第485話:せめて健やかにと

「……どうするんだ、ムラタ」


 帰り道、リファルが小石を蹴っ飛ばしながら言った。


「どうするって、……やるしかないだろう?」


 どう答えたらいいか――ためらいつつ、しかし俺は答えた。

 リファルが、もう一つ、石を蹴っ飛ばす。


「タダでか?」

「さすがにそれは無理だ。いくらなんでも、それは……」

「でも向こうはそのつもりみたいだぞ?」


『ありがとうございます、あなた方に神のご加護がありますように』


 ダムハイト院長の感激の声と、その隣で俺から目をそらして小さくなっているリヒテルの姿が思い出される。


 ダムハイト院長は、中庭の畑で畑を耕していたのだという。泥だらけの姿で、俺の姿を見るなり駆け寄ってきて、俺の手を取り何度も礼を言っていた。


 院長というのは、デカいデスクにふんぞり返って偉そうにしているものだという思い込みがあったから、飾り気のないその姿に好感は持てた。だが、仕事を無料で引き受ける前提で感激されても困る。


 以前、シヴィー婦人とゴーティアス婦人の家を改装したとき、瀕死の俺を救ってくれた二人への礼を込めて報酬は受け取らないと決めたら、リトリィにぴしゃりと言われた。


『それはだめですよ。ちゃんとはたらいた分は受け取らないと。職人のお仕事が、軽く見られてしまいます』


 同じ事をマイセルにも言われた。

 仕事は仕事として誇りを持つべきであり、成された仕事に対しては敬意が払われてしかるべき、と妻にして職人の二人に言われて、そういうものなのかと納得したものだった。


 だからだろうか――

 孤児であるリヒテルたちのためになんとかしてやりたい、という願いから出発しているし、この貧しい孤児院から定額でむしり取ろうとも思っちゃいない。それどころか、こちらの持ち出しはある程度覚悟したうえでの仕事にするはずだった。

 けれど、仕事を始める前から無料前提で感謝されてしまうと、どうにも違和感が拭えないのだ。


「……ま、神殿の坊主どもは、こっちが格安というか、いっそタダで働くのが当然だって思っているのがいるからな。それに比べりゃ、始める前から感謝されるだけマシかもしれねえぞ?」




 で、クォーク親方に怒鳴られた。


『わしらが無償奉仕するのは別に構わん! だがカネもなしに材料をどうやって調達するんだ、この折れ釘野郎!』

『神殿の建設なら寄付のあてもあるだろうが、孤児院の屋根修理ごときで寄付が集まると思うか!』


 まっことその通りです、どーもすみません。

 だけど、あの場、あの雰囲気では、「いえ、お代はきっちり請求いたします☆」なんて言えなかったんだよ、俺は!

 そういうところがヘタレだって言ってんだ、なんて怒鳴られてもさあ!




「神殿の方々って、どうしても寄付でなんでも成り立ってますから。その癖が抜けないのかもしれませんね」


 マイセルが、隣でお腹をさすりながら言った。

 つい、俺もその膨らんだお腹を撫でてみると、マイセルは微笑みながら、俺の手に自身の手を重ねてきた。


 この白い肌の奥に、自分の子供がいる――そう考えると、膨らんだお腹を眺めるだけでも、心が躍る。

 これまでも何度もさすってきたけれど、すべすべの肌のそのお腹は、柔らかそうに見えて意外な硬さがあって、最初にその硬さを知った時は驚いたものだ。


「でも、恵まれない子供たちにって言われると……俺、どうにもなあ」

「ムラタさんは優しいから」


 マイセルは俺の頭を撫でながら、微笑んだ。

 リトリィもマイセルの言葉にうなずきながら、俺の胸に指を滑らせる。


「だんなさまはやさしいかたですから、いつもご苦労を背負ってばかりですけれど……。ちゃんと、わたしたちをたよってくださいね?」


 両脇を妻に寄り添われながら、俺は月を見上げた。今夜は薄曇りで、月の姿はぼんやりとしか見えない。


「怒鳴られはしたけれど……やっぱり気になるんだよな」

「……何がです?」


 マイセルが、そっと身を起こした。

 リトリィを真似て伸ばし始めた髪もだいぶ長くなった。さらりとこぼれる栗色の髪が、少しくすぐったく感じる。


「いや、なんと言ったらいいか……。自分にももうすぐ子供が生まれるのにって考えてしまって、さ……」


 マイセルのお腹に手を伸ばすと、マイセルはそっと身を寄せて、触らせてくれた。お腹は順調に大きくなってきている。この中で、俺の子が、健やかに育ってくれているのだ。マイセルが健康でいてくれるおかげで。


「仮に工事をするにしても、明日明後日からすぐにってわけにはいかないし、工事を始めてもすぐに仕上がるわけじゃない。春が来て暖かくなってきたといっても、まだまだ夜は寒いから、雨が降ると厳しい。うちのチビたちとは、雲泥の差だ」


