第518話:狩られるべきウジ虫は

「無能は話しかけられたとき以外に口を開くものではない」


 つかみかかってきた手をするりとほどき、服についたしわを伸ばしてみせたハルトマン氏は、それまでの柔和な微笑みをひとかけらも残さぬ冷たい目で、ミュールマンを見下ろした。


 ――いや、ミュールマンとハルトマン氏は、ほとんど身長が変わらない。にもかかわらず、確かに、見下ろしているように見えたんだ。


「なん……」

「無能は話しかけられたとき以外に口を開くなと言ったのだ。ヒトの言葉は難しくて理解ができないのか、ウジ虫め」

「て、てめぇ――」

「二度の警告を無視してなおも口を開くとはいい度胸、褒めてやる。だが、この場で口を開いていいのは話しかけられたときのみである。私は警告をした、その意味を理解せよ」


 背後の少年たちは、ぴたりと口をつぐんでいた。シュラウトも、それまで顔に貼り付けていた薄ら笑いを引っ込め、ハルトマン氏を見つめている。


「つ、使い走りのジジィのくせに、偉そうにするんじゃねえ!」

「……ほう? 自分は無能ではないと主張したいのか? ウジ虫もヒトの真似をしたがるとは知らなかった。神よ、無学な私を許したまえ」

「さっきからジジィがイキッてんじゃ――」


 ミュールマンが再び手を伸ばしたときだった。

 その瞬間、ミュールマンの大柄な体が宙を舞った。

 ごく当たり前の現象であるかのように。

 スローモーションの動画を見せられたかのような錯覚。

 気が付くと、ミュールマンの体は激しい音と共に床に叩きつけられていた。


 だれもが、何が起こったのか、理解できていなかったようだった。

 床に叩きつけられた当人さえも。


「私の使命は、己の分をわきまえることもできず、偉大なる元会長の恩赦を前にしても己の罪を悔いることもできず、神の敵であり街の敵であり女性の敵であり商会の敵であるウジ虫を狩り取ることだ。分かったかウジ虫ども」


 誰も、口を利けなかった。

 ただ一人、「あんなジジィが? この僕らを、ウジ虫?」とつぶやいた者を除いて。


「……誰だ、どのウジ虫だ」


 ハルトマンの鋭い目が、少年たちを順にねめつけてゆく。

 当然だが、誰も答えない。


「答え――なし。上出来である。全員が全員をかばう美しい友情だな。よろしい。虫というものは群れたがるものだが、その証明ができてなによりである。いずれにせよ、ここに首を並べているのは自分よりも弱い女子供老人にしか粋がれぬウジ虫ばかり、実に不快。不快な害虫は目に付く端から潰してしまうに限る」


 そして、ハルトマンは目をつけた少年のもとに近寄った。


「お前だな?」

「違います!」


 胸を張って答えた少年に、ハルトマンは真正面から言葉を叩きつけた。


「なにが違う、ウジ虫が! どのみち誰が口でクソを垂れようとも、ここで名乗り出る者が一人もいない時点で貴様らの運命などすでに決定済みだ、腐れウジ虫め!」

「こいつです! こいつが言いました!」


 怒鳴られた少年は、隣の少年を指した。

 指をさされた隣の少年は狼狽するが、「私が質問した無能以外が口を開くなウジ虫!」と怒鳴られ、泣きそうな顔で口をつぐむ。


「……なるほど。貴様は、少しはできるウジ虫のようだな?」


 隣の少年を売った少年――シュラウトが、無表情で姿勢を正す。


「気に入った。うちに来てヤギを相手にいい」


 ハルトマン氏は、シュラウトにゆっくりと指を突きつける。


「――などと言うと思ったかこの腐れウジ虫! 床にこぼしたを、自分が突っ込んだに拭かせるような外交儀礼のかけらも無いド腐れマラめ! 貴様の言い訳はなんだ!」

「……い、言い訳?」


 シュラウトが虚を突かれたような顔になる。言葉の内容というより、そのあまりにも汚い罵声に面食らったせいもあるだろう。

 だがハルトマン氏は、そんなシュラウトに畳みかけるように、容赦なく怒鳴りつけた。


「アホ相手に質問するのはこの私の役だ! 人の皮を被ったクソの山めが! 仲間を売って自分だけ助かろうだと? じつにいい具合に腐臭を放つド腐れウジ虫が! 貧民窟の出でも仲間の絆は固いというのに、己の身を最後に守る砦をも自ら放棄するその腐れ根性、正直に言って感心したぞ腐れマラ野郎! 貴様と足元の豚野郎だけは泣いたり笑ったりできなくしてやる! そのねじ曲がったカスまみれのイカ臭い根性を叩き直してくれるわ! 一緒に並んでぼさっと空っぽの頭を並べているそこのネコ野郎どもも同じだ! 口を閉じないなら、そのだらしがない口に無礼外交野郎のミルクを絞り出してやるぞ!」


