第555話:デートへGo!withファミリー(1/9)

「ほんとうに、今日はお仕事に行かれないんですか?」


 朝食を取り分けながら不安げな表情を隠せないリトリィに、俺はめいっぱいの笑顔を向けた。


「前に言わなかったか? だったらすまない。今日は一日、君たちと一緒に過ごすつもりだ。今日は大事な結婚記念日だからな」


 窓の外では、時折シェクラのピンク色の花びらが舞う。

 普段、何も欲しがらないリトリィが、ただ一つだけ言ったわがまま――それが、満開のシェクラの花の下での結婚。

 だからこそ去年、庭の満開のシェクラの木の下で、俺たちは今生こんじょうの変わらぬ愛を誓い合った。


 あれから一年。時が経つのは実に早い。


「ほんと? だんなさま、今日はずっとおうちにいるの?」


 リノが口いっぱいにパンを詰めながら聞いてくるので、「飲み込んでからしゃべろうな」と釘を刺したうえで肯定してやると、本当に嬉しそうに笑った。


「リトリィたちこそ、今日はどうするつもりだったんだ?」

「わたしたちですか? ――その、だんなさまはお仕事に行かれると思っていたので、……その……」

「一日かけて、お夕食の仕込みをするつもりだったんです。ムラタさんに、美味しいものをいっぱい食べてもらおうって。ね、お姉さま」


 言い淀んだリトリィに、マイセルが微笑む。


「そうなのか? それは楽しみだな」


 何の気なしに答えてしまってから、はたと気づく。


「しまった、だったら今日はみんなで一緒に出かける、なんてことはできないってことか」

「じゃあボク、だんなさまと二人でお出かけするーっ!」


 リノが手を上げて、朗らかに名乗りを上げた瞬間だった。

 リトリィとマイセルが、ものすごい勢いで振り向いた。


「行きます! リトリィはどこまででも、だんなさまのおそばに!」

「どこですか⁉ ムラタさんとのお出かけなら、今すぐだって!」


 その圧力波で、思わず後ずさりしてしまったほどに。


「じゃ、じゃあ……みんなで行こうか」


 そして訪れた沈黙。

 俺は、答えを間違えてしまったかと思ってしまったくらいの、静寂。


 ――だが、すぐに部屋は歓喜の叫びが爆発した。




「えへへー、リトリィお姉ちゃんのお弁当! お弁当!」


 藤籠バスケットに収められていくパニーニを、実に嬉しそうに眺めるリノ。その姿にニューが口をとがらせる。


「リノ、遊んでないで手伝えって」

「遊んでないもん」

「さっきからなんにもしてねえだろ。こっちで作ってるの、分かってんだろ? ほら、リノもやれって」


 そう言って、ニューはリノの手を取ってキッチンに引きずっていく。

 あのニューが、料理を覚えた。本人は隠しているつもりらしいが、兄と慕うヒッグスのために。


 いまのところ、本人はヒッグスのことを兄と呼んでいるが、別に血がつながっているわけでもない。ヒッグスと行動するようになってから、彼を兄と呼ぶようになっただけのことだそうだ。


 だがマイセル情報によると、本当は恋人になりたいのだという。リノがストレートに俺への好意をぶつけまくる姿に、影響されたそうだ。言葉遣いは相変わらず粗暴だが、心は乙女なのだと思うと、実に微笑ましい。


「リノちゃん。リノちゃんもお手伝いしてくれると、お弁当が早くできて、早くお出かけできますよ~?」

「うん! ボクもお手伝いする!」

「ふふ、さすがムラタさんのお嫁さん候補ね? とっても助かるわ。じゃあ、こっちを手伝ってくれる?」

「うん! ボクがんばるよ!」


 そっと見に行くと、マイセルにおだてられたリノが、喜び勇んでナイフを握るところだった。

 ナイフの扱いは、今やすっかりキッチン要員の一員となったニューに比べれば、つたないにもほどがある。けれどマイセルはときどきリノの様子を見ては、彼女をほめるだけで、不揃いな切り方をとがめるようなこともしない。


