第522話:頑張る理由

「以前あんたの家を建てたときのヒヨッコたちだが、そこそこ使えるようになってきている。他の親方にだって声は掛けてやれる。いつでも頼ってくれ」


 すっかり麦酒で出来上がった赤ら顔のマレットさんだが、頼もしい笑みを浮かべてバシバシと俺の肩や背中をぶっ叩いてくる。


「なんせ俺ぁ、あんたに娘をくれてやった、あんたの義父オヤジだ。身内を守るのはオヤジの仕事、命を張ってでも頑張る理由だ。だからよ、俺にオヤジらしいことをさせてくれよ?」


 そう言ってがははと笑う。笑いながら、マレットさんは、マイセルを愛おしげに見つめ、そして俺に目を向けた。


「その代わり、娘とはらの子はあんたに任せる。――大事に、可愛がってやってくれよ?」


 ――笑顔なのに笑っていない、どこまでも真剣な目を。


 マレットさん、あなたは本当に酔っているのか?

 思わずそう問いたくなるほど、力のこもった目。


「……もちろんですよ。二人・・とも、大切な大切な家族ですから」




 マレットさんには今夜泊っていけとすすめられたのだが、家にいるリトリィやチビたちのことを考え、丁重に辞退した。途中、何度か振り返ったが、マレットさんは家の前でずっと俺たちを見送り続けていた。


「ムラタさん」


 帰り道、珍しくマイセルが左側に立って、俺と手を絡めて歩く。そういえば、俺の左側はいつもリトリィの定位置だったか。薄暗い夕暮れ時、人通りのほとんどない歩き慣れた路地を、二人で並んで、つないだ手のひらのぬくもりを感じながら歩く。


「ごめんなさい、私がもっと早くお父さんに話していれば、ムラタさんに心配かけなかったかもしれないのに……」


 妙に落ち込んだ様子のマイセルの手を握ると、足を止めて彼女を抱きしめた。


「マイセルのせいじゃない、俺の視野がいつも狭いから、無駄に君たちに心配を掛けてるだけだ。……すまない」


 そんなこと――言いかけた彼女の唇を、口でふさぐ。

 俺はいつも嫁さんたちに支えられてばかりだっていうのに、その彼女たちを卑下させるようなことを言わせてしまう俺が不甲斐ないだけなんだ。


「そんなこと、ないです! ムラタさんのこと、十分に支えてあげられてなかった私が――」


 何度目になるだろうか、こんなやり取りは。そう言うと、マイセルが恥ずかし気に、そうですね、と笑った。


「でも、お父さんに言われて、私、確かに、どうしてもっと早くお父さんにお話することに気づかなかったのかなって」

「それだけ、俺が好き勝手することを許してくれている、懐の広い奥さんだってことだよ」

「そ、そういう問題ですか?」

「そういう問題だよ」


 改めて、彼女の唇に自身の唇を重ねる。


「――ただ、マレットさんの言う通り、俺一人じゃなんにもできないくせに、人を頼るってことを忘れて一人であれこれ失敗する悪い癖がなかなか治らないってのは、俺の課題だよな」

「そんなことだったら、大丈夫です」


 マイセルが、俺の頬にキスをしてから、微笑んだ。


「そのために、私たちがいるんですよ? 私も失敗しちゃうこと、多いですけど……でも私、がんばりますから!」


 その健気な微笑みがなんとも愛らしくて、俺は彼女を抱く腕に力を込めた。

 彼女の膨らんだお腹が、二人の間で若干の自己主張をしている感じがする。


 ……ああ。生まれてくるこの子のためにも、俺は頑張らなきゃならないんだ。足りないところだらけの俺だけど、だからこそ、みんなの力を借りながら。




「あちらで泊まってきてくださってもよかったのに。二人きりで過ごす夜なんて、そんなにないのですから」


 そう言って俺たちを出迎えたリトリィだが、俺たちの帰りがよほどうれしかったのだろう。しっぽがすごい勢いで荒ぶっているのがいとおしい。


「えへへ、だって私、お姉さまも大好きですから」


 そう言って微笑んでみせたマイセルもまたあいらしい。


「だんなさま、おかえり! だんなさま、今夜は帰らないってリトリィ姉ちゃんが言ってたから、ボク、すっごくうれしい!」


 飛びついてきて顔をこすりつけてくるリノもまた、あいくるしい。


 遅れて玄関までやってきたヒッグスも、ヒッグスの手を握ってやや彼の後ろにいるニューも、それどころか、さらにその奥で「……リトリィおねえさまが、今夜はムラタさんもマイセルもいないけれど、よかったらって誘ってくださって、それで……!」と、頬を赤く染めているフェルミまで、みないとしい。


