第488話:生まれてきた意味が
「お葬式……ですか?」
マイセルが驚き、そして目を伏せた。
「だんなさま、どうしていま、そんなお話を?」
リトリィのほうは、さすがにとがめるような口調だ。今夜もこれから夫婦の愛を確かめよう――そんなときに葬式の話を振ったわけだからな。怒るのも当然だ、すまない。
……でも、今日は聞く機会がほかになかったんだ。勘弁してくれ。
リトリィもマイセルも、互いに顔を見合わせ、苦笑いを浮かべながらため息をついた。
「だってだんなさまですもの、ね……」
「だってムラタさんですもの、ね……」
ホントにごめんなさい! でも聞いておきたかったんだ!
伏して謝ると、二人ともまた盛大なため息をついて、そして俺に顔を上げるように促した。
しかたのないひと――ふたりとも、顔にそう書いてある。だが、ちゃんと答えてくれた。
「……私ももうすぐ十八ですし、ご近所のお葬式に参列したことくらいは、何度かありますよ?」
「わたしは……おさないころ、王都で見たことがある、としか……。仲間が死んでしまったことも、何回かありました。でも、お葬式なんて出せませんでしたから、なきがらを川に流すしかなかったんですけど……」
あああ、やっぱり重かった、特にリトリィ。
日本よりも死が身近な、この世界の住人なのだ。身内の死、仲間の死に触れる機会も、日本よりずっと早く巡ってきて、そして多いのだろう。
俺も街の防衛戦で何人もの死を目にしてきたし、合同葬儀にも参列した。でも個人の葬式に参列したのは、孤児院のあの赤ん坊のものが初めてだった。あれは本当に胸が痛かった。
「やっぱり、信じる神様によって、葬儀のやり方は違うのか?」
「そうですね……。たしかに、どの神様を信じているかでやり方は多少違いますけど、でも亡くなった方を神の
そうか……。多少違うだけ、ということは、もしかしたら長い時の中で、煩雑な部分のすり合わせをしていくうちに、宗教の垣根を越えた共通のフォーマットができていった、ということだろうか。
「だったら……現世が修練の場で、人が死ぬのはその修練が終わったから――その解釈も共通なのか?」
「それはイアファーヴァ様の教えではありませんか?」
「イアファーヴァ様?」
……ああ、なんか、そんなようなことを言っていた気がする、あの孤児院の神様。
「イアファーヴァ様以外は、基本的にはどの神様も、私たちを祝福でもってこの世界に送り出してくださっているという教えですよ?」
「祝福? ――じゃあ、……ええと、俺たち職人の神様の……」
「キーファウンタ様ですか? もちろんです。私たち『ひと』が豊かに暮らせるようにいろいろな
マイセルが、口では小難しいことを言いながら、けれど慣れた手つきで、愛おしげに俺のものを撫で、さすり、舐め上げる。
「ふふ、お姉さまが前におっしゃっていましたけれど、私たちにとっては、ムラタさんとの出会いこそがキーファウンタ様からいただいた祝福です。……ほら、お姉さま。ムラタさんの準備が整いましたよ?」
マイセルがリトリィを促すと、リトリィが期待に満ちた目つきでしなだれかかってくる。
……も、もう少し待ってくれ、愛を確かめ合う前に確かめておきたいことがあるんだ。
「……ムラタさん、あとにできませんか?」
興覚めするようなことを言わないでください――そんなことを訴えるかのような目つきのマイセル。リトリィも頬を膨らませている。
一応、二人とも止まってくれたが、ことにリトリィがあからさまに不満げな様子を見せている。かなり珍しい。さっさと話を切り上げないと。
「ええと……。この世は修練の世界で、死ぬのは修業明けの時っていう解釈なのは、どの神様も一緒なのか?」
「……それは多分、イアファーヴァ様ですね。全部の神様の教義を知ってるわけではないですけど、現世をそのようにとらえているのは、イアファーヴァ様の教えだけだったと思います」
マイセルとのやり取りの最中、リトリィが口をとがらせるようにしながら、俺の手をつかんで自分の胸に押し付ける。
そんなことより、あなたの好きなものがここにあるんですよ――そう言いたげに、上目遣いで。
分かる、分かっています。だからもう少しだけ待ってくれって……。
「……それはつまり、そのイアファーヴァって神様がかなり異端だってことか?」
「よく、分かりません。新しい神様だって聞いたことがありますし、だからほかの神様とはかなり違っているとは思いますけど」
「新しい神様……?」
「はい、そうらしいです。詳しくは知りませんけど……」
新興宗教という奴だろうか。日本にもいろいろあったけど、大抵、新興宗教ってのは教えが過激な傾向があるよな。そのイアファーヴァって神も、新しいってことはかなりマイナーで、教義も過激だったりするんだろうか?
