第508話:大切な身内を守るために

「な……殴ったな! 子供に暴力を振るったな!」

「だったらお前は、何をした! 自分より年下の少女に、何をした‼」


 俺はしりもちをついているシュラウトの襟元をつかむと、引き寄せ、立ち上がらせた。この期に及んで、奴はぶんぶんと首を横に振る。


「な、なにも……して、ない……本当に!」

「本当に何もしていない――そう言うんだな?」


 シュラウトは、震えながら、リノを指差した。


「き、聞いてみれば、いいじゃないか……! そこの子に……! 喧嘩は、よくない、よねえ……?」


 奴がリノに向けたひきつった笑みを向ける。背後から、リノの「ひぅっ――」という、小さな悲鳴のような声が聞こえた。


「……あの子に、直接、問えというのか?」


 俺は、あえて怒りを抑えながら吐き出した。


「自分がされたこと――それをあの子に、直接、言わせるというのか?」

「ほ、本人が、一番……分かってる、はずでしょう……?」


 歯の根の合わない少年は、しかし、それでもいびつな笑みを浮かべてみせる。

 自分が好きな相手に、自分が受けた恥辱の話など、羞恥心に邪魔されて言えないだろうとでも思っているのだろうか。


「――あの子はな? 耐えたんだよ。お前と違ってな」

「な……なに、を……?」

「俺に嫌われるかもしれない――お前が……植え付けた『呪い』による恐怖に、耐えたんだよ……!」

「い、言ってる意味が、わからないね? 監督サン、頭、大丈夫ですかぁ……?」


 自分の怒りが、自分でも止めようがないほど激しく荒れ狂った瞬間だった。

 大切なものを護るためでも己の身を守るためでもない、まさに暴力だった。

 

 無論、奴の狙いはこれ――被害者の称号だったのだろう。

 だがそれを分かっていても、もはや俺は止まらなかった。


 床に叩きつけたシュラウトの首に、両手がかかっていた。

 そのまま締め上げていれば、俺は間違いなく殺していた。

 飛び出したリファルに、羽交い絞めにされていなければ。


 そこまで計算していたとすれば、奴は正真正銘の魔物だ。




 相変わらずカビ臭い孤児院の応接室で、俺とリファル、そしてリノは、三人でそろって人を待っていた。


「まったく、てめぇは自制ってもんができねえのか」

「……すまない」


 十四、五になる少年を、ああもやすやすと引き倒してしまえるなんて、いつの間に俺の体はそんなにも鍛えられていたのだろう。自分でも驚いた。


「驚いた、じゃねえよ。毎日百尺(約三十メートル)の塔を上り下りしてたんだぞ? いくらお前がヒョロガリだったって、さすがにそれなりになるに決まってんだろ」


 リファルに頭を小突かれる。そういうものなのだろうか。


「そんなことよりもだ。これからどうするんだ? 孤児院の改修とか、そんな話、いっぺんに吹き飛んじまいそうなことになっちまったじゃねえか」


 俺にしなだれかかり、髪を撫でられながらしっぽをゆらし、気持ちよさそうに喉を鳴らしているリノを見ながら、リファルが言いにくそうに言った。


「……分からない。でも――」


 言いかけたところで、ドアがノックされて開いた。

 コイシュナさんだった。

 リノを隣に座らせたところで、ぞろぞろと人が入ってくる。


 院長――ダムハイト氏。

 あの場にいた少年たち。

 別室で待機していた、俺が協力を要請した冒険者のイズニアさん。


 そして――


「わたくしは、あくまでも今後のお話を進めるために確認に参っただけですので。今から行われるお話し合いについては、基本的に参加致しません。壁を飾る花程度と思っていただければよろしくてよ?」


 まさかの、ナリクァン夫人と黒服たち。

 少年たちは、その無表情な黒服たちが気になるようだ。

 たしかに体格もでかくて厚みがあって顔も凄みがあって怖いが、恐れる対象は違うぞ少年たちよ。本当に恐ろしいのは――


 最後に入ってきたコイシュナさんが扉を閉めると、さっそくナリクァン夫人が口を開いた。


「では、まずはどなたか、お話を進めてくださるかしら? わたくしといたしましては、早くそちらの話を済ませていただいて、商談に入りたいのですけれど」


 夫人は、二重の円に複雑な透かし彫りと宝石がちりばめられた、不自然なほど大きな耳飾りに触れながら、淡々と言った。


 その瞬間、ミュールマンの顔があからさまに安堵の色を浮かべたこと、俺は見ていたからな? シュラウトは相変わらず顔色に変化がない。顔が二つある、とは、リファルもよく言ったものだ。


「……では、まず……。私としましては、その……当院のシュラウト君は、大変優秀な子供でして。彼が……ムラタ様のおっしゃる、その……非道なおこないをしたというのは、誠にその……。子供を信じる私の立場としてはですね……」


 なんとも歯切れの悪い言い方をするダムハイト院長。身内を守るために言葉を選んでいるのか、それとも理解をしていないのか。果たしてどちらなのだろう。


「つまり院長は、先ほどの騒動を、私とこの少女が結託した狂言であるとおっしゃるのですね?」

「そ、そういうわけでは――」

「では、何だととらえておいでなのですか?」


 院長は、暑くもないはずなのに汗を拭きながら、盛んに眼鏡を動かす。

 

