第516話:ボクは花嫁さんだから

「……そうか。リノは幸せなんだな」

「うん、しあわせだよ。ボク、王子さまにいっぱい助けてもらった、お姫さまだもん」


 耳も、しっぽも、ぴこぴこと揺れるのが愛らしい。


「……いっぱい、助けた?」

「ボクを見つけてくれたでしょ? いっぱい食べさせてくれたでしょ? 耳のケガをしたとき、ボクをいじめてたひと、やっつけてくれたでしょ? それとね、それとね……!」


 それは助けたうちに入るのか、と思うようなことまで指折り数え上げるリノを、微笑ましい思いで見守る。それだけ、彼女が嬉しいと思うことに俺は関われた、ということなんだろう。


「……それでね? ボク、だんなさまに、いっぱいいっぱい、助けてもらったから。だからボク、だんなさまの花嫁さんになって、いーっぱい、恩返しするんだよ!」


 両手を大きく広げて夢を語るリノの頭を撫でる。耳の裏をかくようにすると、くすぐったそうにしながらも、嬉しそうに目を細める。


「花嫁、か。……そう、だな。そんな可愛いドレスを着ているしな」

「うん。だってこれ、ボクの花嫁衣裳だもん」


 一瞬、何を言われたか分からず、思考が止まった。

 花嫁衣裳――今、リノは、「ボクの」花嫁衣裳と、そう言わなかったか?

 聞き違えでなく?


「うん。ボクのなんだって。おばあさまのお屋敷でね? ボクを着替えさせてくれたおねえちゃんたちが言ってたの」


 にこにこしながらそっと俺から体を離すと、リノはくるりと一回転してみせた。ふわりと舞い上がったスカートが、ふんだんに使われているフリルとひだドレープのせいか、想像以上に豊かに広がり、リノが止まってもぐるりと巻き付く。


「えへへ、どう? 可愛い?」

「あ、ああ……。可愛いよ、とっても」

「でしょ? ホントはもっと大きかったんだよ? だけど、おねえちゃんたちが今のボクに合わせてくれたの。あっという間だったよ? 法術見てるみたいだった」


 思考が追い付かない。

 おばあさまのお屋敷――ナリクァンさんの屋敷だろう。

 リノが嘘をつくなんて考えられないから、これはつまり、ナリクァンさんが用意した、リノのための花嫁衣裳なんだろう。


 いや、言われてみればたしかに、リトリィが着ていた花嫁衣裳に、似ていると言えば似ているような気もする。胸を強調するどころか、すっかり覆う仕様という点が違うけれど。


「……花嫁衣裳を、どうして今日、着せられたんだ……?」

「えっとね? ボク、その……」


 リノは少し顔を曇らせ、地面に目を落とした。けれど、何かを決心したように顔を上げた。


「だんなさまにもお話したけど、ボク、おにいちゃんたちに変なことされたの、おねえちゃんたちにお話したの。……その、だんなさまには、内緒にしてねって。そしたらみんな、なんか泣き出して。それで――」


 どうも、あの眼鏡のメイドさんがリノの話を聞いてほだされたかなにかして、まだ未完成の花嫁衣裳を着せたらしいのだ。で、その際に大きすぎるそれを調整したと。

 道理で、ドレスにやたらとフリルやひだドレープが多かったわけだ。余った布を折りたたむようにして、フリルやドレープに見えるように縫い付けたんだな。


 ……ていうか、まだ未完成とはいえ、なぜ今、リノの花嫁衣裳を作ってるんだよ。聞いてないよ。ナリクァンさん、グッジョブすぎるけど気が早すぎませんか。

 というか、こんなに華やかな花嫁衣裳を作っていただけても、それを買うだけのカネ、絶対に俺の蓄えでは足りないと思うんですが。


「あのね? 今日一日着てみて、動きづらいとことかないか、確かめなさいって。それでね? 結婚するときは飾りを付け足して、しっぽを通す穴もあけて、胸もしっかり見せつけるようにして、世界一きれいなお嫁さんにしてあげますって」


 ……そうか、未完成だからしっぽの穴がなくて、だからリノがしっぽを持ち上げるたびにおしりが丸見えになっていたんだな。

 いやいやいや! それ以前の問題ですってナリクァンさん! 花嫁衣裳が必要になるときなんて、まだまだ当分先ですよ! リノはまだまだこれから大きくなるだろうし、気が早すぎるだろ!


