第469話:あなたの『めいどさん』

R4年5月10日記念

 5月10日はメイドの日……♥

――――――――――



「いよいよ明日っスね、監督」


 フェルミが、巨大な鐘をこんこん、と拳で叩いてみせた。それくらいでは特に音は鳴らないし揺れもしない。だが、吊り下げられた鐘の下から鐘を見上げると、ぶら下げられた鐘はやはりでかい。なにせ高さが二メートルを超えるのだ。


「そうだな」

「いろいろ、ありましたっスね」

「……そう、だな……」


 ランプに照らされた鐘を見上げていると、とりあえず明日、なんとか乗り切れそうだという思いになる。

 完成までは程遠いし、そもそも塔の修繕もできていない。

 明日鳴らしたあとは、また当分鳴らない日が続く。


 けれど、これで一つの区切りがつく。

 あの戦いのことも、塔のことも。


「……ムラタさん・・・・・


 フェルミが、後ろからそっと俺の腰に腕を回してきた。

 フェルミが俺を名前で呼ぶとき――それは。


「私、あなたに出会えてよかった」


 ――ドキリとする。

 フェルミは今日、なぜかドレスを着ているのだ。

 紺のロングドレスに、シンプルなエプロン。

 そしてなぜか、レースのカチューシャのようなヘッドドレス。


 彼女が女性服を外で着ている姿など、見たことがなかった。

 だから、今の一言が余計に胸を高鳴らせてしまう。


「……そう言ってもらえるのは、嬉しいな」


 先日、ミネッタの伝手でフェルミを医者に診せた。なにせミネッタを診察し続けた医者だ、信頼できる。なによりミネッタの伝手ということで、高価な魔力素子を使って診察してくれた。

 そして、発覚した。


『おめでたですな』


 月経が来ない、ということで、なかば覚悟はしていた。だが、聞いた瞬間、やはり頭が真っ白になった。

 だってそうだろう? あれだけリトリィと肌を重ねても子に恵まれないというのに、フェルミにはあの戦場での二回で命中してしまったのだから。


『ひとというものは、危険にさらされると体の本能が目覚めるといいましょうか……子ができやすくなるのでしょう。お大事に』


 つまり、体の火照りが続いていたというのは、妊娠の兆候だったらしいのだ。

 にもかかわらず、フェルミは相変わらず、最後の点検の頃合いを見計らってはやってきて、点検を手伝ってくれる。


 別に重いものを持つわけでもないのだからと、約三十メートルの塔を歩いて上ってくるのだ。万が一があったらとも思うのに、彼女は全く気にした様子もない。


「ムラタさんは、子供、好きですか?」

「……まだ赤ん坊を抱いたことがないから分からないけど、多分、嫌いではない……と思う」

「だったら、私もがんばってたくさん産みますよ?」


 そう言って微笑んでみせる。


「気持ちはありがたいが、今はリトリィが優先だ。俺、お前の妊娠が分かってから、ペリシャさんには半殺しにされたし、ナリクァンさんに至ってはリトリィが妊娠するまで出入り禁止を言い渡されたんだぞ?」

「大丈夫ですよ。きっとなんとかなりますって」

「なんともならなかったから、ペリシャさんのお仕置きを食らったんだって!」


 いまだに顔中に残る、爪痕。

 あのあと、さすがに怒ったリトリィがペリシャさんのところに怒鳴り込んで、大変だったんだぞ?