「で、ですから、シュラウト君が、というのは、私といたしましては、にわかには信じがたい話でして……」

「なるほど、もっと別の少年たちが引き起こしたことで、シュラウト君は全くの無関係だったと? あの場にいたのに、ですか?」

「ま、全くとは申しませんが、しかし……」

「なるほど、では本人に聞いてみましょうか」

「本人、ですか?」

「ええ。そこに雁首並べている加害者たちにですよ。公平でしょう?」




 少年たちは認めなかった。まあ、そういう答えが返ってくるのは分かりきっていることだったが。

 正確には、大柄な少年のミュールマンが、知らない、自分はたまたまそこにいただけだと言い張ったのだ。一緒にいた連中も、偶然一緒に集まっていただけだと。

 すると残りの連中も、同じような主張をはじめ、結局全員が、「偶然そこにいただけで、自分は何もしていない」と言い張ったのだ。

 たまたまであんなに地下室に集まるものか。


「僕ですか? 僕は彼らに呼ばれたからいただけです。リノさんがいたかどうか、そんなことは関係ありません。第一、僕は部屋から出ようとしていたんですよ? 監督さんが蹴り破ったドアで、僕がどこを怪我してしまったか、よくご存じでしょう?」


 シュラウトは自分の鼻と額を示してみせる。


「皆さんも見ていた通り、僕は、突然入ってきた大人に暴力を振るわれたんです!」


 シュラウトは、頬や喉元を指差しながら、いかにも哀れっぽい声で訴えた。


「それに、監督さんは僕たちがリノさんに酷いことをしていた、とおっしゃいましたよね? それって――」


 シュラウトの口の端が一瞬、いびつな笑みを浮かべた。


「――それって、リノさんが酷い目に遭うことが分かっていたというのに、放っておいた……つまり、彼女が酷い目に遭うように仕向けて、実際にそうなるまで待っていたってことですよね? それって酷くないですか?」

「……ナニ?」


 リファルの眉がぴくりと動く。シュラウトは、首を振りながら続けた。


「だって、そうでしょう? 酷い目に遭わされるまで待ってから、いかにも助けに来ましたってことですからね。もしそんな状況だったのなら、リノさんも、監督さんのことを神様が遣わした騎士様みたいに思うでしょうね?」


 そして、シュラウトはニイッと笑ってみせた。


「でもそれって本当に、リノさんのことを思った行動だって言えるんですか? それって監督さんが、僕たちを利用してリノさんを自分のものにするための狂言だったという方が、自然じゃないですか?」

「てめぇ……!」


 立ち上がりかけたリファルに、シュラウトは一瞬のけぞりつつ、しかし落ち着いて答える。


「ほら、腹が立つでしょう? つまりそういうことです。リノさんが酷い目に遭ったなんて、ありえないんですよ。冷静に考えてみてください。父親が誰かも分からない子供を産むような目に遭わされた女の子なんて、欲しいと思う人がいますか?」


 ――ね? シュラウトがリノに微笑みかける。

 リノの肩がびくりと震えた。


「だからリノさんも、正直に言ってください。僕たちに酷いことなんて、されていませんよね?」


 リノは震えたまま、答えなかった。かろうじて何かを言おうとしたとき、シュラウトにもう一度促されて、ますます身を縮めてしまった。


「……ほら。なにか事実があれば、言えるでしょう? 言えないということは、つまりそういうことですよね?」


 リノが、目の縁にじんわりと雫を溜めて俺を見上げる。

 ……分かっている。

 俺は全て、分かっているから。

 その手をそっと握ってやると、リノは少しだけ表情を緩めて、うつむいた。


「ときにダムハイト院長先生。シュラウト君は、いつも、こんな感じなのですか?」

「こんな感じ……とは?」


 院長は、意図を計りかねると言った様子で、眼鏡を押し上げた。


「ええ。相手の言葉が終わるか終わらないのうちに、次々に話しかける話し方ですよ。きっと彼は優秀で、頭の回転が速いんでしょうね」

「……そう、ですね。彼はそういうところがありますね」


 院長はシュラウトの方をみて、微笑みを浮かべた。

 シュラウトの顔が、わずかに歪む。

 俺は、そんな二人に微笑みかけた。


「そうやって、気の弱い相手の口を封じてきたんですね」


 二人が同時にこちらを向く。


「い、いや、それは――」

「それは僕がリノさんの口を封じていると、そう言いたいんですか?」


 いやはや頭の回転が速くて助かるよ、シュラウト。

 その憎々しげな眼差しは、青さがにじみ出て惜しいとは思うが。


「おや、それ以外のどんな意味を込めたと思ったんですか、シュラウト君?」

「とんでもない誤解ですね。僕はそんなこと、考えてもいないというのに」

「そうだね、気持ちというのは覗くようなことはできないものですし――」

「だったら、僕がリノさんの口を封じているなんて、どうして分かるんです? それこそ、あなたの思い込みでしょう」


 挑発的な物言いに、彼の感情の高ぶりが見て取れる。前のめりになって、早口で。 

 

「――気持ちというのは覗くことはできないものですが、推し量ることはできるんですよ。君の言葉、仕草からね?」

「推し量る? そんな不確定なことで、僕をおとしめようと言うんですか? 酷い話ですよ、それが大人のやり方ってヤツですか」

「それだよ、それ」


 俺は、あえて穏やかに笑ってみせた。


「今言ったそれ――『それが大人のやり方ってヤツですか』。そんなことを言われると、気の弱い人は自分のやり方、その正当性に疑問を持ってしまうだろうね?」


 シュラウトは一瞬目を見開き、そして険しい目で、さらに早口でまくし立てた。


「事実じゃないですか。何が間違っているんですか? 僕はずっと事実を語っていますし、なにも相手に不利になるようなことはしていません。僕が相手の口を封じるって、それってあなたの感想――思い込みですよね?」

「事実――ね? 確かに嘘は言っていないかもしれない。こんな会話術をどこで覚えたのか、そっちにも興味があるけれど――」


 テーブルの下でリノの手を握る手に力を籠めると、俺は穏やかさを捨てた。


「俺は今、大切な身内を守るために必死なんだよ。そんなことでごまかされると思うなよ?」

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