第461話:ミネッタの出産

「どうしても、直接礼を言いたいと言って聞かなくてね」


 そう言って微笑むフェクトールの口元から、白い歯がのぞく。

 うーん、お貴族さまは歯が命、と言いたげに光る歯が、実にさわやかだ。


 その隣で赤ん坊を抱いて微笑んでいるのは、おなかの小さくなったミネッタ。貴族というのは一度産んでしまえばあとは乳母うば任せ、と思っていたが、違うのだろうか?


「正式に呼ぶと、また堅苦しくてお互いに面倒だと思ってね。昼の休憩がてら寄ってもらおうということになったのだよ。……どうも、意図が上手く伝わっていなかったようで、申し訳なかったが」


 ……ああ、そうだ。

 あと二十日ほどで大鐘を吊るさなきゃならないと、塔の鐘楼しょうろうの修復作業に当たっていた俺たち。

 昼食を食い終わってさあしばらく昼寝だ、と思っていたら、完全武装の兵士がやってきて俺を連行したのだ。


 リトリィとマイセルは炊き出しの後片付け中だったところに、フェクトールの執事であるレルバートさんが声を掛けに来たという。一緒にお手伝いをしていたヒッグスとニューとリノも、一緒に。


 なんで俺の方は完全武装の兵二名なんだよ! 訳も分からず小突かれながら連行された俺の恐怖を補償しろ、謝罪と賠償を要求する!


「まあ、ムラタさんったら。冗談がお上手」


 見た目と裏腹に怖いもの知らずの豪胆な方ですのに、とくすくす笑うミネッタ。フェクトールも同様だ。くそう、お前らそこになおれ! 


「いや、私もなぜ兵たちがあんな誤解をしたのか、分からないのだよ。私はただ、塔で働いているはずの君を呼んでくれと言っただけなのだ」

「……本当に、それだけを?」

「顔がわからない、どんな男かと問われたから、館襲撃の夜の首謀者だよ、と答えたらすぐに分かってくれたよ」


 やっぱりお前のせいじゃねえかッ!!




「……ミネッタとリトリィって、仲が良かったのか?」

「そのようだね。よく君たちの話をしているよ」


 ミネッタと我が家の女性陣は、お茶を囲んで会話を楽しんでいる。でも、いつの間に仲良くなったんだ?


「君の奥方は、あまり過去にこだわらないひとのようだからね。ミネッタが炊き出しを始めたころは、ごく自然に炊き出しに誘ってくる上にあまりにもに接してくるものだから、ミネッタの方が首をかしげて恐縮していたよ」


 あんなことがあったのに、とね――フェクトールはティーカップを傾けながら微笑んだ。さらりと金色の髪が揺れる。くそう、いちいち癪に障るほど絵になるイイ男だ。


「……過去にこだわらない?」

「そうだ。ああ、君もだよ。お人好しの見本のような夫婦だ、君たちは」


 くっくっと笑いながら、フェクトールはカップを戻した。

 レルバートさんがそのカップに、再び紅茶を注ぐ。


「……お人好し?」

「ミネッタの出産のときもそうだっただろう? 君たちは本来、関係などなかったはずなのに、結局最後まで付き合ってくれたじゃないか。右往左往するばかりだった私と違ってね」


 フェクトールが、ソファに体を沈み込ませて、宙に視線を向ける。


「君たちのおかげで、今度ばかりは母の偉大さを思い知らされたよ。私をこの世に生み出したという、ただその一点だけで、今後は母に敬意を示すことができそうだ。私は自分の母親が好きではなかったのだが、ね」


 貴族の女性――とくに身分の高い女性は、子を産むと、そのすべてを乳母に丸投げしてしまう人が多いのだという。特に、授乳によってボディラインが崩れるとかなんとかで。


 フェクトールの母親もそうだったらしい。おまけに夜会と着飾ることに大変熱心だったようで、フェクトールのことはほとんど顧みてくれなかったそうだ。


「だから、はっきり言ってしまえば、私にとって母親などどうでもよい女だったのだよ。だが、ミネッタの出産に立ち会って、考え直させられた」


 出産への立ち合い――あの戦場のようなありさま。フェクトールの言葉で、それを思い出した。大変だったが、いずれやってくるマイセルの出産のために、大いに勉強になったように思う。

 ……ほんとうに大変だった。



  ▲ △ ▲ △ ▲



「担架! 担架はないか!」


 下腹を押さえてうめくミネッタを見ていられず、俺はレルバートさんに聞いた。だが、通じなかった。レルバートさんが担架を知らないのか、それともこの世界に担架がないのか。


