第532話:未来を託す最後の愛
「……ファルツヴァイ、大丈夫か?」
ひゅーっ……、ひゅーっ……。
ファルツヴァイの特徴的な呼吸音は、雨上がりの日に特にひどくなる。
「ファルさん、大丈夫じゃないよ。しばらく休憩しよう、ね?」
「……うるせえ、よ。オレが大丈夫って言ってるんだから、ほっとけって」
「でも……!」
「トーリィ、しつこい」
泣きそうな顔で俺に目で訴えてきたトリィネ。
顔色もよくないし、喘息を患っているひとが発作を起こしたときのような息遣いの奴に、肉体労働を続けさせるのは色々な意味で危険だろう。
ところが、ファルツヴァイは言うことを聞こうとしなかった。
「……オレ、イケますから」
「イケますじゃない。お前に倒れられたら、使える人間が減る。命令だ、水を飲んで休憩しろ」
「イケる、っつってんだろ……!」
喉を不気味にひゅーひゅー言わせながら、それでも意地を張るのだ。まったく、困った奴だ。
「現場の統括者の言うことをよく聞き、言われたことを言われた通りにこなし、やるなと言われる危険なことに首を突っ込まず、常に安全確認を怠らない人間、それが現場が一番求めている人間だ」
どうしてそれでヨシ! と思ったんですか――つい、とあるキャラクターが脳裏に浮かぶ。
「――その逆をやらかす奴は、本人の危険は当然だが、周りの人間まで危険に巻き込むからクビだ。お前は働きたいのかクビになたいのか、どっちだ」
「……きたねぇぞ、おっさん」
「言っている意味が分からんな。とにかくさっさと休憩を取ってこい。――ああ、トリィネ、お前もだ。二人で休憩しろ。これは命令だ」
「それにしても、孤児院ってのはみんなこうなのか?」
俺は休憩に入ったリファルに、俺特製の
「いや? 養子縁組をうたう施設だと、ずっとマシだと思うぜ? なにせ養子にもらってもらうためには、見た目とか健康とか大事だからな。てか、ここが清貧すぎなんだよ」
「養子縁組をうたう施設……?」
「ああ。知らねえのか?」
知らないから聞き返した。孤児院とは違うのだろうか。
「似ているがちょっと違うな」
リファルは、おやつ代わりの堅焼きパンをかじりながら続けた。
「何かの理由で、自分の子供を養子に出さざるを得ない家がある。んで、何かの理由で養子を取らざるを得ない家がある。ただ、そういった要望をもつ家同士が、ぴったり条件を満たして出会うってことは、まずねえ。それは分かるよな?」
うなずくと、リファルはスポドリで喉の奥に堅焼きパンを流し込んだ。
「……んで、そういう家の仲立ちをするのが、
「
「ああ。子供を養子に出したい親は、そいつに養育費を出して子供を預ける。養子が欲しい家は、そいつに仲介料を払って、できるだけ自分たちの希望に沿った子供を養子にもらう――って寸法だ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
俺はどうにも理解が追い付かず、話を止めた。
「養子縁組ってのは分かる。俺が知ってる
リファルは、俺の言葉を半目で聞いていたが、俺が言い終わるか言い終わらないかのうちに、俺の手から堅焼きパンをひったくった。
「あっ――まだ食ってないのに!」
「だからだろうが。コイツは講演料代わりにもらっとくぜ」
そう言って、ひと口で半分足らずを口に収めてしまう。こいつ!
