第472話:渡すべきもの
「まて、クレーンを止めろ! 足場と干渉しそうだ!」
俺は、耳飾りを押さえるようにして、見上げながら叫んだ。
クレーンの
すると、塔のてっぺんからひょこっと、明るい茶色の髪の少女が顔を出してきた。
「カントク、止めたよ? そっちはどう?」
リノだ。
俺と同じく、片耳を押さえるようにして手を振ってくる。
以前、この街を襲った侯爵軍の騎士から戦利品としてゲットした、「遠耳の耳飾り」。これが本当に役に立っていた。
電話のないこの異世界で、トランシーバーを手に入れたようなものだ。なにせ、離れていてもどんなに周囲がうるさくても、ちゃんと頭の中に響くように声が聞こえるのだから。
さらに使っていて気付いたんだが、これ、翻訳首輪の機能をそのまま含んでいるんだ。だから、俺とリノが離れていても、ちゃんとなにを言っているかが伝わる。こんなに便利なものは、現代日本にだってない。
「もう少し縄をたぐって、もう少し――そう、そこ……待て、行き過ぎだ」
引き上げてきた資材が足場にぶつからないように、俺の指示で、大工たちが慎重にずらす。
「……いいぞ。リノ、ゆっくりだ。ゆっくり上げてくれ」
クレーンが再び動き出す。リノの指示を受けて、動き始めたのだ。いやはや、実に便利。
ただ、この「遠耳の耳飾り」、なにが残念かというと、使えるひとが限られているのである。
俺が受信機を使った場合、一番鮮明に伝わってくるのがリトリィ、次点がマイセル。リノがそれに続く。フェルミも、実用に全く問題のないレベルでクリアに伝わってくる。
ニューは、薄く荒いながらも映像は伝わってきたし、声もノイズ混じりながら会話にはおおよそ問題ないレベルで使えた。
だが、ヒッグスは映像がほとんど伝わってこず、声も若干途切れがちだった。
現場の大工たちに至っては、ほぼ使えなかった。映像はノイズだらけ、声もノイズがひどくて使い物にならないひとが多かったのだ
女性、特に獣人に馴染みやすい仕様なのかもとも考えたが、風の感触さえ感じられそうだったリトリィは別格として、マイセルも接続状況は大変良好だった。
そして以前、一緒に戦った冒険者のインテレークとポパゥトのコンビは、二人ともヒトで男。この兄弟は耳飾りを使いこなし、斥候として活躍していたという。
適正な条件がよく分からない。俺の身内で差し当たって問題がないのだから、それでいいんだろうけど。
ただ、大工たちの誰も、この耳飾りのことを知らなかった。きっと相当に高価で希少なモノなんだろう。手に入れることができたのは、本当にラッキーだった。
そんなわけで、今日もリノにクレーン操作の補助をやってもらっている。
もともと俺の手伝いを始めたころから、リノは現場のマスコットみたいなものだった。今ではすっかり現場のアイドルだ。俺がしょっちゅう彼女の頭を撫でているせいか、誰もリノに触ろうとはしないけれど、きらきらした目でくるくるとよく働くリノが可愛がられているのは間違いない。
「遠耳の耳飾り」で感覚を共有する怖さは、インテレークの姿からも分かっているが、便利さには代えられない。使える手が多ければ、それは俺たちにとっても武器になる。道具が悪いんじゃない、いつだって危険は、俺たちの慢心が生み出すのだ。
だからリノに再度「遠耳の耳飾り」を渡したときは、現場における危険とは何かを、何度も何度も、噛んで含めるように伝えた。
そのおかげで、今じゃ俺とリノは、いちユニット単位といってもいい。
ヒッグスは塔の上ではなく、フェクトール公の家の修復作業を手伝っている。最近は石組みの奥深さにすっかり感化されたらしく、夕食の時間はその話題ばかりだ。
赤毛の石組み長――バリオンの弟子みたいな勢いで、彼の後ろを金魚のフンの如くついて回って働いているらしい。バリオンが苦笑しながら、しかし実に楽しそうにその様子を教えてくれた。
