第510話:自己満足の偽善でも

「卑怯者に卑怯なんて言われるのは心外だな。よく見ろ、これが貴様のやったことだ。いい面構えじゃないか、実に卑怯者らしくて」

「ぼ、僕は卑怯者じゃない! 卑怯者はそっちで――」

「リノが嫌がっていると理解していながら、自分たちに都合のいい理由をつけて卑劣なことをした、お前らに決まっているだろうが‼」


 思わず拳を振り上げる。だが――


「ムラタさん? いけませんよ、それ以上は」


 ナリクァン夫人だった。今の今まで、一言も発することなく見守ってきた夫人の、制止。


「それ以上をしてしまうと、正当性が減殺げんさいされます。あなたが与えることのできる罰の限度が、下がってしまいますよ?」


 そう言って、薄く笑ってみせるナリクァン夫人に、俺の方こそ背筋が寒くなる思いになる。少なくとも、今の一言は俺に冷静さを取り戻させてくれた。

 対してシュラウトの方は、そう受け取らなかったらしい。目を見開き、動揺するそぶりを見せた。


『な、なあ! 好きにしていいって、こ、この子のカラダ、触っても……』

『好きにしなよ。どうせケダモノだ、子供だって簡単にはできないさ』


 そして少年たちの歓声と、のばされる手と、悲痛なリノの悲鳴。


 食い入るように――歯を食いしばるようにして映像を見つめるダムハイト院長。コイシュナさんは、顔を覆って見ようとしない。彼女には刺激が強すぎたか。


 ナリクァンさんは俺を制止した瞬間以外、無感動な目で、しかしシュラウトたちから目を離さない。どんな胸の内で、女の敵と化した少年たちの所業を、体感していたのだろうか。


 いくら少年たちがうわべを取り繕おうと、そんなつもりはなかったなどと虚言をろうしようと、リノに投げかけた言葉と行動が全てだ。そしてそれを証明するのが、この上なく鮮明に映し出される、映像と音声。


 俺はイズニアに合図を送った。映像と音声が途絶える。

 部屋は、しんと静まり返っていた。


「……このあとは私が扉を蹴破り、突入する場面に繋がります。ですが、もう見る必要はないでしょう。俺が突然、吠え狂うように地下室の扉を蹴破った理由も、察していただけたかと」


 あの時、俺の背後にいたのはリファルとダムハイト院長。リファルは万が一の時のストッパー、そして院長は実際に目で確かめてもらうため。

 ことここに至って、少年たちは、もはや言い逃れの出来ない状況にあると悟ったようだった。ほとんどの連中が、神妙な顔をしてうなだれている。ここで言い逃れなど試みようものなら心証をさらに悪くする、ということくらいは理解できたらしい。


 俺の言葉に、院長は苦悶の表情を浮かべつつ、うなずいた。ずっと顔を手で覆っていたコイシュナさんも、同様に。


「ただ、これだけはご理解ください」


 俺は、自分自身を落ち着かせる意味も含めて、深呼吸をする。


「私は、自分たちの犯した罪を認め、それを償うために努力しようとする人間に重い罰を望むようなことは致しません。人間である以上、欲望に負け、人の道を逸脱してしまうことも、時にはあるでしょう」


 ――初めてリトリィを抱いた夜を思い出す。

 彼女との仲は終わりだ――勝手にそう思い込み、自暴自棄になり、夜の街をさまよって、そこに現れた彼女を、傷つけることでその愛を試す――そんな身勝手な甘えで乱暴した、あの夜。

