるような癖が抜けない。しかし、とても美しい言葉遣いで自己紹介をした。


 これにはゲシュツァーさんも、一瞬とはいえ、紳士然とした表情を崩して驚愕したような様子を見せた。

 まあ、そうだろうな。今の今まで完全に無視していた女性が、実は今、会話をしていた相手の妻、それも第一夫人だというのだから。ゲシュツァー氏でなくとも驚くだろう。


 ……さて、ここからが正念場だ。

 俺はリトリィを第一夫人だと紹介した。

 つまり、この身なりの良い紳士が、城内街によくいるような獣人差別主義者だった場合、ここからの彼の対応は劇的に変わることになる。


 不快そうにして悪態をつきながら離れていくか、笑顔を崩さぬまま「用事を思い出した」などと言って離れていくか。

 いずれにしても、今日の出会いはこれで終了――そうなるはずだった。


 ところが、どちらでもなかった。


「いや、これはしたり」


 ゲシュツァー氏は帽子を取ると、改めてリトリィの方に向き直り挨拶をした。


「これはとんだ勘違いを……。てっきりそちらの奥様の侍女ではないかと思い込んでおりました。全く申し訳ない。まさかこのような美しい奥方を二人もお迎えされているとは、なんとも羨ましい限りですな]


 ゲシュツァー氏はそう言って笑い、改めて非礼をわびた。

 とりあえず、こちらを忌避するようなそぶりは見られなかった。だから俺も頭を下げておく。


「いえ、お気になさらず。私の方もまだ名乗らせておりませんでしたから」




 それからゲシュツァー氏と、しばらくあたりを散策しながら話をした。もちろんゲシュツァー氏の娘であるフェルとヴァイシィと、うちのチビたちとが仲良く遊ぶのを見守りながら。


「それにしても、いったいどういういきさつで、三人もの子供を引き取ることを決めなすったのですか?」


 問われて苦笑いだ。ごまかすつもりなどないが、我が家に盗みに入ったチビたちをとっ捕まえたらこうなった、などと、どうして信じられようか。


「……いろいろありまして。浮浪児ながら、きょうだい同然に生きていた彼らを見て、放っておけなかっただけですよ」

「先ほどのお話ですな。親戚かなにかの子かと思いましたら、まさか浮浪児を引き取ったとは。ご家族の反対はなかったのですか?」

「あきれられましたが、受け入れてくれましたね。本当に素晴らしい女性と巡り会えたと思っています」


 ゲシュツァー氏はそんな俺を大いに面白がり、あれこれと話を聞きたがった。気が付くと俺は、初対面のおっさんを相手に、リトリィやマイセルの惚気話や、ヒッグスとニューとリノの自慢話ばかりしてしまっていた。結婚記念日だというのにだ。




「おや、もう一刻ですか。楽しい時間というのは早く過ぎ去ってしまうものですな」


 ゲシュツァー氏は鐘の鳴る音を聞き、ベンチから立ち上がると、帽子を取ってリトリィたちにわびた。

 もう一時間か。確かに俺も時間の経過を気にしていなかった。ずっとベンチに座って、池の方を眺めながら、話し込んでしまっていた。


「ついつい話し込んでしまいました。そちらは今日、貴重な結婚記念日だというのに。奥様方、ご主人を長々とお借りして申し訳ありません」


 ゲシュツァー氏は娘たちを呼んだ。近くの橋の上でチビたちは、ゲシュツァー氏の娘さんたちと、ゆったりと流れる川をのぞきこんでいる。ときおり大きな魚の影が見えるらしく、歓声を上げていた。


「フェルちゃん、ヴァイシィちゃん、またね!」


 リノが笑顔で言うと、二人の少女の顔がかげる。できた友達と別れるのが寂しいのだろうか。

 ゲシュツァー氏がもう一度呼ぶと、二人の少女はこちらを向いて歩き出そうとし、しかし何を思ったかリノたちの方に戻る。何か言おうとしていたようだったが、結局何も言わずにもう一度、こちらに向かって歩き出そうとしたときだった。


 橋を渡っていた来た若い二人連れのうち、女性が手に提げていた鞄が、ヴァイシィの振り返りざまに、彼女の顔面に当たる。

 よろけたヴァイシィはすぐ隣にいたフェルにぶつかり、フェルはそのまま押し出されるように――


 水の中に消えた。


『子供が落ちたぞ!』


 その言葉を聞く前に、俺は走り出していた。

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