第460話:共に幸せになるために
赤ん坊の似姿が公開されたのは、ミネッタの出産騒動から十日ほど経ってからだった。それまでも、フェクトール公の血を引く子供を産むことになったミネッタについて、いったいどこの誰だという憶測が走りまくってくすぶり続けていたところに、ガソリンを注いだ感じになった。
なにせ、ごまかすこともできたはずなのに、ちゃんと、毛におおわれた三角の耳までしっかり緻密な筆で描いてあったのだ。
あの場に参加していなかった人も、ミネッタに気づいていなかった人も、気づいていても獣人だと思っていなかった人も、みんな知ったわけだ。
「ウチの街の貴族様が、獣人の娘に子供を産ませた!」
「獣人が産んだ子を『自分の子』だと公式に認めた!」
正直、ここまでやるとは思っていなかったよ。
そのせいか、門外街では「やるじゃねえかお貴族様!」と歓迎ムードだ。「我らが街の主に乾杯!」といった感じで、街で会う人会う人、みな浮かれている。
「ふふ、こういうおまつりさわぎって、いいですね」
リトリィが、屋台で買った串揚げパンを手にしながら、あたりを見回した。マイセルは、はちみつたっぷりのドーナツのようなものを大きな口でかぶりついては顔中をはちみつだらけにしているニューの頬を拭いてやりながら、うなずいてみせる。
「こんなに街がにぎやかになるのって、私、初めてです。収穫祭よりにぎやかですよね?」
収穫祭!
そういえば、秋にはあの、ドイツのオクトーバーフェストのような「収穫祭」なんてものがあった。
街中が麦酒一色で染められる、バカ騒ぎの祭りだ。
……いや、アレよりは慎ましくないか?
「そんなことないですよ。あれはお祭りだからって、みんながあんなにもお酒をばらまいてアレなんですよ? そうじゃなくて、みんながお互いにフェクトール様とミネッタさんの幸せをお祝いして、この騒ぎなんですから。にぎやかの意味が違います!」
マイセルが、実に楽しそうに言う。
そこへリノが、プレッツェルのようなパンを手に、飛びついてきた。
「だんなさま! おまつりなのに、ボク、いやらしい目で見られずにおかし、もらっちゃった! こんなの初めて!」
「そうかそうか、よかったな……っておい!」
ちょっとまて、ということは以前、いやらしいことを目的にリノを菓子で釣ろうとした奴が何人もいたってことじゃないか!
「いつもそうだよ? そういうやつはボク、おかしもらった後に
よし! ナイスだリノ!
自己防衛ができるいい子だ、ご褒美にあとでまたお菓子を買ってやろう。
それはそうと、どこの誰だ! いくら可愛いからって俺のリノを菓子で釣ろうとした馬鹿は! ぶっとばしてやる!
「そうか、門外街ではそうなっておるのか」
感慨深げに、瀧井さんはお茶をすすった。
「自分がペリシャを
お茶を淹れながら、ペリシャさんが微笑む。
ほぼ犬の顔のリトリィほどではないが、猫の特徴が濃い顔つきの彼女は、やはりどう見ても一目で獣人と分かる。
「雲泥の差、ですか」
そういえば、瀧井さんは日本に帰ることができたはずだったんだっけ。帰るための術の準備が整っていよいよという時、ペリシャさんが泣いて引き止めに来て、それを聞き入れたんだったか。
周りのみんなからバカにされて、それでもペリシャさんを選んだ瀧井さんは、本当にかっこいい人だと思う。
……って、ああ、そうか。
「そうでした……瀧井さんは、結婚するのも一苦労なんでしたっけ?」
「そうだな……。
「婚姻要件具備証明書」!
これまた懐かしい。要は独身であることを証明するための書類だ。自分の本拠地の役所に発行してもらわなきゃならないやつ。
日本生まれの俺や瀧井さんでは、絶対に手に入らない書類だ。
「ただ、書類をそろえても、
そうだった。だから瀧井さんは、この街に来たんだった。
「そうだ。家内を幸せにしようと思うなら、王都になど住んでいられなくてな。これでもいろいろな特権をもっておったが、全部放り投げた」
それはすごい。
ペリシャさんも、女冥利に尽きるというやつだろう。
そう思って彼女を見ると、ウインクを返してみせた。まんざらでもないらしい。
「だが、わしは平民だからまだマシだった。フェクトール公は貴族だからな。貴族が獣人の子を認知するなど、聞いたことがない。あの若造、おそらく苦労するぞ?」
「苦労、ですか?」
即座に、毎晩子作りをねだるリトリィが思い浮かぶ。ああ、うん、毎晩大変だ。
「……だんなさま?」
リトリィが、頬を膨らませて俺を見上げている。
「だんなさまのお考えくらい、お見通しですからね?」
そんなにお嫌でしたら、今夜からもう、二度とおねだりいたしませんから――そう言ってすねてみせる。
そ、それは困る! 俺はまだ、君に赤ちゃんを抱かせるっていう約束を果たしてないんだ!
