第491話:差し伸べる手の先に

「――あの連中をなんとかしてやりたい、未来をつかませてやりたいって思うお前の気持ち――それだけは分かった気がする」


 リファルの言葉に俺もうなずくと、俺の手を握るリファルの手を握り返した。


「だろう? だから力を貸してくれ」

「――だが、それとこれとは別だ」


 ぱっと手を離すリファルに、俺は驚いて思わず「どういう意味だよ」と尋ねた。


「どうもこうもねえよ。連中は、本当にオレたちが差し伸べる手を望んでいると思うのか?」

「何言ってるんだ、お前も見ただろ、あの目の輝きを」

「だから、それとこれとは別だって言ってるんだ」


 リファルは、憮然として言った。

 それは、子供たちの姿勢についての不満だった。


 例の三人――現場で死んだような目で、言われるままに、言われたことだけをやっていたあの三人。今日知ったのだが、あの三人の中で年長者がファルツヴァイ。昨年の夏に十五歳になったらしい。ハフナンも同じ歳だそうだが、こちらは冬の間に十五になったという。

 トリィネだけは十四歳になったばかりで、三人の中では一番下だった。


 そして、あの三人――というより、やる気の感じられなかったファルツヴァイとハフナンがなぜ現場に来たのか。その理由は、まさに年齢にあった。

 あの施設では、十六の誕生日までに独立せねばならないらしいのだ。そのため、独立への資金稼ぎのために働くことになったのだとか。なんとも厳しい話だ。


「厳しいって……お前なあ、成人の儀が十五だろう? 十五といったら一人前になるってことだ。べつにあの孤児院に限ったことじゃねえよ、ほかの施設だって同じだと思うぜ? いや、むしろ十六の誕生日まで待ってくれるんだから、もしかしたらマシなのかもしれねえな」


 ため息しか出ない。

 ただ、その情報を口にしたのがシュラウトだったのが、リファルの気に障っているようだ。働く本人でもないのに、得意げに話したという事実が。


『ファルツヴァイとハフナンがそちらに行った理由ですか? もちろん最年長者としての義務を果たすためですよ。それに、十六の誕生日前の独立に向けて、お金もいりますからね』


 ファルツヴァイとハフナンがあれほどまでに無気力なのに現場に参加した理由を、そのように説明したシュラウト。

 だが、トリィネが参加した理由については、彼は肩をすくめてみせた。屋根裏を案内するときにも見せた、あの薄い笑みを浮かべながら。


『さあ? 彼が勝手に言い出したことですから。お小遣いでも稼ぎたかったんじゃないんですか? 年長者ではない君が行く必要はないって、僕は止めたんですよ?』


 そう言うシュラウトは、トリィネと同じ十四歳らしい。あのよく口の回るシュラウトが、うちのチビたちの兄貴分である十三歳のヒッグスより一つしか年が変わらないというのは驚いたが。


『ええ、僕はまだ十四ですので。僕こそお手伝いをしたいのですが、やはりこういったものは年長者が義務を果たすべきでしょう。僕がしゃしゃり出て、彼らの顔を潰すようなことがあってはいけませんからね』


「あいつ、自分がリヒテルの代わりに、とかなんとか言ってたのによ」


『そうでしたか? 僕はリヒテルが、彼の不注意で皆さんに迷惑をおかけしたと聞いたものですから、その償いに「自分たち」が代わりに、と申し上げただけだったと記憶していますが』


 シュラウトの、薄い笑みと共によどみなく紡がれた言葉を思い出したのか、リファルが舌打ちをする。そんなリファルに、俺は苦笑を禁じえなかった。


「……シュラウトにしてみれば、あくまでも自分たち・・がリヒテルの代わりに、と言っただけで、『自分が』と名乗り出たわけじゃない、ってことだろう」


『僕が労働現場に行くと言った、そう思い込んでいただけでは? なにか書き残しとかあるんですか? それとも僕が行くべきだったとおっしゃるんですか? それっておじさんの感想ですよね?』


 あのとき、シュラウトに対してぐっと言葉に詰まってしまったリファルの姿を思い出す。


「……ムラタ、お前よくそんな平然としてられるな?」

「別に平然としてるわけじゃないけど、あいつはあの孤児院の中でも、頭がよく回る奴ってことなんだろう。それはそれで、大事な力かもしれない」

「大事って、お前……。オレは好かねえ、というか嫌いだな、ああいうヤツは。何か教えようって言う気も失せる」


 吐き捨てるように言ったリファルに、俺は思わず笑ってしまった。


「ちょうどいいじゃないか。来なかったんだから教える必要もない」

「……お前、嫌味を言うんじゃねえよ」

「嫌味じゃないよ。俺がなんとかしたいって思ってるのは、未来が見えずに死んだ目をしている子供たちだ。だから手を差し伸べるんだ。その手の先に、未来を見出してくれる子供たちのために。自分で生きていけるような奴なら、放っておけばいいさ」


