第467話:公認の関係

「今はそれで、十分ですから」


 フェルミの言葉に、しかし俺は首を振ることしかできなかった。


「……言っただろ。俺は家族を守りたいって。恋人を認めてしまったら、リトリィになんと言えばいいんだ」

「そう言うと思ってました」


 フェルミは笑った。

 笑って、とんでもないことを口走った。


「だから今日、ムラタさんのおうちに行って、リトリィさんとお話してきました」

「ってぉおおいっ!?」


 家庭を壊さないって話じゃなかったのか!? いきなり何やってんだこいつ!


「ほら、戦いが終わったあと、一度、ムラタさんのおうちに行きましたよね?」


 ああ、来た。あの時のリトリィの敵対的な反応があったから、俺は――


「あのとき、リトリィさんとはもう、お話をしていて。それで今日はいくつか、あらためて約束をしてきたんです」

「や、約束……?」

「はい」


 これは、ムラタさんにもしっかり伝えてほしいと言われたんですけど――フェルミはそう言って微笑むと、指折り数えながら、その約束とやらを挙げ始めた。


「えっと、リトリィさんが認めたとき以外、私は基本的にはおうちには入らない。私が『日ノ本ヒノモト』のうじを名乗ることも、基本的には認めない。――つまり、私がムラタさんの正式な妻になることは、基本的には認めない。これがまず前提ですね」


 ……まあ、そうだろうな。リトリィからしてみれば当然の要求だ。

 そう思ったら、次からがぶっ飛んでいた。俺は、あんぐりと開いた口がふさがらないままに、それを聞いた。


「子作りはムラタさんの無理のない範囲で、私の家か、今後ムラタさんが与えてくれる家ですること」

「はあっ!?」


 いきなりの展開に俺は目を剥いた。

 俺とフェルミでの子作りを黙認するってこと!?

 え、ちょっ……聞き間違いじゃないよな!?


「ええ、認めてもらえました」


 涼しい顔で、微笑みすら浮かべながら続けるフェルミ。


「それと逢引きは、子作りも含めて必ず明るいうちに済ませて、夕食までにはムラタさんを家に帰らせること。逢引きや子作りをしたら、次の日でいいから必ず報告しに来ること――それが、私がムラタさんのオンナを名乗ってもいい条件だそうです」


 ハンマーでぶん殴られたような衝撃だった。

 あのリトリィが、俺とフェルミとの交際を、体の関係込みで認めただって!?

 到底信じられず、しかし衝撃が大きすぎて声が出ない。


「あ、それから仕事帰りにこっち・・・に寄るのはいいけれど、職場とか道中とかじゃなくて、ちゃんと家のベッドまで我慢させてから、ですって」


 それもだんなさまのしつけの一つだそうですよ――くすくす笑いながら言うフェルミ。だんなさまへの躾――確か、ナリクァンさんがそんなようなことを言っていたはず。……ということは、フェルミの言葉は本当だってことなのか!?

 ていうかリトリィ、ベッドまで我慢させろってなんだよ! 俺は節操なしのケダモノだってことか!? 断じて違うぞ、俺は節操あるケダモノですっ!


「ふふ、お姉さま・・・・ってすごく強いひとですね。わたしもこんな条件でムラタさんとお付き合いを許してもらえるなんて、思ってませんでした」

「……『お姉さま』?」

「あ、はい。これはマイセルからの条件だったんですけど、リトリィさんのことは、今後、身内の中では『お姉さま』と呼ぶようにって」


 ――おい。マイセルもなんという条件を。第一、フェルミの方がリトリィよりも年上だろう? ていうか、もうコレ、フェルミがリトリィたちと話し合いをしたの、確定じゃねえか。


「だから本当のことですって。それからお姉さまと私、どっちが年上かなんて、そんなこと、どうでもいいんです。マイセルは、立場をわきまえてって言いたかったんでしょうね。あ、あともし子供が出来たら――」


 子供!

 これはリトリィがどういう判断を下したのか――思わず、息が詰まる。


 フェルミが、いったん深呼吸をした。

 今度は、彼女自身も信じられないと思うことを伝えるかのように。


「子供は、産んでいいそうです」


 ひとまず、大きく胸をなでおろす。


 もちろん、フェルミが獣人族ベスティリングでそもそもヒトの俺とはできにくいことに加え、年齢が二十五。『二十歳を超えた獣人は妊娠しない』という俗説も相まって、俺との間ではまず子供はできないだろう。

