第473話:幸せを刻む鐘塔
高い塔の上から街を眺める。
こうして見渡すと、なかなかに広い街だと感じる。
赤茶けたテラコッタ瓦をのせた石造りの壁の家々がひしめく、俺が生まれ育った日本とは違う異世界。
今日は仕事を一日、全員暇にしてある。
たまには家で、家族に奉仕するもよし、目いっぱい寝るもよし、溜まった家事を片付けるもよし、好きにしろと。
あらかじめ、昨日の日給に「半日分の休養手当て」を含めておいたから、問題もないはずだ。
フェクトール公、というか執事のレルバートさんの渋い顔を説得するのはなかなか骨が折れたが、たまには家族とゆっくりさせたり、休みをしっかりとらせたりしたほうがいい――そう言って、なんとか半日分の給与も含めて納得してもらった。
それでいま、俺はこの塔のてっぺんにいる。休みで誰もいないから、貸切状態だ。
「……それで、監督。オレまで呼び出して、何するんスか?」
「別に。ただ――
実は、フェクトール公に借りてきていたんだ。写影機――要するにカメラだ。原理は分からないが、金属板にモノクロの画像を焼き付けることができるそうだ。
この世界に写真がある――家族の幸せな姿を刻み、残しておく手立てがある!
それを聞いた時の俺の興奮を、分かってもらえるだろうか。
デジカメと違って、撮影直後にどんな様子なのか分からず、しばらくじっとしていなきゃならない制限もあるそうだが、写真として残せるなら多少じっとしてるくらい、安いものだ。
「……
「ああ、
「……オレがスか?」
「ああ。フェルミもだ」
塔のふちからおっかなびっくり下を覗いては、悲鳴を上げるヒッグスとニュー。
対照的なのは楽しげなリノ。下からの風にあおられて下半身が……というか胸まで露わになっても全く気にする様子はなく、むしろワンピースがふわふわと暴れる様子を楽しんでいる節すら感じられる。
そんなチビたちを横目に、フェルミはスカートのすそを押さえるようにしながら、複雑そうに微笑んでみせた。
「……オレがっスか? 本当に?」
「俺の子を産むんだから、家族に決まってるだろう」
「そうですよ?」
リトリィが、定位置――俺の左隣に入ってくる。
「だんなさまがそうおっしゃっているんですから、みんな、家族です。みんなでだんなさまの仔を産んで、みんなでしあわせになりましょうね?」
「で、でも、オレ……あ、いや私は――」
「お姉さまが認めたんですから、フェルミさんも立派な家族の一員です!」
なぜかふんぞり返るようにしてふんす、と鼻を鳴らすマイセル。
「私たちのお家は、お姉さまの決定が一番ですから!」
「……おい」
「なにか違いますか?」
――なんにも違いません。マイセルの言う通りですとも。
気を取り直し、俺は笑顔でみんなに呼びかけた。
「さ、みんな。こっちに来てくれ。写影機の前に並ぼう。少しの間じっとしてなきゃならないから、適当に資材を積み上げて、それに座ってくれればいい」
俺がお手本となってレンガブロックを椅子にして座ると、左隣にリトリィ、右隣にマイセルが腰掛けた。
その前の石畳にヒッグスとニューが、仲良く並んでくっつく。後ろ手に二人、手をしっかり繋いでいるのが微笑ましい。
リノが俺のひざを要求するので彼女を膝に乗せると、リトリィが無言のまま、胸を押し当てるように体を寄せてきた。
最後に、ためらいつつ俺の後ろに立つフェルミ。
どこを見ればいいか分からないというので、写影機の箱をとにかく見つめ続けるように言う。すぐにニューが疲れたと言い出したが、ヒッグスに励まされておとなしくなった。
リノもキョロキョロしがちだったが、「そんなことをしているとリノの可愛い顔が写らないからじっとしていてくれ」と頼むと、実に素直に言うことを聞いてくれた。
写真を撮り終わったあと、
「ねえだんなさま、それ、どうするの?」
「これを職人さんに渡すと、
「絵なの?」
くりくりの目で、純粋な好奇心をぶつけてくる少女は本当に愛らしい。
「絵じゃなくて、今俺たちがとっていた姿を、そのまま写し取ってくれるんだよ」
「そうなんだ! ねえ、ボクはどんなふうにできたの?」
「また職人さんから返してもらったときに、じっくりと見ような?」
「はあい!」
ぴこぴことしっぽを振り回すようにしているリノは、中に駆け込むと巨大な鐘の縁を触るために、何度も飛び跳ねた。俺が苦笑しながら肩車をしてやると、ぺたぺたと鐘のふちを触っては叩き、歓声を上げる。