「いいのか? あれで」


 一応、マイセルに聞いてみると、彼女はリノから目を離さぬまま、微笑んだ。


「だって、それがムラタさんのやりかたでしょ?」


 よく分かってくれているようだ。思わず彼女の肩を抱く。

 リノは決していい加減に切っているのではなく、大真面目な顔で、真剣に切っているのだ。刃物に慣れれば、技巧はいずれ後からついてくる。


 どうせあの天真爛漫なリノだって、現場に連れていけばいつも緊張感をもって頑張ってくれるのだ。誰かのために働くことを楽しいと思い、努力できれば、今はそれでいい。


「だんなさま、お召し物の用意ができました。こちらにおいておきますから、お召し替えをおねがいいたしますね」


 リトリィが、ひと目でなかなか上等なものだと分かる布地の服をひと揃い、ソファーに置く。


「いや、俺は普段通りで……」

「ダメですよ?」


 マイセルがウインクしてきた。


「お姉さまは、ムラタさんを――自分の旦那さまを、街のみんなに自慢したいんですから。そのためには、ムラタさん自身が服装に気を遣ってくれなきゃ!」

「……そういうものなのだろうか」

「そういうものなのです! ……えへへ、ムラタさん、私たち頑張ったんですよ!」

「……頑張った?」

「はい! 頑張りました!」


 頑張った――頑張った、とは?


 ――考える間でもない。

 多分、こういう時のために二人が仕立てておいてくれたんだ。


 そういえば以前、暗殺者に刺されてゴーティアスさんの家で世話になっていたころに、リトリィが俺の服を仕立てるための布を買っておいてくれたんだっけ。あのときのものだろうか。