「……くそっ、おいそこの兵隊さん! あんたが持ってる槍を貸してくれ! そこの騎士さん! あんたいいマントしてるな、それを貸してくれ!」


 産気づいた、お貴族様お気に入りの妊婦のそばで、槍二本とマントを要求する二十八歳アラサーのヒョロガリ男。うん、怪しい。


 だが俺は「いいからよこせ! 女性への奉仕は騎士の名誉だろっ!」と、自分でもわけのわからないことを口走りながら槍をひったくり、マントを外させた。


 マントを広げ、槍を挟むようにしておよそ三分の一ほどの幅で折り返す。そこにもう一本の槍を挟み込み、折り返せば、即席の担架の出来上がりだ。

 履修しててよかったスポーツ科学! 学問は身を助ける!


 担架ができたところで、意を汲んだリトリィがミネッタをお姫様抱っこで運んでくる。


「だんなさま、こちらですね?」


 そう言って、二本の槍の間――たたまれたマントの上にミネッタを横たえた。本当にリトリィはよく分かってくれている!


 俺はミネッタの足側の方に回ると、ミネッタに背を向けるようにして二本の槍に手をかけた。リトリィもマイセルに声をかけ、二人で一本ずつ槍を手にしてくれた。


「リトリィ! せーの、で持ち上げるからな!」

「はい! いつでも!」

「レルバートさん! どこに運べばいい!? 案内を頼む!」

「は、はい、ではこちらへ……」


 そうやっている間に、フェクトールの奴が走ってきて「どうした、ミネッタに何があったんだ!」なんて珍しく狼狽しているものだから、彼女が産気づいたこと、すぐに運ぶから大丈夫だと伝える。


 奴はこの会の主催者なのだ、心配させまいとしたつもりだった。

 ところがフェクトールの奴、なにをトチ狂ったのか、「ここに集まってくれた街の皆よ!」と、大声で叫びやがったんだ。


「私の子が生まれるのだ、申し訳ないが私はこれで中座する。礼を失する詫びとして、酒を用意させよう! 我らが勝ち得た平和を堪能してくれたまえ!」


 そんなことを言ったら大騒ぎになるって、奴は考えなかったのだろうか。

 野次馬が殺到する前に、俺は慌てて掛け声をかけた。


「行くぞ二人とも! せーのっ!」




 正直に言えば、俺とマイセルで後ろを分担し、リトリィが一人で前を持ったほうが間違いなくスムーズだっただろう。

 なにせリトリィの方が俺より力も持久力もあるのだから。

 けれどリトリィは、そんなことは言わなかった。俺に花を持たせてくれたのだろう。


 それにミネッタにとって、見上げる顔が男の俺よりは、女性の方がいくらか気安かったはずだ。加えて、移動する際には患者にとって足側を前にして進んだ方が、進行方向に見通しが持てるから不安になりにくいと聞いたことがある。

 だから、俺が前になっていたほうが、きっとよかったはずだ。


 もう腕がしびれてきたころにたどり着いた部屋では、ミネッタのお産が近いことは周知されていたようで、白衣の女性たちがすでに待機していた。

 その部屋は日当たりの良さそうな、大きな窓があり、こじんまりとはしているが清潔そうなベッドが用意されていた。


 看護師のリーダーらしき太った女性が、俺が先頭になって担ぎ込んだことに眉をひそめてみせた。だが、俺たちのことは貴重な労働力、と割り切ったらしい。

 リトリィの服のすそをミネッタがつかんでいたということもあって、リトリィもマイセルも、自動的にお手伝い要員に組み込まれてしまった。


 対して俺はというと、運び込んだミネッタを見ることができる場所には入れてもらえなかったが(当然だろう)、かわりにタオルやらお湯やらなんやらを運ぶ、馬車馬のような扱いを受けた。


 余裕があったのは、運び込んでから二時間としばらくの間。

 それまでは、おなかの痛みを訴えてから本格的にお産が始まるまでは時間がかかるものなんだなあ、と廊下でチビたちを相手にしながら時間を潰していた。フェクトールなど話をする精神状態ではないらしく、終始イライラした様子で、廊下をぐるぐるしていた。


