第507話:少女の涙と怒りの拳(3/3)

「……リファル、どう思う?」

「オレはムラタにこそ聞きてえな。オレはヤツのことが気に食わねえ。なんだあれ、顔が二つあるみてえな」


 ナリクァン夫人の家への道中。

 俺のことをニセ大工と呼んで喧嘩を吹っ掛けてきたリファルだ、いっそ実に清々しい人物評に、俺は笑うしかなかった。


 言葉は丁寧で、整然とした物言いをする少年、シュラウト。

 言葉はどもりがちだが、行方不明のリノを探すために昨日も、そして今日もいの一番に走り出してくれたリヒテル。


「リノちゃんは、シュラウトとリヒテル、どっちが好きだ?」


 くだらないことを聞くなよ――そう言った俺に、リファルは「だって気になるだろ? こういうのは子供の方が素直に答えてくれるもんだぜ」と笑う。


 果たしてリノは、答えなかった。

 答えなかったが、途端に足が止まってしまった。


「……リノ?」


 ぶるぶると震え、うつむき、きゅっと唇をかみしめて。


「……リノ、どうした。――なにか嫌なことがあったんだな?」


 するとリノは弾かれたように顔を上げ、必死の形相で首を横に振った。振り続けた。




 リノは結局、何も話してくれなかった。ただ、リファルの問いかけが、彼女に何かしらの恐怖をもたらしたのは理解できた。


『話しだすまで待って、話を聞いてあげてください』


 リトリィの言葉が、頭の中をこだまする。

 ごめん、リトリィ。

 俺、全然、リノの話を聞くことができていない。


 俺、結局はリノに、信用されていないみたいなんだ……。




「……話はわかりました。あの孤児院の屋根には、かなり大掛かりな修繕が必要なのですね?」


 ナリクァン夫人は、俺たちが遅れたことを一切咎めず、すぐに時間を作ってくれた。そして、じつにあっけなく、俺たちの話を聞き入れてくれた。


「貴方が、三人の孤児を引き取って養っている話は聞いておりますからね。それも、じつにのびのびと、健やかに育っているという話ではありませんか」


 少々、いえ、実の親子以上にが近すぎるようですが――鋭い目で俺を見つめる。あ、多分その情報、いつも挨拶をしているじーさんからだろうな。ナリクァンさんの情報網って、本当にすごいんだな。


「ま、よろしいでしょう。今日も連れていたあの女の子も、あなたの責任において、いずれはと宣言されているようですし」

「……それは、どこからの情報ですか?」

「あら。あなたのお仲間さんからですわよ?」


 含み笑いをしてみせる。

 ……ああ、そうだった。

 いつだったか、大工仲間に盛大に聞かれてたんだよな。将来、俺がリノを妻に迎えるって話。


「その話はまた今度に致しましょうか。それよりも、彼女のお話を伺うことについてですけれど――」


 そのときだった。


 部屋のドアがノックされる。

 一人の黒服の男が入ってくると、ナリクァンさんのそばにやってきた。夫人が許可をすると、そっと耳打ちをする。


 ……いつものことだが、聞こえない。翻訳首輪は、半径五メートル程度なら、わずかでも聞こえさえすればきっちり翻訳して聞こえるのに。

 確実に、なにか、翻訳首輪の力を打ち消す何かの力を働かせているんだろうな。


「……ムラタさん。先ほどの件です。お話が聞けたようですよ?」


 ――先ほどの件・・・・・


「……少々、胸の痛い話になりそうです。あなただけ、こちらにいらしてくださいますか?」




「くれぐれも、だんなさま――貴方には秘密に、という条件で聞き取った話ですので、何があっても素知らぬ顔ができるのであれば、お話致しますが……」


 黒服男を従えたメイドさんは、そう言って眼鏡を右手で軽く持ち上げてみせた。


 その言葉に、俺は悩んだ。

 いったいどんな話なのか――考える間でもなく、どうせろくでもないに違いない。問題は、それを聞いてしまった後で、俺は知らぬ顔をしてリノを抱き上げることができるかだ。

 ひどく悩んだ挙句、俺は、返事をした。


 そして、自分の愚かさを呪うはめになった。。




 フランス人形か何かのように、過剰ともいえる装飾がなされた純白のドレスとボンネット帽で綺麗に飾られたリノは、色とりどりの砂糖菓子の入った籠を持たされて、実に窮屈そうだった。