「いえ? 他の神殿よりもずっと慈善活動に熱心ですから、信者は多い方じゃないでしょうか」
「多い? 新しい教えなのにか?」
「はい。残念ですけど、この街ではキーファウンタ様よりも信者が多いかもしれませんよ?」
そう言ってマイセルが笑う。
なるほど、結婚式の時に訪ねた神殿を思い出す。
外見は立派だったが、中の礼拝堂は装飾の金箔や椅子のニスが剥げていたりして、とてもカネがあるようには見えなかった。
寄付を要求してアレなのだから、信者がそれほど多くないのかもしれない。実際に比べたわけじゃないから分からないが。
「そういえば、結婚式には
「はい。構いませんよ? ただ、仲が悪い神様もいらっしゃいますから、そこは気をつけないと、ご
マイセルが、ちょっと困ったような顔をした。
「イアファーヴァ様は、他の神様も一緒に信じることを嫌がるそうです。信者の方の中には、イアファーヴァ様こそ至高にして唯一絶対の神、なんていうひともいるみたいですけど」
だったら、キーファウンタ様こそ、私たちの暮らしの礎を築いてくださった、ひとの探求の心を祝福してくださる至高の
まあ、女神キーファウンタの
それよりも新参者のくせに心の狭い神だな、イアファーヴァってのは。
いや、信者が勝手に暴走して至高の神とかに祭り上げてるだけで、実は神様本人は控えめだったり、逆にやたらと親しげだったりするのかもしれないけどさ。
「……ええと、話が逸れたけど。それで、イアファーヴァ……様の教えでは、この世で修練を積む場所で、神様が救いの手を差し伸べてくれると修練が終わる――つまりそれが死、ということなんだな?」
「……そう、だったと思います。私は信者じゃないから、詳しくはよく分からないですけど……」
「じゃあ……」
言いかけて、そして気がついた。リトリィがそばにいないことに。
見回すと、一人、毛布の中に潜り込んでいた。
「リトリィ……?」
「……どうせわたしは、鉄のことしか知らない、もの知らずです」
俺は慌てて謝ると、話を切り上げることにした。ところが、リトリィは「……しりません」と、俺の手をしっぽで振り払って、毛布から出てこない。
「わ、悪かったリトリィ。別に君を放っておいたつもりは……」
「いいんです。どうせわたしは、さっきのお話の最中では、おそばにいる意味なんてありませんでしたから」
「リトリィ、ごめん。だから――」
「しりません」
完全にすねてしまっていた。こんなリトリィ、久々に見た気がする。
助け舟を求めてマイセルを見ると、小さくため息をついて、それから「貸しひとつ、ですよ?」と笑った。
「お姉さま、いいんですか?」
「
あああ! リトリィに
「では、今夜はムラタさんのお情けは、みんな私がいただいちゃいますね?」
「お好きにすればいいんです。どうせわたしには、意味がないものですから」
「……お姉さま。本当に……本当に一滴残らず、いただいてしまいますよ?」
いいんですね? ――そう念を押すマイセルに背中を向けたまま、ぱふっとしっぽを打ち鳴らしてみせたリトリィ。
マイセルにまで八つ当たりするリトリィなんて、本当に初めて見る。どうすればいい――? おろおろする俺に、マイセルは小さく忍び笑いをした。
マイセルに促され、そんな気になれないとためらいながら、しかしマイセルのいいようにされていると、しばらくしてからリトリィがのそのそと起き上がってきた。
「……だんなさまを取らないで、なんて泣くくらいなら、最初から甘えてみせたほうがいいですよ?」
幼子のように泣きながら、マイセルに頭を撫でられているリトリィの姿を見るのも、初めてだ。今日はリトリィの『初めて』を、いろいろ発見してしまった気分だ。
「大丈夫ですよ。ムラタさんも私も、お姉さまのことが大好きなんですから。ムラタさんがお姉さまのことを見捨てるようなことも、私がムラタさんを独り占めすることも、絶対にありませんから。絶対に――」
真っ赤になってしまった目をこすりながら、恐る恐るまたがってきたリトリィを、俺は力いっぱい抱きしめる。
愛してる、それを伝えるために。
マイセルも、リトリィを背中から包み込むようにして、俺ごとリトリィを抱きしめた。
「結婚式で誓いましたよね? ムラタさんと、お姉さまと、私。ずっと、三人で愛し合っていくんだって」
――そう言って、マイセルはリトリィのうなじに舌を這わせた。
リトリィが可愛らしい悲鳴を上げる。
「ま、マイセルちゃん……!」
「この際ですから、三人で一緒に愛し合いましょう? ふふ、久しぶりですね」
マイセルの指がリトリィの胸の
可愛らしい寝息を立てている二人に両側から絡まれるように挟まれて、俺もまどろみながら、考えていた。
ああ、こうやって互いを思い合い、慈しみ合い、愛し合うこと――そのよろこびを噛みしめ合うことこそが、この世界で生きる、祝福なのかもしれない。
この世界で、生きるよろこびを堪能する生き方ができることが。
……だったら、あの子たちは。
一杯のスープを分け合うことを惜しみ、奪い合うあの子たちに、果たして祝福などあるのか。
……いや、そんなこと……考える、までもない。誰にだって、あるはずなんだ。まして、神様とやらがいるのなら。
「誰にだってあるんだ……生まれてきた、意味が。誰に、だって……」
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