第478話:孤児院のありさまに

 一番門――街の北門を越えると、あのとき――戦いの夜には気づかなかった街の様相が見えてくる。

 俺が普段暮らしている四番門――西門前広場から伸びる通り沿いには、石造りの区画とレンガと漆喰、そして木骨の区画が混在しているのに対して、北門から出た門外街は、重厚な石造りの街並みが広がっていた。この辺りは、つまり歴史ある区画だということなんだろう。


 力なく歩くリヒテルのあとをついて歩いていると、街行く人々の視線がややとげとげしいことに気づく。リトリィと一緒に城内街を歩く時のような感覚に近い。

 つまり、「なぜこんなやつがここにいる」という視線――招かれざる客扱い、というような。


「……これだから、一番通り街は好きじゃねえんだよな」


 マレットさんが、俺の隣でボソッとつぶやいた。


「心の持ち方が、城内街の連中のそれに近いんだよな。門外街のなかでも一番古くて歴史あるからってよ」


 一番通り街、とマレットさんが言ったこの区画は、門外街のなかでも成立が最も古く、それゆえにエリート意識のようなものが透けて見えて、他の門外街よりも排他的な傾向が強いらしい。


「ま、皮肉屋が多いってことだ。城内街の人間ほどの地位はない、だが門外街でも特に歴史ある区画――それが、変に歪んで現れてる街なのさ」


 マレットさんは、どうやらそれなりの腹立たしい思い出を抱えているようだ。皮肉屋が多いって、つまりここは日本でいうところの京都みたいな区画ってことか?


お茶ぶぶ漬けでもどうどす?』

とてもえろうピアノが上手くなりましたねえならはったなあ

『今日はゆっくり来たんどすなあ』


 京都人の皮肉屋なところを端的に表すミームが思い浮かんでくる。それぞれ「早く帰れ」「ピアノがうるさい」「来るのが遅い」の婉曲表現だという。異世界に来てまで京都人的婉曲攻撃を食らう可能性に言及されるとは。


 ……むしろ興味がわいてしまった。




 石造りの建物は、特に壁については適切に管理されていれば朽ちることがない。レンガや木などと違って、風化することも腐ることもないからだ。

 しかし屋根や床は違う。どうしても木材を使うため、適切に管理しないといずれは腐って穴が開く。


 果たして目の前の建物は、老朽化が進んでいることが一目瞭然だった。特に屋根が酷い。見える範囲内でも瓦があちこち剥がれ、そして屋根のあちこちに草が生えている。


 これは間違いなく、雨が降るたびに雨漏りしていることだろう。そしてもちろん、床も傷んでいるはずだ。もしかしたら、雨漏りで濡れる一部の壁はカビで覆われているかもしれない。

