第540話:無事故・健康に生きる意味
結局その屋根の破損の度合いが大きく、また作業も復旧に手間取ったため、その日は何もできずに終わってしまった。
折れた垂木だけでなく、四人もの人間が一度に落下したことで、その周辺部にもかなりの破損が出たんだ。
結局、屋根は大穴を空けたまま瓦を乗せることもできず、そのままでその日の作業を終えざるを得なかった。
これが日本なら、ブルーシートをかけておくところだっただろうが、あいにくと、この世界にはそんな便利なものなんてない。幸い雨が降りそうにない天気だったため、そのまま次の日に作業をするということで許してもらった。
しかし、今回ばかりはとんでもない失態だった。工事箇所の下調べが不十分だったこともあるし、補強も不十分だった。そのせいで想像以上に広い範囲が破損してしまったし、その復旧にも時間がかかりそうだ。
そんなわけで、明日は応援を呼んだ方がいいだろうというのは、リファルと、そしてもう一人の職人さんと共通の意見だ。マレットさんには申し訳ないが、なんとか人員を融通してもらえるとありがたいのだが。
それよりも、現場の混乱も大変だった。
大きな音を聞きつけて、孤児院の子供たちはもちろん、ダムハイトさんもコイシュナさんも駆けつけたのだ。
ひと悶着あったものの、来てくれたダムハイトさんと一緒に庭に
ただ、リファルとコイシュナさんのやりとりはなかなか見ものだった。
「どうしたんですか、何があったんですか⁉」
最初、部屋に飛び込んできたコイシュナさんの、天井からぶら下がっているリファルを見つけたときの悲痛な叫び声は、実に胸に迫るものだった。
日本の安全装備の一つであるフルハーネスを模して俺が作った安全帯は、背中の肩甲骨の間あたりにロープが接続されている。だから見る角度によっては、首を吊ったように見えるかもしれない。
「リ、ファル……さん……? リファルさん、リファルさん‼」
彼女はぶら下がる四人――逆光のうえ、舞い上がるほこりのために判別が付けづらかったはずなのに、まっすぐリファルの方を見て、この世の終わりであるかのような悲鳴を上げたのだ。
そして、俺やリノはもちろん、あとから部屋に駆け込んだ少年たちやダムハイトさんがいるにもかかわらず、リファルの足元に駆け寄ると、その足先に飛びついて叫んだんだ。
「だれか! だれか助けて! 助けてください! リファルさんが死んじゃう!」
他の三人は死んでもいいのか、と思わず心の中で苦笑しながら突っ込んでしまったのはさておき、俺はひねってしまった足に注意しながら立ち上がると、リファルに声をかけた。
「おい、いつまで黙ってるんだ。心配かけてるんだから返事くらいしろ」
「……すまねえ、ドジ踏んじまった」
実に情けなさそうな、申し訳なさそうな力の無い笑顔を見せるリファルに、へなへなとその場にへたり込んでしまい、ぼろぼろと泣き出すコイシュナさん。
とりあえず、ぶら下がっている四人と泣いているコイシュナさんを置いて、俺とダムハイトさんの二人で、中庭に
そして、持ち込んだ
俺たちが見ている目の前だというのに、彼女はリファルの首っ玉にかじりつくようにして、「よかった、本当によかったです……!」と何度も繰り返しながら、声を立てて泣いた。
バツの悪そうな顔をして視線が定まらないリファルとは、実に対照的だった。
さすがに落ち着いてきて状況に気がつくと、今度は一転、恥ずかしそうに真っ赤になって部屋を飛び出していったけれど。
なるほど。昨夜、温かい目で見守るリトリィを背景に、ベッドでマイセルにこんこんと説教されたけれど、二人はそういう関係だったのだと、改めて納得できた。
「……それに、みんなが落下した時のほこりを思い切り吸い込んでしまってさ。しばらく咳が止まらなかったし、喉もいがらっぽくて大変だった」
「だんなさま、今はだいじょうぶなんですか?」
「ああ、とりあえずは」
スープのおかわりをよそってくれながら尋ねるリトリィに、俺は笑顔で返す。
しばらくは喉の違和感もひどかったし、咳も止まらなかった。今でもややひっかかる感じがある。
帰宅したとき、リトリィだけがすぐに「お風邪を召しましたか?」と聞いてきた程度だが、逆に言えばその程度には、まだ喉の違和感を引きずっているということだ。
「ムラタさん、足の方はどうなんですか?」
「足の方は捻挫したみたいだから、しばらくは痛みが残るだろうけど、まあ手ぬぐいか何かで固定すれば大丈夫だから」
そう言って笑ってみせたが、マイセルもリトリィも、不安そうな顔のままだ。
「大丈夫だって、二人がそんな顔をしていると、チビたちまで不安そうにする。俺は大丈夫だ、心配かけてすまなかった」
でも、と食い下がるマイセルに、リトリィがにっこり笑って、小さく首を振った。