 リトリィのために激怒しているペリシャさんと、俺のために激怒したリトリィが、取っ組み合いの大げんかをやらかしたんだ。止めに入った俺が二人の間でもみくちゃにされて、結局俺だけが傷だらけになったんだけどな。


「ふふ、みんな、リトリィさんお姉さまが大好きなんですねえ」

「笑い事じゃねえよ。正妻を孕ませずに遊び惚けて、余計なところに種をつけて回るクソ野郎って評価だよ、今の俺は」


 盛大なため息が出る。


「……なんとしてでも、リトリィに俺の子供を抱かせてやりたいんだよ俺は。なのに……」

「子供は授かりものって言いますからねえ。でも、二十五の私にだって子供ができたんですよ? お姉さまだって、いずれ必ずできますよ」


 フェルミは、そっと体を寄せた。

 ……そしてその手が、俺の体の中心部分に伸びる。


「……おい、お前にはもう、当分いらないだろ?」

「明日は、どうせお姉さまを可愛がってあげるんでしょう? だったら今夜は、少しくらい私にくれてもよくないですか?」

「いくらリトリィの公認をもらったからといっても、自重しろ。もう子種はいらないだろ? それに、お腹の子に何かあったらどうするんだ」

「私は獣人ベスティリングですよ? 体の丈夫さは自信がありますから。それから子作りは、子作りだけが目的ではないでしょう?」


 好きなひとと肌を重ねる悦びが欲しいに決まってるじゃないですか――あっけらかんとした物言いに、俺は苦笑するしかない。


「……ところで、なんで今日は紺のロングドレスにフリルのエプロンなんだ? この作業場に」


 彼女がドレスを着るのを見たことがあるのは、彼女の家の中――俺と二人きりの時だけだった。今日はどういう風の吹き回しなのだろう。


「もちろん、旦那さま・・・・はこの格好がお気に入りだって、お姉さまが言ってたからですよ? お好みだっていう服、がんばって縫いました」


 そう言って、くるりと回ってみせる。


「いかがですか、旦那さま?」


 おそらく真円スカートなのだろう。ふわりと広がるすそが、実に優雅だ。


「……とっても綺麗だ、フェルミ」

「ふふ、その気になりましたか?」


 スカートの下の趣味も、リトリィしか知らないはずなのに、なんでこいつは……って、多分それもリトリィが教えたんだろう。白いタイツにガーターベルト。しかも――


「……リトリィとの約束だと、外ではダメなんじゃなかったのか?」

「このあと、私の家に寄ってまた愛してもらえば、同じですからね」

「同じなわけないだろ」

「では、漏らさなければ」


 くすくすと笑ってみせるフェルミ。

 小悪魔だ。軽薄な男だと思っていたフェルミは、まごうことなき小悪魔だった。


「……お前の中、妊娠してるせいで、今はリトリィより熱いくらいなんだぞ? 我慢なんて、できるわけないだろ」

「ふふ、嬉しいです。そんなに具合がいいなら、どうぞ遠慮なく。私はいくらでも受け入れますよ?」

「お前な……」

「ムラタさん。私、幸せです。――もっと幸せをください。私も頑張って、ムラタさんを幸せにします。一緒に、幸せになりましょう?」


 一緒に幸せになろう――そう言われてしまうと、どうにも弱い。リトリィと似たようなことを言われると、なんというか、それが正しいように思えてしまう。

 吊り下げられた鐘の中央――その暗がりに飲み込まれるようにぶら下がる分銅を見上げながら、俺は自分の意志の弱さにため息をつく。


 スカートのすそをそっと持ち上げてみせるフェルミの体をかき抱くようにして、唇を重ねた。




 玄関で俺を出迎えたのは、お玉を手に不気味な笑顔のマイセルと、妙にニコニコして包丁を握っているリトリィ。

 あ、俺死んだ。


「ムラタさん、覚悟はできてますよね?」

「ハイ! マイセルさん!」

「いっぱい、いーっぱい、かわいがってくださいね?」

「いえっさリトリィさん!」


 そして、二人の間からにょっきりと顔を出すリノ。


「ねえ、だんなさま! リトリィ姉ちゃんをって、なにするの? ボクも混ざっていい?」


 いいわけないだろっ!

 思わず口から飛び出しかけた言葉を何とか飲み込むと、俺はリノを抱き上げて思いっきりほおずりしてやった。


「痛い痛い、だんなさま、おひげが痛いよぉ!」


 降ろしてやると、きゃーっと楽しげに逃げていく。やれやれ、なんとかごまかせた――そう思った瞬間だった。


「……だんなさま? わたしにはほおずり、してくださらないんですか?」


 ……はいはい! 今します、すぐします!


