第550話:一つの区切り、次への準備
「それで? お前の言ってたことはなんとかなりそうなのかよ」
「一応は。協力してもらえることにもなった」
「そうか。……ま、オレはそういうことはよく分からねえから、せいぜい本業を忘れねえ程度に頑張れよ」
リファルが手をひらひらさせながら背を向けたので、俺はすかさず奴の襟首をつかんだ。
「なに言ってるんだ。次は壁の塗り替えだ。その時がきたらまた働いてもらうぞ」
「てめぇ、いつまでオレを巻き込むつもりだ!」
「ここの仕事が片付くまでに決まってるだろ!」
「オレは大工だ! 壁の塗り替えなら左官の仕事だろう!」
「壁をはがすまでは大工の仕事だし、ついでだ。やるぞ!」
「ふ・ざ・け・ん・なッ!」
「ふ・ざ・け・て・ねェ!」
バーザルトとグラニットが担当したとかいう
「当たり前だ、誰が教えたと思ってる」
「分かってるよ、どうせ――」
「……自分だ」
背後からぬっと現れたのは、ヒヨッコたちと一緒に来て、これまでずっと一緒に作業をしてくれた男だった。
「い、いやモーヴォさん、オレも教えたから!」
「……あんたは腕はいいが、せっかちでいけない。おかげで全て教え直しだ。いち職人としては上々だが、それでは師にはなれん」
「そ、それは教えられるほうの気合で……!」
「見せられる技はともかく、助言がいまいち助言になっていない」
「だ、大工の技ってなあ、見て盗むもので……!」
ああリファル。お前、それ職人によくあるタイプだな。
日本でも昔はそうだった、弟子はとるが一切教えることなく、見て盗めという奴。
その良し悪しをどうこう言うつもりはないけれど、効率を考えたときに、結局は学校ってものに行き着くんだよな。
ただ、この世界というか、少なくともこの街には学校なんて無いみたいだけど。というか、どうやら二極化が激しいようだ。
富裕層は、家庭教師を雇って子供を教育する。
一般的な家庭は、字の読み方、本人や家族の名前の書き方を、親が教える。もし近所に読み書きできる暇な爺さんあたりがいたら、そういった人が暇つぶしに字の読み書きを教える程度らしい。
マレットさんの家の場合、世襲の棟梁という特殊な立ち位置のため、家名に恥じぬように家庭教師を雇ったらしい。リトリィの場合は、リトリィの母となった
だから字を読めても書けない人は(俺を含めて)非常に多くて、だから「代筆屋」が繁盛していたんだっけな。
「どっちが教えていたっていい。これなら、屋根の仕事はもうすぐ終わりだな」
「そうだな。ここでのオレたちの仕事も、もう終わりってわけだ」
「終わらせるな。壁の塗り替えまで付き合え」
「またその話かよ! 勘弁してくれよ!」
「どうも、本当にお世話になりました。おかげさまで、これからは雨漏りに悩まされることもなくなることでしょう」
夕日の差し込む応接間で、ダムハイト院長が深々と頭を下げた。
「あなたがたの献身には、神もお喜びのことでしょう。あなた方に、これからも神の恵みがあらんことを」
うん、まあ、薄々分かってはいたけれど。
今回の報酬は、期間と投入した資材などのコストを完全に度外視して、いち人間に支払う額だとしても、本当に子供の小遣いかと思うような金額だった。
ある意味、その図太い神経には恐れ入る。俺たち、別にあんたの神様の信者でもなんでもないんだが。
……と言いたくなるほどの金額だったが、しかし手垢にまみれた不揃いの銅貨を見ると、とても文句など言えなくなる。
この世界のお金は、どこかの国が一括して鋳造しているわけじゃない。経済力のある国王や領主貴族が独自に発行しているものを、取り混ぜて使用している。だから、この街で貨幣に触れるようになったころ、俺は本当に混乱した。
どうも、貨幣を作る国や団体は違えども、重さや大きさはある程度基準があるらしく、その大きさで価値がだいたい決まるのだ。「額面」ではなく、貨幣の大きさと重さによって取引が行われている。
そんな様々な種類の汚れた銅貨を取り混ぜ、それもじゃらじゃらと価値の低い銅貨が大半というありさまを見せられては、何も言えなくなってしまう。本当に苦しい中から絞り出すようにして、このお金はかき集められたのだろう。
「ありがとうございます。ただ、我々の仕事はこれで終わったわけではありません」
「……どういうことでしょうか?」
いぶかしげな院長。俺は、ちらりと部屋を見回した。
カビ臭い――実際に青黒いカビが壁紙のあちこちに広がっていて、それ自体が模様であるかのように錯覚してしまいそうな部屋。