「おっちゃん、怪我したのか? 痛いのか?」
いつの頃からか、俺のことを「おっさん」ではなく「おっちゃん」と呼ぶようになったニューが、探るような目でこちらをうかがってくる。
ほらな、と苦笑しながらマイセルに視線を送ると、俺は改めて笑顔を作った。
「心配してくれるのか? ありがとう、ニューは優しい子だな」
ニューは目をしばたたかせ、「そ、そんなのフツーだし!」と、口をとがらせ目をそらす。そういった仕草もまた、愛らしい。
「いや、目の前のひとを気遣う心がけ、それを行動に移すのは誰にでもできることじゃない。それができるひとのことを、優しいというんだよ。俺はもう大丈夫だから、安心してくれ」
俺の言葉に、ニューは身の置きどころがないかのようにそわそわとしてみせるが、顔はどこか嬉しそうだ。
他人のものを盗むことに罪悪感を持つどころか、むしろ
その彼女が、俺の体のことを気遣ってくれた。
リトリィとマイセルと共に続けている「幸せの鐘塔」での炊き出しも、単なるマスコットではなく、戦力として頑張っているという。
こうして、関わったひとが前向きに変わってゆく姿を見るのは、とても嬉しいことだと思う。
「だんなさま、だんなさま! ボク! ボクも心配してたよ!」
「……ああ、そうだな。リノは屋根から飛び降りて、俺の心配をしてくれた。ありがとう」
なぜだかニューに対抗するかのように、ぴょこんと立ち上がると手を上げて訴えたリノに、俺は微笑みかけながら礼を言う。その上で「ただ、今は食事中だからな? 不用意に立ち上がらないように」とたしなめると、恥ずかしそうに座った。
「みんな、心配をかけてすまなかった。俺は大丈夫だから。ただ、今回は俺が思い知ったけれど、事故や怪我っていうのはいつ、どんなときに降りかかってくるか分からないから、お互いに気を付けような?」
そう言うと、皆、神妙な顔をしてうなずいた。
「だからご無理をなさらないでって……わたしたちがご奉仕いたしますからって申し上げましたのに」
リトリィが顔をくしゃくしゃにして俺を抱きしめる。
なんのことはない、彼女の
「そうやってご無理をなさらないでください。苦しい時にはわたしたちを頼ってください。わたしたちがそんなに頼れませんか?」
「い、いや、そんな大袈裟なことじゃないから――」
「ムラタさん、お姉さまの言う通りです。ムラタさんは怪我してるんだから、私たちに任せてくださいって話なんです」
――いや、怪我人って分かってるなら、そもそもそんな俺から搾り取ろうとするなという話じゃないのか。
などとは口が裂けても言えない。彼女たちの幸せこそ、果たすべき我が使命。
……とはいえ。
「心配してくれるのは嬉しいけど、過保護にされるのも、なんかこう、戸惑ってしまうんだよな」
照れ隠しにそう言うと、リトリィはついにぽろっと涙をこぼした。
「だって、わたしたちにはあなたしかいないんですよ?」
「いや、そんなことは――」
言いかけた俺に、マイセルがむっとした顔で俺の言葉を遮った。
「ムラタさんには自覚がないみたいですから言いますね。ムラタさんの両肩には、私たちの他にヒッグスくんとニューちゃんとリノちゃん、フェルミさんがいるんですよ? それに加えて、私とフェルミさんのお腹の中には、ムラタさんがくれた赤ちゃんもいるんですからね? それ、分かってますか?」
むむ……。列挙されると確かに俺ってものすごい大所帯の一家を背負ってることになるんだな。それを改めて思い知らされる。
「そうですよ。お姉さまの気苦労を少しは理解してください。ムラタさんって、本当にそういったところに無頓着なんだから。ムラタさんだけが頼りっていう女たちが、こんなにたくさんいるんですからね」
う……。ますます俺の無事故・健康が大事になってくるというわけか。
奥さんがひとりでも子供は何人かできるってのに。今さらながら、将来的にものすごい大家族を俺は支えなきゃならないわけだ。
俺は可愛い嫁さんがひとりいれば満足できたはずなのに、どうしてこうなった……などと今さら言っても始まらない。
俺は怪我だの病気だの、そんなものにかかずらっているわけにはいかないわけだ。とにかく健康第一、そしてリトリィのためにも精力維持。
……健康、第一?
「そうですよ。健康が一番です。あと、そのご自慢の精力でお姉さまをちゃっちゃと孕ませて、安心させてあげてくださいね?」
い、いや、精力は君たちが食わせまくる
……あ、いや、とっても嬉しいです! リトリィ、泣かないでくれ! 君のためなら十個だって二十個だって食って、君との赤ちゃんを作ってみせますとも!
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