今は鐘楼の屋根の修理のために足場が組まれ、塔の外から中の鐘を見ることは難しい。だから、ヒッグスとニューが目にするのは、おそらく初めてのはずだ。
「これが、この前だんなさまが鳴らした鐘だよ!」
リノの言葉に、ヒッグスとニューが目を丸くしたままだ。やはり間近で見ると、迫力が違うのだろう。
「兄ちゃん! オレもオレも! オレもリノみたいに肩車、して!」
ヒッグスは顔をひきつらせたが、観念したらしくニューを肩車してやった。
が、さすがに俺ほど高くもないヒッグスでは、ニューの手は鐘まで届かない。
「肩車、してやろうか?」
俺が声をかけたが、ニューが答えるより早く、リノがぎゅっと足を締めた。首筋に、少女特有の高い体温の、しっとりとした肌のぬくもりが感じられる。
「いい、オレ、おっさんの肩車いらない。兄ちゃんがいい」
……おいニュー、地味に傷ついたぞ。
「おっさん、これ、おっさんの仕事なんだよな……?」
ニューを肩に載せたまま、ぽかんと開いた口を閉じることも忘れたように、ヒッグスはずっと鐘を見上げている。
「そうですよ? ムラタさんは、とってもすごい人ですから!」
マイセルが妙に誇らしげだ。いや、俺はぶら下げる指示をしただけだから、俺がすごいわけじゃないんだけどな?
「そんなことないです、だって今まで、壊れて鳴らなかったんですから! この鐘はこれからずっと、街の人々の幸せを見守りながら、百年だって二百年だって、ここで音を鳴らし続けるんですからね」
地図に残るお仕事ですよ! ――自分で思うぶんには誇らしくとも、人から言われるとなんだか気恥ずかしく感じてしまう。
「みんなの幸せを見守る『幸せの鐘塔』――素敵でしょう?」
「うん、マイセル姉ちゃん! ボクもそう思う! ボクのだんなさまはとってもすごいひと!」
リノが俺の上で歓声を上げる。
ただしあまり動かないでくれよリノ。首が締めつけられるのもアレだけど、首筋に密着するアレの感触が、その、アレなんだ!
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
後日届いた、
明るい日照条件ならば、それほど時間は必要ないということで借りた砂時計の砂が落ちきる四、五分ほど露光したんだけどさ。
後日届いた銀板はガラスがはめ込まれて、額縁までつけられて、そりゃもうなんでこんなものが俺の家に飾られてるの、ってくらいに場違いなほどの高級感を醸し出していた。
こういう銀板写真っていうのかな、ものすごく高価らしくてさ。それは聞かされていたから、「もう一度貸してくれ」なんて言えない一度きりのチャンスだと思って、俺、撮影のときにはとにかくカメラをまっすぐ見ることに全力を尽くしてたんだ。
だから気づいてなかったんだよ。
俺、真ん中にいたのに、なんにも。
リノの奴、しっぽを持ち上げてフリフリやってた――上機嫌な時の彼女の癖だ――みたいで、そのあたりがぶれまくってた。しかもワンピースのすそがしっぽに引っかかって持ち上げられていたうえに、風にあおられてたみたいでさ。
彼女は俺のひざの上にまたがるようにしてたから、やっぱりというかなんというか、すそがまくれ上がっていて、下半身がすっかり露わな状態で写ってた。
本人の表情は多少ぶれてはいるものの、この上ないくらいの笑顔で写っているだけに、保護者としてはなんとも恥ずかしい気分になる。
でもってマイセルは俺の肩に顔を寄せて、上目遣いに俺の方に向けて微笑む顔が可愛らしい。でも、肝心のカメラの方なんて向いてなくて。
ヒッグスとニューは、よく見ると彼らの隙間から、背後の地面で手をしっかり握り合ってるのが分かる上に、二人ともなんとなくお互いに見つめ合うようにしている。初々しくていい感じだが、やっぱりカメラを見ていない。
フェルミはマイセルと俺の間から顔を出しつつ肩におっぱい乗っけて、俺の方を見下ろすようにニコニコしていた。こいつ、はなっからカメラを見る気なんてなかったんだろうな。
リトリィに至っては、目を閉じて幸せそうに眠るような穏やかな表情で、けれどその圧倒的な胸の山脈の谷間に俺をうずめようとしてるようにしか見えない。
俺だけだったよ、カメラを大真面目に見てたのは!
