第553話:相聞夜に偲ぶ愛(2/3)
我が家の
「お姉様はムラタさんに甘すぎます。夫を躾けるのは妻の役割だと、ナリクァン様もペリシャさんも言ってたじゃないですか」
言われて、なぜか俺の隣にすごすごと座るリトリィ。
多分、十分足らずだっただろう。
その短い時間の中で、マイセルはとにかく、リトリィお姉さまのために私が代わりに怒っているのだ、というスタンスで俺を叱り続けた。
いかにリトリィが今夜を楽しみにしていたか。
お仕事が大変そうですから、ぎりぎりまで黙っていましょう――いたずらっぽく笑いながら、どれほど幸せそうに準備をしていたか。
それが裏切られたと知った時のリトリィの寂しそうな顔と、それでも気を取り直してお客さんをもてなそうと言ったときのリトリィの気持ちを、なんだと思っているのか。
マイセルは、涙まで流して訴えた。
ついには嗚咽で言葉の出なくなったマイセルを、リトリィが抱きしめた。
「ごめんなさい、わたしの代わりに言ってくれたのね」
「だって! だってこのままじゃ、お姉さまがあんまりにもかわいそうで……!」
「ありがとう、マイセルちゃん。……でもね?」
「分かってます、お姉さまがムラタさんを責める気なんて全然ないってことくらい。でも、でも……!」
知らなかったとはいえ、本当に申し訳ないと反省しきりだ。許してほしいとも言えず、俺は黙ってマイセルの言葉を受け止めた。
そういった風習があるということも知らず、明日は結婚記念日だし、少し奮発して、どこか美味しいものでも食べに行こうか――その程度しか考えていなかった。
マイセルが落ち着くまで、リトリィがずっと、幼子をあやすように、その背中を撫で続けていた。せめて俺も、と思ったが、リトリィは小さく微笑むと、任せてほしいとばかりに軽くうなずいてみせたものだから、手持ち無沙汰ながら、黙って待つしかなかった。
マイセルは落ち着きを取り戻し、今はリトリィと一緒に、キッチンで菓子を焼いている。
麦の生地が焼けるいい香りが漂ってきて、さっき食事をとったばかりだというのに、妙に食欲が刺激される。リトリィも料理は得意だが、菓子ならマイセルに一日の長がある。だからキッチンは基本的にリトリィの戦場だが、こと菓子作りに関してはマイセルの主導が多い。
そんな菓子の出来を心待ちにしつつ、俺はニューから追撃の説教を食らっていた。
「おっちゃん、姉ちゃんを泣かすんじゃねえよ。かわいそうだろ。姉ちゃんがどんだけおっちゃんのこと好きか、知ってるだろ?」
こんなちびっ子にまで説教を食らわされるとは、俺も本当に焼きが回ったものだ。
「だいたい、さっきの話だとオトナならみんな知ってるんだろ? なんでおっちゃんは知らないんだよ」
「言い訳をしたいわけじゃないが、俺の国には、この風習がなくてな」
「おっちゃんの国にはなかったのか?」
ニューが身を乗り出してきた。
「まあな。だから、この国の風習の事をよく知らなくてな。おかげでリトリィにもマイセルにも世話になりっぱなしだ。色々教えられてばかりだ」
「おっちゃんもしょうがねえヤツだなあ」
ニューの隣で、ヒッグスが笑う。
「頼りにならねえ男なんて、女の方から見捨てられても文句、言えねえんだぜ?」
まるで自分が頼りがいのある男であるかのように胸をどんと叩いてみせるヒッグスに、俺は「……そうだな、頼りにはならないかもな」と、苦笑いを返すしかない。
「そんなことありませんよ」わたしたちのだんなさまは、世界でいちばん、頼りになる人です」
リトリィがトレイにカップを乗せてやって来た。微笑みながら、一人ひとりの席にお茶を配っていく。やわらかないい香りが、ふわりと漂ってきた。
「え? だって、おっちゃん今自分で自分のことで頼りねえって言ったじゃん。だったら頼りないだろ?」
ニューの言葉に、それまで黙っていたリノが急に立ち上がった。
「そんなことないもん。だんなさまはとってもすごい人なんだよ。今のお仕事だって。だんなさまが見つけたんだもん。ボク知ってるんだから!」
「でも、さっきだって姉ちゃんのこと泣かせてたし。頼りにならないからだろ?」
「だんなさまは知らなかったんだから、しょうがないでしょ! ボク、だんなさまのこと信じてるもん!」
リノが真っ赤になって言い返す。
……いいんだよ、リノ。頼りないのは事実なんだから。
「そんなことないもん。だんなさまがすごいって、ボク知ってるもん!」
「そうですよ?」
あくまでも俺を擁護してくれようとしたリノに、リトリィが柔らかく援護射撃をしてくれた。