「だから言ったろ? 親同士の納得いく交渉なんて、そう簡単に相手が見つかると思うか? だから養子縁組の斡旋業者ってのがいるんだよ」
「だ、だがそこにカネのやり取りがあるのは――」
「なにを言ってるんだ、お前は」
リファルが、平然と言い放った。
「人間、しばらく預かるだけでもメシも食うし服だのなんだのも必要だ。そういったいろんな雑費を踏まえての当面の費用、それが『養育費』だ。仲介料も似たようなもんだ。本来、そいつらが手弁当で子供を探して回るところだったのを、業者が仲介することで、手間賃をもらう。それだけだ」
「それって、子供の売買と変わらないじゃないか!」
「違うだろ。必要な手間をカネで解決してるだけじゃねえか。お前、アタマ大丈夫か?」
あきれたようなリファルの言い方に、しかし俺は納得がいかない。
「お前、ホントにめんどくせぇヤツだな。世の中、カネが全てだとは言わねえけど、必要な経費ってモノがあるだろうが」
「だからって、子供にカネをくくりつけて取引するようなやり方は――」
「嫁の持参金みたいなもんだ。世話をかけるから養育費を渡す。自分で探す手間の代わりに手間賃として手数料を払う。それを無しにしてるのが例えばこの『恩寵の家』だけどよ、それでここが、子供たちにとって満足いく環境だって、てめぇ、心から言えるか? オレたちにタダ働きさせてる、この家が」
言われて、ぐうの音も出ない。
そうだ、あまりにもカネがないから、屋根は穴だらけの雨漏りだらけだった。
子供たちも、未来に希望を持てているとは言い難い表情だった。
「だろ? 寄付と自家菜園でなんとか食いつないでる感じだけどよ、はっきり言って厳しいよな。オレがどうしようもなくなって自分の子を預けるんなら、自分の子に少しでもうまいものを食わせてほしいって、カネを包むぜ? ――そういうことだ」
「だ、だけど……」
「お前がそういうことを言い出す奴ってのは分かってるけどよ。世の中、綺麗事じゃやっていけねえんだよ」
綺麗ごとだけでやっていこうとして、行き詰まってたのがこの家だろうが――リファルの言葉に、俺は反論できない。
「そもそも、自分の子供に手が回らなくなって、手放さなきゃやっていけねえけど、捨てるようなこともしたくねえ――そう考える人間が最後に愛情をこめるとしたら、わずかばかりのカネで子供の世話を頼むしか、ねえじゃねえか」
愛……手切れ金のような養育費が、最後の、愛。
それが、子供の未来を託す、最後の愛なんて。
リファルは堅焼きパンの最後のかけらを口に放り込み、俺の肩を叩く。
「ま、自分の首を絞めるような真似をするようなことになっても、ガキの未来を背負おうとするてめぇだ。理解はしたくねえかもしれねえけどな? それが現実だ」
それが、現実。
現実とは、なんと重く、苦しいものなのだろうか。
ファルツヴァイとトリィネが休憩をしているはずの小屋に入る。
「失礼するぞ、どうだ、体調は」
「ひゃいっ⁉」
なぜか裏返ったような返事に、俺は少しだけ面食らいながら、小屋の中の二人を見た。
ファルツヴァイの痩せた背中を、トリィネが手ぬぐいで拭いているところだった。
ただ、トリィネは、その背中に顔を寄せていたように見えたのだ。
二人とも、上半身をはだけて。
そしてトリィネは、どこか、うっとりとした表情で。
「……なにしてんだ? お前ら」
「あ、あ、あ、汗を! 汗をふいていたんです!」
なぜか声が裏返っているトリィネ。
「……もういいって、トーリィ」
「え? で、でも、もう少し……」
「休憩、終わりってことだろ? ホラ、トーリィも服、着ろって」
咳き込みながら、上着をはおるファルツヴァイ。トリィネも、なぜか顔を赤らめながらファルツヴァイから服を受け取り、おずおずとはおる。
「……いや、体調を確認しに来ただけだ。ファル、体調が悪いなら――」
「大丈夫っつってんでしょ。やるよ、やってやる」
ファルツヴァイは、面倒くさそうに俺を押しのけると、小屋の外に出た。
頬を染めつつ、心配そうな表情のトリィネに対しても、うっとうしそうに腕を払いながら。
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