第509話:えぐり出された真実を前に
「俺は今、大切な身内を守るために必死なんだよ。そんなことでごまかされると思うなよ?」
シュラウトの目が一瞬泳ぐのを、俺は見逃さなかった。
ナリクァンさんから、瀧井さんから、冒険者たちから――俺は学んできたつもりだ。まさか自分がなんとかしたい、救いたいと思ったはずの子供たちの中に、こんな悪魔みたいな奴がいるとは思わなかったけどな。
「ごまかす? そちらこそ、突然僕たちが平和に暮らすこの『恩寵の家』にやってきて、危険な場所で働かせようとしたり、家の屋根に穴をあけたり、あまつさえ人目のある屋外で女の子を裸にして体を撫でまわしたり! やりたい放題じゃないですか! 僕たちがいつ、そんなことを望んだと言うんですか!」
「なるほど。
俺が小さく笑ってみせると、俺が手を握っているはずのリノの手が、俺の手を握り返してきた。リノの方を見ると、首を小さく、横に振っている。
――ああ、リノ。心配させたんだな。
大丈夫。分かっている。
もう一度、そっと握り返すと、リノはほんの少しだけ笑みを浮かべ、そしてうつむいた。
「だからなんだ? 俺はこの孤児院をよりよい環境にしたいと願ってやって来た。万が一、それがたとえお前たちの意に沿わなかったとして――」
俺は、握りしめた拳を、テーブルに叩きつける!
「『恩寵の家』――
ダムハイト院長が、コイシュナさんが、はっと顔を上げる。
シュラウトは気圧されたようにややのけぞったが、まっすぐ見つめ返してきた。
「……今度は脅迫ですか? 僕がリノさんに、何をしたというんですか?」
「あくまで白を切る気か?」
「白を切る? 僕は監督さんの指揮のまずさで虫に刺された彼女に薬を渡しただけですよ? 前にも言った通り、僕が塗るわけにもいきませんからね?」
「薬を渡し、彼女自身に塗らせただけ――だと?」
「ええ。多少、『手伝い』はしましたが、それだけですよ?」
不敵な笑みを見せるシュラウトに、俺は吐き気を覚える。
いったいこいつに、こんな精神性を植え付けた輩は誰なんだ。
平然と、嘘ではないが都合よく捻じ曲げた「事実」を堂々と語れるメンタルを植え付けた輩は。
「そうか。あくまで薬を渡し、薬を塗る手伝いをしただけだと言い張るんだな?」
「それが事実ですから」
なるほど、こんな奴がいたら、同世代の人間は飲まれるだろうな。
俺だって、何の準備もなければ飲まれそうだ。
――以前までの、俺なら。
「……リノ、言えるか?」
びくりと、リノの肩が震える。
――やはり、厳しいか。
俺を見上げるリノ。その手を握る手に、俺は力を込めた。
「辛いならいいんだ。言いづらいなら別の手立てを使う。だから――」
「――ボク、言える。自分で」
リノは大きく息を吸うと、テーブルのほうに目を落としつつも、シュラウトに向き直った。
「ボクは……そこのひとたちに、体、触られました。お姉ちゃんたちから、そこは女の子の大事なところだから、大人になるまで、だれにも触らせちゃいけないって、言われたところを」
ナリクァンさんの屋敷で、彼女から聞いたことを、もう一度聞かされる。
リノにしてみれば、その時の屈辱を、辛い思いを、俺だけでなく加害者、関係者にまで聞かせるのは、本当に苦しかっただろう。
何度もつかえ、時に涙をこぼし、時に過呼吸を起こして苦しみながら、けれど彼女は、自身の身に降りかかったおぞましい出来事を、言い切った。
大柄な少年――ミュールマンとその取り巻きに馴れ馴れしく話しかけられ、困っていた時に、俺が自分を置いて出て行ってしまったこと。
いい薬があると言われ、手を引っ張られ、けれど「喧嘩をするな」と言い含められていたため、強く拒絶できなかったこと。
