第533話:ファルとトーリィ

「トリィネ、ファルツヴァイってあんな奴だったか?」


 俺の質問に、トリィネは困ったような笑顔を浮かべた。


「ファルさんは、もともとあんな人ですよ?」


 そう言って、屋根の補修に使うバラ板の束を担ぐ。


「ファルさんは胸を病んでから、すこし投げやりなところが強くなりましたけれど、意地っ張りでケンカっぱやくて、曲がったことが大っ嫌いな、ボクの憧れなところは、変わりません」


 トリィネは、瓦を担いで先に歩いて行ったファルツヴァイの背中を見ながら微笑んだ。


「ほら、ええと、この前いろいろあった、ミュールマンたちがいるでしょう? ぼくは彼らに、ずっといいようにされてたんですけど……去年の春だったかな。ファルさんに助けてもらったんです。それ以来、友達になってくれて」


 それまでは同じ孤児院の子供というだけで、特に親しいということはなく、かといってミュールマンがするように彼を遣い走りにするようなこともない、ただ一緒に生活しているというだけの間柄だったそうだ。


「一年前の冬、ファルさん、胸を病むようになったんです。ほら、ファルさんの息って、変な音がするでしょう?」


 どうも一年と少し前の冬、孤児院がやはり経営的にピンチだったころ、彼は毎日のように煙突掃除の日雇い仕事をして回っていたのだそうだ。


「知ってると思いますが、煙突掃除って、胸を病む人が多くって。ファルさん、それで胸を病むようになったんです。一時は本当に酷くって……。もともとは力も強いほうだったし、木登りも上手くって。面倒見もいい人で、自分から、いろんな仕事に進んで出るようなひとだったんです。でも、体を壊してからは変わっちゃって……」


 あの、死んだような目でたらたら仕事をしていたファルツヴァイが、面倒見がよくて、自分から仕事をする人間だった?

 その言葉自体も衝撃的だったが、彼が体を壊したせいでそうなった、という話に胸が痛くなる。


 ……煙突。

 うちにも煙突はある。暖炉と、そしてキッチンに。


 もともと、「ナリクァン夫人が炊き出しに使う公民館」を想定して建てたのが今の我が家だ。

 だから炊き出しがしやすいように一般家庭よりも大型のキッチンを備え、煮炊き用のかまどに加えて薪オーブンもある。さらに地域住民の集会で便利なように、今は居間として使っている部屋にも専用の暖炉を備え付けた。


 燃料は、薪、もしくは西から南の湿地で採掘できるという泥炭でいたん。泥炭のほうが安いんだが独特のニオイがあるので、特にチビたちのために暖炉を使うようになってからは、泥炭は使わなくなった。


 ⁩石炭を燃やすよりはずっとましだろうが、当然、煙とススが出る。そういえば家を建ててから、まだ一回も煙突掃除をやったことがなかった。


「ほんとは、ぼくも何度か煙突掃除の奉公が回ってきてたんですけど、『オレがやるから』って、ファルさんはぼくを壁磨きのお仕事に回して……」


 トリィネは、唇をかみしめるようにうつむいた。


「ファルさん、『外は寒くて嫌だからお前がやれ、煙突のほうがあったかいからオレがやる』って。今から思えば、すすで真っ黒になって胸を病むようなお仕事を、代わってくれてたんだって……」


 俺は、ひどい勘違いをしていたことに気づかされた。


 ファルツヴァイはやる気がないんじゃない。無理をした結果、無理の利かない体になってしまったんだ。

 そしてトリィネは、後ろめたさがあるのだろう。本来トリィネがやるはずだった煙突掃除を、ファルツヴァイの真意に気づかずに任せてしまい、結果として病気にしてしまったという……。


「胸を病むようになって、ぼく、申し訳なくて、自分からお世話を名乗り出たんです。ファルさん、ぼくのことを邪魔扱いするんですけど、口でいうだけで、手を上げるようなことは絶対しなくて……」

