第502話:「ツカアリ」の巣

 物事にはいくつかの段取りというものが必要だ。


 今回の場合は、家の屋根の修理。

 まずは屋根の状態の確認。どこで雨漏りが発生し、何が原因かを探る。

 この際、同時に傷んでいる箇所をリストアップする必要がある。雨漏りは、家の建材を普及させる大きな要因の一つ。屋根だけ直しても、それ以外の場所に問題があっては、結局家の寿命を縮めることになるからだ。


 次に、必要な手立てを考え、そのための準備をする。

 瓦がずれていた、程度ならその下の野地板のじいたなどが痛んでいないかどうかを確かめ、必要な補修を施す程度でいいが、瓦が割れていた、紛失していたなどとなれば、その分の瓦が必要になる。そして、その下の傷んだ部分の補修作業が加わるわけだ。


 そして工事に入るわけだが、だいたい「想定内だけど起きていてほしくなかった不具合」「想定外のトラブル」というやつが付き物で、そういう時は依頼者とのすり合わせがとても重要だ。想定外が増えれば追加作業も増えて工期も伸び、費用もかさむからだ。


 というわけで、まずはリノの悲鳴から始まった。


 リノに「遠耳の耳飾り」を着けて屋根に上ってもらって、屋根の様子を確かめてもらっていた時だった。


 遠耳の耳飾りは、送信機と受信機に分かれたビデオカメラのような役割を果たす魔装具というやつだ。リノが見たものが視界に重なり、リノが聞いたものが耳に聞こえてくる。

 非常に便利な道具だが、送信機側の装着者と感覚を共有するため、もしリノが怪我をしたら、俺もその痛みが伝わる。


 この特性は、装着者二人の相性が良ければよいほど鮮明な感覚が伝わってくる反面、万が一送信者が命を落とすようなことがあった場合、受信者も極めて重大なダメージを共有するということだ。

 リノと俺の場合、相性がかなりいいらしい。だからリノに何かあった場合、俺もただでは済まない――そう、冒険者の人間に忠告されたことがあるくらいだ。


 だが、やはり便利なのは間違いない。道具はなんでも使いようだ。だから彼女の視覚と聴覚を共有しながら、以前、職人に草や泥を取り除いてもらった屋根を歩いてもらった。


 草や泥は確かに取り除かれていたが、あちこち剥がれたり割れたりしている屋根瓦の多さとその惨状は、目を覆いたくなるありさまだった。早くなんとかしないと、次に雨が降ったら酷いことになる。

 こういうとき、日本では定番だった青いビニールシートがこの世界にもあればいいのに――そう思っていた時だった。


 突然、左足首に違和感を覚えたと思ったら、リノの悲鳴と共に、痛みが走った。視界が大きく揺れ、彼女がしりもちをついた感覚が腰に伝わってくる。


「リノ⁉ どうした!」

『うーっ……屋根、穴、開いちゃった!』


 俺の眼前に、しりもちをついた際にワンピースがめくれ上がったのか、リノの白いお腹から下が大写しになる。左足は、足首から下が屋根の下にめり込んで、消えていた。

 その際に、破片で怪我をしたのだろう。ふくらはぎ辺りまで、ひっかいたような赤い筋がいくつも走り、足首に近いところでは赤い血がにじんでいる。


 思わず自分の足を見ると、痛みは感じるが別段赤くもなっていない。これが、痛みを共有するという奴か。


「リノ! 大丈夫か、足は動くか⁉」

『う、うん……だいじょうぶ、だよ?』

「よし、じゃあ足は抜けそうか?」

『う、うん……だいじょうぶ、ぬける、よ……いたっ』


 リノの小さな悲鳴とともに、俺の左足にも痛みが走る。

 だが、折れているとか、捻挫したとかいう痛みではないようだ。

 単純に、踏み抜いた際にひっかいた傷の痛みなのかもしれない。


 だが、問題はそのあとだった。


『や、……やだ! なにコレ⁉ 聞いてないよボク! だ、だんなさまあっ!」


 ネズミは想定内だった。

 腐った板を踏み抜いて屋根に穴をあけるのも、やってほしくなかったがまあ、想定内だった。リノの体重で踏み抜いてしまったのだから、相当に腐っていたのだろう。リノがパニックになっただけで、ケガをしなかったのが何よりだった。