 だが、そのあまりに愛らしい姿で、頬を染めてうつむきがちに笑った彼女に、俺は言葉も出ず、抱きしめることしかできなかった。


 涙がこぼれた。

 あとからあとから。

 リノの戸惑いを承知で。

 ずっとずっと、抱きしめた。

 女々しい奴だと言いたくば言え。

 彼女を放すことなど、できなかった。


 リノはぽんぽんと俺の頭を撫でた。

 俺がいつも、やってやるように。

 そして、俺の頭を抱きしめて。

 静かに、けれど強い意志で。

 はっきりと、言ったのだ。

 胸に秘してきたことを。

 俺の想いを、信じて。


「……だんなさま、ボク、自分で言うね。ボク、だんなさまを信じてるから――」


 リノが、微笑みながらこぼした涙を、俺は一生、忘れない。


「――正直に言うよ? だからボクのこと、きらいに、ならないで……?」




「へっ、どこまでもマヌケな監督サンだぜ。また戻ってきたと思ったら、コイツを派手に着飾らせてよぉ?」


 大柄な少年が、リノにスカートをまくるように命令する。

 リノはきゅっと目をつぶった――が、少年たちの方をにらむように、また、目を開けた。

 そのまま、ゆっくりと、スカートを持ち上げる。


 今度の部屋は地下室だった。少々の声を出しても、外には響かないだろう。

 床や木箱の上に置かれたいくつかの燭台、そのろうそくの明かりは頼りないが、少女の白い太ももを幻想的に浮かび上がらせる。


 ふんだんなリボンで装飾されたスカートの下は、絹の繊細な紗とレースで作られた、フリルたっぷりのペチコート。スカートと一緒に持ち上げても簡単には局部を見せないその構造に、少年たちの口から不満の声が上がる。