 ……正直、すさまじいその罵詈雑言を、早口で叩きつけられた連中は、それが罵声であったことは理解できても、そのすべてを理解できたかどうか。

 翻訳首輪のおかげで、全ての言葉がきっちり翻訳されてしまう俺は、嫌でも理解できてしまったが。


 そう言ってまたスーツのしわを伸ばすと、シャンと立ってみせた。


「……それで、次に話をしたいと考えている不快ではない幸運な少年は、誰だ?」


 床に伸びて息もできぬありさまの少年を踏み越えるように、顔を引きつらせた少年たちが、我先にと訴え始めた。




「……あの野郎」


 埃だらけの顔で、ミュールマンがつぶやいた。

 忘れ去られたようにもみくちゃにされてしまっていたミュールマンの前に、俺はしゃがみこむ。

 口の端に血がにじんでいる。頬には靴の跡があるから、どさくさに紛れて顔まで踏みつけられたようだ。


「……お前、よっぽど恨まれてたんだな」

「うるせぇ! クソ大工のオッサンのくせに、偉そうにするんブッ――」

「学ばねぇヤツだなてめぇは」


 リファルがその顔面を踏みつける。いや、さすがにやめてやれよ。


「自分の実力もわきまえずに突っかかってやられるようなアホは、体でしか学べねえんだよ」

「……体で思い知らされても学べていないこいつは、どうすれば救われる?」

「救われなくていいんじゃね?」


 リファル、お前は鬼か。


「クソッ、クソッ……! アイツら、いつもオレの後ろでヘラヘラペコペコしてやがったのに! 絶対に許さねえ、あとでぶっ殺してやる‼」

「そういうことをやってるから、復讐されるんだ。少しは学んだろう?」

「うるせぇよオッサンのくせによ! クソぅ、クソぅクソぅ‼ 一番はシュラウトだ! あの野郎、ぜってぇにブチ殺す! おいオッサン、てめぇもそのあとブッ殺して――ぶぶっ!」

「だから学べっつってんだろ。聞いてるぞ、お前、最初の時にムラタに投げられたんだってな?」


 再び顔面を踏みつけながら、さすがにあきれた様子でリファルが言った。


「オレたち大工の間でもヒョロガリ野郎って有名なムラタに投げられてるようじゃ、てめぇなんざオレたち大工になんて、逆さになっても勝てねぇよ。それから、てめぇが真っ先にぶっ殺す相手はハルトマンさんじゃねえの? あのひとに今日、何回投げられた? だから今も伸びてるんだろうが」

「うるせぇっ! あのジジィはそのうち寿命でくたばるからいいんだよっ!」

「つまり勝てねぇから逆らうのはやめておいて、オレたちに八つ当たりと」


 リファルが耳をほじくりながら、薄ら笑いを浮かべた。


「ハルトマンさんの言う通りだな。自分より弱い女子供老人を狙うウジ虫、か」

「う、うるせぇっつってんだろクソ大工!」

「……まだそれだけ喚き散らす元気があるとはな」


 最後の少年に、活動内容の許可を出したらしいハルトマン氏が、いつの間にか俺たちの背後にいた。


「やはりウジ虫は、どこまでも生き汚くしぶとい不快な害虫だということがよく分かる見本だな」

「ヒッ――⁉」


 それまで大の字に伸びていたミュールマンだったが、急にはいつくばって逃げ出そうとする。

 その襟首をつかむと、ハルトマン氏はミュールマンを片手で立ち上がらせた。どう見ても六十代かそこらのハルトマン氏だが、あの細い体のどこから、あんな力が出るのだろう。


「な、なんだよヒョロガリ野郎! 殴るぞ、失せろ!」


 半泣きになって俺に八つ当たり気味に怒鳴ったミュールマンだが、それがいけなかったらしい。その瞬間、ハルトマン氏の顔が、冷徹な無表情から憤怒の色に染まったのだ。それも、一瞬で。


「ムラタ様は今冬の門外街防衛戦で、敵に包囲され絶望視されたザステック大隊救出のために身の危険を顧みずたった二人で飛び込んだ、第四四二戦闘隊の隊員である! 命を惜しまず街を救った、偉大なる勇士のひとりであるムラタ様を侮辱するとは‼」

「し、知らねぇよ! そんなの、聞いてねぇって!」

「あくまで知らぬで通し、謝罪の一言もひねり出せずにクソをひり出すしかない口しか持ち合わせぬウジ虫め。貴様はやはり街の敵か。ならば容赦などいらんな。神よ、寸毫すんごうたりとも生きる価値のない腐れウジ虫などにつまらぬ情けをかけていた自分をお許しください」


 そう言って、ハルトマン氏は襟首をつかみ上げていた手を、ミュールマンの後ろ首にかける――


「ヒッ……⁉」

「安心したまえ。ひとは首の骨が砕かれると、首から下の感覚がなくなるという。クソを垂れ流しても気づかなくなるそうだ。本物のウジ虫の出来上がりだ。どのみち貴様が浮かぶ瀬などクソ壺の中にしかない。いまひと思いに、名実ともに貴様の大好きなウジ虫に仕立て上げてやろう」


 淡々と決定事項を読み上げるように話すハルトマンに、流石にミュールマンも恐怖を覚えたようだった。


「お、おい、コラ院長! モタモタすんな、早く助けろ! お前の仕事だろ!」


 泣き言ながらあくまでも粗暴なミュールマンの言葉に、呆然としていたダムハイト院長が慌てて手を伸ばす。


「は、ハルトマン様! いくらなんでもやりすぎです、どうか放して――」

「先ほども申し上げた通り、私の仕事はウジ虫を狩り取ることです。そしてこれはヒトに寄生するウジ虫です。お間違えの無きよう」

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