そう。
俺の言葉は、まさにリノを縛り付けたのだ。
リノは、本来ならそんな手など簡単に振り払えたし、何なら蹴り飛ばして逃げることだってできた。俺を躊躇なく蹴倒したことのあるリノだ。それよりも小柄な少年たちなど、訳なかったに違いない。
だが、『喧嘩をするな』という俺の言葉は、リノを呪いのように縛ったのだ。
『毒虫に刺されたんだろ? オレが見てやるよ』
ミュールマンに引っ張り込まれた薄暗い倉庫の中で、スカートをまくるように言われて、思わず彼の胸を蹴り飛ばしてしまったリノ。
しかし体格差のせいか、大したダメージを与えられなかったこと、そして俺の「喧嘩をするな」という言葉のせいで、彼女は逆上したミュールマンに羽交い絞めにされても、それ以上、どうすることもできなくなってしまっていた。
そこに現れたのがシュラウトだった。
『読書の邪魔だよ。まったく、また頭の悪いことを考える……』
リノは一瞬、助かったと思ったそうだが、彼は殺気立つミュールマンたちを見回し、恐れることなくリノのそばに歩いてくると、薄ら笑いを浮かべたのだという。
『いい薬があるから、何とかしてやろうと思っただけなのに。喧嘩はダメだって、監督さんに言われていなかったかい? 監督さん、なんて言うかなあ?』
それからのリノは、もう、何も言えなかった。
――こいつらは本当に君のことを思ってこうしているんだよ。
――その毒虫に刺された醜い体、いつまでも治らなきゃ監督さんはどう思うかな?
――いい薬があるんだよ。もちろん、使うかどうかは君次第だ。高いけどね?
――この院でだけ作れる、特別な薬なんだ。どうしても欲しければ……
――じゃあ、自分で塗りなよ。僕たちが触るわけにはいかないだろう?
――服なんて薬を塗る邪魔だし、一枚しか着ていないのは知っている。脱ぎなよ。
『虫刺されによく効くんだよ。多めにつけて、よく塗りこむんだ。何度もこするようにね』
その薬を塗っても、虫に噛まれたところの痛みは大して和らぐことはなかったが、塗った場所はじわじわと火照ってきたという。俺があの夜、リノからもらって試しに自分の手の甲に塗ってみた、あの感じだろう。ただ、敏感な部位ほど、塗ったところが熱く火照ったそうだ。
「みんな、じっとボクの裸を見てた。……目の向きで、ボクの、どこ見てるか、分かるの。すごい目で」
『薬を塗ってるだけなのに、君はなぜ、そんなにも体をくねらせているんだい?』
「……だからかな? ボク、そのとき、初めて、裸を見られるって、恥ずかしいって思ったの。だからやめたかったけど、そしたら、もっとすりこむんだって。醜いままでいいのかって」
そして、ミュールマンが鼻息荒く手を出そうとするのを、一度は制止したシュラウト。だが、薬を塗るために胸の上を滑らせていたリノの指に、自身の指を重ねると、その胸の尖端をひねり上げたのだ。
初めての感覚――強い痛みと同時に、体の奥がうずくような、立っていられないほどの衝撃を感じて、リノは思わず声を上げてへたり込んでしまったらしい。
『フン、薬の塗り付けを手伝っただけなのに。所詮ケダモノ、生まれつきの淫売め』
それがなぜ自分に向けられるのか分からなかったが、言い返せなかったという。
そのあとの話は、おぞましくて記憶にも残したくない。だが、リノはその記憶を、すでに体に刻み込まれてしまった。リノの胸のあざは、まさに少年たちの手で刻み込まれたものだったのだ。
俺が
「……リノ、もういい。よく、話してくれたな」
大柄な少年――ミュールマンがふんぞり返ったまま、ふてくされたようにしている以外、ほとんどの少年たちは落ち着かない様子で、動揺が隠せないようだ。