 それでも、フェルミの持つ可能性を肯定してくれたリトリィに、まず感謝の念が湧き起こる。他人の幸福を呪うような性質ではないと分かってはいたけれど。


 だが、その先にこそ、リトリィの想いが詰まった条件が並べられていた。

 それこそ、本当に胸が詰まる思いで、俺はそれを聞いた。


「子供はもちろん、私の体も大事だから、最低でも臨月あたりから乳離れするくらいまでは、ずっと家に来るようにって。一緒に子育てさせてほしいって」


 フェルミは「あと、私はこれが一番嬉しかったんですけど」と前置きをした上で続けた。

 ランプの明かりのせいばかりではないだろう、語る彼女の頬は、紅潮して見えた。


「リトリィさんは、ムラタさんがきっと望んでいるから、とおっしゃってました。子供は『日ノ本ヒノモト』のうじを名乗らせていいし、私の子として育てていいと。ムラタさんの――あなたの子を、あなたの子として産んで、私の手で育てていいって、リトリィさんは認めてくれたんです」


 フェルミの目から、雫がこぼれ落ちる。


「本当に、嬉しかった。マイセルが『お姉さま』って懐くのも、分かる気がします。――リトリィさんがあなたの奥さんで、ほんとによかった」




「これから、来ますか?」


 西門前広場――このまままっすぐ向かえば家に着き、北に向かえばフェルミの家、という場所で、フェルミが俺の腕を取った。


「……返事の内容が分かってて聞いてるんだろ?」

「それでも、聞いてみるまでは結果なんて分かりませんから」


 俺はそっと、その手を外す。


「今日は、やめておく。リトリィの話も聞きたいしな」


 第一夫人に認められた公認の恋人関係――フェルミとの仲は、そうなったと言えるだろう。

 でも――いや、だからこそ、リトリィの想いをじっくりと聞いて、彼女の認識とのズレがないようにしなければ。


「やっぱり、そうですよね」


 フェルミは体を寄せると、目を閉じて背を伸ばしてきた。

 抱き寄せ、唇を重ねる。


「……おねだりが上手くなったもんだ」

「リトリィさんに聞きましたよ? ムラタさんは、リトリィさんと知り合うまで、経験がなかったって」


 ぅおーいリトリィ! それは俺の個人情報ですっ! 個人情報保護に関わるコンプライアンスがなってませんよ奥さんっ!


「誰でも最初はそんなものだから、これからムラタさんにいっぱい染めてもらって、みんなで上手になりましょうねって、お姉さまに言ってもらえたんですよ、私」


 いや、誰だって最初は下手だろうし、何事も練習した上で、それから上手に――

 ……ちょっとまて。俺に染めてもらって上手にって、何を、どう上手になれっていう話なんだ?


「あ……な、なんでもないですっ! え、えっと、ほんとに、なんでも……っ!」


 急に慌てだすフェルミをつかまえて問いただすと、リトリィとマイセルと三人で、男性への奉仕の仕方について、をやったんだとか。

 ……うちの寝室で。


 ぅおーいリトリィ!

 ちょっと待てーい!

 お前またやったな!?


「お、お姉さまは悪くないですよ! ムラタさんの好きな体位とか服装とかも勉強できたし、ベッドの上では少しいじわるだとか、でもそれは可愛がってもらえてる印だとか、それからそれから……」


 リトリィ!

 業務上知り得た情報の秘匿に関するコンプライアンス、コンプライアンスはどこにッ!!




「おかえりなさいませ、あなた」


 俺の鞄を受け取りながら、リトリィがそっと、身を寄せる。

 いつものように抱き寄せ唇を重ね、そして気が付いた。


 玄関で俺を見送り、そして迎えるのは、いつも、彼女だということに。


 妻二人の間で、そこは役割分担をしているのだろう――今までずっと、それで済ませてきた。


 でもそれは、マイセルとはその分のキスをしていないということ。


『マイセルにもちゃんと、「君は特別な人だ」って言ってあげてます?』


 フェルミの言葉がよみがえってくる。


「……マイセル、いるかい?」

「はい、ムラタさん。おかえりなさい」


 キッチンの奥からぱたぱたとやってきたマイセルにただいまを言うと、彼女を抱き寄せ、そして唇を重ねた。


「む、ムラタ、さん……?」


 驚くマイセルに、俺は、リトリィのほうにも目を向けながら、これからはリトリィと二人で見送りと出迎えをしてくれないか、と頼む。


「二人の手が空いていれば、でいいんだけど」


 マイセルが、やや不安げにリトリィのほうを見る。

 リトリィは、特にためらう素振りも見せずに微笑んでみせた。マイセルが、うれしそうに飛びついてくる。


「……だんなさま! ボクボク! ボクもするよ! 『おかえりなさいませだんなさま』!」


 いつのまにか、リノもやってきてぴょんぴょんしている。やや棒読み口調で、でも元気いっぱいに。


 さすがにリノの口にキスするのはためらわれたので、おでこにキスしてやる。それでも特別扱いと受け止めたようで、リノも満面の笑顔で飛びついてきた。




 今回のことで気づかされたことが、また、いろいろあった。

 本当に俺は、周りの人に気づかされてばかりだ。

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