第500話:認められることの価値

「当分来なくていいっつっただろうが!」


 クオーク親方からげんこつを脳天に食らった俺は、同じくぶん殴られたリファルと一緒に現場をひと通り見回ったあと、孤児院に向かうことにした。


「まだ頭がガンガンする。クオーク親方あのオヤジ、ちったあ加減しやがれってんだ」

「俺たちを認めて、任せてくれてるって考えようぜ」

「いや分かるけどよ……」


 リファルが頭をさすりながら振り返った。


「で、どうすんだ。昨日の今日だ、顔を出しづらいとか言うなよ?」

「昨日、屋根職人が屋根の上の草むしりをして綺麗にしてくれたんだ、行くさ。その前に、瓦の窯元にも顔を出しておかないと」

「……ムラタ、お前そういうところは神経が太いんだな」




「ムラタさんじゃないか。久しいな」

「瀧井さんもご壮健でなによりです。ペリシャさんも、春を迎えて毛並みが一段と美しく」

「あらあら。あの朴念仁さんが、いつのまにお世辞を覚えたのかしらね」


 瓦職人の窯元を出てしばらく歩いたところで、瀧井さん夫妻と出会った。俺と同じ日本人――とはいっても、瀧井さんのいた日本とは大日本帝国。軍人として中国戦線を戦っていたらしい。


 ペリシャさんは、そんな瀧井さんがこの世界で出会った女性だ。リトリィとは別種の猫属人カーツェリングと呼ばれる獣人族ベスティリング。縦長の瞳孔、リトリィの犬の顔とまではいかないが、猫を感じさせる動物的な顔つき。頭の上の、三角の耳、そして今はレースの布に包まれているが、しなやかな長いしっぽ。


 俺がこの街に来た頃に、大変世話になった二人だ。


「お散歩ですか?」

「ああ、家内と買い物がてら、な」

「暖かくなってきましたからね。今日はいい日差しですし」

「そういう君は、また仕事で走り回っているのかね?」

「はは……。今は『恩寵の家』という孤児院で、修繕のお仕事をしていますよ」

「……孤児院?」


 瀧井さんが目を丸くした。


「それはまた、あなたらしい縁を引き当てたこと」


 ペリシャさんが、くすくすと笑う。


「俺らしい……ですか?」

「ええ、もちろん」


 大きくうなずいてみせたペリシャさんは、指折り数え始めた。


「リトリィさんでしょう? マイセルさん、ゴーティアス婦人、ヒッグスちゃんとニューちゃんとリノちゃん。みんな、あなたに生き方を変えられたひとたちよ? まるで、岐路に立つ人の背中を押すかのようなひとね」

「……それって、俺が変な道に引きずり込んだかのような言い方ですね?」

「あら、違って?」


 ペリシャさんは、扇子を口にあてて肩を震わせるように笑う。


「引きずり込むと言えば、フェクトール様! あのかたも、獣人族ベスティリングの娘さんに子供を産ませて、認知までしてしまったわね。あのかたの王都の宮廷での立ち位置が今後心配ですけれど、でも頑張ってほしいわ。――これも、あなたが関わったことですよ?」


 何も言い返せない。結果だけ見たら、確かにそうだからだ。

 いや、でもミネッタに関してはそもそも俺のせいじゃない、俺が関わる前からフェクトール公の子供を妊娠してたからな!


「何を言う。お前さんがリトリィさんを奪い返しに行ったことが公の意識を変え、子の認知に至ったようなものだぞ? 貴族が獣人の娘に産ませた子供を、継承権は保留とはいえ正式に我が子と認めた。おそらく、街始まって以来の事件だろう」

「……いや、瀧井さん。女に産ませた子供を男が認知するって当たり前ですよね?」

「当たり前――本当にそう思うかね?」


 瀧井さんの目が鋭くなった。


「家内が以前、リトリィさんやマイセルさんに吹き込んだはずだが……この世界では、複数の妻を持つことができる代わりに、最初に生まれた子供は誰が産もうとも第一夫人の子とする、慣習があるだろう?」


 ……そうだった。けれど、リトリィがそれを望まなかった。生まれた子は、産んだ母の子とする――慣習に従うように言ったナリクァンさんに逆らってでも、リトリィは宣言した。

 だからこそ、マイセルは余計にリトリィに心酔し、慕っているんだ。


「産まれたことや誰が産んだかを認めること――それは親の意志ひとつなのだ。誰もが我が子の誕生を喜び、認め、祝うのであれば、孤児院など必要ないだろう?」


 瀧井さんの言葉に絶句する。

 確かにそうだ。やむにやまれぬ事情のある家もあるだろう。だが、悲しい話だが望まれぬ命もまた、あるはずだ。

 親の都合ひとつで、子供の運命は決まってしまう。だからこそあの孤児院が、最後のセーフティネットとして機能しているのだ。

 

