第549話:求められ、応える
『どうだ、わしを雇ってみないか?』
まさか瀧井さんからそんな提案をされるなんて思ってもみなかったが、確かに餅は餅屋と言うし、五十年前とはいえ、大学で研究をしていた人が手伝ってくれるのは非常に心強い。
「やっぱり、だんなさまは神様からわたしたちへのおくりものなんですよ」
リトリィが、道すがら嬉しそうに言う。
「だんなさまが良かれと思ってなさることに、まちがいがあったためしがありませんから」
「そういうのを買い被りって言うんだよ」
「そんなことありません」
リトリィから叱られることだって何回かあったことだし、俺はたまたま周りにいい人がいて救われているだけだ。今回の件だって、偶然瀧井さんが協力を申し出てくれただけだ。
ところがリトリィは、それこそが神様の采配だ、と言う。偶然うまくいく、というのはつまり、神様の意に沿っているからだと。
「前にも言ったけれど、俺はこの世界に来る時に、神様とかそれっぽいヤツになって遭ってないんだぞ?」
「ふふ、わたしと出会ってくださいました。あの山の中で。それこそが神さまのおぼしめしだって、わたし、しんじています」
「だからそれが買い被りだってば」
俺は苦笑しながら笑ってみせる。だが、リトリィはぶんぶんと首を振った。
「そんなことありません。だんなさまがわたしのもとに来てくださったのは、神さまがそのようにしてくださったんです」
「わかったわかった。俺も君に会えた事実自体には感謝してるんだ。本当に、随分と世話になってしまったし」
世話になったというか、迷惑をかけたというか。そう言うと、リトリィはまたぶんぶんと首を振った。
「だんなさまのお世話をまかされたのは、わたしですから!」
リトリィは、急に頬を染めてうつむき、そして上目がちに、か細い声で、けれど言い切った。
「だんなさまが――あなたが、わたしたちの――わたしのもとに来てくださったこと、わたしを選んでくださったこと、それに、かならずこたえます。あなたの仔も、きっと、きっと産んでみせます。いっぱい、いっぱい産みます。……ですから――」
その先を言わせるわけにはいかないだろう。俺は彼女を抱きしめた。
道行く人が、何事かと俺たちに視線を送る。
何事かって?
決まってる、愛の確認だ。
求められたなら、応えるのは夫の義務だ。
彼女がわずかに身をよじったけれど、離すものか。
彼女の薄い唇の感触、わずかに湿る鼻の先の感触。
むさぼるように彼女の口内に舌を差し込めば、澄んだ青紫の瞳から雫がこぼれる。
「……もう。ここは城内街ですよ?」
「構わないさ」
城内街――門外街と違って、獣人への風当たりが冷たいなど、重々承知だ。
だからどうだって話だ。
「じゃあ、リトリィ。そっちは任せたから」
「だいじょうぶですよ。マイセルちゃんがいつもどおり、上手にやってくれているでしょうから」
「幸せの鐘塔」で働く人々のために、リトリィが給食担当を買って出てから、すっかり彼女は「給食のおねーさん」としての地位を確立していた。城内街の人間――とくに身分や意識の高い連中と、以前、俺たちに絡んできたクソガキどもの差別意識は変わらないが、少なくとも工事現場の連中の意識は、もうすっかり変わっているらしい。
もともと、火災に遭った集合住宅の建て直し現場で俺と共に働いた連中は、リトリィの「おかみさん」としての献身ぶりに、いつの間にか彼女を女神か何かのように崇めるようになっていた。それが伝染した感じだ。
もともとは冬の寒い季節に、俺に温かい昼食を食べさせたいという、彼女の個人的な想いからスタートした、彼女の給食。実際、ほかの現場よりも高待遇のうえ、リトリィたちの手で、作りたての温かい給食が振舞われるというのは、相当な威力があるようだ。
今では肝心の俺が塔の現場から離れているというありさまなのだが、彼女はめげずに続けてくれている。うむ、さすが俺の奥さん。君の働きは絶対に、獣人たちに対する街の人間の意識を変えていっているはずだ。
別れ際に、そっと口づけをする。
「もう、また――」
そう言って頬を染める彼女だが、そのスカートの下――しっぽがばふばふと荒ぶっているのが分かるのが
「じゃあ、頼む」
「……はい。おまかせください、だんなさま」
彼女のきらきらと輝く淡い金色の姿が、背筋を伸ばし、凛と胸を張る姿が、結果を求められてそれに応えようとする姿が、とても美しかった。
――さあ、俺は俺で頑張らなきゃな!
「……で? どうなんだ、進捗は」
「うるせえ」
リファルが、まだ赤い顔を隠すようにうつむきながら石を蹴る。
石は正面から大きくそれて、積み上げられた端材に当たってなかなか甲高い音を立てた。
「既婚者が余裕ぶりやがって」
「実際余裕があるかっていうと、ないことが判明した」
「……どういう意味だ」
「税金で首が回りそうもない」
「……
舌打ちをして見せるリファルに、俺は頭をかきながら素直に認める。
「参ったよ、これが幸せの対価ってやつか」
「てめぇ自慢しに来ただけかよ、仕事しろ」
「で、コイシュナさんとの進捗はどうなんだ?」
「オレの話じゃなくて、仕事の話をしやがれ!」
「お前がサボってる間に、すっかり屋根は終わったぜ? 見るか?」
「ああ、あとで見るよ。すると今はもう、片付けの最中なのか?」
「
この世界の家は基本的に西洋風の家だから、
「……そうか。ありがとう」
「ありがとうじゃねえよ。屋根だけ直してもダメだろうが。オレらはそんな魂のねえ仕事なんざしねえよ」
リファルが鼻をこする。さすがいっぱしの職人を自負する男だ。
「ほら、マレットさんから借りてきた二人。少しやって見せてあいつらに任せたら、あいつら喜んでやりやがる。場を任されるのが嬉しいみたいだ」
「……そういう奴らだからな」
俺の家にも、勝手に屋根窓を企画して、給料が出ないと明言したのに作り付けてしまった連中だ。こういう向上心に燃える若い連中が頑張っているのを見るのは、嬉しい。求められた――だからこそ、それに応えようとする若い力。うん、若いっていいな。
――と感じた瞬間、なんだか自分が老けた気がして、慌てて首を振った。
いやいや、負けてられるものか!
――――――
※ケラバと
https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817330648370866358
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