「……ところで、なんで二人とも、ロングドレスにエプロンなんだ?」


 リトリィは、紺のロングドレスにフリルがたっぷり踊る可愛らしいエプロン。

 マイセルは、褐色のロングドレスにレースの装飾がふんだんに盛られた、これまた可愛らしいエプロン。

 リトリィの頭には、レースがフリルとなっているヘッドドレス、マイセルの頭には黄色いレースのリボン。

 そしてついでに、なぜかリノまで可愛らしいエプロンドレスだった。


「……だって、きっとムラタさんは、と思いましたから」


 やや頬を膨らませるマイセルと、なぜか照れ照れのリトリィ。耳がパタパタしてるのは、なにか失敗でもしたのだろうか?


「……それで、なんで、メイド服その恰好?」

「お姉さまが! 教えちゃったんですっ!」

「だ、だって、フェルミさんが、だんなさまのお好きな服を知りたいっておっしゃったから……」

「教えちゃったら、フェルミさんはその恰好でムラタさんを誘惑しちゃうに決まってるじゃないですか! 現にこのざまですっ!」

「このざまってひどいな!?」

「あ?」


 マイセルが怖い笑顔で斜めに首を傾ける。

 おいそれマレットさんがガンつけるときの仕草じゃないか!

 マレットさんの遺伝子ってか仕草が確実に息づいてるな!?


「ムラタさん……お姉さまはもう、ムラタさんからの……ああもうっ! フェルミさんの、に、ニオイに気づいてるんですよっ!」

「ハイ! ごめんなさい!」

「謝らなくていいですから! ムラタさん、今夜は寝かせませんからね!」

「い、いやあの、明日は大事な式典で、寝坊とか居眠りとかしないためにも……」

「え……?」


 それまでニコニコしていたリトリィが、この世の終わりのような顔をする。

 頬を両手で押さえるようにしてるのは無意識なんだろうけど、包丁を持ってそれやると、包丁を振りかぶろうとしてるように見えて怖いですマイ奥様!


「いえがんばりますとも! リトリィのためなら朝までだって!」

「ほんとう、ですか……?」


 たちまち笑顔になって飛びつくリトリィ。

 放り出した包丁が足元にすとん、突き刺さる!


 ひぃっ!


 総毛立った俺だが、リトリィの無邪気な「いっぱいご奉仕、させてくださいね?」という言葉にヘラッとなってしまうのが、まあ、なんというか、悲しい男のサガというか。


 おまけにふりふりのエプロンの感触、その下の豊満な胸の感触に、思わず血がたぎってしまう。それに加えてリトリィのやつ、マイセルに聞こえないようにか、耳元でそっとささやくんだよ。


「――今夜のリトリィは、あなたの大好きをいっばい身につけた、あなただけの『めいどさん』ですよ?」


 その言葉に思わず彼女の腰に手を滑らせると、……たしかに服越しに感じる、レースのガーターベルトの存在と、レースのフリルをふんだんに使ったショーツの感触。

 これ、絶対に透けてる奴だ! リトリィの奴、めちゃくちゃ本気だな! 今夜の夫婦の営みに対する気合の入れ方が尋常じゃないぞこれ!


 そしてとどめとばかりに耳を甘噛みしてくるリトリィに、俺はもはや明日の式典などどうでも良くなってきてしまう。


「さあ、今夜も腕によりをかけましたから。いっぱいめしあがってくださいね? ――お料理も、わたしたちも」


 ようやくリビングに通された俺は、テーブルに並べられた、俺の席だけ超精力野菜クノーブてんこ盛りの夕食に、今夜のミッションの過酷さを思い知る。


 だが、妻の期待に応えてこその良夫おっとだろう。俺は覚悟を決めて、テーブルに着いたのだった。

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