第498話:はばからぬ愛
「ムラタさんがあんなにお酒を飲むなんて珍しいですから。きっと、リファルさんがリトリィ姉さまの良さを分かってくれたことが、うれしかったんでしょうね」
リファルのカップに湯を注ぎながら、マイセルが微笑む。
マイセルの話によると、昨夜、正体がなくなるほどぐでんぐでんに酔っぱらった俺たちに、たっぷりの水と一緒に、二日酔いを緩和するという丸薬を飲ませてくれたそうだ。
そのおかげだろうか、あの二日酔いの不快さも、胸やけも、ほとんどない。ゼロとは言わないが、少なくとも起きて活動する分には問題ない程度に、二日酔いが抑えられている。すごい薬だ。
この世界の医療技術については絶望しかしていなかっただけに、意外な掘り出し物があることを知った気分だった。
「なんだリファル、気になることがあるなら遠慮なく言ってくれよ?」
リファルが、リトリィやマイセルの方をちらちら見ている。
にこにこと給仕をしてくれている、いつものフリフリエプロン姿のリトリィやマイセル。
……別に変わった様子はないと思う。
うん、天使のようなその姿はいつも通りだ。俺がおかわりを頼むと、リトリィは嬉しそうにしっぽをぶんぶん振り回すようにして、器を受け取ってくれた。
「……いや、別に、気になるなんてことは……」
「だったら、遠慮なく食ってくれ。うちの、いつも通りの朝食だけどさ」
そう、いつも通りの朝食だ。
違う点を挙げるとするならば、一つはニューがちゃんとスプーンを使ってスープをすくっているところだろうか。いつもなら深皿を手で持って直に飲んでいるというのに。「将来の夢はヒッグスのお嫁さん」を掲げるレディーとして、客に恥ずかしい姿を見せたくないのかもしれない。
対照的なのはリノだ。相変わらず両手にパンを持ち、リスか何かのように口いっぱいに頬張っている。俺が彼女のことを将来娶ると約束しているためか、それ以外の他人などどうでもいいらしい。
もう一つの違いは、リトリィとマイセルが給仕をしているところか。
普段は俺が求めるためか、一緒に食事をしている二人だが、今朝はリファルという客がいるせいか、席には着いていない。というか、そもそも自分たちの食べる分すらテーブルに準備していない。
メイドさんか何かのように、俺の後ろにはリトリィ、そしてリファルの後ろにはマイセルが控えている。
それが慣れないのだろうか。落ち着かない様子で、言いにくそうに口を開いた。
「というかだな? オレは前に、お前らにその……迷惑をかけちまったからさ……」
「図面の件か? もう俺は気にしてないぞ」
「い、いや……お前なんかどうでもいいんだ、金色の方の奥さんだよ」
リファルが、しっぽを揺らしながら上機嫌で鍋のものを器に装っているリトリィをちらちら見ながら、声を潜めて言った。
「なにせオレ、『いくらだんなさまが許したって自分が赦すものか』とか言われて、お前に助けられた直後に、奥さんに川に蹴り落とされたんだぞ? おまけに、岸に上がろうとしたところをさらに何度も川に蹴り落とされてさ。あの時は正直、殺されるって思ったくらいだったんだ。お前、あの修羅場を忘れたはずがないだろ?」
「ははは、馬鹿だな。リトリィに限って、そんなことするはずがないだろ」
「お前が忘れてるだけだ!」
するとマイセルが、なにやら凄みを感じさせる笑顔でパンのお代わりを持ってきて、リファルの隣に立った。
「リトリィ姉さまは、よほどのことがなければそんなこと、しませんよ? よほどのことがない限り。いいですね?」
リファルの顔を覗き込むように、笑顔で。
俺ですら感じたその笑顔の凄みのためか、リファルが背筋を伸ばして答えた。
「アッハイ」
食事を終えて一服していると、リファルがため息をついた。
「お前が三人も嫁さんをもてるほどモテる理由が、わかった気がする」
「どういう意味だ?」
俺がモテるなんて、おかしなことを言う奴だ――そう思って聞き返すと、リファルが籠に残っているパンをひとつ手に取って、かじりながら言った。
「これ、いつもの朝だから遠慮なく食ってくれ――お前、さっきそう言ったよな?」
「ああ。……なんだ、もっと食いたいものがあったのか?」
「……バカ野郎。朝から温かいものを食えるなんて贅沢してるのに、これ以上何かあるわけないだろ」
リファルが、片づけをしているリトリィとマイセルをちらちら見ながら言った。リノとニューが、お手伝いをしながら歓声を上げた。なにかおやつの約束でもしてもらえたのだろうか。
「……で、それと俺がモテるのと、どういう関係があるんだ?」
「決まってるだろ。朝からこんなあったかいもん用意させて、食後はお茶を淹れさせてくつろぐ。おまけにお前のことだから、どうせ普段は嫁さん二人にも、同じようにさせてるんだろ?」