 リトリィの早とちりが原因だが、「日ノ本ヒノモト」ファミリーが勢ぞろいすることになった夜だ。今夜は家族みんなで、楽しい食卓を囲むことにしよう。




「そういうことになってたんですね」


 フェルミが、幸せそうにお腹をさすりながら、ベッドの隅で、背中を向けて丸くなって眠っているリノを見る。


「リノちゃんまでベッドに呼ぶのを見たときは、とうとうおチビちゃんにまで手を出すケダモノになり果てたのか、と思ったんですけどねえ」


 ……言い方!

 俺の抗議に対して、自分の中からあふれてきたものをすくって口にしてみせる。実に挑発的に。


「だって、こんなからだの私を抱くムラタさんですよ? 何をしたっておかしくないですから」


 そう言って、フェルミは自身の胸をまさぐってみせる。

 ――乳頭のあるべき場所には、ひどいひきつれが残っているだけの乳房。全身の肌――とくに乳房や腹――に残る、大小の傷跡。しっぽも、付け根周辺だったはずの部分に毛深さを残すのみで、存在しない。耳も、三角ではなくひどくいびつな形だ。


 彼女が少女だったころに戦乱に巻き込まれた故郷で受けた、凄惨な暴行の痕跡。


 けれど、今は俺の大切な家族の一人だ。子供を産むことも絶望視されたという彼女は、二十五歳――獣人の女性は二十歳を過ぎるとほぼ妊娠しないと言われている――だったというのに、なんの奇跡か、俺の子を宿した。


 妊娠したのはマイセルよりもあとだが、妊娠期間がヒトよりも短いため、医者からは、おそらくマイセルとほぼ同時期の出産になるだろうと言われている。


 彼女自身は「外の女」――あくまでも愛人としての扱いで十分で家には入らないと言っているが、俺の子を産んでくれる女性を、そんな扱いになんてできるものか。

 臨月になるころには、リトリィ自身がフェルミをうちに来させるつもりでいるから、そのまま出産を機に、うちに来てもらおうと思っている。夏を境に、我が家はかなりの大所帯になるはずだ。


「ふふ、だんなさまは、わたしが仔を産むまではリノちゃんと子作りはしないって約束しているみたいですよ?」


 リトリィが微笑むと、フェルミは悟ったような顔で鼻で笑ってみせた。


「どうだか……。男のヒトっていうのは、空いてる穴があればとりあえず突っ込みたがる方々ですからねえ?」


 お姉さま、分かってるでしょ? ――そう言うフェルミに、リトリィは苦笑いだ。おい、否定してくれよ第一夫人。


「だって、そのとおりでしょう? ムラタさん、女を三人並べてまとめて抱こうって考える時点で、もう十分ケダモノですって」


 ――どうせ俺はケダモノだよ。

 フェルミのいたずらっぽい笑みに、俺は不貞腐れてみせる。


 いや、たしかに三人一緒にベッドにってのがいかに無謀なのかはよく分かったさ。いずれはここにリノが加わるなんて、無理にもほどがある。ローテーションを組まなきゃやってられないだろう。


 ――だが、こうもケダモノケダモノと言われたら、俺にだって意地がある。

 そうとも、今夜限りはケダモノらしく振舞ってやるからな?


 子犬のように丸まって、こちらに背を向けて眠っているリノを見やりながら、リトリィのふかふかなしっぽに手を伸ばした。

 うつ伏せていた彼女は微笑んで腰を高く持ち上げると、誘うようにしっぽを揺らしてみせる。たらりと、あふれてこぼれてくるものを、隠そうともせずに。


 ――ああもう、リトリィまで。いいさ、その挑発、乗ってやるよ。


 マイセルとフェルミが笑みを浮かべて見守る中、俺は身を起こすと、リトリィの腰に爪を立てて一息に自身の腰を打ち付けた。

 リトリィが枕に押し付けた口から、艶めいた悲鳴を漏らす。


 くぐもった声ながら意外に大きかったその悲鳴に、思わずリノの方を見てしまったが、杞憂だったようだ。横になっているリノの、こちらに向けている寝顔に安堵すると、俺はさらに熱くうねる秘洞の奥深くまで身を沈める。


 この世界で手に入れた、大切な大切な家族だ。俺を信じて身を寄せてくれるこの子たちのためにも、俺はもっと頑張らなきゃな。

 ……ただ、このぶんだと、家がだいぶ手狭になるぞ。どうしようか……。

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