第538話:悟れる人、そうでない人

 昼過ぎの仕事も、やっぱりやりにくかった。原因は簡単、リヒテルの死んだような目だ。


「……お前な、当たり前だろ」


 リファルがあきれたように、俺の頭をはたく。

 ネットミームでは失意体前屈、などといったか。がっくりと地面に両手両膝をついてショックを露わにしていたリヒテル。


「リヒテルのヤツがリノちゃんに気があったなんて、見てりゃ分かっただろうが。それをお前、よりにもよってリノちゃんと衝突した直後に、お前が婚約者だと馬鹿正直に名乗った? 傷口に塩を塗りこむような真似、よくやれたな」

「い、いや、それでも俺とリノの関係を、なんとなく察していたみたいで……」

「バカ。察してなかったから、お前のこと、リノの父親だなんて誤解を口にできたんだろうが。要するにヤツの一世一代の『娘さんをください』だったんだろ?」


 ……そうか? いや、リノの可愛らしさをめちゃくちゃ真剣に訴えていたけれど、あれが「だから娘さんをください」に繋がっていたなんて、そんなわけが……


「……そうだった、かも、しれない……?」

「かもしれない、じゃねえよ! そこで首かしげるなって! お前、ホントに鈍感な野郎だな」


 い、いや、さすがに俺だってリトリィやマイセルに鍛えられて、この世界に落ちてくる前よりはましになったんだ、鈍感というのは――

 言い返そうとしたが、リヒテルはものすごく長いため息をついた。


「お前な、想像してみろ。惚れた女の子が、父娘おやこほど年の離れたオッサンのモノだったんだぞ? しかも相思相愛でだ。悪夢以外の何物でもないだろうが」

「い、いや、さすがに父娘おやこっていうのは、あいつの勘違いで……」

「年が十五も離れてるってのは、そういうことなんだよ!」


 ……数字を叩きつけられると確かに自分でも「うーん」とためらってしまうな、やはりリノは温かく見守る対象として、彼女がもっといい恋の対象を見つけるまで、つかず離れずの立ち位置を守るべきなんだろうか。


「バカ、オレが言いたいのはそういうことじゃねえよ」


 リヒテルに、また頭をはたかれる。


「どうせあのチビは、お前にべったりなんだろ? 獣人族ベスティリングは情が深いって言うし、よほどのことがなけりゃテメェが責任取るのが筋ってもんだろうが。いつまでもあいまいな立ち位置にしとくから、今回みたいなが起こるんだ」

「じゃあどうしろって言うんだ。どこかに行くたびに、この子は俺の婚約者です、とか言いふらせって言うのか?」

「……どこまでテメェはバカなんだ」


 リヒテルは天を仰ぐようにして片手で額を押さえながらため息をつくと、俺の喉元に指を突きつけた。


「ちゃんとテメェのモノだって印をぶら下げろっつってんだよ!」

「印?」

首環くびわを着けさせろっつってんだよ、婚約首環くびわ! それで一発だろうが!」


 言われて気が付いた。

 俺の首に巻かれている、黒い革製の、金のバックルに小さな鳴らない鈴がぶら下がる、ベルトのような首環くびわ

 リトリィには同じ意匠で赤の革、マイセルにはやはり同じ意匠でオレンジ色の革に白金のバックルと鈴。


 この世界では指輪ではなく、チョーカーのような首環くびわを贈る。だから、俺が二人と婚約する際に贈ったもの。結婚式では、改めて互いに首に巻き直した、それ。


 ……そうか、そうすればいちいち説明しなくたって婚約済みだと一目でわかるし、今回みたいな誤解も無くなるのか。


「そんな当たり前のことに今さら気づくんじゃねえよ。婚約すら眼中になかったなんて、チビが可哀想じゃねえか」

「い、いや、そんなことはなくて……」

「だったらとっとと首環くびわをつけてやれって。そうすりゃ本人も喜ぶだろ」


 確かにそうかもしれない。仕事が一段落ついたら、以前、リトリィたちの首環くびわを購入した店で、見繕ってみるか。


「ああ、それと、テメェ忘れてるみたいだけどな。リヒテルのヤツ、今日はもう上がらせたほうがいいぞ」

「リヒテルを? どうしてだ?」

「バカ、見りゃ分かるだろ!」


 そう言ってリファルは、俺の耳を引っ張った。

 耳を引っ張られて顔を向けた先には、魂がどこかへ飛び失せたかのように生気のない顔で、ふらふらと足場を上ってくるリヒテルがいた。


「このままじゃアイツ、また事故ってケガするに決まってる。今日はもう、失恋の悲しみにドップリ肩まで浸らせてやれよ」


 ……ああ、なんか分かるぞ。俺も中学生のとき、渾身の告白をして振られた次の朝、渡したはずの手紙が黒板に貼られてて学級じゅうの笑い者になって、滅茶苦茶ヘコんだもんなあ。