「だが、ファルツヴァイの病気は、トリィネのせいばかりでもないだろう? 彼が君に代わって煙突掃除をしてくれた、それは確かでも、それだけでは――」


 俺の投げかけた疑問に、トリィネは小さく首を振った。


「それに、去年の春です。ぼくのことをひどくからかったミュールマンの胸元をつかみ上げて、『こいつはオレの命の恩人だ、こいつはオレが一生守る。こいつに今後なにかしてみろ、何倍にもして返してやる』って。あの時の言葉、ぼくはすごくうれしかった」


 先に足場を上って行って、もう姿の見えないファルツヴァイを目で追いかけるように、トリィネは微笑んだ。


「ファルさんにはうっとおしがられていますけど、でも、いつも体をふくのはぼくだけにさせてくれますし、苦しいときにハーブのオイルで胸をさするのも、ぼくだけにさせてくれるんです」

「……そうか、ファルツヴァイは、トリィネのことを信用してるんだな」

「はい! ファルさん、先日の雨の夜にも発作があったんですけど、看病していたら『オレが寒いから』って、毛布の中に引っ張り込んで。それで優しく抱きしめて、『こんなに冷えてたら、お前が病気になる』って、一緒に寝てくれて……。だからぼくは、ファルさんのために生きたいんです」


 トリィネは、少し足早になった。足場を上り切り、その先にいたファルツヴァイに生き生きと声を掛ける。


 ――ああ。

 誰も悪くないのだ。

 誰も悪くないのに、どうしてこんなことになってしまうのだろう。




 帰り道、俺はリファルに聞いてみた。


「煙突掃除で胸を病んだときの治療? 知るかそんなもん」

「だろうな。お前に聞いた俺が馬鹿だった」

「なんだとてめぇ! 人に聞いておいてなんだその言いぐさは!」


 リファルの言葉に、俺はため息をつくしかない。


「こういう時は、医者に診せるのか? それとも薬屋か? お前の身内が胸を病んだと思って答えてくれ」

「おいコラ! てめぇまずその言いぐさを――」


 リファルは言いかけて、しかし目をそらした。


「……んだよてめぇは、そんな目で見るんじゃねえ! ……ファルの野郎か?」

「ああ。その通りだ。で、リファル。お前の身内が胸を病んだなら、どうする?」

「そ、そりゃおめぇ……」


 リファルはしばらくキョロキョロしていたが、俺の腰にしがみつくようにしてリファルを威嚇するリノにため息をつくと、ベンチを指差した。


「お前のチビを連れたまま立ち話するのも、なんだ……。そいつになんか適当に食わせながら、な」




「胸の病――ですか?」

「ああ。リファルにも聞いたけど、なんか、ハーブを浸したオイルで胸をさするくらいしか知らないんだそうだ。マイセルは、なにか知らないか?」


 マイセルは困ったような顔で、「私も、それくらいしか……」と首を振る。


「……そうだ、リトリィ。リトリィは鍛冶師として、いつも火のそばで仕事をしていただろう? 鍛冶師の口伝とか薬とか、そういうものは聞いたこと、ないか?」

「……ごめんなさい。わたし、鉄を叩くことしか知らなくて……。胸病みにきくお薬のお話とかそういうことは、きいたことがなくて――」


 すすで胸を病んだ、ということは、きっと、その微粒子による気管支喘息を患ったか、あるいは塵肺じんぱい――肺に溜まった微粒子による肺病か。

 ただ、塵肺じんぱいは鉱山で長年働いた鉱夫がよく発症したというから、ファルツヴァイがそれにかかったとは考えにくい。


 最悪なのは、感染性の病気だ。たとえば古来から日本人の命を奪ってきた、結核菌による肺結核や肋膜ろくまく炎。ただの肺炎だって、抗生剤の無いこの世界では命に関わる恐ろしい病気だ。


