第530話:俺に順番が回ってきても

「そう、ですか……。赤ちゃんの、お葬式……」


 家ではなるべくその話題には触れないようにと思っていたのだが、リノがしゃべってしまったものだから、なるべく刺激しないようにと思ってさらっとだけ話したのだ。

 ……やっぱりやめておけばよかった、妊婦にその話をするのは。


「ムラタさんは、ついて行かなかったんですよね?」

「……ああ。院長が、今生きている子供たちのために屋根の修理を優先してくれと。以前、あの孤児院で初めて葬式に出くわしたときは、墓地まで参列したんだけどな」


 今でも目に浮かぶ。

 半開きの、血の気の失せた唇。

 白く、土気色の顔。

 赤ん坊と思えぬ、ふくよかさを感じぬ頬。


 今回も同じだった。

 一つだけ違うのは、その赤ん坊を納めた棺には、俺も関わっていたということ――俺が板を切り、釘を打って組み立てたんだよ。


 彼らが生まれてきた意味は、なんだったのだろう。


 あまりにも小さな棺を二つこしらえた俺とリファルは、あの時、本当に何も言えなかった。

 そもそも棺の板自体、屋根修理用のものの有り合わせ。本当にこんなもので彼らの最後の棺桶ベッドを作っていいのかと、ためらってしまったくらいだ。


『やるんだよ。なんにも無しじゃ、可哀想だろ』


 リファルがぽつりと漏らした言葉、それがどれほど胸に痛かったか。



  ▲ △ ▲ △ ▲



「やるんだよ。なんにも無しじゃ、可哀想だろ」

「……でも、こんな板切れでか?」

「オレたちは大工だ。木の加工に関しちゃ専門家だ。こんな、じゃねえ。この板をこそ最高のベッドに仕立てるんだよ」


 すまん――そう頭を下げた俺に、リファルは虚ろな笑みを見せた。


「そうとでも思わねえと、やってられねえじゃねえか……」




 白い喪服に身を包み、墓地に向けて孤児院を出た、院の者だけしかいない葬列を見送ったリファルは、ため息を漏らしながらつぶやいた。


「ひとの死ってのは、そう珍しいものでもないはずなんだけどよ……。赤ん坊の葬式、それも顔を見ちまうと、きついよなあ」

「顔を見ると、なのか?」

「……まあな。知らねえ奴がいくら死んだって、それは数字でしかない。顔を覚えて、ひととなりを知っているから、悲しくなるってもんだ。お前にだって覚えがあるだろ?」


 リファルにそう言われて、冒険者として、短い間だったが共に活動したインテレークと、その兄ポパゥトを思い出し、その言葉がずしりと、胸に重くのしかかる思いだった。


 彼が兄と呼んだ男、ポパゥト。その男の死は、インテレークが身に着けていた「遠耳の耳飾り」によって、間接的に知った。

 あの時は、一人の冒険者が死んだ、という情報でしかなかった。


 そのあと、無惨に細切れにされたインテレークの死を目の当たりにし、衝撃のあまりしばらく嘔吐が止まらなかったし、身の凍るような恐怖も、そして情けないことだが、自分が生きていられてよかったとも感じた。


「正直、あの棺に入れられた赤ん坊が誰だったかなんて、オレは知らねえ。でもな、オレが作った棺だ。オレが作った棺に入れられたんだよ、あの赤ん坊はよ」


 リファルが、力なく天を見上げる。


「オレの棺が、あの赤ん坊の最期のベッドなんだよ。それを知ってる以上、知らん振り……見なかった振りなんてできやしねえよ」


 ちくしょう、ガキの頃に兄貴を葬送しおくった朝と同じだよ――どこまでも青い天を仰ぐリファルのつぶやきは、震えていた。


 俺が孤児院の子供の死亡率が高いことに気づいたとき、それを「普通のこと」と言い放ち、気が沈んでいた俺の背中をぶん殴るようなことをした男が。



  ▼ ▽ ▼ ▽ ▼



 葬列を見送った昼の空は、皮肉なほど青かった。

 それとも、あの青い空のもとで天に還れた赤ん坊たちは、幸せだと思うべきだったのか。


 青白い月の光が差し込む窓を、なんとなく見上げる。


「だんなさま、あまり思いつめない方が――」


 リトリィの優しい指が、俺の髪の間を通り抜けてゆく。


 人はどこからきて、どこへ行くのか……なぜ生まれてくるのか、なぜ産むのか。

 そういえば、母が亡くなったころ、そんなことばかり考えていたな。


 母がこの世からいなくなり、俺はこんなにも悲しみに暮れているというのに、テレビからは相変わらずバカ騒ぎと雑な笑い声が垂れ流され、殺人事件は起き、そして虫けらのようにひとが死んでいく。


 生きる意味ってなんだと、答えがあるのか無いのか分からないことを、いつまでもぐだぐだと考えてしまった時期があった。


 母は死んだ。

 父もいずれ死ぬ。

 そしていずれ、その順番は俺にだって回ってくる。


 ――だったら、生きる意味なんてあるのか。

 何度同じことを、考えただろう。


「うまれ、いき、きえていく。それは神様がお決めになった、ひとのさだめです。わたしたちには、どうすることもできません。神様も、天に還ったいのちに新しい火を与えることはしても、もう一度同じ火をともすことはしないと」