 リトリィの鋭い感覚は、俺の手にぴったりなじむものを作り出す。ナイフも、ノコギリも。

 この服も、きっとそうなんだ。


「……ありがとう、ぴったりだ、本当に」

「お礼は、お姉さまに言ってあげてくださいね? 私は縫っただけで、型紙作りから裁断まで、みんなお姉さまが頑張ったんですから」

「そ、そうか。……それでも、マイセルも頑張ってくれたんだろう? ありがとう」


 俺が改めて礼を言い、そして手を取りその甲にキスをすると、マイセルはたちまち耳まで真っ赤になって、何も言わずにキッチンのほうに駆けて行ってしまった。


 この世界には「大量生産」という概念はレンガとか釘とか酒とか、そういったものくらいしかない。

 帽子も服も下着も、身に着けるものは何もかも「誰かが誰かのために合わせて作ったもの」だ。もちろん、いわゆるS・M・Lといった「既製品」なんてものはない。


 だから、いつもは古着屋で少しでも上質のものをと、一時間くらいリトリィは粘って買い物をしたあとで、彼女がいつも寸法合わせをし、仕立て直してくれている。


 だけどこれは、そうじゃない。すっと体になじむ、この感覚。

 この服は、古着とは違うのだ。

 リトリィが買い置きしてくれていたあの時の布地を使って、リトリィとマイセルで仕立ててくれた新品――というより、俺のための「一点もの」なんだ、これは。




 自分の書斎で着替えを終えたころに、リトリィが書斎に入ってきた。

 嬉しそうに、目を細める。


「……ふふ、よかった。あなた、お似合いですよ?」

「そ、そうか。ありがとう」

「動きづらいところはありませんか? だんなさまは動きやすさをとてもたいせつにされますから、そのようにこころがけたつもりなのですけれど」


 そう言って俺の手を取り、軽くダンスを求めて来た。結婚式の時に踊った、アレだ。といっても、あれ以来踊ったことなんかない。


「お、おい……」

「ふふ、動きやすさを確かめるだけですよ」


 そう言ってステップを踏み、くるりと回ってみせる。金色のしっぽが、ふわりと弧を描いて踊る。


「どうですか? いつもより布地が多いですから、重かったりしませんか?」

「……とてもいい。腕も上げやすいし、引っかかるようなこともないみたいだ。すごく気に入ったよ」

「よかった……。お気に召していただけたみたいで、うれしいです。とっても……」


 そう言って頬を染める彼女を、そっと抱きしめる。


「……あなた?」

「マイセルから聞いた。これ、君が中心になって仕立ててくれたんだろう?」


 リトリィの目がわずかに見開かれる。


「え、ええと……。マイセルちゃんもいっぱいがんばってくれたんですよ。わたしなんかより、ずっと――」


 耳がぴこぴことせわしなく動く。……ああ、リトリィの癖だ。実に分かりやすくて、俺にはとても都合がいい。


「そうやって、自分の頑張りをごまかさなくていいって。マイセルが認めてるんだ、君が頑張ってくれたことを」

「で、でも、ほんとうなら、ちゃんとした仕立て屋で――」

「君の手のささやきこそが、俺にとっての最上級の品なんだ。君こそが、この世界で一番、俺のことを理解してくれているんだから」


 うつむきかけた彼女の薄い唇に、強引に唇を重ねる。いつものように、逆蹂躙されるだろうことを予測しつつ、自分の舌を、彼女の口の中に差し入れる。

 ああ、熱い。いつもの心地よい火照りを、舌先で感じる。


「む……あ、む、……もう、だめ、ですよ……?」


 思いのほか強い力で、押しのけられてしまった。しまった、感謝の気持ちを込めたつもりだったけど不快にさせてしまったか?


 俺は慌てて謝ろうとしたが、それよりも先に、リトリィが頬を真っ赤に染めてうつむきながら、か細い声で訴えた。


「だめ、です……。きょうは藍月らんげつの日、なんですよ……?」


 そして、そっと、俺の胸に顔を埋める。


「あ、あんなことされて……。わたし……もう、からだが、熱くて……!」


 そう訴えるリトリィの目が、いつもの透明感ある青紫の瞳ではなく、赤紫に近い色に染まっている。


 ……あ、やらかした。

 この目は――求める目だ、よりにもよって、出かける前の、こんなときに。


「ひどいです……。これから一日、わたし、ずっとおあずけなんですか……? たいせつな結婚記念日で、だいすきなひとから、こんな仕打ちをうけるなんて……」


 もじもじしながら、切なげな吐息で訴えられても、……ごめんとしか言えない。


「おねがいです……お時間はかけずとけっこうですから、どうかおなさけを――」


 リトリィがそう言って、ズボンに手をかけたときだった。


 扉が勢いよく開いて、リノが飛び込んできた。


「だんなさま! もうみんな準備できたよ……って、すごい! だんなさま、かっこいい! お姉ちゃん、この服、お姉ちゃんが作ったの⁉」


 まっすぐ俺に飛びついてきた俺は、服をべたべた触りまくって「いいなー! ボクもお姉ちゃんが作る服、欲しい!」と騒ぎまくる。


「そうか、だったらいい子にしていたら、作ってくれるかもしれないぞ?」

「本当⁉」

「……ええと、ただしリトリィは忙しいからな。すぐには無理かもしれないが……」

「わかった! いい子にする!」


 そう言ってから、リノは思い出したように話題を変えた。


「そうだ、今日はどこ行くの⁉」

「三番大路――門外街の南側の大路の近くに、大きな池があるだろう? あそこだ」

「すこし木が生えてるところ?」

「そうだな、そういうところもある」

「ボク、木登り得意だよ!」


 大喜びでしっぽをぴんと立てているリノの頭をなでてやると、彼女は俺に飛びついて「早く行こうよ!」とせがんだ。


「そうだな――」


 言いかけて、リトリィを見上げる。

 顔を赤くした彼女は、俺と目が合うと、頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 ……こ、今夜、頑張るから。うん、いっぱい。干からびるまで。

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