 けれど、リトリィは赦してくれた。傷つけることで彼女の愛を、その深さを確かめようとした、俺の身勝手さを、愚かな未熟さを。


「正直に言うと、私はこの少年たちを許す気にはなれません。リノは私と人生を共にしてゆく、大切な女性だ」


 リノがハッとしたように背筋を伸ばして俺を見上げる。それに気づいて、俺は一度、言葉を切った。彼女の頭を撫で、そして、肩を抱き寄せて続ける。


「その彼女を傷つけ、弄び、あまつさえ『ケダモノ』と侮辱するなどして、心まで踏みにじった。そのことを私は許せないし、赦さない。反省もできぬような、人の心を手放した獣心じゅうしんの持ち主には、私は容赦しない」


 ……あえて、獣心ケダモノと言ってやる。

 何を以って人とケダモノを分けるか――人も獣人も、手を取り合って社会生活を営むことができる以上、人倫にもとる行為ができてしまうかどうかだろう。


 少年たちの目が泳ぐ。


 はっきり言ってしまえば、こんな奴らを赦したくはない。

 これから少年たちに提案することは、はっきり言って俺の自己満足であり、ただの偽善だ。


 だが……いや、だからこそ――


「だからこそ、もう一度言う。私は君たちから、愛する者の未来を奪い返すことに成功した。だから、君たちがやったことを俺は決して赦さないが、君たちにもひとの心を取り戻す機会を与えようと思う」


 この期に及んでも、運が悪かったと不満げな顔をしているミュールマンと、うつむき歯を食いしばっているシュラウト。


 ――貴様ら、そのままでいる限りは絶対に赦さないからな。

 絶対にその性根、叩き直してやる!




 ダムハイトさんは、少年たちに一度振り返る時間を与えてほしい、と言ったが、俺は拒絶した。こういう奴らはどうせ考える時間を与えられたところで、ろくでもない言い逃れを思いつく時間にするだけだ。

 この場にナリクァン夫人にいてもらっているのは、伊達じゃない。


「わたくしもね? ずいぶん昔のことになりますけれども、一応は女の子でしたもので、少しは理解できるつもりなの。この子が味わった恥辱、屈辱――その辛さと絶望を」


 にっこりと微笑むナリクァンさんだが、その笑顔は、裏を知っている俺にはどこまでも恐ろしく見える。実際、少年たちの中にはあからさまにおびえた様子を見せた者もいた。……ああ、その反応。正しい。


「――その意味、分かるかしら?」


 ええ分かりますともダムハイトさん! その噴き出しまくる額の汗の意味!

 そしてそれを見て、恐ろしい相手を今、目の前にしているのだということに、ようやく気付き始めたらしい少年たち。

 いや遅いから。ナリクァン夫人の背後に立つ黒服の男たちを不審がる前に、本当はその雇用主こそ恐れるべきだったんだよ君たちは。


「わ、分かります、分かりますが、しかし――」

「わたくしはね? 議論をしに来たのではありませんの。心情的には、そこの少々頼りない大工さん寄り――というか同じだと言ったら、お分かりかしら?」


 全員の視線が、ざっと俺に集中する。いやナリクァンさん! そこで俺を引き合いに出さないでくださいよ! ていうかみんな、俺に対する評価が「頼りない大工」で一致してたんだな!


