第468話:幸せに至る道

 薄曇りにさえぎられて、今夜は月の光がとぎれとぎれだ。それで何か困るというわけでもない。ただ、妻二人の美しい裸体がはっきりとは見えないのが、すこし、残念というだけだ。


「わたしが、これでよかったのか、ですか?」


 フェルミから聞いた話を確認すると、リトリィは「もちろんですよ?」とうなずいてみせた。

 淡い月光の中で、それでも分かる笑顔で。


「マイセルちゃんは、初めのうちこそ渋っていましたけれど」

「だ、だってお姉さま! その……浮気……かどうかはよく分かんないですけど、ムラタさんが私たち以外の女の人とその……こ、子作りをしたんですよ? むしろお姉さまは、どうしてそんなあっさり受け入れることができたんですか?」


 マイセルが口をとがらせる。ふくらみの分かるお腹を撫でながら。

 彼女のお腹には、俺の子供がいる。にも関わらず俺がよそで子作りをしてきた、などという話題には、思うことも多いのだろう。申し訳ない気分になる。

 だがリトリィは微笑みを浮かべて、短く言い切った。


「だってわたしは、だんなさまを愛していますから」


 そして、マイセルに口づけをする。


「……マイセルちゃんも、同じでしょう?」

「そ、それはそうですけど! でも、私たちがいるのに……」

「じゃあ、わたしはあのとき、マイセルちゃんのことも認めなかったらよかったですか?」


 いたずらっぽく微笑んでみせるリトリィに、マイセルが途端にうろたえる。


「あ、えっと……いえ、それはその……」

「マイセルちゃん、わたしはだんなさまに、おなじ席でのお食事を望まれたときから、もうずっと、だんなさまとともに生きていくと決めたんです。そのだんなさまが望まれたことなのですから、受け入れるのはあたりまえのことなんです」


 ……ああ、そうか。

 リトリィに、食事の同席を求めた、あの日から。


 だが、それを聞くたびに、俺は胸が温まる思いになれば、また痛いほどに胸が締めつけられる思いにもなる。


 俺が無自覚に誘ってしまったあの時から、リトリィはずっと、俺に寄り添ってくれている。それは、俺にとって救いであるとともに、彼女にとって、彼女を縛るくさびかせになっていないかと。


「……だんなさま? わたしは、しあわせですよ? だんなさまに見出していただけたから、わたしはこうして、大好きになったかたといっしょに過ごせるのですから」


 俺の胸の内を的確に見透かすリトリィに、俺はおののくほどに胸が熱くなる矛盾をかかえる。


 一般に、ヒトは原初のプリム・獣人族ベスティリングの表情を見分けることが困難だと言われているようだ。獣面の奥の表情が、読み取りにくいからだとされている。

 同じ事は、逆に原初のプリム・獣人族ベスティリングからヒトの表情を見ても言えることらしい。獣人の集落から人間の集落に来た場合、人間の顔の見た目から表情まで、理解するのが難しいのだそうだ。


 俺も、最初はリトリィの表情を読み取ることが難しかった。口がどう開いたら笑顔なのか、そのあたりも、会話の文脈から判断していたと言っていい。

 でもいまは、その微妙な違いで多彩な表情を浮かべていることを知っている。どんなパターンがどんな感情を表しているのか、理解できたからこそ、分かるようになったのだ。


 けれど、それでも俺の方はいまだにリトリィのことを理解してやれていない。リトリィは、今や俺のことを一番に理解してくれているひとだというのに。

 ああ、俺はどうして、一番の理解者のための理想の男になれないのだろうか。


「ならなくて、いいんですよ?」


 そう言って、リトリィが俺の肩にしなだれかかる。


「わたしは、いまのあなたが好きなんです。わたしの――わたしたちのために、せいいっぱいがんばってくださるあなたが」

「いや、でも俺は君たちを幸せにできるように――」


 言いかけた俺の唇を、リトリィがふさぐ。


「……しあわせにしていただかなくてもいいんです。ね、マイセルちゃん?」


 マイセルが、大きくうなずく。


「あなた? わたしたちはしあわせにしてもらうんじゃないです。――わたしたち夫婦で――みんなでいっしょに、しあわせにんです。結婚するとき、そう誓ったでしょう?」


 皆で一緒に、幸せになる――リトリィの言葉は、言うのはたやすい。けれど、それが本当は大変なのだということを、俺は嫌というほど味わわされた。いや、これからもさらにそう感じる場面に遭遇するだろう。そうなったら俺は――


「ムラタさん? またなにか、深刻に考えてませんか?」


 マイセルが、リトリィとは反対の肩に飛びついてきた。


「ムラタさんが、私に大工の道を開いてくれたんです。私、とっても嬉しかった。そんな私と一緒に、建築をやろうって言ってくれるムラタさんだから、私も幸せなんです。もう、十分幸せをもらってるんです。いまさら幸せにしようだなんて、思わなくていいんですよ?」