近いうちにアルコールの殺菌作用をナリクァン夫人に示すことで、今度はファルツヴァイたちを蝕むカビを除去するための、壁の塗り替え工事の支援をもらうのだ。
そのためにも、なるべく早くそれを達成して、ここに戻って来ないとな。
それを話すと院長は驚き、これ以上世話になるわけにはいかないと首を振った。気持ちは分からなくもないし、正直に言えば資金的な問題もあるのだろう。
だが、ナリクァン夫人は約束してくれた。アルコールの殺菌作用が証明できれば、今回の件を衛生と健康に関する工事のモデルケースとすることで、全面的に資金協力をしてくれると。
この塗り替え工事は、この世界の衛生観念の向上に大きな一歩を示すはずだ。そうすれば俺たちの家族の生活も、より健康的な暮らしが将来的に約束されるだろう。
何のことはない、この孤児院での仕事を踏み台にして、自分たちの暮らしを向上させようとしているだけだ。
瀧井さんがおっしゃった通りだ。結果的に孤児院の子供たちの生活を向上させることにつながるだけで、結局は俺自身の私利私欲を満たすためになっている。彼は否定してくれたけど、俺は自分と自分の家族のことしか考えていない、という指摘をされたならば、それを一切否定できない。
――それでもだ。
俺は腹の中で独り言をつぶやく。
大切な俺の女たちを、彼女たちが産んでくれる俺の子供たちを、俺たちの未来を守れるならば、なんだってやってやる。
「は、話は終わったのか? 早かったな!」
妙に早口のリファル。奴がぱっと離れた元の場所には、真っ赤な顔でうつむいているコイシュナさんがいる。
「……お前な、遊んでいる暇があるんだったらなんで応接室に来なかった」
「遊んでねえ! オレはその、赤ん坊の世話を手伝っててだな……!」
俺は思わずゆっくり拍手をしてみせ、両手を広げて肩をすくめてみせた。
「おやおや。おやおやおや。それはすばらしい。実にすばらしい奉仕の精神です。で、赤ん坊とやらはいま、どこにいるのですか?」
「うるせえよ! てめぇ、言い方が厭味ったらしいんだよ!」
「冗談はさておき、コイシュナさん」
「は、はい!」
弾かれたように、赤く染めた頬をまっすぐ俺に向けた彼女に、俺は微笑みながら聞いてみた。
「
リノに手を出したことへの懲罰がわりに、奉仕作業をするように仕向けた少年たちのことだ。俺の質問に、コイシュナさんは一瞬、小首をかしげ、そして気づいたように笑顔になった。
「はい! おかげでずいぶん助かっています! リファルさんが毎日、率先してお手伝いしてくださるお姿を見ているせいでしょうか」
思わずリファルを見る。
そっぽを向くリファル。
「こんな奴でも、お役に立ったのなら幸いです。良い機会をいただき、ありがとうございました」
「オイこらムラタ! テメェ、なんだその言いぐさは!」
「今言った通りだよ、いつも昼休みにシケ込みやがって」
「シケ込むってなんだてめぇ、オレの誠意を何だと――」
そして小突き合いが始まる。
もはやいつものやりとりだ。
「……ただ、俺たちの仕事がこれで終わったわけじゃありません。この孤児院で暮らしていく中で、克服しなければならないことはまだあります。ですから――」
「ですから、このヒョロガリはともかくオレがまた来ますから。心配は無用です、近いうちにまた必ずここにォぐッ……⁉」
横から俺を押しのけるようにして、妙に早口にまくしたてるリファルのつま先を、かかとで踏んでやる。
「ええと、こいつが来るかどうかはともかく、この館で成長していく子供たちが、健やかに生活できるような手立てを考えていますので、安心して――っとーぅにゅおっほぉっ⁉」
思いっきり、すねにめり込んだリファルの右足のつま先!
お、お前……! 弁慶の泣き所を、的確に狙いやがって!
「任せてください。そこで情けない顔でうめいているムラタとかいうヒョロガリよりも、このオレが君のために必ずぁっホウぅうッ⁉」
ざまあみやがれ、みたか膝カックンの破壊力!
こうしてまた泥沼にはまっていった俺たちの馬鹿なやり取りを見ながら、目の縁に雫を浮かべながら微笑むコイシュナさんが、なぜだかとても綺麗に見えた。
……綺麗に見えたんじゃない。そんな気のせいですむものじゃないのだろう。
初めて会ったときは身なりに構っていられないほどの彼女だったが、今は目が輝いているんだ。質素だけれど、身なりも整えている努力が見られる。
やっぱり、張り合いのある生活は、ひとを変えるんだな。
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