第484話:シュラウトという少年は
「リヒテル、腕の調子はどうだ?」
尋ねた俺に、リヒテルは笑顔で答えた。
しばらく待たされて、その挙句に案内役に紹介されたのは、左の腕を骨折し、しばらく仕事を休むことになったリヒテルだった。もう一人は亜麻色の髪に緑の瞳をもつ、シュラウトという名の少年だった。
「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「大丈夫っていうのは? 痛みはないか?」
「はい、特には……。どこかにぶつけたりしない限り大丈夫です、多分」
はにかむリヒテルの肩をぽんぽんと叩きながら、シュラウトが笑う。
「リヒテルはいい奴なんですけど、どこか間抜けなところがありますから、僕たちがいつも様子を見てやってるんですよ。な、リヒテル?」
シュラウトの言葉に、リヒテルが少しひきつった笑みを浮かべた。ただ、ひきつり気味の笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。
「そうだ、ムラタ……さんとおっしゃいましたっけ。工事現場の監督さんなんですって?」
「……そうだが?」
「リヒテルがこんなことになって申し訳ありません。あの、僕たち同じ『恩寵の家』に住む仲間ですし、リヒテルの代わりに働かせてもらえませんか?」
「リヒテルの、代わり?」
「はい! 同じ『恩寵の家』に住む仲間として!」
仲間が動けないぶん、代わって働きたいというのか? それだけ、この孤児院の経営に危機感を覚えているのか、それとも純粋に仲間の失敗をカバーしたいという思いなのか。
「……そうだな、やる気さえあるなら――」
「おい、屋根裏へはどう移動するんだ?」
返事をしようとしたとき、リファルがシュラウトに声を掛ける。
シュラウトは一瞬、目を閉じ肩を震わせた。だが、一度深呼吸をするようにしてからリファルに向き直ると、通路の奥を指差す。
「あの奥の階段から上ります。とても急な階段なので、気をつけてください」
屋根裏の部屋は、一面の星空のようだった。
リファルと一緒に、ため息をつく。
猛烈なカビ臭さに、あちこちに散らばるボロ布のかたまり。
そしてときどき、ネズミの走り回る音。
この館の天井のほうからは、いつも小さなかさかさとした音が聞こえてきていた。その正体がこれだったのかと、俺はちょっとした感動を覚えた。
だが、感動している場合じゃない。ネズミは様々な感染症を媒介する、厄介な同居人だ。
もっとも信じられないのは、この屋根裏部屋が活用されているということだ。
「いつも、ネズミが走り回るこの部屋で寝ているのか?」
「え? どうしてですか?」
「ネズミが一緒だと、……そうだな、なんというか……落ち着かないんじゃないか?」
しかし、言葉を選んだ俺の問いに、シュラウトは鼻で笑った。
「たかがネズミですよ? どうしてそれくらいで? もしかしてムラタさん、ネズミが怖いんですか?」
「……そうだな。怖い」
リヒテルが俺を見た。少し驚いたような表情。対してシュラウトは、奇妙に口の端がゆがんだ笑みを浮かべた。
「へえ……。工事現場の監督さんになるひとは、もっと力が強くて荒っぽい人だと思ってましたよ。ネズミなんかが怖いんですね。意外です」
「大抵の監督は荒いぞ。このムラタって奴が特別ヒョロいだけだ」
リファルが方眉を吊り上げつつ反論した。
「でも、ムラタさんみたいな人でも監督になれるんですね。現場を手伝うって言いながらちょっと怖かったので、なんだか僕も希望が持てますよ」
シュラウトが朗らかに笑ってみせる。
「シュラウト、ムラタさんは優しいだけで……」
リヒテルが困ったようにシュラウトを制止しようとするが、シュラウトはリヒテルの手を逆に遮った。
「なんだよリヒテル。僕はムラタさんが監督なら、僕も希望が持てるって言っているだけだよ? まさか、リヒテルはムラタさんが優しいだけの役立たずとでも言いたいのかい? 君こそ、ムラタさんを何だと思ってるんだい?」
「そ、そんなことは言ってないだろう、ぼくは……」
「でもムラタさんのことを優しい
シュラウトは笑うと、俺に向き直った。
「申し訳ありません、おしゃべりでムラタさんの時間をムダにしちゃいましたね。続けましょう」
「あ、ああ……」
唐突に作業の続行を促され、俺は戸惑いながらうなずいた。
二人に案内されながら、俺とリファルは屋根裏の様子のチェックを続けた。
実に悲惨だ。屋根のあちらこちらに、夜空の星のようにヌケがある。瓦がずれたか、それとも割れたか。そうしてできた隙間が、無数にあるということ――つまり屋根に穴が開いているということだ。
窓を閉めたまま、明かりの漏れてくる部分を確認し、次いで窓を開けてその箇所の傷み具合を目視で確認する。
確認した場所は、ひとつひとつ、書き記していく。
たちまち、屋根は修理箇所だらけになってしまった。もういっそ、屋根を取り換えることができるならごっそり取り換えたほうが早い、と思うくらいに。
ひと通り見て回って、よくもここまで放置したものだという驚きと、修理に掛かるであろう費用の額に、頭が痛くなる思いだった。それはリファルも同じだったらしく、俺の顔を見ると苦笑いを浮かべる。
「……これ、雨が降ったらどうしていたんだ?」
本当に、まともな部分が少ないこの屋根を見上げて、俺はため息をつきながら聞いた。
外から見ても苔や草だらけのひどい屋根だったが、想像以上に傷んでいる。雨の夜なんて、どうやってしのいでいるんだろう。
「え、ええと……雨漏りの少ないところが、その……取り……」
「濡れにくいところにベッドを移動させて、そこで寝ます。大体どのあたりがよく雨漏りするか、それはわかっているので」
答えようとしたリヒテルに割り込むように、シュラウトが笑顔で答える。
「濡れにくいところといっても、ベッドの大きさ分の無事な箇所っていうのが、なかなか見つからない気がするんだが……」
「大丈夫ですよ、そのあたりは一つのベッドに一緒に寝ることで、なんとかしていますから」
リヒテルがシュラウトを見る。
何か言いたそうにしたが、シュラウトににっこりと笑いかけられ、うつむき、口を閉じてしまった。
「ですが、雨のたびにそれでは、やっぱり大変ですから。僕らも自分たちで何とかしようとしたんですけど、うまくいかなくて。専門家に直してもらえるなんて、とってもうれしいです! ありがとうございます!」
シュラウトは、リファルに向けて勢いよく頭を下げた。
「いや、修理するかどうかってのはこれからの話で、まだいくらカネがかかるかも……」
リファルが困惑した顔を見せると、シュラウトは顔を上げた。そして笑顔になると、リファルの手を取る。
「わあ、やっぱり屋根を直してもらえるんですね! とてもうれしいです! お二方に、神のご加護がありますように! ダムハイト院長先生にもさっそく報告します、大工さんが来てすぐ直してもらえますって!」
リファルが目を見開いて何かを言おうとしたが、シュラウトは感極まったように続けた。
「僕らはやっぱり孤児ですから。多くを望めない立場ですし、屋根があるだけでも幸せだと思っていたんですけど、親切な大工さんのおかげで雨の日も凍えずに済むなんて! 夢みたいです!」
「しゅ、シュラウト、それは……」
リヒテルが首を振って何かを言おうとしたが、シュラウトは額に手を当て、大きなため息をついた。
「リヒテル、なにしてるんだい? 早くダムハイト院長先生にお伝えしてきなよ。大工さんや
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