てか、なんでリトリィはそんなに的確に、俺の考えたことを見抜けるんだよ!?
「リトリィ姉ちゃん、だんなさまの考えってなに?」
リノが、ビスケット状の菓子を口いっぱいに頬張りながら聞いてくる。
よけーなこと聞かなくていいから、リノはもっとお菓子を食べてなさい。
すると、瀧井さんが苦笑いしながら答えた。
「夜の話じゃない。貴族である以上、いろいろとしがらみはあるはずだ。おそらく、血縁による同盟強化を狙う貴族の娘の縁談が一気に増えるだろう。庶民の、それも獣人の小娘に先を越されたとあってはな」
……そういうことか。
フェクトールの奴が望む望まぬに関わらず。
そしておそらく嫁いでくる貴族の娘にしてみたら、ミネッタの存在は目障りの極みだろう。なにせ、あのキザ青年が「本気になってしまった」女性が、よりにもよって獣人の娘なんだ。
フェクトールはきっと、そつなくこなそうとするだろう。貴族の娘も、表面上はミネッタの存在を無視しようとするはずだ。己のプライドにかけて、庶民の娘、それも獣人の娘に嫉妬するなどといった醜態など、晒すことはないだろう。
……表向きは、だ。
「その通りだ、ムラタさんや。あんたのリトリィさんが、出来過ぎなだけなのだよ」
瀧井さんの言う通りだ。
マイセルと仲良くしてみせるリトリィの人柄が、出来過ぎなだけだ。だが、そんな彼女の中にも俺を独り占めしたいという願いが渦巻いているのを、俺は知っている。
貴族のプライドにかけて醜態をさらすようなことはしないかもしれないが、貴族のプライドにかけて庶民の、しかも獣人の娘になんぞ負けていられないというのも、また間違いなくあるはずだ。
「……なるほど、面倒くさいことになりそうですね?」
「ただでさえこの街は獣人が多い。王都の価値観のままの貴族娘が
フェクトールの親にしてみたら、息子の貴族的常識から外れた行動は、受け入れがたいに違いない。周囲の国々に対するメンツもある。おそらく、国内でも
そのとき、フェクトールがどうするのか。興味がわくのと同時に、少しだけ気の毒にもなる。
「……ま、雲の上の話だ。わしらには直接は関係ない。あんたは自分の家族を守ること、それを第一に考えていればいい」
ヒッグスが、残りひとつになった焼き菓子を、ややためらったあとで、物欲しそうにするニューに譲ってやる。ニューは大喜びでそれにかぶりついた。
――「兄ちゃん」をやってるなあ、ヒッグスも。
微笑ましく思いながら、これもまた、家族を――その笑顔を守るということなんだろうと考える。
「門外街では、フェクトール公の人気は上がってゆくだろう。だが貴族のしがらみを知っていて、獣人に対する無駄な優越感情に支配されているこの城内街では、おそらくフェクトール公に対する感情は微妙なものになっているはずだ。道々、気を付けていきなさい」
「リトリィさん、ムラタさんからくれぐれも離れないように。リノちゃんの手も、しっかりと握ってあげていてくださいね?」
瀧井さんとペリシャさんに何度も念を押されながら、俺たちはアパートを後にした。
道を歩いていると、たしかに俺たちを見る目は厳しい。ひそひそと、眉をひそめて俺たちにあれこれ言っているのが分かる。
分かるようにしゃべっている、と言った方がいいだろう。ああ、目障りな連中だ。
――だが、俺を慕い、支えてくれる彼女たちを、俺は愛し、共に幸せになると決めたんだ。どんな壁があっても。
忠告をくれた瀧井夫妻も、この街で胸を張って堂々と生きている。
だったら、俺も堂々とすべきだ。
俺を愛してくれる、この女性たちのために。
――彼女たちと、共に幸せに生きてゆくために。
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