 だが、雨上がりに発作が起こり、ひゅー、ひゅーという喉の特徴的な音――喘鳴ぜいめいが鳴る、というのなら、やはり気管支喘息なのかもしれない。

 なにせあのカビ臭い家だ。アレルゲンとなるカビの胞子は、山ほど漂うことになるだろう。


「……だんなさま、ごめんなさい。わたしたちでは、お役に立てそうにありません」


 ひどく力なくうなだれているリトリィの肩を、俺は慌てて抱き寄せた。

 愛する女性たちを困らせたかったんじゃないんだ、俺は。


「でも、ムラタさんが困ってるのに、私、なんにも役に立てなくて……」

「マイセルは十分働いてくれてるし、役に立ってくれている。……もちろんリトリィもだよ! というか医療の問題は、やっぱり医者に聞くべきだったよな。俺が悪かった!」


 しかし、余計にずーんとしてしまった二人に、俺はもうこれ以上は何を言っても地雷だろうと判断。ベッドに額をこすりつけるように謝ったあと、二人を抱えてさっさと寝ることにした。




 ……そんな俺を、二人が放っておくはずもなく。

 いつも通りに――いや、それ以上に搾り取られた。

 いつもよりずっと甘えるようにして、交代ではなく、二人がかりで攻められて、どうして理性を保っていられるだろう。


「ふふ、ペリシャさんに教えていただいたんです。こうやって――えいっ!」

「うほっ⁉」

「あ、おやんちゃさん・・・・・・・が元気になりました! ペリシャさんが教えてくださったとおりです!」


 実に嬉しそうなリトリィ。

 つまり瀧井さん、あなたもおそらく若いころ、コレを食らったわけですね。

 ああ、子供ができにくいはずの獣人のペリシャさんとの間に、四人もの子宝に恵まれたその理由、今夜知りました。


 ていうかリトリィもう勘弁してくださいホント未知の刺激が強すぎて――あっ……


「……だんなさま、そんなによかったですか?」

「……えへへ、ムラタさん、まだまだ元気ですね。こんなに飛ぶなんて」


 いやよくないって! ……あ、いや……リトリィ、そんなに悲しそうな顔しないでくれ! 我慢する間もなく漏らしちゃったくらいよかったよ! うん、よかった!


 一方、白濁液が腹に飛び散ったマイセル。少し驚いてみせたが、むしろ嬉しそうに、自分の腹に粘液を塗り広げていく。


「こうして塗ってると、ムラタさんのお種に、お腹を守ってもらってるみたいですね」


 ……いや、月明かりにてらてら光るお腹がえっちすぎます。

 えっち、すぎる、ん、だけど……

 ……塗り広げる?

 お腹を、守るように……?


「……マイセル、その……」


 思わず、そのぬらぬらと月に光る指を手に取る。


「む、ムラタさん?」


 その丸く張ったお腹を、一緒に撫でる。

 ゆっくり、塗り広げるように。

 マイセルの熱い吐息を感じながら。


 ……そうだ。

 もし、俺の予想通り、あいつの症状が喘息なら。

 現代日本のような薬が無いなら、アレルゲンの発生を抑えればいいわけで……


 そう思いながら、マイセルの腹を撫でていた時だった。


「では、だんなさま? こんどはわたしにもくださいな?」


 気が付いたらびくびくと腰を震わせてぐったりしているマイセルの、その腹を撫でている俺の尻を、リトリィの指が這うようにして、再び狙いを定めている……⁉


「ま、待て! 話せばわかる!」

「……マイセルちゃんには、お腹にかけてあげたのに、ですか……?」

「リトリィのお腹にかけたら、その……アレだ! せっかくの綺麗な毛並みが毛玉になっちゃうだろ!」

「では、お腹の中にお種をぬりこめてくださるんですね! うれしいです!」


 ……もう、ホント、勘弁してください。

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