 「建物」としても、家族が住む「家」としても、かなり劣悪な状況に置かれていることが見てとれた。


 そして、門に掲げられている言葉――『恩寵おんちょうの家』。


 リヒテルが親の仕事を答えられなかったわけだ。

 なぜなら彼は、児童養護施設――この世界で言えば、「孤児院」の出身だったのだから。




「そうですか……。ですが、命が助かったことは、まさに神の思し召し」


 質素な服に身を包んだ修道女らしき女性は、うやうやしく頭を下げた。マレットさん曰く、ここ何十年かで王都のほうから勢力を伸ばしつつある、新しい神を信じる宗派らしい。


「リヒテル、改めて神に祈りましょう。今日という一日を終える力、神のご加護を垂れていただけた感謝の祈りを」


 リヒテルが、全く自然に、神様のシンボルらしきものの前でひざまずく。

 なるほど、この館で育ってきたリヒテルだ。そうやって何かしらあるたびに神に祈るのが、日常の中で当たり前なのだろう。


 すると、奥の扉が勢いよく開いて、これまたヨレヨレのボロきれ――のような服をまとった少年たちが大騒ぎでやってきた。

 俺たち客の前でも遠慮なく、今日のメシはなんだだの、うまいもんが食いたいだの、挙句にリヒテルに小遣いをせびり始める。


「リヒテル! 今日も稼いできたんだろ! よこせよ!」


 リヒテルよりも体格のいい少年が、リヒテルの肩をつかんだ。


「なんだよオメー、ケガしたのか? ケッ、だっせぇヤツ。おい、カネはちゃんと稼いできたんだろ?」


 ……さすがにこれはない。

 俺はそいつの手をつかむと、極力声を押さえながら言った。


「彼はいま、仕事中に負った大きな怪我をしている。手を離せ」


 すると大柄な少年は、口を歪めて俺を見た。今気づいた、といった様子で。


「なんだオメーはよぉ? ……って、なんだおい、いいモノ着てるな、おっさん」


 少年は舌なめずりをせんばかりに、俺のコートに手を掛けた。


「オレたちはよ、ちっとばかり恵まれねえ子供なんだ。――ご寄付、ありがとうございます、ッてなもん――」


 そのままコートを引き剥がされかけ、俺はその手をつかむと逆に引っ張り上げ足を掛ける。


「――だっ……てうわあっ⁉」


 無様に床に転がった少年が、信じられないものを見るような目で俺を見上げた。


「お、……オメー、なにしやがった!」

「なにをしたかだと? なにが恵まれない子供だ。目を開けて寝言を言う輩が、俺は大嫌いなんだ。弱そうな奴と見たらそいつから奪おうとする奴に施すようなものなど、俺は持ち合わせていないんでな」

「ふ、ふざけんな、ヒョロいオッサンのくせに――」


 飛び掛かってきた少年の脳天に、マレットさんがハンマーのような拳を振り下ろす!


「モノを知らねえガキが、お貴族さまから現場を任された監督に向かって偉そうな口を利くんじゃねえ」


 少年は、今度こそ沈黙した。なにもそこまでやらなくとも、と思わなくもないが、精一杯不愉快そうな顔でそのウェーブに乗ることにする。不愉快そうな顔面を作ったまま俺は、俺の隣で、少年にも俺にも何も言えずにおろおろとしている修道女に向かって続けた。


「とにかく、リヒテルはその意欲においてとても優秀です。彼の怪我が治った暁には、またうちで働いてもらいたいと考えています。いずれはうちの現場で様々な技能を身につけ、独立できるように計らいたい」

「まあ……」

「そのためにも、彼には怪我の療養に専念していただきたい。ある程度なら援助も致します。くれぐれも、不当な扱いが彼に成されることのないよう、よろしくお願い致しますね?」


 少なくとも、このクソガキがのさばる程度には、この孤児院の環境は良くないことが分かった。

 とはいっても、だからリヒテルを今すぐどうにかしてやることができるわけでもない。なんとも歯がゆいところだが、俺は彼の保護者でもなんでもないのだ。


「リヒテル、心配するな。お前の誠実な働きぶりは、他の連中に聞いてよく分かった。今はよく休め。治ったらまた来い」




「……きついですよ、マレットさん」

「なにがだ」

「なにが『お貴族さまから現場を任された監督』ですか」

「間違っちゃいねえだろう?」

「ものは言いようですけど、さすがに俺はそこまで偉い人間じゃないですから」


 俺の言葉に、マレットさんが笑う。


「何言ってやがる。実際に偉い人間のくせしてよ?」

「勘弁してくださいよ……」


 俺は確かに「幸せの塔」の監督の一人だが、あくまでも数いる監督の一人というだけだ。お貴族さまから任された、という枕詞も、どうにも気恥ずかしい。


「それよりも、随分と肝の座ったところを見せてくれたな。マイセルを嫁に取るかどうか悩んでいたころが嘘みたいだったぞ」

「……いろいろ、修羅場をくぐりましたからね。少しは度胸がついただけです」


 いろいろと褒めてもらえたが、しかしそんなことより、最終的にマレットさんとの話のタネになったのは、やはりあの孤児院のありさまだった。


「……おい、またあんた、なんとかしたいとか言い出さないだろうな?」

「それはさすがに……。でも、気になりませんか?」

「気にはなるが、自分のできる分を超えるようなことに手を出すと、ロクなことにならんぞ」


 ……それは分かっている。

 分かっているんだけどな。

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