「俺だけあったかいものを食うとか、そんなことするわけないだろ。嫁さんは俺の大事な大事なひとだ。今日はお前が客だから二人が給仕に回ってくれているだけで、普段の俺たちはいつも一緒だ」
「だろうな」
リファルはパンをかじると、咀嚼しながらため息をついた。
「やっぱり、こういう贅沢ができるような金のある男に、女っていうのは寄ってくるんだな」
リファルは、何気なく言ったつもりだったのかもしれない。けれど、それはふがいない俺のことを心から愛してくれている女性たちを貶める言葉のような気がした。
リトリィはもちろん、マイセルだってフェルミだって、カネのためなんかじゃない――そう反論しようとした時だった。
「ふうん……リファルさんって、自分が働く現場監督さんの奥さんのこと、そんなふうに言っちゃうんですか?」
マイセルだった。いつの間にいたのか、リファルの後ろでニコニコしている。
「いっ……⁉ いや、その……!」
「ムラタさんに集まる女は、お金が目当てなんだろう――そう言うんですね?」
「す、すまねえ、謝る! 羨ましいって言いたかっただけなんだ!」
テーブルに這いつくばるようにして謝ったリファルに、マイセルは両手を腰に当ててため息をついてみせると、半目でつぶやいた。
「……いいですけど、ムラタさんと違って、リファルさんはそういうところがあるから、女の子から好かれないんですよ?」
「ぐっ……⁉」
おい、そこで恨めしげにこっちを見るな。俺が言わせてるわけじゃないだろ。
「……うるさい。ムラタ、お前のせいだ。マイセルは確かに変わった子だったけど、こんなに強気な子なんかじゃなかった。お前のせいで――」
「そういうリファルさんは昔から変わってませんね。見栄っ張りなところとか」
だからマイセル、そうやって追い打ちをかけてやるなよ!
「話が逸れたけどよ」
「なんだ、羨ましいを言いたいってのは違うのか?」
「てめぇぶっ飛ばすぞ」
「だんなさまにお手を上げるようなかたは――」
「すんません! もののはずみというやつですごめんなさい」
これまたいつの間にそばにいたのか、リトリィが言い終わる前に、秒でテーブルに額を打ち付け始めるリファル。
奴め、マイセル以上にリトリィに頭が上がらないんだな。以前は犬女とか、散々馬鹿にしたくせに。何があったのやら。
「……とにかくだ。ムラタ、お前はどうしてあんなにもダムハイト院長に噛み付いたんだ?」
「言っただろ? リトリィの愛を馬鹿にしたからだ」
「いや、それは――やめとこう。この話をしだすと、話が進まねえ」
リファルは、咳払いをしてから続けた。額が赤くなっているのが、妙におかしい。吹き出しそうになるのを、必死でこらえる。
「なんだムラタ、変な顔をしやがって。――まあいい。お前、昨日、院長に死神って言っただろ」
「そりゃ、あいつがリトリィをケダモノ扱いして馬鹿にしたからだ」
「……いや、それもあるだろうけど……ちょっと金色の奥さん! 旦那のこと、なんとかしてくださいよ! 嫁自慢の度がすぎて、仕事に差し支えるんですって!」
「そんな……」
リトリィが困ったような笑顔を浮かべる。
そして、両頬に手のひらを当ててくねくねしはじめた。
しっぽも、ぶんぶんと振り回す勢いで。
「そんな、外でもそんなに愛してるって言ってくださっているんですか? ――ふふ、あなた、うれしいです」
当たり前だと答えると、リトリィは「ふふ、ありがとうございます」と微笑んでみせたあと、飛び跳ねるようにしてキッチンのほうに向かった。
「ダメだコイツら……早くなんとか、って、なんともならねえな。二人揃ってボケてるようじゃ」
リファルは、げんなりした様子でため息をついた。やっぱりリファルは失礼なやつだな、俺はともかく、リトリィがボケてるわけがないだろ。
「あー分かった分かった。まったく、夫婦そろって酔っぱらってんのかお前は。ちったあ『人目をはばかる』ってことを知れよ」
「隠すようなことじゃないだろ。俺は妻を愛していて、妻は俺を愛してくれている。ほら、問題ない」
「……そういうのは普通、人目をはばかるっつーか、隠すものなんだって。……もうどうでもいいや、続けるぞ?」
リファルは、カップを一気にあおると改めて俺に向き直った。
「――それでムラタ。お前、孤児院で、赤ん坊が死ぬことが、そんなに不満か?」
一語一語、確認するように言うリファルに、俺は思わず声を荒げた。
「当たり前だろう! 子供たちの幸せのための施設なのに、引き取られたはずの赤ん坊の死亡率が高いなんて、話にならないじゃないか!」
落ち着け――リファルがジェスチャーで示す。蹴倒してしまった椅子を起こして座り直そうとすると、リノたちがこちらを見ていた。
「……場所を変えよう。あの子たちがいるところで話すことじゃない」
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