ニューは、リトリィと、そしておなかが大きくなってきたマイセルを支えて、よく働いてくれているらしい。毎日の大量の炊き出しで慣れたせいか、いまでは包丁の扱いもすっかり上手くなり、料理の段取りも上達したそうだ。
こういう言い方は生き方を縛るようでよくないかもしれないが、いいお嫁さんになれるのではないだろうかと思う。
「……監督? よそ見は危ないスよ?」
言われて、俺は苦笑いだ。
そう、フェルミが現場に復帰した。
相変わらずの男装で。
彼女は、俺以外の前では「男」であることを通すことにしたらしい。『お腹が大きくなるまでは、このままでいくっスよ』とのことだ。
逆に言えば、お腹の大きさが隠せないレベルまで行ったら、女としてカミングアウトするつもりだろうか。以前よりも間違いなくお腹は出てきているように感じられるし、そう長くごまかすことはできないだろうに。
そう思って聞いてみたが、曖昧に微笑むだけで教えてくれなかった。
「監督、だからよそ見は危ないっスよ?」
「いや、そんなつもりは――」
「ひとのお腹をじろじろ眺めてて、ごまかせると思ってるんスか?」
そんなに凝視していただろうか? おもわず赤面すると、「やっぱりそうだったんスね」と小悪魔的な笑みを浮かべるフェルミ。くそう、はめられた。
「心配してくれるんスか?」
「いやそれは……まあ、うん、心配だ」
「大丈夫っスよ」
そう笑うと、フェルミはそっと、俺の耳に口を寄せた。
「あなたがくれた赤ちゃんは、私にとっても希望なんです。どんなことがあっても、絶対に産んでみせますよ。だから――今夜、久しぶりに可愛がってくださいね?」
突然、女性らしい口調でそんなことをいうものだから思わずのけぞってしまい――
「ふふっ、冗談で――って、か、監督っ!?」
フェルミに腰のベルトをつかまれていなかったら、足場から落ちていたに違いない。上からも悲鳴が聞こえたから、きっとリノも見ていたんだろう。あとでリノとフェルミ、喧嘩にならなきゃいいんだが。
一日の仕事が終わり、リファルに付き合って酒をちびちびやっていると、リファルが大きく息をつきながら揚げ肉を口に放り込んだ。
「アレが『幸せの
「なんだ、不満か?」
あの扉の前のレリーフの題名から、いまや市民にはそう呼ばれているらしい……が、テレビCMもSNSもないのに広まるのが早すぎだ。
そう思っていたら、その呼び方を聞きつけたフェクトール公がそれを気に入って、こっそりひとを使って広めているようだ、というのを、リトリィがミネッタから聞いたらしい。
まあ、なんでもいいんだよ。官製のニックネームかどうかなんて。人々の記憶に残りゃ、なんだって。
「オレがやらかして、お前も苦労して、ギルド長は首が飛んで、ひともいっぱい死んだ。あの塔に関わってから、幸せらしい幸せがあったか? むしろ呪いの塔とか嘆きの塔とかでもいいくらいだ」
「俺の仕事にケチつけるなよ。ていうかお前、俺の図面を台無しにしたことを『やらかした』と自覚してるなら、縁起でもないことを言うな」
「だってよ、アレが幸せの象徴みたいな扱いになるって、おかしくないか? フェクトール公の家がぶっ壊れたのだって、あの塔があんなところにあったせいだとも言えるんだぜ?」
「いいんだよ、みんなが納得してりゃ。言いたいことはそれだけか? 俺は嫁さんたちの手料理を食わなきゃならないんだ、他に用がないなら帰るぞ」
「待てよ」
リファルが、俺の肩をつかんで椅子に引き戻す。
「……なあ、お前。フェルミが女だって、いつ気づいた?」
「…………!!」
俺が息を飲むと、リファルがコップをぐいっと傾けた。
「見てりゃ分かるよ。急にお前ら、近くで仕事をするようになったからな。お前もフェルミをあえてそばに置いてるの、なんとなく分かるし」
「……それは――」
「職場の女に手を出すんじゃねえよ、まして上のヤツがよ」