 俺の言葉に、下の部屋で眠っているはずの三人の子供たちの様子を思い浮かべたのだろうか。マイセルが小さく笑った。


 一階の、炭のとろ火がちろちろと残る暖炉の前――それが寝るための定位置となった、ヒッグスとニューとリノ。リトリィたちがこしらえてくれた、ひとり一つずつのふかふかのクッションと、毎晩一緒に眠っている。


「あれ、あの子たちが気に入ってくれてよかったです」


 嬉しそうに言うマイセルに、リトリィも頷いた。


「あの子たちったら、寝るときはいつもしがみついて寝ていますからね」


 そう。この地域ではなじみがないらしいが、要は抱き枕だ。

 彼らはベッドこそないが、柔らかな毛布もあって、いつも抱き枕にしがみつくようにしつつ身を寄せ合って――互いを蹴飛ばしあいながらも――実に幸せそうに眠っている。


 対して、今日知った、孤児院の子供たち。

 確かに彼らには、簡素なベッドを割り当てられていた。


 しかしそこは、じめじめとした屋根裏部屋。おまけにベッドとはいっても、クッションどころかマットレスもない板があるだけ。

 その腐りかけの板の上で、かび臭い薄っぺらな毛布一枚にくるまって、隙間風に耐えて眠るのが、「恩寵の家」の子供たち。


『雨の時ですか? ベッドのおかげで、体がそんなに濡れないから助かってますよ』


 そう、こともなげに言って微笑んだシュラウト。床に溜まった雨水に身を浸さなくても済む――そう言いたいらしい。逆に言えば、ベッドの役割など、その程度しかないのだ。


 しかし雨漏りからは逃れられない。とすると、ただでさえカビ臭いじめじめした毛布は、まともな寝具の役割を果たさなくなる。だがそれでも、そいつに身をくるむしかないのだ、彼らは。


 少なくとも、そんな劣悪な環境で孤児院――「児童養護施設」を名乗る場所なんて、現代の日本には無かっただろう。いや、昔の日本だって、もっとましだったんじゃないだろうか。


 「小公女」――毎週いじめられていたという伝説の鬱アニメだって、屋根裏部屋で寝泊まりしていたという設定だった。けれど、まさか雨漏りでまともに寝ていられない、という環境ではなかっただろう。

 そう考えると、彼らの苦境がより一層際立って感じられる。


「……せめて、健やかに過ごせる環境を整えてやりたいって思ってしまうんだよな。リノたちを引き取って、子供もできた今だから、余計にそう思うのかもしれないし、俺の思い上がりかもしれないけど」

「思い上がりなんかじゃ、ないですよ」


 マイセルが、俺の頭を抱きかかえるようにして、あらためて横になる。

 妊娠したためだろう、マイセルもだいぶ胸が膨らんできた。リトリィにはまだまだ遠いけれど、でも明らかにふっくらしてきたその胸に、俺の顔を押し付ける。


「見ず知らずの子たちのために色々考えて動こうとするムラタさんなら、私たちの赤ちゃんが生まれたら、きっと素敵なお父さんになってくれるんだろうなって、そう思います」


 ……それは、……まあ、そうありたいとは思う。「イクメン」を気取るわけじゃないが、少なくとも、我が子のおむつを換えたこともないような、そんな父親にはなりたくない。


 すると、マイセルもリトリィも目を丸くした。


「そ、そんなことはわたしたちにおまかせください。殿方がおむつを換えるなんて、聞いたことがありません!」

「そうですよ! お姉さまや私に任せてください! 赤ちゃんのことは、ちゃんと自分たちでしますから!」

「……そんなに俺は信用できないのか?」


 ちょっと傷ついた。なんか、赤ん坊の抱っこもできそうにない不器用野郎とか思われてるってことだろうか。


「ち、違いますよムラタさん! 男の人はそんなこと、しないものなんですっ!」

「だんなさまにそんなことをさせるなんて、妻の恥ですから!」


 マイセルもリトリィも、なにやら必死に訴えてくる。いや、妻の恥ってなんだそれ。父親だって、おむつ交換くらいしたっていいだろうに。なんなら育休だって取りたいぞ、俺は。


 すると、二人とも絶句した。


「……あの、ムラタさん、……その、ムラタさんには、がんばって働いていただきたいので!」

「だんなさまがおしごとをしなかったら、だれが家を支えるんですか。日銭を得るのも、だいじなだいじな男の人のおしごとです。だんなさまがわたしたちをだいじにしてくださる気持ちはわかりましたから、ちゃんとおしごとをしてくださいね?」


 ……なんか、ほんと、「余計なことを考えるな!」と叱られた気分だ。俺って、そんなに信用無いかな?


「違いますっ! 女の矜持です!」

「だんなさまのことはちゃんと信じてますから。子育ては、わたしたちにまかせてくださいな?」


 マイセルとリトリィにたたみかけられ、仕方がない、今はそういうことにしておこうと諦める。

 でも、俺だって子育てに関わりたいんだ。リトリィたちの様子から勉強して、いずれ二人ともぐうの音も出ないくらいのおむつ替えを習得してやる。


 そんなことより、つぎはわたしですよ――そう言ってまたがってきたリトリィの腰をつかみながら、俺は密かに決意したのだった。

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