第517話:少年たちの未来を握る男

「んみゃっ⁉」


 リノの素っ頓狂な悲鳴で目が覚める。


「……ああ、リノか。おはよう」

「あ、あ、あ、あ……!」


 ひどくうろたえているのでどうしたのかを聞くと、急に顔を赤くし始めた。


「り、リトリィ姉ちゃんも、マイセル姉ちゃんもはだかで、だんなさまもはだかで……!」


 ……ああ、そうか。

 いつも通りの寝相でも、リノにはちょっと刺激が強かったか。


 俺の左隣にリトリィ。

 そのリトリィを背中からぴったりと包み込んで横抱きにするようにして、俺。

 さらにその俺の背中に寄り添うように、マイセル。

 最後にリトリィが懐に抱きしめるようにしていたのが、リノだったのだ。

 で、リトリィの胸の中から這い出すようにして出てきたリノが、ぴったりと身を寄せ合う俺たち三人を見て、素っ頓狂な悲鳴を上げたというわけである。


「……ふふ、リノちゃんもお嫁さんになったら、今みたいに寝るんですよ?」


 マイセルが慌てて跳び起き、下着を身に着けようとするのに対して、リトリィは俺の腕の中で俺を背中に貼り付けたまま、まるで動じることなく首だけ持ち上げ、リノに微笑んでみせる。


 俺のものを胎内に飲み込んだままだというのに、そんな素振りはおくびにも出さない。それどころかさりげなく、いつものように腰を押し付けてくるものだから始末が悪い。


 朝、起きたばかりということもあってたちまち彼女の中で勢いを取り戻してしまったモノを、俺はリノを目の前にしていったいどうすればいいんだ! いつもならこのまま朝の一発を注ぎ込むところだが、そんなこと、リノの目の前でできるわけないだろ!


「んう? リトリィお姉ちゃん、どうしておしり、動かしてるの?」

「ふふ、どうしてでしょうね?」


 リトリィ、いくら腰から下はシーツが掛かったままだからって、大胆過ぎるって!

 中に残っていた、昨夜に出したぬめりと的確な腰づかい、きゅっと締め上げてくる熟練のパートナーぶり。ちょっと、ほんと、そのうねるような締めつけ、勘弁し――

 ……うっ。




 今朝、いつものように二人とも産まれたままの姿で水浴びをしていた時だ。

 実に新鮮なリノが見られた。


 先端だけがつんと尖った平らな胸を、俺の視線に気づいて隠すリノ。


 べつに見ようと思って見たわけじゃないんだが、うん、思春期だなあ。

 そう思っていたら、胸を隠しつつ俺の股間――にぶら下がるモノ――を凝視していたリノが言った。


「やっと分かった。お姉ちゃんたちからいつもしてた朝のニオイって、だんなさまののニオイだったんだね」


 衝撃で固まった俺に、リノは少し恥ずかしそうに頬を染めながら微笑んだ。


「ずっと気になってたの。えへへ、だめだよ? だんなさまもきれいにしなきゃ」


 そう言って手を伸ばしてくる!

 待て! ここは触っていい場所じゃない! 自分で洗う! 綺麗にするから!


「んう? だいじょうぶだよ! ボクのにかみついた虫、だんなさま、とってくれたでしょ? ボクもやさしくするから!」


 結局、必死で逃げ回って、朝からくたくたになってしまった。


 ……もうごまかせなくなった。

 というか、いずれはこうなると、なぜもっと早く気づかなかったんだ俺は。

 ――いや、違うな。

 遅かれ早かれこうなるとは分かっていたんだ。リノの成長も合わせて、気づかないふりをしてきただけで。


 低いと思い込んできた身長の、意外な成長ぶりを。

 平らだと思い込んできた胸の、意外なふくらみを。

 ぷっくりと滑らかにふくらんだ、おしりの丸みを。

 みずみずしい肌の白さを、艶やかな髪や毛並みを。


 初潮を迎えてはや数カ月、今までの栄養失調ぶりを取り戻そうとするかのような、順調な成長ぶりを、見てきたじゃないか。


 うん、やっぱり二人そろっての水浴びは、今日限りでもう、やめよう。




「はあ? オレたちが、ガキどものおむつを洗う? ふざけんな!」


 素っ頓狂な声が、相も変わらずカビ臭い応接室に響く。


「なんでオレたちがそんなこと、しなきゃならねえんだよ!」


 リファルの懸念の通り、大騒ぎをするのはやはり大柄な少年ミュールマンだった。俺としても予想通りだった。どうせ、やりたがらない筆頭だろうと。


「誠に差し出がましいようですが、我が商会の元会長様より、あなたがたの未来を、私が握らせてもらっているからでございます」

「ふざけんなクソジジィ! 黙って聞いてりゃ、つけあがりやがって!」

「……なるほど。これは申し訳ございません。では私の提案のご不満な点は、どこにありますでしょうか」


 オールバックのロマンスグレーにヘーゼルの瞳。パリッと糊の利いた、黒いスーツのような服を着た五十代くらいの男性、ハルトマン・アーメイ氏。柔和な笑顔と落ち着いた物腰の、初老の男性である。その彼が、一瞬、眉をひそめた。