「い、いやその……厳密には手を出したっていうか、その、俺の方が――」
「言い訳無用。まあ、アイツが女だって知ってるヤツがどんだけいるかって話だから、お前らのその
盛大にため息をつきながら、リファルが麦酒を追加注文する。
「安心しろ、マイセルと違ってさすがに
「フェルミはいい奴で、いい女だ。侮辱するな」
「分かった! 分かったから胸倉つかむな! 落ち着けって!」
「オレは落ち着いている。今すぐ引導を渡されたくなきゃ、『あんなの』呼ばわりを今すぐ撤回しろ。フェルミはいい奴で、いい女だ」
「分かったから――
「道草、ふたつ、寄ってきましたね?」
いつもの、ふりふりエプロンだけを身にまとったリトリィが、少しむくれて俺の道具袋を受け取った。
ごまかすことなど何もない、素直にうなずく。
「ハイそのとーりです」
「お酒は少しにしていただけましたか?」
「ハイ少しにしました」
「
「ハイそのとーりです」
リトリィの言う通りだ。彼女の鋭い嗅覚に勝とうと思ってはいけない。彼女の許しのもとで、俺は生かされている。
リファルと別れたあと、フェルミの家に寄って、彼女を抱いた。
本当は、居酒屋で包んでもらった小料理を持っていくだけのつもりだったんだ。
けれど。
ドアを開けた彼女が、目を丸くして。
ぽろぽろと涙を流して飛びついてきて。
しばらく俺の胸で、静かに泣いたあとで。
本当に嬉しげに奥に通してくれる姿を見て。
小料理なんかじゃない。
彼女に渡すべきものは――
とまあ、そのままほっといて帰る気になれなくなってしまったのだ。
テーブルに重ねられた、いずれ産まれる我が子の産着が何着か、すでに縫われていたのを目にしてしまったのも、ほだされた原因だった。
「おちびちゃんたちは、もう、ねてしまいましたよ?」
「……マイセルは?」
「こんなにおそいんですよ? さきにねてしまいました」
それを聞いて、俺は迷わず彼女のエプロンの下に指を滑りこませる。
くちゃり、と、ぬめりのある水気をたっぷりと含んだ体毛の感触。
――ああ、マイセルと慰め合ったんだな。
マイセルが先に寝たというのは、リトリィとの情事の疲れに違いない。
「……わかっていらっしゃるなら、すぐに愛してくださいますか?」
そう言ってエプロンをたくし上げ、その裾をくわえてみせる。
「……今ここでか?」
「お好きでしょう?」
切なげに目で訴えつつ、玄関脇からすぐにつながるキッチンの台にうつ伏せ、しっぽを高々と持ち上げた。
「……あなたのにおいをかいだときから、もう、がまん、できないんです……」
「幸せ……か。まだ、誰も幸せにできてない気がするのに、塔だけ先に幸せになりやがって」
「なにをおっしゃるんですか」
屋根裏部屋――寝室の窓から差し込む月明かりの中、微笑みながらリトリィが言う。
「わたしは、もう、じゅうぶんにしあわせですよ?」
「いいや、まだだ。全然足りない。もっともっと、君を幸せにしなきゃならない。それが俺の仕事だからな」
彼女のひざの上から、彼女を見上げる。
「ふふ、そんなに気負うことなんてないんですよ? わたしは、あなたのおそばにいられるだけでしあわせなのですから」
そう言って、俺の髪をなでつけるリトリィの頬に手を伸ばす。
しばし唇を交わし、舌を絡め合う。
「……リトリィ。俺は、絶対に君に渡したいものがあるんだ」
「絶対に、ですか?」
「そうだ、絶対にだ」
リトリィは困ったように微笑むと、エプロンをたくし上げてすそをくわえ、そっと俺の頭を抱えるようにして、俺の頬を自分の腹に押し付ける。
ふわふわな毛が、くすぐったくも気持ちいい。
「ここに、……ですか?」
「そうだ。……ここにだ」
俺は体を起こすと、もう一度、彼女に覆いかぶさった。
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