 ……それよりもだ。なにこの、踏み抜いた屋根材の中から出てきた、ゴキブリの羽を取って小さくしたみたいな虫の大軍は。


はねのない、小さな黒い虫? ……ああ、アレか」


 リファルはすぐにピンときたようだったが、こちらはそれどころではなかった。

 いま開けた屋根の穴からぞろぞろでてきた大量の黒い小さな虫に、リノがものすごい勢いでパニックになっている。

 もちろん、リノの見ているものが俺にも共有されているわけで。黒い虫にたかられているリノの悲鳴も恐怖もダイレクトに伝わってくるのだから、こちらとしても気が気でない。


『やだあっ! こわいっ! たすけて、だんなさまたすけてっ!』

「リノ、落ち着け! その虫をくっつけたままでいいから、まず俺のところまで戻ってこい!」

『やだ、ムリだよこんなの! いやああっ!』


 自分の足をぞろぞろとはい回る虫の感触は俺にも伝わってきて、いないはずの虫を払おうと、つい足を振り回したり手ではたきたくなったりする。ああ、まるで危ない何かの中毒者のようだ。


 だが、実際に黒い虫が足どころか腕や内股まではい回られているリノは、たまったものではないのだろう。下着も付けていない彼女にとって――いや、着けていてもあまり変わらなかったかもしれないが――虫がはい回る感触に、俺も悲鳴を上げそうになる。


 さらに最悪なのは。


『ひうっ⁉ いた、痛い! 痛いっ‼』

「いってぇ⁉」


 リノが叩き落とそうとしたからだろう。逆にあちこち噛まれて、これには俺も悲鳴を上げてしまった。足はもちろん、腕、脇、太もも、腹……果ては鼠径部や尻の裏まで、一斉に噛まれ始めたのだからたまったものではない。


 リノが泣きながら、転げ落ちるように戻ってきたときには、外聞もクソもなく、すぐさまワンピースを剥ぎ取った。


「お、おい、お前、こんなところで……!」

「仕方ないだろ! リノが泣いてるんだ、今だって……くそっ、いてぇっ! 変な場所まで噛まれてんだよ!」


 股間や胸を押さえて悶えながら、剥ぎ取ったリノの服をばっさばっさと振り回す俺に、リファルもそれ以上、何も言わなかった。


 ワンピース一枚を脱がせれば、リノは即、生まれたままの姿だ。下着も拒否する頑固さに頭が痛い思いをしてきたが、今日ばかりはそれに感謝するしかない。そのおかげですぐに虫を叩き落とすことができたし、虫を服から取り除くのもそれほど手間がかからなかったからだ。


 とはいえ、痛みに泣き叫ぶリノの裸身からはい回る小さな虫を叩き落とすのは、やはり大変だった。かわいそうに、噛まれた跡が白い肌に赤い斑点となって、体中のあちこちに残ってしまったのだ。


「リファル! こいつはなんなんだ!」

「ナニって、『ツカアリ』だよ。知らねえのか?」

「知らねえよ! 噛まれたところがやたら痛いんだけど、毒はあるのか⁉」

「毒? 大したものじゃねえよ。それよりちっちぇえくせに噛む力がつえぇから、噛まれたところがしばらく腫れるだけだ。じきに痛みは引く。しっかし、屋根がツカアリの巣になってたとはな……」


 リファルはそう言って、目をそらしながら教えてくれた。

 毒が弱いのは不幸中の幸いだった。だが、小さいがゆえにあちこちを這い回っては噛みついたこのクソ虫の、腹立たしいことといったら!


 足やら腕やら、お腹やら、そういったところならまだいい。だが胸や脇、鼠径部といった敏感なところ、特にリノに立ったまま足を開かせて、人に言えないような股の奥の場所にまで――俺自身には無いはずの器官を噛まれる痛みに耐えながら――指をなぞるようにして虫を取り除くのは、いろいろな意味で勇気が必要だった。


 リファルがそれとなく、館のほうに立って、館からの視線を遮ろうとしてくれたのはありがたかった。だが、それでも女性の大切な場所ゆえに、躊躇してしまった。

 そのために対処が遅れ、リノにより長い苦痛を与えてしまうことになったのは、猛省するしかない。

 井戸まで走って水をぶっかけてやればよかった――終わってからそう思ったが、もう遅い。


 もう一つ。

 一刻も早くリノから虫を取り除かなければ――そればかりで頭がいっぱいで、仕方がなかったと言えばそれまでなのだが、配慮が不足していたことを、俺は後々まで後悔することになる。


 彼女が痛みに身をよじらせていたその白い裸身は、男児ばかりの孤児院の少年たちにとって、極めて刺激が強かったらしい。悶えるリノに対して、どこからか下品な歓声や口笛が聞こえてきたのは、本当に腹が立った。


 たしかに、その瞬間においては仕方がなかったかもしれない。けれどせめて、目先の痛みに耐えてでも、どこか人目に付きにくい場所に移動してからやるべきだったのだ。くれぐれも喧嘩にならぬようにしろと、言い含めていたこともあだになった。

 だが、神ならぬ身の俺にとっては、その時その場の対処が精一杯だったのだ。

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