「ミネッタ姉ちゃんのお腹から、赤ちゃんが出てくるのか? どうやって? 信じられねえよ!」」

「俺もお産に立ち会ったことなんてないからな。でもヒッグス、楽しみだろう?」

「ねえねえ、だんなさま! 赤ちゃんって、姉ちゃんみたいな耳、生えてるのかな?」

「どうだろうな、どっちに似るんだろうな。リノはどっち似だと思う?」

「おっさんおっさん! おれ、赤ちゃんはおっさん似だと思う!」

「はっはっは、ニュー。悪気がなくてもそーいう恐ろしいことを言うな。ほら、俺の背中の後ろで、赤い服のおにーさんが今にも剣を抜きそうだろう?」


 そんなこんなで、平和ヒマな時間を過ごしていた時だった。

 突然ドアが開いて、白衣の女の人が顔を出した。


「ああいた、よかった! ちょっと、そこのあなた! あなたよあなた! あなた以外に誰がいるっていうの! ……フェクトール様? 馬鹿おっしゃい! お館様に頼みごとをするわけがないでしょう!」


 それからは、やれ水を汲んでこいだの、追加の薪を持ってこいだの、布を持ってこいだの、散々こき使われた。


 汗だくになりながらそれらを持ってきて、部屋のドアを開けるたびに、苦しげな吐息や悲鳴が聞こえてきて、お産というものが想像をはるかに超えて苦痛に満ちたものだということを思い知らされる。

 だからドアノブを握るたびに、耳をふさぎたくなった。


 ――でも、女性はみんな、そうやって次の命を産むんだ。


 そう考えると、耳をふさぎたくなるのは、男の逃げでしかないように思われて、歯を食いしばりながら、俺は持ってきたものを渡すためにドアを開けた。


 そうして何度目だったろうか。


「ほら、はい! いきんで! 大丈夫、もう頭は見えてるから!」


 天井から垂らした布越しに聞こえてくる言葉に、俺はもうすぐなのだと知る。

 瞬間、俺は駆け戻ると、相変わらず廊下をぐるぐるしていたフェクトールの腕をつかんだ。


「おい! こんなところでぐるぐるしてる場合かよ! お前の子供がもうすぐ生まれるんだぞ!」

「な、なにを言っている。だからこそ、私はここで――」

「父親になるんだろうが! 産声ぐらい聞いてやれよ!」

「うぶ、ごえ……?」

「赤ん坊の第一声だよ! 一生ものの記念イベントだぞ!」


 部屋に引っ張り込むと、ミネッタの吐息とも悲鳴ともつかぬ悲痛な声が聞こえてきた。フェクトールが目を見開き、「ミネッタ!」と叫ぶ。


「……ちょっとあなた! なにを勝手なことをしてるんですか!」


 布をまくり上げて、目を三角に釣り上げた白衣の女性がこちらにやってきた。

 くどくど言われて部屋から追い出されそうになるが、フェクトールの耳には入らなかったらしく、布の向こうに突撃してしまう。


「い、いけませんフェクトール様! ここは男性が入ってよい場所ではありません!」


 女性たちの悲鳴が上がった。

 なるほど、父親が出産に立ち会うなんて風習は、ここにはないらしい。

 それにしても、布がまくり上げられたその一瞬でしか分からなかったが、なかなか壮絶な姿だった。


 おそらくいくつものクッションやら毛布やらを丸めてあるのだろう、大きな布の塊にミネッタが抱き着くようにして、四つん這いのようにして膝を立てていた。のけぞるようにして歯を食いしばるその横顔が、強烈に目に焼き付く。

 その周りに何人か、白いエプロンに身を包んだ女性たちがいて、一人が背中をさするようにして励ましている。


 一瞬だけしか見えなかったけど、たしかにそんな姿だったのだ。


 ここは貴族の館なのだから、当然医療のレベルも最高峰のはず。

 ということは、あのスタイルがこの世界での「最も普及したお産の姿」なのだろう。


 その後の、ミネッタのさらなる悲鳴、そしてうろたえつつも懸命に励ますフェクトールの言葉に、俺は言い知れぬ思いを抱いていた。


 あのクールなイケメンが、こんなにも切羽詰まった声で、我が子を産もうとしている女性に、懸命に声をかけている。


 ミネッタはミネッタで、うめき声とも悲鳴ともとれる声を上げながら、歯を食いしばるようにして、いきんでいる。


 それが、一枚の布越しに、ありありと伝わってくるのだ。


 目で見ることはできなくても、感じることができる姿。

 二人が手を取り合い、ひとつの命をこの世界に送り出そうとする、それは、あまりにも尊い姿だった。



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 【応急担架の作り方】

 https://kakuyomu.jp/users/kitunetuki_youran/news/16816927862938829059

 (画像は総務省消防庁「チャレンジ! 防災48」の補助資料から引用)

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