第487話:虚ろな目

 例の孤児院から新たにやってきた、三人の少年たち――ハフナン、ファルツヴァイ、トリィネ。

 共通しているのは、どの目もじつにまったく、死んでいることだった。


 言われたことをやる、それはできる。

 言われていないことは一切やらない。


 そんな彼らが唯一、目に光を灯したのは昼食の時。

 リトリィが差し出した、温かな汁の入った椀を手にしたときの、驚きの表情。

 震える手でひと口すすったときの、息をのむ姿。

 そして、それまでの鈍い動きが嘘のように、がふがふと、すさまじい勢いでかき込んでゆくありさま。


「……どうだ、食うか?」


 そのあまりにも必死な様子に、俺は思わず、自分の椀を差し出してしまっていた。

 が、たちまちハフナンとファルツヴァイで醜い奪い合いになってしまった。仲良く分け合う、そんな発想など、もとより存在しないかのように。


 しかも負けたファルツヴァイに対して、トリィネがおずおずと自身のスープを差し出したのを見て――ファルツヴァイが礼も言わずにそれを平らげるのを見て、浅はかな同情はろくでもない結果を生むことを、身をもって理解してしまった。


 しかし、それでもまだましだと言わざるを得なかったかもしれない。なぜなら、目に生気が宿っていたのは、結局、昼食の時だけだったのだから。

 午後からの仕事では、また死んだような虚ろな目の、ノロノロとした動きに戻ってしまった。


 なんというか、覇気がなさ過ぎて、見ていて歯がゆかった。リヒテルは、不器用ではあっても一生懸命で好感が持てたというのに。

 三人から共通して漂ってくる虚無感に、「もっとシャキッとしろ」と何度言いたくなっただろう。俺は体育会系の人間ではないと思っているが、それにしたって風が吹いたら飛ばされそうなヨレヨレ具合に、しまいにはこちらがいらいらしてしまうほどだった。


 ――そのときはまだ、彼らがなぜそれほどまでに虚無的なのか、考えもせずに。




 二日間、天気がぐずついて、現場作業が三日ぶりに行われたその日も、シュラウトではなく例の三人がやってきた。

 トリィネが妙に落ち着きのない様子だったが、それ以外は特に変わったこともなく、相変わらずの無気力ぶりだった。


 一日の仕事が終わり、俺は三人について行って、孤児院の様子を見てくることにした。面倒くさがるリファルに、今度、酒をおごるからと約束し、同行させて。


 あまりにも反応が虚ろな三人のことが気になったのだ。どういう基準でこの三人が選ばれて働きに寄こされたのか、その意図も聞きたかった。


 ついでに、リヒテルの顔も見ておきたかったというのもあった。なにせ二日間の雨。あのひどい屋根の下で暮らす彼らだ、体調を崩していないだろうか。


 そして出くわしたのが、これだ。


「いま、神のみもとに一つの命が還ります。またいつか、神の恩寵が得られますよう――」


 孤児院『恩寵の家』、その中庭で行われていた、葬儀。

 土気色をした顔の赤ん坊が、小さく、粗末な棺の中で横たわっている。

 今日の昼前に亡くなったそうだ。昨年の夏に、門の前に捨てられていた子供だったという。ということは、もうすぐ一歳だったということなのだろうか。


「……ああ、そいつ。もともとずっと風邪気味でさ。一昨日の夜の雨で濡れて以来、もっと様子がおかしくなったんだ」


 こともなげにそうつぶやいたのは、ファルツヴァイ。


「ずっと咳ばかりしててさ。今朝、家を出るとき、もう持たないだろうなとは思ってたんだよ。仕方ないんじゃない? 寿命だよ」


 これといった感慨もない様子で、淡々とそう言った。

 ハフナンは歯を食いしばるようにしてうつむき、何も言わなかった。

 そしてトリィネは「……昨日、ずっと、すごい熱を出してたんだ。やっと楽になれたんだね……」と、肩を震わせていた。


 にわかには信じられなかった。

 何がって、中庭に集まっている子供たちは、おおかたがファルツヴァイと似たような様子だったからだ。


 赤ん坊が死んでるんだぞ?

 自分たちと同じ家で生きてきた赤ん坊が、一歳の誕生日を迎えることもできなかった、あまりにも短い命を終えてしまった子供が、目の前にいるんだぞ?

 それなのに、なんでこんな、無関心なんだ?

 泣け、などとは言わない。だが、まるで退屈な日常に付き合わされているかのような、この無関心ぶり。


 淡々と葬送の言葉を紡ぐダムハイト氏も、押し殺しているだけなのかもしれないが感情の起伏を見せない。コイシュナさんも、虚ろな目でずっと地面を見つめているだけだ。


 なんなんだ。

 なんなんだ、これは。

 これが、親から見捨てられた子供たちの拠り所となるべき場所だっていうのか?

 これが、孤児院というものなのか?


 そもそも、赤ん坊ってこんなにスリムなのか?

 俺の印象では、赤ん坊ってのはまるまると太っていて、もちもちの肌をした存在のはずだった。この棺の赤ん坊は、なんでこんな、痩せているんだ?