 だから、これからも可愛がってくださいね――そう笑う。


「あ、ああ、……それはもう……」

「フェルミさん、でしたっけ。三人も相手にして、ムラタさんの種が打ち止めにならないかだけが心配ですけど? あと何年かすれば、リノちゃんもお嫁さんになることですし」


 いたずらっぽく含み笑いをするマイセルに、俺はひきつった笑みを返すことしかできない。そんな俺を、リトリィとマイセルが二人がかりで押し倒す。


「今夜もあなたのリトリィを、いっぱい、かわいがってくださいね?」

「ムラタさん、今夜ばかりは私もお姉さまと、最後までご一緒しますからね?」


 慣れた手つきで、たちまち彼女たちは俺を思う通りにしてゆく。抵抗など、するだけ無駄な努力だ。今夜も長くなるだろう。


 日本に帰るという選択肢もあった。けれど、俺はリトリィとこの世界で、共に生きていくと決めた。

 だったら、自分を選んでくれた女性たちと、地道に歩み続けてゆくだけだ。踏みしめるそれが、みなで共に幸せに至るための道なのだと信じて。




「よし、ゆっくり降ろせ! そのまままっすぐ!」


 落下時にひびの入った大鐘おおがねの、そのひびは結局、そのままにされた。ただ、念入りに検査されて、差し当たって問題はないと判断された。差し当たってがどれくらい当てになるのかは分からない。だが、鋳物職人たちが問題ないというのだ、大丈夫だと信じるしかない。


 その大鐘を、あらためて修理・補強した鐘楼しょうろうに吊り下げる。大重量のこの鐘を、今後長く使えるようにするために、俺は鉄工ギルドに何度も掛け合って、鉄骨を大量に使って補強工事を行った。


 この鉄骨の調達も、大変だったんだ。

 鉄工ギルドは俺の話す仕様を理解してくれず、「鉄の素人が口を出すな」と散々だった。

 そんなときに、たまたま塔に視察にやってきたフェクトールに訴えたんだ。


「なるほど、鉄骨で恒久的な構造にしたいのは分かった。だが、間に合わせるのが難しいというのであれば、作業を分けてはどうかな? 私としては、勝利宣言のための鐘が鳴らせたら、それでいいのだよ。本格的な工事は、そのあとでまたゆっくりとやったらいい」


 そう言ったフェクトールの胸倉をつかみ上げる勢いで、俺は大反対した。


「一度吊り下げた鐘をまた下ろして工事を続けろと言うのか? あの重い鐘を!? そんな簡単にほいほい付け替えられるなら、どうしていままで放っておかれたんだ! 納得できない、俺はこの機会にやっちまうからな! だいたい――」


 本当はなおも食って掛かりたかったんだが、クオーク親方にぶん殴られて止められたんだ。


「若造はあとで厳しく躾けておきます。ただ、僭越ながら、わたくしもこの若造めと同じ意見でございます。お館の修繕も同時に進めている中で、厳しいとは存じますが、人員と資金、そして鉄工ギルドへの御口添え――どうかもう少しだけ、力をお貸し願えませぬか」


 この直訴が効いたと思いたい。この直訴の翌日、俺の要求した「聞いたこともない仕様」に首を振り通しだった鉄工ギルドが、ついに折れてくれたのだから。

 おかげで、鉄骨の補強を入れることができるようになった。かなりの注文を入れたから、鉄工ギルドはてんやわんやだったらしいが。


 今回の補強用鉄骨の発注には、俺は何度も鉄工ギルドに足を運んだ。そして要求する仕様について、できること、難しいこと、できないことについて、リトリィにその場で聞きながら交渉をした。


 その結果、俺は「お貴族さまにかなり太いパイプを持っている男」みたいな認識を持たれたようだった。

 でもって、そんな俺に仕えるリトリィにもゴマをすっておけという判断だろうか。鉄工ギルドの設備を、ある程度自由に使うことができる権限を渡されたようだ。

 なんにせよ、リトリィの力を活かしやすい環境が徐々に整いつつあるのが、俺にとっても嬉しい。


 そんなことを思い出しながら、クレーンにつるされた大鐘が、台車の上にゆっくりと下ろされるのを見届ける。


 この巨大なかたつむりを思わせる木製人力クレーンも、修理するのは本当に大変だった。自分がぶっ壊したせいなんだけど、なにせ地上三十階、ここまで資材を運ばなければならなかったのだから。

 とりあえず仮でいいから動くようにするまでが大変だった。


 ――そんな突貫工事も、もうすぐ終わる。

 この鐘の音が、今回の戦いの最終的な解決と、街の人々の安寧と、そして幸せに至る道を象徴すると信じて。


「よし、みんな! 台車を押すぞ! 大鐘を取り付ける!」

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