 一人がペチコートを乱暴にまくり上げると、申し訳程度にすら茂るものも見えない、白磁のように滑らかな丘があらわになった。


「ケッ、午前中は一枚脱いだら素っ裸だったくせに、いまさら気取りやがって」

「おれ知ってる! 耳が折れてる獣人族ベスティリングなんて、ケダモノ同士でも嫁のもらい手がないブス扱いなんだってさ! だからこいつ、着飾ってきたんだぜきっと!」

「ホントか!」

「やっぱケダモノは二十歳には淫売だな!」


 ギャハハ、と耳障りな笑い声。

 リノの胸の奥で、えぐるような痛みが走る。


「それにしてもお前のご主人サマはマヌケだよなあ! いい加減気づけって。ねえ、ミューさん!」

「バーカ、だからコイツで遊べるんだろ! マヌケな大工野郎のおかげでな!」


 そう言って大柄な少年は、リノが自分の指でまさぐっている胸を、その指の上からひねり上げた。 

 異性どころか、自分の指が触れる経験もなかったはずの胸に、痛みが走る。


「ひっ……い、いたっ……!」

「痛いじゃねえだろ。昨日教えただろ、気持ちいいって言えよ」

「き、気持ちよくなんてない……!」

「嘘つけ、オレ知ってんだぞ!」


 大柄な少年は、さらにその尖端を押しつぶすようにつねった。

 リノのか細い悲鳴が上がる。


「……ほんとに、いたいの……やめて……!」

「ケッ、ガキのくせにお高くとまりやがって。……おい、シュラウト。なんでこいつに直接、触っちゃダメなんだよ」

「まったく、馬鹿だな君は」


 問われた少年は心底軽蔑しきった目で、少女が指を滑らせている秘裂に、少女の指の上から重ねるようにして、指を潜り込ませた。


「や、やめ……!」

「コイツは好きでまさぐっているだよ、自分でな」

「ち、ちが……そっちが薬、塗れって……だから……!」

「なんだって? 聞こえないなあ」


 リノの悲鳴をむしろ糧にするかのように、少年の指が、少女の指を、奥に押し込み搔き乱す。


「ほら、淫売らしく鳴き始めただろう? んだよ、こいつは。あくまでも触っているのは、こいつ自身。僕たちは、触っていない」

「……そんなめんどくせえこと、なんで――」

「リノさん?」


 少年は、問いには答えずにリノの前で笑った。


「リノさんは、あくまでも自分の意志で自分の体を触っている――そうだよね?」


 リノの口からは、嗚咽が漏れるばかり。少年は底意地の悪い笑みを浮かべる。


「……ふうん? 君の指・・・だろう? こんな風にしているのは。――何か間違いはあるかい? 僕の言葉に」

「やっ……! なか……やめ……っ!」

「君が自分で・・・こんな・・・こと・・を、孤児院の少年たちの前でしているなんて……君の大好きな監督サンは、知ってるのかな? ――この淫売め」


 しばらくして少年は、指についたにおいを嗅いで顔をしかめると、床にへたりこんだリノの髪をつかみ、指に絡みつくぬめりをふき取るようになすりつけた。


「やっ……か、髪はダメ……!」

「フン……耳の折れた醜いケダモノが、今さら男に見初められるとでも思っているのかい? 無駄な期待だね。だったら、誰が触っても同じだろう?」


 少年は明らかに、髪に触れられることが女性の結婚を左右することを理解しているのだ。そのうえで、リノの髪をつかみ上げた。


「いたっ――やめ、て……!」

「毛もまともに生えてないくせに……所詮は淫売か。もう飽きた、どうでもいいや」


 少年は手を離すと、床にへたり込んでいるリノを、どこまでもくだらないもののように見下ろし、そして周りの少年たちに向かって微笑んだ。


「おい、お前ら。女の髪を触るのは嫁にする条件の一つって話、知ってるよな? いいから触ってやれよ。この折れ耳ブスのケダモノでよけりゃ、だけどな?」


 リノが恐怖に震える。

 くなくなと首を横に振る少女に、少年は、いびつな笑みを返した。


「リノさん。君、大好きな監督サンに嫌われたくないでしょう? 大好きな監督サンに嫌われて放り出されて、路上生活なんてしたくないでしょう? 君さえ黙っていれば、何の問題も起きないんだよ?」


 答えられないリノを鼻で笑うと、少年は周囲の少年たちに、リノの髪をつかむように再度命じた。

 おそるおそる、一人がリノの髪をつかむ。


「お、オレ、ひょっとして、コイツ、嫁にできたりする……?」

「ケダモノで我慢できるならね?」


 その言葉が引き金となったか、一斉にリノの髪に手が伸びる。

 リノの悲鳴など、誰も気にしない。


「さて、ミュールマン。あとは好きにしなよ。ただし」

「へっ、分かってら。絶対に言わねえよ。その代わり――」

「また次も、かい? 構わないが、君はいつも自制が効かないから、ごまかすのが大変なんだ。僕の苦労も考えてくれよ」


 少年は、リノの前に顔を突き出すと、蔑むような笑みを見せた。


「大丈夫ですよ。君も女、どうせ生まれながらの淫売なんですから。だから――」


 嬲るような笑顔で、恐るべき要求をする。


「コイツらの最初の女になれよ。難しいことはない。ミュールマンは一応、経験があるからね。だからなおさら我慢ができない猿なんだけどさ。それと――」


 ニタリと笑う顔は、まさに外道だった。


「君、猫属人カーツェリングだろう? ケダモノはケダモノらしく、そこに四つん這いになっていればいい。メス猫がたくさんのオス猫とさかるのと同じさ、簡単なものだよ。あの監督サンを相手にさかったように……」

「そんなこと……ボク、してない……!」


 リノが必死で顔を横に振る。だが外道の顔は、ますます歪んだ笑みを形づくった。


「君みたいなチビが、淫売に走らずに現場監督サンと仕事? あるわけないだろう、常識的に考えて」

「ボク、ホントに、してないもん……!」

「……ま、どうだっていいんだよ、そんなこと。君さえ黙っていれば何の問題もない。実際、あの監督サンは君が僕らに何をされたのか、なぁんにも気づいてないんだろう? 淫売への関心なんて、所詮そんなものさ。あとは君次第だ。もちろん断ってもいいけれど、その時は――分かっているよね?」