「お前さんは、仲間の、身内の幸せをかけがえのないものとして喜び、慈しむことができる人だ。これからもあの娘さんたちを大事にしてやりなさい。そうすればきっとこれからも喜んでお前さんを支え、苦しい時にこそ盛り立ててくれるだろう」




「お前、瀧井さんの前ではやけに静かだったな」

「馬鹿野郎、お前がおかしいんだよ」


 リファルが、そばを通り抜けようとした馬車を、身をひねってかわしながら言った。


「タキイ氏だぞ⁉ 開拓卿と呼ばれた偉人じゃねえか! むしろなんでお前は、ああも普通にしゃべれるんだよ!」

「……そんなにすごいひとなのか?」

「お前、火を噴く法術の杖を操って、たった一人で三十人の賊を皆殺しにした伝説を知らねえのか! 優しそうに見えても、怒らせたら怖い人なんだぞ!」


 火を噴く法術の杖ってあれか。瀧井さんの持ってる、九九式小銃とかいう奴だな。

 瀧井さんは若いころ、農業指導をしていた開拓村を襲った野盗の集団に対抗して、村人を組織し、村内に罠を仕掛け、誘い込んで一人残らず皆殺しにした、という話を聞かせてくれたっけ。


 村人を組織して野盗を殲滅、という話が誇張されて伝わってるんだな。まあ、一人残らず皆殺しってのは、聞いた時は思うところもあったけれど、奴隷商人や街を侵略しに来た騎士団との戦いを生き延びた今では、理解できてしまう。自分たちの命と財産を守るために、やむを得なかったのだろう。


「いや、確かにすごい人だと思うけどさ。怖いどころか親身に相談に乗ってくれて、叱ってもくれる優しい人だぞ? ナリクァンさんの恐ろしさに比べたら、全然」

「は? ナリクァンさん? ……ま、さか、ナリクァン商会の……?」


 リファルの目が点になり、そして、口があんぐりと開く。


「ああ、ナリクァン商会元会長の、元気な婆さん」

「元気な婆さんって、お前な! あのナリクァン夫人をそんな馴れ馴れしく……!」

「ああ、分かってるって。頼りにはなるけど、この街で怒らせると本当に怖いのはあのひとだってことくらい」

「全然分かってねえ! てめえ、どんだけ街のことを分かってねえんだ! ナリクァン夫人といえば、若いころ『あかつきのナリクァン』って呼ばれててな!」


 リファルが唾を飛ばしながら叫ぶ。

 瀧井さんが「開拓卿」で、ナリクァンさんが「あかつきのナリクァン」か。この世界の人も中二病的ニックネームが好きらしい。


「いつ寝てるか分からねえほど一日中働いてたうえに、敵対した相手は焼き払うがごとく徹底的にやっつけて取り込んで、夜明けをナリクァン商会として迎えさせるって、そりゃあ恐れられたものなんだぞ!」


 なるほど、だから「あかつきのナリクァン」。奴隷商人にリトリィを奪われる失態をやらかした俺を、助けるどころか挽き肉にしようとしたナリクァンさんらしい。


「ひ、挽き肉にされそうになったって……お前、どんだけナリクァンさんを怒らせたんだ?」


 ……あれ? なんかリファルが、むしろ俺に引いている? なんでそこで絶句するんだ?


「いやリファル、それは俺が――」

「誰が、誰を、挽き肉にしようとした、というのかしら?」


 瞬間、心臓をわしづかみにされたかのような衝撃。背後から聞こえてきたのは、思いっきり聞き覚えのある声。

 ――リトリィスコルト・ナリクァン夫人、そのひとの、声……!


「楽しそうなお話ね? すこし、聞かせてもらってもよろしいかしら?」


 思わずリファルの方を見るが、奴は血の気の失せた顔をして絶句中。ええい頼りにならない奴め!


「も、申し訳ありません、今から一番大路街のほうにある孤児院の『恩寵の家』に行かねばならないものでして!」

「……なぜかしら? あなたは、例の『幸せの塔』の修復に携わっているのでなくて?」


 首をかしげるナリクァン夫人に、孤児院とちょっとしたことで縁ができたこと、クオーク親方に報告したところ、しばらくは監督業を代行するから孤児院の方を何とかしろと言われたことを、かいつまんで話した。


「あらあら。そういうときはリトリィさんの縁にすがって、真っ先に私のところに泣きついてきたあなたが、珍しいこと」


 扇子で口元を隠しながら、にたりと笑ってみせるナリクァンさん。

 いや、だからホント怖いです勘弁してください。


「いいでしょう。すぐには頼らず、今も頼ろうとせぬ気概、気に入りました。おいでなさいな。馬車にお乗りなさい」




 リファルが、部屋の調度品や高い天井をキョロキョロ見回しながら、妙に俺のそばに寄ってくる。カップにも茶菓子にも手を付けず、終始落ち着かない様子だ。


「……なんだよ、リファル。暑苦しいな」

「ばっ……ムラタ! お前こそ、なんでそんなにも平気な顔、してるんだよ!」

「ナリクァン夫人にお招きいただいたんだ、俺たちは客だぞ? 堂々としてろよ」

「できるかっ!」


 ナリクァン夫人は、確かに辣腕経営者だったのかもしれないが、普段は大のリトリィびいきの上品な婆さんだ。リトリィを泣かせない限り、別段怖いことなんてないし、むしろ今まで本当に何度も助けていただいた。