そして、リノが話している途中、何度も「そんなつもりではない」「それは誤解ですね」と話を遮ろうとしたシュラウトは、無表情にこちらをじっと見つめている。
「……さて、彼女は忌まわしい記憶と向き合い、話してくれました。こちらとしては誠意ある対応を望みますが、申し開きは?」
ダムハイト院長は、ただ汗を拭き、眼鏡を何度も押し上げ続けるのみだった。
コイシュナさんは、うつむいで微動だにしない。
「私はね、あなた方を裁いてこの孤児院をどうにかしたいとか、賠償を要求しようとか、そういうつもりはないんですよ」
院長が、ハッとこちらを見上げる。俺はあえて無表情のまま、子供たちに目を向けた。
「――ただ、私の身内を傷つけ、それに対して反省もしていないこの子供たちに、あなた方のような神に仕える人間が、いかに『ひととしての道』を叩き込んでくださるか、それを知りたいだけなのです」
ダムハイト院長は、安堵したように胸をなでおろす。
――しかし。
「……待ってくださいよ。僕は散々言いましたよね? こちらの意図していないことや彼女の誤解があるって。それなのに、彼女の言い分だけを事実として肯定するんですか?」
シュラウトだった。彼はまっすぐ俺を見据えるようにして、口早に言った。
「こんなの、詐欺じゃないですか。答えは最初から決まっていて、僕たちはただ、あなた方の言いなりだなんて」
「彼女の証言では不十分だとでも言うのか? お前たちの言い分は、すでに――」
「まさか、あんな恥知らずな真似をさせるとは思いませんでしたからね。女に証言させるなんて!」
「お前が彼女に話をさせろと――」
「そんなもの――」
シュラウトは、せせら笑ったのだ。
リノの、必死の訴えを。
「それこそ、彼女の思い込みじゃないですか。僕は何度も言うように、彼女のことを考えて、薬を渡して塗る手伝いをしただけですよ? それを、彼女に乱暴を働いたみたいなとらえられ方をされるなんて。僕が訴えたいくらいですよ」
ああ。
その小賢しい妄言を垂れ流す口――その顎の骨を、流動食しか食えないほどに粉砕してやるという自然的欲求を、かろうじて抑え切った自分を褒めてやりたい。
「……だそうですよ、ナリクァン夫人」
俺はもう少しで震えそうになる声を抑えながら、俺は夫人に振り返った。
夫人は耳の飾りを外しながら首を振る。
「リノ。今度こそ、席を外してもいいからな?」
俺の問いかけに、リノは、首を振った。
……本当はここまでやりたくなかった。リノの受けた恥辱を、再現するなんて。
だが、認めないなら仕方がない。
「じゃあ、決定的な証拠とやらを見せてやるよ。イズニアさん、よろしくお願いします」
切り札として応援を頼んだイズニアは、以前、リトリィを貴族に奪われたときに見つけてくれた、「探知の法術」を得意とする冒険者だ。彼女の法術は、リトリィを探し出すだけでなく、宝珠に記録した情報をナリクァン夫人に見てもらい、助力を頼むための切り札の一つにもなった。
イズニアが取り出した、魔法陣のようなものが描かれた布と、その中央に置かれた宝珠。周りに並べられてゆく色とりどりの宝石。
「『探知の法術』を起動します。ただ、今から行うのは探知ではないんですけど」
イズニアは、手に握った青く光る宝石のようなもの――
この
そして、ここからが重要なのだ。
「遠耳の耳飾り」と「探知の法術」の類似性から、俺が思いついたこと。
それは、「遠耳の耳飾り」と「探知の法術」の情報を共有させることだ。
「遠耳の耳飾り」は、発信器側のひとの五感を受信器側のひとにリンクさせ、送信側とは声だけをリンクするというもので、相互の位置特定はできない。