 リトリィが俺を胸にいだきながら、幼子おさなごをあやすように、ゆっくりと、俺の頭を撫で続ける。


「……だからムラタさん、二度とない今生こんじょうを大切にしようというのは、どの神の教えでも同じなんですよ? 戦神バルスレアさまのところだと、『だから今生こんじょうの命は名誉ある戦死のために使うべし』なんて言ってたりもしますけど」


 マイセルが苦笑しながら、身を寄せてきた。

 俺の手をとると、月明かりに照らされたその白い膨らみに、俺の手を這わせる。


 確かな張りとぬくもりを感じさせるそのお腹から、確かに今、俺とマイセルの血を分けた、新しい命が宿っているのだと実感させられる。


「……でも、ムラタさん。私、正直に言っちゃうと……神様の教えとかそんなことなんて、どうでもいいです」


 マイセルは、俺の手に重ねるようにして一緒にお腹を撫でながら、微笑んだ。


「この子は、私の願いと生き方を認めて、一緒に生きていこうって寄り添ってくれたムラタさんがくれた子なんです。だから私、なにがあったって、絶対に守ります」


 なんたって、あの戦いの中を生き延びたんですよ、私たち――そう言って。


「それが、お姉さまがいるのに私にも愛をくれた、ムラタさんへの恩返しだと思ってますから」


 そんなマイセルにリトリィは微笑みかけ、そしてマイセルの顔に、自身の顔を近づけた。


 しばらく、二人の唇が重なり、舌を絡め合う音が、肌を重ね合い、蜜を汲み出し合う音が、熱く絡み合う吐息の音が、静かな部屋に響く。


「……ふふ、おやんちゃさん・・・・・・・が、やっとお目覚めになりましたね?」

「君らのせいだろ……?」

「だってその子・・・やんちゃ・・・・してくれないと、お姉さまにいつまでたってもムラタさんの赤ちゃんが来てくれませんから!」


 あれこれ考えこんでしまうのが、馬鹿馬鹿しくなってくるような、二人の痴態。

 体を起こすと、リトリィがマイセルを押し倒した。


 二人でじゃれている続きかと思ったら、リトリィは仰向けのマイセルを下に敷くようにしながら尻を高く持ち上げ、俺の鼻先に、こんこんと蜜を溢れさせる命の泉を見せつけるようにして、四つん這いになってみせる。

 そのしっぽを、俺の首に絡めるようにして。


「ふふ、でも、お元気になられて、とってもうれしいです」

「元気にもなるよ……ならざるを得ないだろ、こんな姿を見せられて」


 俺は苦笑しながら、蜜のしたたる命の泉に舌を這わせると、リトリィは悦びに身を震わせて鳴いた。


「元気が一番です。だって……お姉さまの言う通りですもん。生まれ、生き、消えていく……それがひとの定めなら、今の私たちにできることは、ばんばん産むことですよ。私、前にもちゃんと、ムラタさんの赤ちゃん、たくさん産むって言いましたからね?」


 リトリィの下になっているため、マイセルの表情は見えない。

 けれど、その口調はあくまでも明るく、そしてどこかいたずらっぽい響きを含んでいた。


 その見立ては間違いではないだろう。自身の胎内の奥深くを見せつけるように、マイセルの指が、そこを大きく開いてみせているのだから。

 命の源は、ここにもありますよ――そう言わんばかりに。




 知っている、知らない――それは、一人のひとの死という事実に、向き合えるか、それともやり過ごしてしまえるかという選択肢を与えるということを、今さら思い知らされた。


 ひとの死が、そう珍しいものではない――その言葉に、この世界での死の重み、その日常性に改めて気づかされる。

 日本でいくら自殺が多いだの、殺人事件がどうだの、事故、災害――いろいろな場面で死がにおわされても、どこかで自分は違うと思ってしまってはいなかっただろうか。

 怪我をしても、病気にかかっても、病院がある、薬がある、だから気にしない――


 ここでは、ひとは簡単に死ぬのだ。

 赤ん坊が生きる、ただそれだけすらも満足にできない――そんな世界。


 ――でも、それでも。


 与えられた、命の限り。

 いきるのだ、いのちは。


 それはこの世界だろうが、異世界ニホンだろうが、変わらない。


 不条理だと思う。

 なんのために生まれたのか、生きるのか。


 それを問う時すらも与えられず消えていく命があり、

 それを問いながらなにも成せずに永らえる命があり、

 生きることを渇望しながら絶望にまみれる命があり、

 生きる意味を遂に見失い自ら断ってしまう命があり、


 それでも、ひとは総体として、歩みを止めない。

 誰かがひっそり消えていく裏で、どこかで生まれ、誰かが生きる。


 生まれることを祝福し、生きることを喜び、生き延びることに感謝をする。

 いつの日か生き終える、そのときまで。


「だん、な、さま……ぁっ!」


 金色きんの毛並みに、激しく踊る白い胸に、己の爪を食いこませながら、彼女の最も深いところをえぐり、俺の命を注ぎ込む。


 うまれ、いき、きえていく。

 それはひとである以上、逃れられない営みだというのなら。


 何人だって産ませてやる。

 力尽き消えてゆく命の、その何倍も。


 いずれ俺に順番が回ってきても、のこされる君たちが、寂しさや虚無に囚われたりしないように。

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