「だんなさまは、わたしたちのために、いつもおしごとをがんばってくださっています。そして、わたしたちのことを、とてもたいせつにしてくださっています。だからわたしたちは、安心してくらしていけるのですよ?」
「そうかもしんねえけどさ。やっぱりオトコなら、バシーッと、こう――」
ヒッグスが、大げさな身振りで言ったときだった。
「なにがバシーッと、なの?」
そこにやってきたのは、マイセルだった。トレイには、色とりどりのクッキーのような焼き菓子が山盛りになっていた。
「忘れたの? あなたたちのことを許して、こうして一緒に暮らすように言ってくれたのは、ムラタさんなのよ?」
歓声を上げて手を伸ばしたチビたちを牽制するように、マイセルがわずかに険しい目をしてみせる。
「姉ちゃん、ずるいよ!」
「あなたたちはムラタさんのお世話になって、ここにいることを忘れていない?」
「それは……そうかもしんないけどさ。けど、姉ちゃんだってさっき、おっちゃんのことであんなに泣いて――」
「それは私たちの問題。ムラタさんだっておなじ人間なんですから、失敗だってします。でも、ムラタさんはそれで変に言い訳したりしないし、そもそも男はこうするものだ、なんて変な自信を振り回したりしないでしょう? 少しは見習いなさい」
さっきまで俺のことをあんなに叱って泣いていたのに、そんなことはおくびにも出さずに、俺のことを持ち上げてみせるマイセル。……ああ、俺、本当に嫁さんたちに敵わないよ。
「だ、だって、オトコは強くなきゃ……」
「ムラタさんは、ほんとうはとってもおつよいひとなんですよ? リノちゃんは、それを見てきましたよね?」
リトリィが、テーブルにナプキンを並べながら微笑んでみせると、リノは大きくうなずいた。
「力や態度で強く見せようとせずに、やわらかくわたしたちをつつんで下さるだんなさまが、わたしたちを心から愛してくださっているから、わたしたちは安心してお仕えできるんですよ?」
リトリィの言葉に、マイセルもうなずいてみせる。
「オトコの強さは、腕力だけじゃないってことよ。それが分からないうちは、まだまだお子様ね」
そう言ってマイセルは、人差し指でトンとヒッグスの額をつついた。
「お子様って、オレ、子供なんだし仕方ねえじゃん」
「年のことを言っているんじゃないの。心構えよ」
「ちぇーっ、さっきまで泣いてたくせに、偉そうに」
口を尖らせたヒッグスに、マイセルはニッと笑ってみせた。
「偉いわよ。泣いちゃうくらい怒ってみせたって、ちゃーんと愛を認めてくれる素敵な旦那様に認めてもらえた、その人のお嫁さんなんだから。だからこうしてあなた達のお姉ちゃんをしていられるのよ?」
「なんだよそれ!」
「悔しかったら、私たち以上にすてきなお嫁さんを見つけることね?」
ますます口を尖らせたヒッグスを、リノが「にいちゃん、言い負かされてやんの」とせせら笑う。ヒッグスがいきりたって立ち上がると、リトリィがそれを制した。
「ふふ、この話はもう、おしまいにしましょう? せっかくマイセルちゃんが焼いてくれたお菓子が、冷めてしまいますから」
それを受けて歓声を上げたチビたちが手を伸ばすと、マイセルが「こら!」と制止する。
「こうしてお菓子が食べられるのは、誰のおかげ?」
「姉ちゃんのおかげ!」
「違います」
「神様のおかげ!」
「それもあるけれど、それだけではないでしょ?」
マイセルは、俺に目配せをして、そっと微笑む。
「ムラタさんが、いつもお仕事を頑張ってくださるからですよ? お祈りに加えて、ムラタさんへの感謝の言葉も忘れないこと!」
子供たちが、目の前の菓子のためにだろうが、ヤケクソ気味の大きな声で、祈りの言葉と、そして俺への感謝の言葉を述べる。
「はい、では召し上がれ」
リトリィの言葉で、チビたちの手が一斉に菓子の山に突撃した。
チビたちが両手で菓子をつかんで頬張るさまを見ながら、この一年にあったこと、その前の馴れ初めなどに、話の花が咲く。
俺とリトリィの出会い、マイセルと俺との勘違いから深まった縁など、当然ながらチビたちは初めて知るわけで、目を丸くしたり笑ったりあきれてみせたり。
けれど、そうやってひとつひとつ、いろいろあったことを振り返っていると、こうして出会い、想いを重ね合って縁を結んだ俺たちの、その一日一日の奇蹟が、今につながっているのだと実感する。
どこかひとつでも繋がっていなければ、いま、俺たちはこうしてそろっていなかっただろう。
君たちの愛で、俺は生かされてきた。
君たちのおかげだ、俺が今、こうしてここにいられるのは。
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