第482話:嫁入り前修行のコイシュナさん

「お前も本当にお人好しだな」

「そう言いながら付き合ってくれるお前も、なかなかのお人好しだと思うが。――ありがとな」

「うるせえ」


 リファルはそっぽを向いてみせるが、その歩みは止まらない。


「そんなことより、監督が現場を放り出して抜け出していいのかよ、ニセ大工」

「ニセ大工か……久しぶりに聞いたな、それ。お前もクオーク親方の雷声、聞いてただろ?」


 昼飯を食った後だった。俺は例の孤児院「恩寵の家」について、せめて雨漏りを何とかしたいと考えていた。そこで、まだ日の高いうちに様子を見てこようと思い、そのために前任の現場監督であるクオーク親方に、今日だけあと半日、様子を見ていてくれないかと相談してみたのだ。


『話がなげぇ!』


 いつもの雷が落ちた。クオーク親方のいつもの怒声だ。

 相談した理由をきちんと説明しようとしたのが良くなかったらしい。


「孤児院の雨漏り修理のために様子を見に行きたいので、午後から代わってください!」

「そういうことはもっと早く言え、かんなクズ野郎!」

「え、あ、すみませ……かんなクズ?」

「お前みたいな奴でも務まるような飾りアタマなんぞタラタラやっとらんと、とっとと神にご奉仕してこい! 気の利かん折れ釘ボウズめ!」

「あ、ありがとう、ござい……」

「だからとっとと行けと言っただろうが! 見積もりができたらわしに見せに来い! それまでお前はクビだクビ! 」

「はい! ……は、はい?」

「いつまでいやがる! お前の耳の穴にはダボでも詰まってんのか!」


 ……いやあ、なんで俺、あんなに怒られたのだろう。


「なんでって……クオーク親方なら、いつも通りだろ?」

「いやまあそうなんだけど」


 耳をほじりながら言うリファルに、釈然としないものを感じながらも、まあ、クオーク親方だし、と納得せざるを得ない俺。


「……俺、『幸せの塔』の監督、元監督の一言でクビになっちゃったんだが?」

「クオーク親方なんだから仕方ないだろ」

「仕方ない……仕方ないのか?」

「仕方ない」


 リファルに「仕方ない」と断言され、俺は「そうか、仕方ないのか……」と天を仰いだ。今日は、雲こそ多いが晴れ間も多い。まあ、怒声と引き換えにせっかく得た時間だ。さっさと孤児院に行って様子を確認してこよう。




「雨漏りを修理……ですか?」


 そう言って首をかしげてみせるのは、先日も俺を出迎えた女性。コイシュナさんといったか。雑な継ぎの当たった粗末な服は、それだけこの孤児院の経営が苦しいことを物語っている。

 今日はダムハイトさんはいないのだろうか、対応に出てこない。


「それはありがたい、ですけれど……どうして、そのようなことを?」

「カビは家を腐らせます。それは、あなたたちのためにならない」

「は、はあ……?」


 コイシュナさんは、分かったような分からないような、そんな顔をする。


「そのためにも、屋根の修理が必要なんです。少し、様子を見て回ってもよいですか?」


 俺の言葉に、コイシュナさんはひきつった笑顔のようなものを浮かべたまま、首をかしげる。

 反応が悪い。俺、できるだけ易しい言葉を選んだつもりなんだが?


