第489話:生きるために必要なチカラを
「んう? ボクの好きなひと? だんなさまだよ!」
モーニングルーティンの一環の水浴び。頭から水をかぶるたびに歓声を上げて跳ね回るリノが、くりくりの目を見開くようにしながら言った。
「ヒッグス兄ちゃんもニューも、 リトリィ姉ちゃんもマイセル姉ちゃんもフェルミ姉ちゃんもみんな大好き! どうして?」
「……そうか。いや、いいんだ。リノが、家族みんなのことを好きでいてくれて、嬉しいよ」
きらきらと水しぶきを振りまくようにしながら、リノが笑う。いつまでもこの天真爛漫な笑顔を見せてくれるひとであってほしい――そう願いつつ、彼女がそのように生きていけるようにするには、なにが必要だろうか。
「えへへ、ボク、みんなみんな大好きだよ? マイセル姉ちゃんが赤ちゃん産んだら、ボク、お姉ちゃんになるんだよね? がんばってお世話するから!」
「……それは楽しみだな。リノのお姉ちゃんぶり、楽しみにしてるよ?」
「うん! だから――」
リノはそう言って飛びついてくる。
「――ボクにも早く、だんなさまの赤ちゃん、ちょうだい!」
「それはまた……何年後かなあ」
「うん。ボク、リトリィ姉ちゃんが赤ちゃん、産んだあとでいいから。ボク、ちゃんとがまんできるよ? 姉ちゃんのこと大好きだから、ちゃんと順番、守るんだ!」
苦笑いしながら頭をくしゃくしゃと撫でてやると、リノは嬉しそうに笑った。
俺に金的キックを食らわせた孤児の姿は、もうない。彼女は立派な俺の助手として、塔の建設に関わっている。自分が役に立っている、愛されている――その自覚が、自負が、彼女をこれほどまでに輝かせている。
未来を信じる、純粋な笑顔。自分を慕ってくれる少女の、この瞳の輝きを、俺は絶やしてはならないのだ。
孤児院の子供たちの目を思い出す。
明日への希望などないかのような、死んだ目をしたあの三人。
いや、三人だけではない。共に生きる仲間となるはずだった赤ん坊の死に、心を痛めるそぶりも見せない子供たち。
だが、あの子供たちをそのようにしたのは、その境遇だろう。
孤児院が悪い、と言いたいわけじゃない。あのような劣悪な環境だろうと、曲がりなりにもあの孤児院は子供たちを受け入れ、なんとかしようとしているのだ。
孤児院の経営ぶり、その力の無さを批判するのは簡単だ。だが、そもそもこの街には、今日食べるものすら手に入るか分からない状況で生きてきたリノのような娘もいる。
――それが、現実なのだ。
「ね、だっこ! だっこして!」
「はは、分かった分かった」
歓声を上げるリノを抱き上げると、その小さな体つきを実感してしまう。年齢を考えれば、本来ならもっと背が高くてしかるべきリノ。だが、「とりあえず生きている」、そんな程度の栄養状態を生きてきた彼女は、本来の背格好よりもずっと小柄らしい。
けれども、リトリィとマイセルの愛情のこもった食事によって、年相応にふっくらしてきた。さすがに背はどうしようもないが、拾ったころのごつごつと骨ばっていた様子からは想像もできない、艶やかで柔らかな肌になった。
あの戦いによって付けられてしまった傷痕は、もうどうしようもない。
珠のような肌に残るひきつれたような傷痕、ちぎれかけるほどの傷だったためか、治った今でも垂れてしまうようになった片耳。
それでも今、健やかに、彼女は生きている。
――健やかに、生きていてくれているのだ。
リノがあんなにも昏く澱んだ目をするような、そんな子供に育ててはいけない。
――いや、逆だ。
あんな目をして生きているあの少年たちを、リノのように、未来を信じることができる人間にしてやらないと。
そのためにも、知識と技術を身に着けさせ、彼らが独力で生きていける力をつけさせてやらなければ。それこそ、ヒッグスとニューとリノの三人のように。
「てめえのせいだからな!」
「おかげで大工を一人確保できたんだ、クオーク親方には感謝の極みだな」
「ざっけんなてめえ! まず感謝すべき相手は、このオレ様だろうが!」
「お前に感謝しても、どうせ許してくれないだろう?」
「あったりまえだろうが! どこのどいつが許すと思うんだ!」
「だろう? たから謝る必要がない。うむ、費用対効果はバッチリ。我ながら実に合理的な判断だな」
「ふざっけんな!」
盛大にキレ散らかしているのはリファル。実におちょくりがいのある奴だ。
「俺もしばらく孤児院のために働けと、クオーク親方から監督クビを宣言されちまったし、仲間なら苦労も分かち合おうぜ?」
「何が苦労も分かち合う、だ! オレの方は完全にてめえのとばっちりだ! だいたい、てめえのことを仲間だなんて思ったこと、一度だってねえからな!」
『リファル。お前もムラタと一緒に孤児院をなんとかして来い。
「だいたいだな、お前は何でもかんでも唐突過ぎるんだよ! それにオレを巻き込むんじゃねえ!」
「だって、俺のことをニセ大工って言ったの、お前だぞ? 俺では本物の技を身につけさせることなんてできない。分かり切ったことだろ?」
「だからなんだってんだ! だったら本物を連れて行けばいいだろ!」
「さすがリファル、話が早い。で、俺が知っている本物の大工を自称する奴といったら」
「そこでオレを指さすんじゃねえよ! 第一、自称じゃねえ! 本物の大工だ!」
「さっすがリファル、俺にはできないことをやってのける! そこにシビれるあこがれる!」
「うるせえニセ大工! オレはお前とは違うんだよ!」
「はい、というわけで本物の大工一名様ごあんなーい」
「だからちょっと待ちやがれ!」
そんなこんなでぎゃあぎゃあ騒ぎながら、それでも付いてきてくれるところが、リファルというひとのよさか。
俺もリファルも、再び孤児院の壊れかけた門の前に立っていた。
健やかに生きる。
そのためには、食わねばならない。
食うためにはどうすればいいか。
食うための力をつけなければいけない。
ならば、その力はどのようにしてつけるべきか。
そう考えたら、俺にできることなど一つしかない。
つまり、うちのチビたち――ヒッグスたちと同じだ。
日雇いで日銭を稼いで凌ぐのではなく、きちんと技術を身につけ、その技術を活用して食っていけるようにする。
生きていくために必要なチカラを身につけさせるのだ。
つまり、大工の技能を身につけさせること。
この館の改装を通して、彼らに木材加工の技術を習得させる。
「リファル、お前の『本物』の大工技能を継承させる弟子がたんまりいるぞ。よかったな」
「よくねえよっ! だからてめえは何でもかんでも唐突過ぎるんだよ!」
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