「……お待たせいたしましたね。お久しゅう、ムラタさん?」


 客間に入ってきたナリクァンさんに、俺は間髪入れずに立ち上がり、右手を上げて挨拶の姿勢をとると、深々と頭を下げた。リファルも俺に続く。


「お久しゅうございます、ナリクァン夫人。先日は力をお貸しくださり、本当にありがとうございました。改めて御礼申し上げます」

「いいえ?」


 夫人は、満足気に笑った。


「婚礼の保証人ですからね、わたくしは。あの子は可愛い孫のようなもの、大義名分が出そろうまではやきもきしましたが、あなたもよくお働きになりました」


 やっぱりだ。俺がフェクトール公からリトリィを救い出すまでは手を出さず、それを確認してから手を貸してくださったのは、そういうことだったんだ。

 ナリクァン夫人は、情に厚い方だけれど、ただ助けを求めるだけは動かない。人事を尽くしたことを見届けた上で、力を貸してくれるひとなのだ。これからも、その点を忘れないようにしないと。


「それで、なんといいましたか。――そうそう、『恩寵の家』。一番大路街の、城壁の近くの孤児院ですね?」


 念のために調べさせましたわ――そう言って、ナリクァン夫人は俺たちに座るように促し、自分も座った。館の主人の着席を見届けた上で、俺も座り直す。


 俺は、考えを全部ぶちまけた。

 相手は、大日本帝国軍人で農学者の卵だった瀧井さんを知っているナリクァンさんだ。日本の科学的な知識と農業技術が、この街や近辺の開拓村を潤してきたことを、彼女はよく知っている。

 同じ日本からやってきた人間が、あの孤児院の環境が抱える問題点を列挙すれば、何かしら危機感を抱いてくれるかもしれない。


 腐った屋根と雨漏り。

 寝る気も起きない湿ったベッド、日の差し込みにくい小さな窓。

 どこもかしこもカビだらけで、カビの臭いが充満する全ての部屋。

 寄付が十分でなく食べ物が足りず、栄養状態の悪い子供たち。

 泣いて自己主張しても対応されないため、泣く意味がないことを学習してしまった赤ん坊たち。

 そして赤ん坊の、高い死亡率。


 一番の問題点は、そうした環境が「当たり前」と扱われていること。


「捨てられた赤ん坊を守るはずの孤児院にお金がなく、食べ物が足りなくて赤ん坊が多く亡くなっているのは分かりました。乳母うばを手配することはできませんが、せめて粥を食べさせてやれるよう、麦の支援をいたしましょう」


 そう、ナリクァンさんをして、あの孤児院の問題点が見えていなかったのだ。




「それで、ナリクァンさまはなんと?」

「支援の約束は取り付けた。現物支給で」

「ナリクァンさまがご支援くださるなら、とっても心強いですね」


 俺のおかわりのスープを装いながら、微笑むリトリィ。

 マイセルも、にぎやかな食卓に目を白黒させているリファルにおかわりを促しながら、満面の笑顔だ。


「ナリクァン様もムラタさんのこと、すっかり認めてくださってるんですね!」


 マイセルの言葉に、なぜかリノが反応する。


「だんなさまがすごいの、ボクもしってるよ! でもだんなさま、はやく現場に帰ってきて? ボク、だんなさまのお手伝いしたい!」


 俺が現場を離れて孤児院に出入りするようになってから、リノは現場ではなくリトリィたちに預けている。昼の給食の準備だ。リノはそれが不満らしい。


「ありがとな。なるべく早く戻れるように頑張るよ。今は食事の手伝い、よろしくな?」

「うんがんばってる!」

「そうか、ありがとな」


 勢いよくうなずいたリノの頭に手を伸ばすと、わしわしと撫でてやる。リノはそれが好きらしい。だから毎日、折に触れてわしわしだ。


「ムラタさん聞いてくれよ! オレ、外壁組んだんだ! 中じゃなくて、化粧石のほう!」


 ヒッグスが大きな声を出したので驚いたが、どうやら彼の世話を頼んでおいた石組み長のバリオンが、塔の表面の石組みを一緒にやってくれたらしい。人目につく仕事を任された、それが相当嬉しかったようだ。

 するとニューも大声で、現場労働者たちに態度を褒められたと報告してきた。改めて二人を褒めてやると、二人とも歓声を上げる。


 誰だって認められたいし、それが生きる糧になりうる。

 だからこそ孤児院の子たちの命も、一つの命として大切に認められなきゃならないんだ。

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