「うん。だからだんなさまに、この服が着られるうちにお嫁さんにもらってもらえるようにしなさいって」


 待て、待て待て待て。

 それはまずい。さすがにまずい。瀧井さんがペリシャさんを娶ったのが、十五になる手前だったか。この世界の成人は十五歳だから、瀧井さんはそれに合わせようとしたんだ。


 ただ、そのまえに赤ちゃんができちゃったから、十五歳になる前に結婚したんだっけ。……いや、それ以前にそもそも初めて結ばれたのが十二歳って話だったか。

 ……リノと同い年だよ。


 いやいやいや! ペリシャさんはリノよりもリトリィに近い獣人で成長が早く、だから体格自体は十五、六歳程度だったはず。

 見た目が年齢通りのリノに、そんなこと当てはめられるかっ! 俺はちゃんと、リトリィが子に恵まれたうえで、リノが成人してからと決めているんだからな。


「でも、が、すぐにでも盛大に式を挙げてくれるから、いつ大丈夫なんだって。服、着せてくれたおねえちゃんたちが言ってた」


 にこにこしながら言うリノに、俺は背筋に冷たいものが走る思いがした。


「いや、リノ……大丈夫って、なにが――」

「分かんない。だんなさまは、分かる?」


 可愛らしく首をかしげてみせるが、――いや、分かる、分かるよ? 分かるけど、言えるかそんなこと!

 

「この服で、今夜迫りなさいって。もしだんなさまがいっしょに寝てくれなかったら、おばあさまのお言いつけだって言いなさいって」

「待て待て待て。それは――」

「でね、だんなさまと三日いっしょに寝たら、この服を完成させるから返してねって。だんなさま、迫るって、なにすればいいの?」


 ……リノ、迫るはずの相手に聞くなって。

 そもそも男と三夜、同じベッドで過ごすって、この世界での結婚のための三つの儀式――いもみ、くしながし、そして三夜の臥所ふしど――のメインイベントだろ。

 ナリクァンさんとそのメイドさんたち! あんたら何考えてんだ! 




「……それで、今夜は一緒に寝たんですね」


 ベッドの隅では、リノが体を丸めて眠っている。

 さすがにドレスから、いつものワンピースに着替えさせたが。


『ボク、花嫁さんになるから、だんなさまと三回、添い寝するんだって!』


 ベッドの柔らかさに大はしゃぎしながら、リトリィと俺との間に潜り込んだあと、ものの五分もしないうちに眠ってしまったリノ。

 彼女がいるぶん、今日は必死に声をこらえていたからだろうか。マイセルがすこしだけ、不満足に見える。


「そうですよ。リノちゃんを起こしたらかわいそうだし、だから、声もだけど、ちょっと、その、音も、気に……」

「いけないことをしているみたいで、かえってぞくぞくしませんでしたか? だんなさまが奥にいらっしゃるたび、体のぶつかる音が気になって」


 リトリィに背後から包み込むようにして胸を撫でられて、マイセルがびくりと体を震わせる。


「まだ結婚するまえ、処女おとめだったマイセルちゃんが同じベッドで寝ているのに、だんなさまに何度も抱かれていたときのわたしのきもち……わかってもらえました?」

「え……? あ、あのとき? ええと、あのときも、あのときも……ですか⁉」


 天井を見上げるようにしながら指折り数えるマイセルが、いちいち驚く。


「ふふ……。だんなさまは、いたずらっ子さんですから。そういうときほど、声を出させようとするんですよ? 今もそうだったでしょう?」


 そう言いながら笑みを浮かべるリトリィが、なんとも色っぽい。

 ……ていうか、必死に声を抑えようとしてもだえる姿って、可愛いだろ?

 だから敏感なところに、さらに刺激を与えてだな……


「もう。もしリノちゃんが起きちゃったら、ムラタさんはどうするつもりだったんですか?」

「まあ、ごまかすしかないんじゃないか?」

「三人とも裸で抱き合ってて、どうやってごまかすって言うんですか」

「ふふ、くすぐりあっこしていた、とか?」

「お姉さままで……。本当にごまかせるんですか?」

「そのときは、二人とも協力してくれよ? リノとはあと二晩、一緒に寝なきゃならないんだから」


 苦笑いをしながら、リトリィに手を伸ばす。


 ごめんリノ。君にはまだ早すぎる世界だ。

 君がもう少し大人になって、それでもまだ、俺のことを好きでいてくれたら――それまでは、君とは添い寝はしても、それ以上はしない。


 リトリィは、少しだけリノのほうに目を向けた。

 けれど、マイセルとうなずき合って、そして俺の腕に収まる。

 俺の下で、今夜二度目の俺の訪問を奥まで受け入れた彼女は、のけぞるようにして全身を打ち震わせた。

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