「不満? あたりめぇだろ、なんでオレたちがガキのクソの始末なんかさせられるんだ!」

「なるほど、それがご不満でしたか。それはわたくしめが挙げた例が悪うございましたな、申し訳ございません」


 ハルトマン氏が深々と頭を下げると、ミュールマンは苛立たしげに舌打ちした。

 舌打ちしたいのはこちらだ。リファルのほうも、苛立ちを隠せない様子。だが当のハルトマン氏から、俺たちが口出しすることは厳しく止められていた。

 よって、見ていることしかできない。なんとも歯がゆい思いだ。


「それでは、改めて伺いましょう。あなたはこのわたくしめに、どのような案を語ってくださるのですかな」


 今回、ハルトマン・アーメイ氏は、ナリクァン夫人に代わって、少年たちが自主提案する自身の更生案を吟味し、夫人に報告する役目を担って、俺たちと一緒に、この孤児院「恩寵の家」にやってきたのだ。


『彼は、わたくしの信頼する側近の一人です。わたくしの意図もよく理解してくれていますし、難しい交渉をいくつもまとめてきた経験をお持ちですから、きっとあなたの力になってくれるでしょう』


 だそうである。

 商会における彼の立場は、商会のさまざまな長からの報告を取りまとめ、適宜必要な指示を出すというものらしいが、それだけでなく、厳しい商談をいくつも成立させてきた、辣腕の交渉人ネゴシエーターのようだ。というか、その経験を活かして今のポジションにいるのだろう。


 年齢的に見たら部長クラスだろうか。だが、実に腰が低い。いやいや、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんて言葉もある。とりまとめをする人で、夫人が側近と呼ぶひとだ。部長、あるいは専務クラスかも。

 ――そんなハルトマン氏に対して。


「は? ジジィ、テメェなんか知るかよ。オレは昨日来たババァに用があンだよ。ババァを連れて来い」


 そう言って、ミュールマンは後ろにいる少年たちにドヤ顔をしてみせる。

 うむ。さすがだ。初対面の男性に対して、粋がってみせてナメられないようにとでも考えたのか。今の態度を夫人に報告されたらどうなるか、ということを想像もできないらしい。こういうところが、奴の限界だな。


「みゅ、ミュールマンくん。お客様に対してそのような口のきき方は――」


 たしなめようとしたダムハイト院長に、ミュールマンはヘラヘラと笑ってみせた。


「院長先生、こんな爺さんが怖いんですかぁ? こんな歳で使い走りをさせられるような爺さんですよ? オレは大丈夫っすから」


 ダムハイト院長が平謝りに謝るが、ハルトマン氏は気にする様子もなく――というか、ダムハイト院長の謝罪も全く聞こえなかったかのように続けた。


「さようでございますか。しかし本件は、元会長からわたくしめに一任されていることでございます。わたくしが相手ではご不満もおありかと存じますが、ここはひとつこらえていただきまして、お考えをお聞かせ願えませんでしょうか?」

「知らねぇよ。オレはババァになら話してやるが、テメェみてえな使い走りジジィになんて話してやる義理はねぇんだよ。ババァを連れてこねぇんだったらとっとと帰りやがれ」


 後ろの少年たちは、顔を見合わせてぼそぼそと言っている。ミュールマンの強気の姿勢に感銘を受けている奴もいれば、その愚かさに気づいて眉をひそめている者もいるようだ。


 ミュールマンは、シュラウトに対しても挑発的なドヤ顔を向けているように見えた。もしかすると、彼に対する対抗意識のようなものが、このような行動に走らせているのかもしれない。


 それに対して、シュラウトは終始ミュールマンを小馬鹿にするような目を向けていた。ミュールマンの行為の愚かさを最もよく分かっているのは、彼に違いない。


「そうですか。それは誠に残念でございます。では、気が向いたら教えてください」


 ハルトマン氏は、目をすうっと細めてみせたが、すぐに後ろの少年たちに穏やかな笑顔を向けた。


「他の方はどうですかな? 我が商会で働くという気概のある方はいらっしゃいますか。それとも、我が商会から派遣する子守女中に代わって、こちらの幼児おさなごの面倒を見ようという方は。どちらも、元会長がお約束された通りの条件で働いていただけますよ」

「テメェみてぇなジジィなんか話にならねぇんだよ。なあみんな、そうだよなぁ⁉」


 誰も返事をしない。ミュールマンに対しても、ハルトマン氏に対しても。みな、目くばせをし合い、ひそひそとささやき合うばかり。


「……では、ムラタ様の現場――『幸せの鐘塔』でお働きになりますかな?」

「しつこいんだよジジィ。とっととババァを連れてくるんだな。その歳で使い走りしかできねえようなジジィに、オレの話が分かるわけ――」

「みなさま、いかがですか。我が商会に関わって働けば、あなたたちはそのとがを免ぜられるばかりか、独立の暁には働いた実績に応じた報酬も約束されております」


 ふんぞり返るミュールマンをまるっきり無視して、ハルトマン氏は続けた。


「――このままなにもせぬというのであれば、ムラタ様より告発され、あなた方には罰が下されることとなりましょう。――どちらの未来が、お好みですかな?」

「……おい、ジジィ! 誰もてめぇとは話さねえっつってんだろ! さっさとババァを――」

「いかがでございますか? みなさまにとって、決して悪い話ではないと思う次第でございますが」


 ミュールマンの恫喝を涼しい顔でスルーして、柔和な笑みすら浮かべて交渉を突きつけてくるハルトマン氏に、少年たちはごくりと喉を鳴らした。


「だから! おいクソジジィ、無視すんじゃねえよ! おいてめぇ、痛い目に遭いてぇのか!」


 つかみかかるミュールマンに、俺は慌てて手を伸ばす。まさかここまで愚か者だったとは!

 ――その瞬間だった。

 ここが、分水嶺だったのだ。


「無能は話しかけられたとき以外に口を開くものではない」

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