「つ、つまり、私どもに、子供たちへひととしての生き方の道を示せと――」

「その、求めるところの曖昧な点が、頼りない大工さんの頼りない所以ゆえんですけれどね」


 そう言って、ナリクァンさんは微笑んでみせた。


「わたくしは、そのような曖昧な口約束など欲しくありません。わたくしが欲しいのは契約です」

「……契約、ですか?」


 ダムハイト院長が、ごくりとつばを飲み込むのが分かる。

 ああ、分かる。

 この街で大きなチカラをもつナリクァン商会の、その元会長が示す契約の重み。

 その重みを理解していれば、おいそれと「はい」なんて言えないということが。


 ナリクァン夫人は居並ぶ少年たちを一人一人、笑顔を貼り付けたまま見やった。


「――そう、契約。この孤児院を出るその日まで、あなたたちがどのような人間になるために、どのような行動をするか。あなたたちが、自分自身に科す、契約です」


 そして、ナリクァン夫人が提示したことは、五つ。


 ・自分で汗を流せ、人の成果物を奪うな。

 ・相手から同意が得られないことをするな。

 ・詭弁を弄して相手の同意を得たことにするな。

 ・自身が生きる糧となるすべを身に着ける努力を続けよ。

 ・ナリクァン商会の発展のために努力を続けた者には、達成度に応じて独立時に支度金を贈与する。ただし、先の条件をすべて満たした者に限る。


「以上の五つの条件を守る生き方を、具体的にあなた方がどのように実践するか、今ここで考えなさい」 


 少年たちの頭に、はてなマークが大量に浮かんでいるのが分かる。

 まあ、おそらく彼らは「契約:女性をはずかしめるな」「契約を破ったら○○の刑」みたいなことを思い描いていたのだろう。

 ところが刑罰が示されず、それどころか報酬すら示されたのだ。混乱するのも無理はない。


 だが、最後の条件を除く四つの条件を考えたのは、俺だった。


『なぜこのような条件を? お話にあったような性行不良の少年たちなど、厳罰を以って処すべきではないのですか? あなたには、将来、自分の花嫁にすると決めている女性を傷つけられた怒りはないのですか』


 俺が提案したとき、ナリクァン夫人は首を傾げた。


 もちろん怒りはある。それこそ一人ひとり、リノの体をまさぐった指を金槌で一本ずつ叩き潰してから簀巻きにし、川に叩き込んでやりたいと思うくらいには。


 けれど、夏には俺も子供を授かるんだ。それも、二人も。

 だからこそ思うのだ、こいつらは、強いて言うなら「子育てに失敗した場合の、あり得る未来」だと。


 未来や理想の実現に向けて、目標を持ち研鑽する意味。

 自他の尊厳を尊重し、どちらも守ろうとする意味。

 これらを理解し、ひととして「誇り高く生きる」モデルを、彼らは見失っているのではないだろうか。


 もちろん、建前としては理解しているのだろう。宗教施設としての孤児院に生きる彼らが、それらを学ぶ機会がなかったはずがない。

 ただ、劣悪な環境で生きるうちに、お題目を唱えるばかりで腹が膨れず満足感の少ない生き方よりも、ミュールマンのように、今ある欲望を手っ取り早く満たせる生き方を選択してしまうようになったのだろう。


『だからこそ、悪いことは悪いと、体に覚え込ませねばならないのでなくて?』


 納得のいかない様子のナリクァン夫人に、俺は言ったのだ。

 罰を与えるばかりでは、その罰を巧妙に回避することだけを考える人間になってしまうのではないだろうか。それこそ、シュラウトのように。


 そして、他者から奪うことを自ら立案・実行できるほど倫理観が無いわけでもなく、かといって罰を回避するための立ち回りを考えるだけの狡猾さも持ち合わせず、未来へのビジョンも無く、未来を切り拓く技術も磨かなかった人間は、ミュールマンやシュラウトのような人間からおこぼれを得ることだけを考える、主体性のない人間になってしまうのではないか。


『だから、先の四カ条・・・――ですか? ご自身の子を産ませるために世話している娘を、横取りしようとした連中ですよ? そのようなおぞましい輩に、生きるすべを、未来を与えようというのですか?』


 あきれた様子のナリクァン夫人に、俺は苦笑するしかなかった。

 ナリクァン夫人のリノに対する認識も相当なものだが、少年たちへの処遇についての提案も、俺の手前勝手なエゴだ。


 夏には生まれてくる我が子を抱くための、この腕。

 それを、自己満足でいいから誇れるものにしておきたい、キレイなものにしておきたい――すべての未来への祝福を宿しておきたいという、自己満足の偽善的な願望剥き出しのエゴだ。


『――それが自己満足で、偽善的……ですって? あなたというひとは、本当に、どうしようもないお人好しですわね』

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