第537話:理想と現実と(3)

 昼食までの時間、実にやりにくかった。

 なにせリヒテルの顔の暗いことといったら。

 ファルツヴァイに「暗い」と小突かれ、トリィネがファルツヴァイを注意してリヒテルに謝る。

 そしてリヒテルは、なぜか妙にとげのある視線を俺に向けるのだ。


「……ちょっといいですか」


 昼食を終えて、リファルがいそいそと赤ん坊部屋に行こうとするのを見て、俺もリノと一緒にその様子を見に行こうと思ったら、リヒテルに止められた。


「……リノさんのことで、話があります」

「リノのことで?」


 俺がさっき、のぞいていたことについてだろう。リファルと一緒に赤ん坊部屋に行こうとしていたリノには、先に行くように促した。




 さきほど、リノとリヒテルが座っていたレンガの山で、今度は俺とリヒテルが並んで座る。

 ひと一人ぶんほど空けた、この微妙な距離感で。


「……監督は、リノさんをどうしようと思ってるんですか」


 どストレートな問いに、俺は一瞬、返答につまった。


「僕は、彼女のことが好きです。監督は、『幸せの鐘塔』で作業されているときから、彼女を連れてきていましたよね。あの頃からずっと、可愛い、素敵な女の子だって思っていました」

「……耳の折れた猫属人カーツェリングなのにか?」


 俺はあえて言ってみる。

 ここは門外街のなかでも特に古い一角である一番街――北門前の街。

 古いがゆえに住人もぐらいが高く、だから門外街の中では面倒な住人が多いという噂は、すでに聞いている。


 その住人に囲まれた孤児院の少年だ。

 リノが被差別種族である獣人族ベスティリングであること、そして美醜という観点で「著しく醜く劣る」と評価される「耳の損傷」をあえて口にしてやることで、反応をうかがってみたのだ。


「……監督も、そういう目で彼女を見るんですか!」


 反応は劇的だった。


「耳の折れた猫属人カーツェリング? それがどうだっていうんですか! 彼女は笑顔が可愛らしくて、とても働き者で、いい子じゃないですか!」


 リヒテルが噛みつかんばかりに、リノの愛らしさ、魅力を訴える。


 いや分かるよ、くりくりの目の輝きもしっぽの豊かな動きも、幼さを感じる仕草と一生懸命な姿のアンバランスもだ。

 彼女の愛らしさは多分、お前が知っている以上に理解している。だから額をぶつける勢いで顔を近づけるんじゃない。


 ――と言いたくなるくらいに、次から次へと機関銃の如き勢いで放たれる「愛らしいリノさん擁護論」を、とりあえずネタ切れになるまで聞き続ける。


「……だから、彼女を、おとしめるような、ことを、言わないで、ください!」


 肩で息をするくらいの激しい熱量でもって、リノの魅力をぶちまけたリヒテル。

 うん、その熱意は十分に分かった。分かったんだが……


「……それで、つまりお前は、何が言いたいんだ?」

「だからっ! 言ったじゃないですか! 彼女は、とっても素敵な女の子です! とても魅力的な、すばらしい女性です!」

「いや、なぜそれを俺に言うんだ?」

「あの子は監督のこと、師匠って呼んでますけど! 分かりますよ、お二人の本当の関係くらい!」


 ――本当・・関係・・

 つまり、俺は彼女の養育者であり、同時に「三夜の臥所ふしど」――同じベッドで三夜を共に過ごした婚約者でもある、ということをか?

 まさか、それに気づいた?


 ……いや、あり得る話か? 現場では俺のことを「ししょー!」と呼ぶ彼女だが、いつもべったりと俺にくっついている。しかも、本来は女性が働く場ではない土木建築現場でだ。

 いくら彼女が幼くとも、「特別な関係」であることを見抜かれてもおかしくない。


 それよりもだ。

 その「特別な関係」の相手だと理解したはずの俺に向かって、あえてリノが魅力的だと訴える――どういう心境なんだ?


 ……まさか。

 俺のようなおっさん相手なら、リノを奪い取れる――リノを振り向かせることができるという自信がある、自分にはそれだけの魅力があると言いたいのか?


 リヒテルはあまり自分を誇示しないタイプだと思っていたが、実はそうではなかった……?

 

父娘おやこなんでしょう⁉」


 思わずつんのめりかける。

 ……そうきたか。


 なるほど、十代前半のリノと、二十八歳の俺。確かにギリギリ、親子に見えないこともないかもしれない。


 というか、男性は十五で成人扱いになり、早ければそのまま結婚、翌年には子供がいる――というか早ければ年内に子供が生まれる、というのがこの世界の結婚事情。リヒテルが誤解するのも、仕方がないわけで――


 ……いや、違う。きっとリヒテルは俺のことを、「父親のような立場」だという意味でとらえているに違いない。俺はヒトでリトリィは犬型の獣人、そしてリノは猫型の獣人だ。いくらなんでも血のつながった親子だとは思っていないだろう。


「いや、リヒテル。それは――」


 誤解で、と続けようとしたが、頭に血が上っているらしいリヒテルは、俺の言葉など聞こうともせずに続けた。


「職人さんですから、娘とはいっても自分の子にいろいろ教え込みたい気持ちは分かるつもりです。でも、女の子じゃ職人になれない! ギルドに入ることすらできないじゃないですか!」


 ……女性だとギルドに入れない?