「探知の法術」は、まず相手の情報(体毛など)を手掛かりにして相互に五感をリンクさせ、その情報の発信源を探ってゆくという方法。
つまり「遠耳の耳飾り」は、「探知の法術」の機能限定版、とみなすことができるのだ。
「遠耳の耳飾り」は、ペアの
だったら、「遠耳の耳飾り」のデータ通信に割り込みをかけて、情報を共有できないかと考えたのだ。
「情報を、共有……?」
「ムラタさんが思いついたことです。よくわかりませんが、できてしまいました。法術師でもないのに、どこからそんな発想が出てきたのかが分からないのですが」
ナリクァン夫人が興味深げな顔をし、イズニアが納得しかねると言った顔で答える。俺だってただの思い付きだ。実現したのはイズニアなんだし、俺が詳しく知るわけがない。
だが、まさに結果オーライ。元が同質の術だからだろうか、少し術式をいじるだけで、俺の「遠耳の耳飾り」は「探知の術式」を介して、宝珠に情報を記録しつつ、イズニアと情報を共有できるようになった。さらに、ナリクァン夫人の受信器にも情報を転送することができた。
つまりリノが体感したことを、俺も、イズニアも、そしてナリクァンさんも、ずっと共有していたのだ。
さらに言うと、俺とリノの抜群の相性のおかげで、実に高精細な映像&高品質なステレオ音声&高感度な感触で。
あの時の、少年たちによるおぞましい行為――肌を這い回る指の感触、男性には無い器官を指でえぐられる感触が伝わってきたことを思い出し、俺は胸が悪くなる。
ただ、宝珠に転送される映像を見ていたイズニアも相当不快ではあっただろうが、「遠耳の耳飾り」の受信器を着けて感覚を共有していたナリクァン夫人は、同性だけあって、もっと不快だっただろう。
そして、その時の記録が――これだ。
薄暗い空間に投射される、リノの目を通した世界。
暗い地下室、頼りない蝋燭に照らされた部屋の中。
下劣な欲望にまみれた、少年たちの、顔、顔、顔。
『君が
リノの目からみた、シュラウト。
髪をつかみ、リノの顔を持ち上げたシュラウトは、ろうそくの明かりでテラテラと光る、濡れた人差し指と中指を見せる。
伸ばした二本の指をハサミのように何度も開閉し、
指のぬめりが音を立てて糸を引く様子を見せつけ、
においをかいで顔をしかめて、
リノに「淫売め」と言い放つ、
その醜悪な顔。
どうして俺はこの腹立たしい顔に、もっと拳を叩きこまなかったんだと、自分自身に腹が立ってくる。
「ず、ずっと覗き見をしていたっていうのか⁉」
「そうだな。ずっと見ていたぞ、お前らがリノに言ったこと、やったこと、全て」
「ひ、ひ、卑怯だぞ!」
震える声で叫んだシュラウトを、俺はぎろりとねめつける。
「卑怯、だと……?」
「だってそうじゃないか! ぼ、僕が言った通りだ! わざとアイツを僕たちによこして、僕たちがやることをずっと覗いていたなんて! アイツが嫌がってたの、知っていたくせに! これだから大人って――」
立ち上がって絶叫するシュラウトの胸倉を、テーブル越しに掴み上げた。
「卑怯者に卑怯なんて言われるのは心外だな。よく見ろ、これが貴様のやったことだ。いい面構えじゃないか、実に卑怯者らしくて」
「ぼ、僕は卑怯者じゃない! 卑怯者はそっちで――」
ああ――この卑怯者は、この期に及んで下らない詐弁に終始しようというのか。
だがえぐり出された真実を前に、お前の
「リノが嫌がっていると理解していながら、自分たちに都合のいい理由をつけて卑劣なことをした、お前らに決まっているだろうが‼」
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