 流石にあのときは早退して、一日じゅう布団の中で泣いてたっけ。そういう時間も必要ってことか。


 すると、リファルが引きつった顔でのけぞっていた。


「……いや、それってどうよ? さすがにそれはオレも引く。ってか、なんだその血も涙もない外道女は」

「今思えば、それが二十七まで童貞をこじらせ続けた理由の一つだったんだろうな」


 今となっては笑い話だけどな――笑ってみせると、リファルはさらに顔を引きつらせた。


「そんなこと、笑い話になんかできるかよ」

「笑い話にするしかないだろ? そのおかげで俺はリトリィという最高の女性と巡り会えたようなものだし、人生、どこかで帳尻が合うようにできているのかもしれないが」

「二十八で人生を悟ったような物言いをするんじゃねえよ!」


 俺の頭をはたいたリファルは、咳ばらいをするとちょいちょいと指で示す。リヒテルが、バラ板を持って上がってきたのが見えた。

 ……ああ、今日はもう休めと言わなきゃな。


「……バカ、お前が言うと嫌味になっちまう。オレが言う、お前は引っ込んでろ」




 一日の作業が終わり、後片付けをしていたときだった。


「みなさん、いつもお疲れさまです」


 コイシュナさんが、紙包みを持ってきて、一人ひとりに配り始める。真っ先に開いたグラニットが歓声を上げた。

 つられて開くと、中身は焼き菓子だった。リトリィが焼いてくれるシンプルなものとはまた違う、いろいろな形をした、華やかなものだった。


 礼を言うと、コイシュナさんは小さく微笑んで礼をしてみせ、また配って歩く。今まで彼女にそんなことをしてもらったことがなかったから、少し驚く。やはり継続的な関わりがあると、人付き合いの形というのは変わるものらしい。


 とまあ、ほっこりしていたら、コイシュナさんが最後に渡しに行ったリファルの、その紙包みの大きさよ。倍くらいあるんじゃないか?


 ……ああ、そういえばあいつ、毎日の昼休みに洗濯の手伝いとかしていたっけ。その礼ということか。あいつがメインで、俺たちはおまけと。なるほど、紙包みのサイズの違いに納得する。


 なんかコイシュナさんが妙にリファルに近いのも、その日々の積み重ねのおかげか。リファルを見上げて微笑む顔は、夕日に照らされて赤く染まっている。

 リファルも頭をかきながら、赤く染まった顔で妙にそわそわと、挙動不審になっていた。




「……どうしてそれで、分からないんです?」


 今日の仕事終わりの、リファルとコイシュナさんのワンシーンを話して聞かせたら、マイセルが顔を引きつらせた。


「分からない? 何がだ?」

「手作りの食べ物を渡す意味ですよっ! 女の子が、男の人に、ですよ⁉」

「俺たち全員に配ってくれたんだ、屋根の修理の感謝だろう? リファルのが倍くらい大きかったのは、洗濯の分の上乗せというか……。それくらいは分かるって」


 マイセルがため息をつき、救いを求めるようにリトリィを見る。

 リトリィは、「これがだんなさまですから」と泰然としている。


「信じられない」

「だいじょうぶですよ。まだまだわたしたちが教えてさしあげるすき間があるということですから」


 がっくりとうなだれるマイセル。

 にこにこしながら、俺にしなだれかかるリトリィ。


「だんなさまは、すこしだけおにぶさん・・・・・ですけれど、だからこそ、わたしに――わたしたちに満足してくださっているんです。さといかたになられて、これ以上、こまってしまうでしょう?」


 褒められてるのかけなされてるのか、よく分からない。

 分からないが、リトリィが満足してくれているなら、それでいいのだろう。


 リトリィが這わせる指先が、俺の体を刺激する。

 愛する人に求められているのだ、今夜もがんばるとしよう。

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