ほかのみんなはほどよく愛らしくリラックスしてるのに、俺だけ緊張マックスな顔をしてたよ!
ていうか、塔のてっぺんの
いやもう、それを理解した時には自分のセンスのなさに愕然としたよ!
……それはともかくとしてだ。
俺は、あの塔の上でのやり取りを、絶対に忘れない。
この写真が、このあと次々に生まれる子供たちでてんやわんやになる前の、貴重な写真になったんだ。
リトリィ、マイセル、リノ、フェルミ。
鉄鋼技師、大工、設計士、そして
のちに俺を生涯にわたってずっと支えてくれることになる女性たちが一堂に揃った、あの瞬間。
人生の苦楽を――幸せを、共に分かち合うと誓い合った女性たちと、新たな出発を誓い合ったあの瞬間を、俺は忘れない。
▲ △ ▲ △ ▲
「あなた。せっかくですから、銘を刻みませんか?」
リトリィが、いたずらっぽく提案する。
「銘?」
「はい。だって、あなたはこの工事の責任者でしょう? でしたら、ご自身のお名前をきざむのは、あたりまえです。わたしたち鍛冶師が、自分の打ったものに自分の名と、銘をきざむように」
言われて、そんなもんかなと思いつつ、だけど工事が終わるどころかこれからまだまだかかるというのに、そんなこと、していいんだろうか。
「いいじゃないスか。だってムラタさんは『監督』っスよ? 塔の銘だって、フェクトール様の公認みたいなものじゃないスか。いっスよ、やっちゃいましょうよ」
じつに軽く言ってみせるフェルミに、俺は苦笑いを隠せない。
「大丈夫っスよ! ちょーっと目立たないところに彫り込んでおけば、誰も気づかないっスから」
「気づかないものを彫りこんでおけっていうのか?」
「やだなあ、気づきにくいからいいんじゃないスか。おまけっスよ、おまけ」
そう言われて、なんとなくその気になってしまった俺は、リトリィが打ってくれたあのナイフで、がりがりと刻み込んだんだ。
日付と、俺の名と、そして塔の銘――『幸せの鐘塔』を。
興が乗っちゃったから、ついでにみんなの名前も刻み込んじまった。
俺、リトリィ、マイセル、リノ、ヒッグス、ニュー、そしてフェルミ。
塔の修復に携わり、街の防衛・解放のために戦った勇者たちってわけだ。
「ふふ、わたしたちのなまえが、この『幸せの鐘塔』とともにずっとずっと残るんですね」
「こんなところに気づく奴がいればな」
「いいんですよ」
リトリィはいたずらっぽく笑い、唇を重ねる。
「わたしたちの愛は、ずっとずっと、この『幸せの鐘塔』がおぼえていてくれる――わたしたちがいなくなったあとも」
永遠の愛ですね――そう言ってあらためて微笑むリトリィを、俺は力いっぱい抱きしめる。
そうだ。
俺は日本からこの世界にやってきた。
俺のことを知る人間が、誰一人いないこの世界に。
それが、いまじゃ俺を愛してくれる複数の女性に恵まれて、うち二人が一人ずつ、この世界に俺がいた証――俺の子供を身ごもってくれている。
俺はもう、一人なんかじゃない。
苦しいこと、辛いはいっぱいあった。精神的にも、肉体的にも。だけど、それを乗り越えて今、俺はここにいる。
俺を支えてくれるひとたちがいて、俺の血を継ぐ子を産んでくれるひとがいる。
俺がやがてこの世界からも消えるときがきても、この「幸せの鐘塔」が、俺の痕跡をずっと残し続けてくれる。
俺がこんなに幸せな身になれたことを、世に証明し続けてくれるのだ。
感慨にふけっていると、マイセルが、フェルミが、そしてリノが、自分にもキスをくれとねだってきて、かっこつけるどころの話ではなくなってしまった。
でもいいんだ。
それでみんなが幸せなら。
――いや、まだだ。
もうひとり――この世界で一番の幸せ者にしてやらなきゃならないひとがいる。
そのひとのために俺は、もっと――
( 第四部 異世界建築士と幸せの鐘塔 了 )
――――――――――
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