 胸が痛む。引き裂かれんばかりに。

 ――ああその通り、気づかなった。

 悲しみに、絶望に、すがる思いに。


「――うん、いい子だ。君ならそう返事をしてくれると思っていたよ。だったらこの先も僕たちと、できるだけ長くしていこうじゃないか」


 少年がニタリと笑う。

 リノの背後でリノの耳を撫でまわしていた少年が、ひどく興奮した様子で言った。


「な、なあ! 好きにしていいって、こ、この子のカラダ、触っても……」

「好きにしなよ。どうせケダモノだ、子供だって簡単にはできないさ」

「ほ、本当に⁉」

「バカヤロウ! オレが先だ! オレの次がお前で――」


 興味を失ったらしい少年が、背を向けて部屋を出て行こうとするその背後で、少年たちの手が一斉に伸びる。


 髪に、耳に、頬に、唇に。

 胸に、腹に、尻に、しっぽに。

 太ももに、そして――


 助けを呼ぶ悲痛な叫びが上がるほど、さらに迫る、薄汚れた手。




 ――もう……もう、たくさんだ!




 制止を振り切り、俺が派手に蹴破ったドアで額と鼻を打ったらしいシュラウトが、無様に転倒する。


「だ、大工……⁉」

「な、なんでここが――⁉」


 リノの――俺の目の前で行われていた狂った宴は、俺というイレギュラーの侵入によって一瞬で終わりを告げた。

 呆然とする少年たちの、絡みつく手を振り払って駆け寄ってきたリノを、膝を床について力いっぱい抱きしめる。腕の中で泣きじゃくるリノを少しの間なだめてから、俺はゆっくりと立ち上がった。


「……おい」


 俺の声に、シュラウトを置き去りにするように少年たちが後ずさる。


「今から話すのはただの事実なんだが、俺の蹴りはな? 一発で家一軒を瓦礫の山にしちまったことがあるんだよ」

「な、なに、言って……そんな、馬鹿な話が……」


 ゆらりと、一歩前に出る。

 俺を取り巻く円が、広がった。


「もう一つ、これもただの事実なんだが、俺の拳はな? レンガの壁をぶち抜いて集合住宅を倒壊させたことがあるんだよ」

「ひっ……⁉」


 ゆらりと、もう一歩前に出る。

 さらに広がった円に、シュラウトだけが取り残された。

 

「今言った二つは、自慢でもなんでもない、ただの事実なんだがな? ――お前は、ヒョロガリと呼ばれるそんな俺を、怒らせた。これから何が起こるか……賢いお前なら、当然理解できるよな?」

「ヒイィィッ‼」


 シュラウトが血を垂らす鼻を押さえ、しりもちをついたまま後ずさる。

 周りにいたガキどもはさらに後ずさり、だれもシュラウトを円の外に逃がそうとしない。


「ね、年長者が子供に、暴力を振るっていいと思って――」

年長者おまえがリノにしたこと……あれは暴力じゃないのか?」

「ぼ、僕は暴力なんて振るっていない! やったのはこいつらで――」


 ひきつって歪んだ笑みを見せながらミュールマンたちに向けられた指を、俺は即座につかむ。少女を蹂躙したその指を、折らんばかりの勢いで。


「この指が、誰の・・どこで・・何をしたか・・・・・、俺が知らねえと思ったかシュラウト!」

「ひぃっ⁉」

「暴力を振るう奴は、当然自分も暴力を振るわれる覚悟があるってことだよなあ‼」

「ぼ、暴力反対! 僕は、暴力なんてなにも――」


 俺は決して忘れない。

 人の顔が歪む瞬間を、

 人を傷つける痛みを、

 この手で人を傷つけること、その意味と重みを。


 そう。

 怒りに燃える俺の右の拳が、遂に奴の頬に食い込んだのだ。

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