「……神のおぼし召しでしょう」


 ダムハイトさんは、やはり感情の感じられない言葉で、静かに答えた。


「神の思し召しって――こんな、一歳にも満たないような赤ん坊を死なせることが、神の采配だって言うんですか?」

「……神のお考えは、我々には分かりません。ただ言えることは、神はあの子を、この地上からお救いになられたということです」

「地上から救った? つまり俺たちは、この世界で責め苦にでも遭っているっていうんですか?」

「現世は生きる苦しみに耐える修練の世です。神は、あの子の修練の期間が終わったと判断なされたのでしょう」


 俺は納得がいかなかった。

 この地上は苦しみに耐える修練の場で、あの赤ん坊はそこから救われた――ということは、この世界は地獄だとでもいうのか。


 そんなこと、断じてあるものか。

 リトリィと出会って、愛を育んできたこの世界。

 苦しいこともつらいことも確かにあったけれど、リトリィと手を取り合って生きることができるこの世界のどこが、苦しみに耐える場だというんだ。


 俺の言葉に、しかしダムハイトさんは眉の一つを動かすこともなかった。


「人の為す愛は執着――それ自体が苦しみの母体です。神の慈愛とは異なり、ひとの愛は与えもしますが、奪いもします。人の為す愛は、それ自体が試練なのです。そうしたものを知る前にこの現世から解き放たれたあの子は、幸せでした」


 幸せ……?

 赤ん坊が、赤ん坊のまま死ぬことが、幸せ?

 そんな馬鹿な……馬鹿なことがあるものか!


「……バカ、やめろ。葬送の儀の邪魔をするんじゃねえよ。なにカッカしてるんだ」


 俺の肩をつかんであきれたように言ったのは、リファルだった。


「お前の子供でもないのに、なに頭に血を上らせてるんだよ。葬送の儀自体は質素極まりないけど、多分カネがないだけだろう。それ以外には別に問題なんて見当たらない、だ。よくあることだろ、お前は何を突っかかってんだ」


 その言葉に、俺は虚を突かれる思いだった。

 これが、このダムハイト氏の発想が、ごく「普通」。

 リファルも、それを「普通」、そして「よくあること」として受け入れている。


「ですから祈りましょう。人の死をひととして悼み、送ることは、信じる神は違っても、共にできることですから」


 改めて祈りの言葉を捧げ始めたダムハイト氏と、それにならって頭を垂れたリファル。


「……おい、何が気に食わねえんだ。頭、下げろよ。そんな常識もないのか」


 リファルに小声で促され、俺は頭を下げた。


 ただ、例の三人の虚ろな目が、どうにも気になって仕方がなかった。

 彼らは、いずれ自分もああなるかもしれない――そう思いながら生きてきたから、あんなにも無気力なのではないだろうか。




「孤児院では子供がよく死ぬのか、だって? 何言ってんだ、俺だって五人きょうだいで生まれて、上の兄貴二人はとっくに死んじまったよ。孤児院かどうか、そんなの関係ねえんじゃねえの?」


 帰り道、リファルがあきれたように言った。


「お前のいた国ってのは、そんなに死人の少ない国だったってのか?」

「……少なくとも、子供が病気で死ぬってのは、あまり聞かなかったな」


 俺の言葉に、リファルが目を丸くした。


「へえ、そりゃすごい。うらやましい……と言いたいが、そうすると子供だらけの騒がしい国だったんだろうな」

「いや? 少子化少子化って、いつも言っていた。子供の数が少ないから、子供を育てやすい国にして出生率を上げるべきだって、よく言われていた」


 すると、リファルはますます顔をしかめてみせた。


「は? 子供が死なねえなら、育てやすいんだろ? 何言ってんだ?」

「……子供が死なない代わりに、産もうとする女性が減ってたんだよ」

「何言ってんだ、子供なんてヤればすぐデキるだろうに」

「……家事育児、そして仕事が大変で、収入も少なくて貯蓄もなくて、子供を作る余裕なんてなかった夫婦が多かったんだよ」


 たしか、老後の安心のためには二千万円の貯蓄が必要――そんな話が飛び出したこともあったっけか。大学に通わせるだけでも数千万。住む場所を確保するだけでも数千万。


 カネ、カネ、カネ。それが、子供を複数持つこと――ひいては結婚自体をためらわせることにつながっていたように思う。俺自身、この世界に来るまでは子供以前に女性との交際自体を諦めていたから、少子化を促進する一人ではあったのだろうけれど。


「ますます分からねえ。貯蓄? 今日食えたらそれで問題ないだろう? 何言ってんだ、お前は」

「……明日を考えなくてもいいお前のお気楽さが羨ましいよ」

「明日? 明日のことなら明日、考えればいいだろ。お前が考えすぎなんだよ」


 ……きっと、江戸時代くらいに生きていた日本人も、これくらいのユルさだったんだろうな。その日暮らしの生活は、たしかに気楽だろう。

 だけど、何か想定外のトラブルがあったときには、即座にどうにもならなくなる暮らしでもあるんだけどな。


「なんでもいいけどよ、お前、背負い込みすぎなんだって。今日死んだあの赤ん坊だって、あの場で初めて見ただけじゃねえか。なんでお前がそこまで親身になる必要がある。お前にはオンナが三人もいて、チビも三人養わなきゃならねえうえに、赤ん坊もじきに二人、生まれるんだろ? 自分の立場を忘れるな」

「それとこれとは……」


 言いかけた俺の背中を、リファルがぶん殴った。

 むせる俺の肩を、彼が揺すぶる。


「関係ないって言いたいのか? バカ、あるだろ。お前があの家を支え続けなきゃ、それこそお前、生まれてくるお前のガキが、今日見たあの赤ん坊と同じ死に方をするんだぞ?」


 リファルにがくがくと揺さぶられた衝撃で、俺は石畳につんのめってしまった。転倒した俺に、リファルが舌打ちしながら手を伸ばす。


「なにコケてんだよ、しっかりしやがれ。同情に目がくらんで本当に支えるべき相手を見失うんじゃねえ! お前は家の、家族の柱なんだぞ!」


 ……俺が、家の――家族の、柱。

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