「おい待てムラタ。お前の中では話が繋がってても、この人、分かってねえぞ」


 リファルがあきれたように首を振った。

 それどころか、俺を押しのけて話を始めようとする。


「ちょっと待てよ、俺はちゃんと理由を――」

「バカ。あのな、オレたちは大工だから分かってることでも、この人たちには分からねえんだよ」


 そう言ってリファルは、面白くなさそうな顔でコイシュナさんに向き直った。


「雨に当たると、木は早く腐る。雨漏りを放っておくと、屋根の木が腐る。木は腐るとボロボロになって壊れやすくなりる。そうすると、どうなるか分かるか?」


 コイシュナさんはしばらく首をかしげ続けていたが、やがておそるおそる口を開いた。


「分かりません……。どうなるんですか?」

「……屋根を支える木は、重い屋根瓦を上に載せている。その重い屋根瓦を載せている木が腐って壊れやすくなったら、どうなると思う?」

「わ、分かりません……。その……屋根が壊れやすくなる、ということですか?」

「そのとおりだ」


 リファルのヤツ、俺のほうをちらりと見てにやりとする。

 いや、それくらいで威張るな。ていうかコイシュナさん、雨で木が腐るなんて当たり前だろ。なんでそこで「分かりません」なんだ。


「コイツ――ムラタが言ったのは、つまりそういうことだ。屋根が本格的に壊れる前に、修理をしようと言ってるんだ」


 得意げなリファルだが、おい。

 俺が屋根を修理したいという理由は、そこじゃないんだが。

 ――まあ、間違いとも言えないけれども。




「……なあ、あの子、可愛くないか?」


 後ほど案内しますので、少々お待ちください――そう言って退出した女性が消えたドアを見ながら、リファルがつぶやいた。


「……神に仕える女性に、なに不謹慎発言をかましてるんだお前」

「不謹慎? なんでだ、修道尼しゅうどうにっつったら嫁入り前の女の、嫁入り修行として定番の仕事じゃねえか」

「……え?」

「……え?」


 二人して目が点になる。


「……ああいう人って、神に仕えてて結婚しないんじゃないのか?」

「お前は何を言ってるんだ? 勤め上げたらいよいよ結婚相手探しだろ?」

「……え?」

「……え?」


 なるほど、知識のアップデートは重要だ。

 つまりこの世界では、嫁入り修行の一環として、こういう施設で一定期間働くのが定番らしい。そしてリファルに言わせれば、コイシュナさんはおそらくそうした理由でこの施設で働いている女性だろう、ということだ。


「……ん? マイセルはそんなこと、してなかったぞ?」

「マイセルは家業を手伝えばよかったからな。ただ、マイセルがお前と初めて会ったのは十六の時だっけ? そうなら、まあ始めどきではあっただろうけどな」


 ――そうか、そういえばマイセルと初めて出会ったとき、彼女は十六だったか。十七で俺と結婚して、今に至ると。


「じゃあ、コイシュナさんもそれくらいの年だってことか?」

「まあ、十六、七程度だろう。常識的に考えたら、さすがに二十歳は過ぎてないんじゃないか?」


 なるほど。でも、考えてみたら「嫁入り修行」の一環として、こうした施設で働くってことは、つまり彼女にはもう、決まった相手がいるってことじゃないのか?


「相手がいてもいなくてもやるもんだろ。一定期間――最低でも半年、たいていは一年ほど、無償奉仕をするってのが習わしだろ? ……まさかお前、そんなことも知らなかったのか?」

「俺は二年くらい前にこの地方に来た人間で、故郷ではこんな風習、なかったからな」

「……いったいどんな田舎から来たんだよ、お前は。家で店なりなんなりやってなけりゃ、どこかで嫁入り前修行なんて、女の常識だぜ常識」


 なるほど。街で一年暮らしていても、知らないことだらけだ。じゃあ俺に娘が生まれたら、やっぱり嫁入り前修行に出すのだろうか。それとも建築士として事務所を開いているんだから、そこで働かせていればいいのか?

 あとでマイセルにでも聞いてみよう。


「いずれにしても、コイシュナさんは嫁入り前修行をしてるってことだからな、結婚を意識してるってことだ。よし、オレ、後で聞いてみよう!」

「……何を聞くんだ?」

「もちろん、あの子に決まった相手がいるかどうかに決まってんだろ」

「……いたらどうするんだ?」

「お前、なにワケの分からねえことを言ってるんだ? いるかどうか分からねえから聞くんだろ?」


 リファルは鼻息荒く答える。


「悪い結果を考えて何もしないなんて、そんなバカな話があるか。聞いてみなきゃ分からねえだろ。どうせこんな機会が無きゃ知り合わなかったんだし、声を掛けなきゃ知り合ってないのと一緒だ。だったら声を掛けるに決まってるじゃねえか」


 ……リファルの、至極当然だろうという口ぶりに、俺は思い知らされる。

 俺が日本にいる間、モテなかった理由を。

 失敗を恐れて動かなかった俺が、モテるはずがなかったということを。


 そう考えると、出会ってからずっと俺のそばに寄り添ってくれたリトリィが、いかに神がかった慈愛の塊だったかがよく分かる。


「……そうか。がんばれ」

「既婚者は余裕だな。言われなくても、降ってわいた機会は逃さねえよ」


 にやりと笑うリファルに、俺も笑い返した。



※「ダボ」について

https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16817139556557031125

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る