 リヒテルの言葉に、俺は違和感を抱く。なにせリトリィは鉄工ギルド所属、マイセルは大工ギルド所属の職人なのだから。

 いや、入るのは苦労したんだけどさ。特にリトリィは、相当に。


『女の、それも獣臭いヤツベスティアールが、神聖な炉の前に座るなぞ前代未聞、言語道断』


 いやあ、それを聞いた瞬間にギルド長とやらを無言で殴っちまったよ。あっという間に周りの鉄工職人たちに囲まれてタコ殴りにされたけどな。

 あのとき、ナリクァン夫人の鶴の一声が無かったら、リトリィは一生ギルドに入れなかったかもしれない。どーもすみません。一生反省します。


 ……そうか、つまりそういうことか。

 女はギルドに入れない――それが、常識・・なんだな。リトリィとマイセルは、例外中の例外ということか。


「でも、リノさんはあなたのあとを継いで『建築士』になる、なんて言ってるんですよ! 職人になれたら結婚を許してもらえるって! ギルドにだって入れない女の子に、どうしてそんな残酷な嘘をつくんですか!」

「嘘などついていないぞ。建築士になれるかどうかはともかく、彼女が俺のあとを継ぎたいと言うなら、俺の全てを教え込んで、自分で食っていけるだけの技術を身につけさせるつもりだ。もちろん、ギルドにも加入させるさ」

「だから、そんな理想ばっかりみせて、現実を――」

「俺の妻――第一夫人のリトリィは、鉄工ギルド初の、原初のプリム・狼属人ヴォルフェリングにして女性の職人だ。第二夫人のマイセルは、大工ギルドの職人。やってできないことはない」


 俺の言葉に、目をまん丸に見開くリヒテル。


「え……え? いや、でも、女は職人になんてなれないって……」

「職人は技術職だ。技術の前には、男女の差なんて本来は大して関係ない。社会の慣習ってのはなかなか変えられないかもしれないが、俺の妻二人が、風穴を開けることに成功している。リノが俺のあとを継ぐというなら、目指すは大工ギルドだろう。だったら、同じ大工ギルドのマイセルが大きな助けになるはずだ」


 コネが物を言う社会だから、リノはまだチャンスがある。なにせ俺の義父――かばね持ちの世襲せしゅう棟梁とうりょうであるマレットさんのバックアップを得られるだろうから。


 だが、俺たちのように幸運な縁を得られなかった人間がチャンスを手にできるかというと、それは残念ながら、厳しい。リトリィにしたって、ナリクァン夫人という、庶民が手に出来得る最大最強のコネがあったからこそだ。


 だが、厳しくとも、ゼロではなくなった。

 俺たちは、既に前例を作ったのだ。あとは実績を積み上げれば、女性が職人として普通に身を立てることができる社会にしていけるかもしれない。リトリィとマイセルが、そのこうとして。


 現実は厳しいかもしれない。だが、理想を捨てちゃダメなんだ。


「……だからって、彼女が職人になれるまで結婚を禁止するなんて、酷いじゃないですか!」

「そんなこと、言った覚えが無いんだが」

「でも、少なくとも彼女はそう思っていますよ! リノさんはそのために、職人を目指すんだって!」


 午前中の、あの二人のやり取りを思い出す。確かにリノには、リトリィが子供を産んでから、という条件を言って聞かせてあったけれど、職人になるまで禁止だなんて言っていないぞ?


「でも、確かに彼女はそう言っていたんです!」

「あの子は、建築士になれたら結婚してもいいと言われた、そう言っていなかったか?」

「同じじゃないですか!」

「……同じだと感じるか? 違うぞ。それは、あの子の目標なんだろうな。目標が実現するまで俺が待っていてくれる、という、あの子なりの、俺への信頼の表れなんだろう」


 彼女の想いを、リヒテルとのやりとりを通してあらためて聞かされたみたいで、少々気恥ずかしい気分だ。


「……え? 待っていてくれる? ……監督が? 何を?」

「ああ。お前も、俺とリノの『特別な関係』に気づいているみたいだから言ってしまうが、リノは俺の婚約者だ。リトリィもマイセルもギルドの職人に認定されているから、自分もそういうつもりだったのかもしれない」


 リノが敬愛する姉たちと同じステージに立ちたいと思っているのだとしたら、彼女の言葉にも説明がつく。

 そう思って口にしたのだが、リヒテルの愕然とした表情に、俺も少し、驚いた。


「……え? こん……やく……? そ、そんな、お、父娘おやこなんじゃ……!」

「いやリヒテル、お前、俺とリノの関係に気づいていたんだろ? 今の俺は彼女の後見人といった感じの立場だが、いずれは彼女を娶る予定だ」


 ぱくぱくと、池の鯉のようなありさまのリヒテル。

 ……あれ? なんか、思っていた反応と違うぞ?


「だから、彼女の身分は俺が保証するし、ギルドの職人にだって俺自身が推薦することもできる。世襲せしゅう棟梁とうりょうのマレットさんという味方もいるしな。お前がリノのことを大切に思って、そこまで心配してくれるのはありがたいが、彼女の未来は、俺が責任を持って預かることが決まっている。安心してくれ」

「そ……そんな……」


 ものすごくがっくりとして、膝からくずおれるリヒテル。

 ……俺、ひょっとして言っちゃならないことを言っちゃったのか?

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