 俺の言葉に、リファルがため息と共に、苦笑いを浮かべる。


「……ムラタ。お前、言うじゃねえか」

「よく言われるからな、『お前は背負いすぎだ』って」


 一瞬、目を丸くしたリファルは、俺の背中をどついて笑った。


「なあ、あの孤児院のこと、今後どうしていくべきか、もう少しちゃんと話を詰めねえか?」


 リファルが何かを傾ける仕草をしながら、とある店を指差してみせる。

 ……うん、そいつはいいな。そういう話はどんどんすべきだろう。




「……おさけくさい」


 玄関で飛びついてきたリノが顔をしかめる。

 リトリィは困ったような笑顔を浮かべ、マイセルは青筋が浮かんでいそうな怖い笑顔を貼り付けている。


 いや!

 これはその……同僚との親睦を深めるのに必要だったのです!


「言い訳はそれだけですか?」

「ハイそれだけですマイセルさん!」

「お姉さまが、とぉぉぉぉぉぉおおおおおおっても寂しそうにしていたこと、これから一刻ばかりかけて教えて差し上げましょうか?」


 マイセルの笑顔が本当に怖い!

 その、斜めに首を傾けながら笑顔を貼り付けて怒ってみせるのが、ものすごく!


「ま、マイセルちゃん、わたしのことは気にしないで……? だんなさま、まずはお召し物をいただきますね?」

「お姉さま、今度という今度はキッチリ分からせなきゃダメです。夕飯までに帰る、これは妻子ある男の人なら当然です! ナリクァンさまがおっしゃっていたじゃないですか、旦那さまの躾は私たち妻の仕事ですよ?」

「で、でも、だんなさまも外のお付き合いが……」

「どこまでは許してどこから許さないか、その線引きが大事ともおっしゃってたじゃないですか。そうしないと、赤ちゃんが生まれたあとが大変なんですからね!」


 おろおろするリトリィに対し、マイセルがピシャリと言ってのける。

 リトリィも、俺のためになると信じることなら、俺の逃げを許さず、けれどしっかりそばに寄り添って一緒に歩んでくれる覚悟を持っているひとだけど、やっぱり俺を甘やかしてくれる女性だったんだと思い知る。

 マイセル、怖いよ! それとも、母親になるっていうのはこういうことなのか?




「マイセルちゃん、可愛らしかったですね」


 リトリィが、眠るマイセルの髪を撫でる。


「あなた、マイセルちゃんの言いたかったこと、分かっていただけましたか?」

「分かってるよ」


 苦笑いで答える。


『もっと家のことを大事にしてください! 私たちが頼れるのは、ムラタさんだけなんですよ!』


 マイセルが、べそをかきながらすがりつくように訴えてきた姿。

 リトリィが寂しげにして、リノが幾度となく「だんなさま、いつ帰ってくるの?」と聞き、そしてせっかく準備したのに、冷えてしまう夕食。ついでに、脳裏にちらつくのは外の女フェルミの存在。


 要は、マイセルもいっぱいいっぱいだったということだ。

 俺がいれば全部解決する問題なのに、その肝心の俺がいない。


「……本当に、寂しがらせてしまったんだな」

「なんだかんだ言ってもお兄ちゃんっ子だったみたいですし。あなたが、初めての本気の恋の相手だったみたいですし。それなのにわたしがいるから、あなたに甘えたくても甘えられなかったのかもしれませんね……」


 リトリィの微笑みが、寂しげだ。


「マイセルちゃんが背伸びをするのは――してしまうのは、わたしが妻として、いたらないから、なのかも――」


 皆まで言わせなかった。

 マイセルを寂しがらせたのは、俺が自分に甘かったからだ。

 俺が一番に手を差し伸べるべき相手――その手の先にあるべきなのは、今この家を支えてくれている、彼女たちだというのに。


 ……いや、リファルと飲んできたのは、決して無駄な行為じゃない。あいつとは今後のことで色々話せたし、またひとつ、近づけたと思うからだ。


 ただ、やっぱりけじめはつけるべきだった。

 涙のあとの残る頬に、そっと唇を触れさせる。

 若干のしょっぱさ。


 もう、こんな、寂しがらせるようなことはすまい。


「もちろん、君もだ。――おいで」


 小さく微笑み身を寄せてきた彼女を、力を込めて抱きしめる。

 ああ、もうすぐ藍月の夜。

 次こそは、君のお腹に赤ん坊が宿りますように。

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