第459話:幸せはこれから

 街は歓声で埋め尽くされていた。

 戦いの終決と勝利宣言。それは、たしかに街を沸かせた。


 もちろん、今回の動乱の被害者とその家族は、素直に喜ぶことなどできなかっただろう。それでも、街を守り切った騎士団、そしてなにより民兵たちの活躍は称えられるべきだし、俺もそのつもりで、この催しを見守っていた。


 激戦区となった西門――四番大路門前広場の城門の上に立ち、演説をぶち上げていたフェクトール公。

 街や愛する者たちを守るために戦い、散っていった民兵や騎士たちの奮闘をねぎらい、黙祷を捧げる。静かな城門前広場で、すすり泣く声があちこちから聞こえた。


 黙祷が終わると、フェクトール公は今回の犠牲者のことはいたましいとしながらも、けっして理不尽に対して屈することなく、街を、郷里を、侵入者から守ることから目を背けないと訴えた。

 そのためにも、議会を通して、あらためて市民に協力を要請すると。


 今さら気づいたんだけど、貴族をてっぺんに据えているのに議会があるんだよな、この街は。「王は君臨すれども統治せず」ってフレーズをどっかで聞いたことがある気がするが、しかしフェクトール公自身は広大な屋敷をもってるし、今回の一件でも動いたとおり、独自の軍事力も持っている。


 どういう仕組みなのか興味があるけど、まあ、俺には一生関係のない話。いち庶民として、嫁さんたちと慎ましく幸せに暮らしていられたら、それでいい。


 ……そんなことより、塔の鐘だ!

 フェクトール公の演説が終わったら、鐘塔までパレードをし、鐘を鳴らすのだ。


 リハーサルは上手くいったし、本番で鐘を鳴らすのは本職の職人。

 大丈夫のはずだと分かっていても、俺が鳴らすわけではないと分かっていても、やはり緊張する。


 すると、緊張のために握られた左の拳に、そっと手が重ねられた。

 ――リトリィの手だ。

 そちらを向くと、彼女が俺を見上げ、わずかに身を寄せて小さく微笑んでみせた。


「だいじょうぶですよ。みんな、がんばりました。あなたといっしょに」


 続いて右手にも手が添えられる。

 マイセルだ。彼女も俺を見上げ、身を寄せる。


「お姉さまの言う通りです。ムラタさん、みんなのお仕事を信じましょう?」


 両隣の妻たちの言葉に、俺は深呼吸をした。


「……そうだな。うん、大丈夫だ。ありがとう、ふたりとも」


 俺の左隣にはリトリィ、右隣にはマイセル。

 日本ならこういうことはあり得なかっただろうが、この街では、責任者は配偶者と共にこういったフォーマルな場に出席することが許される、というか、なかば義務付けられているようなものらしい。


 結婚は神に宣誓し、そして認められた「神聖な契約」によるもの。だからこそ、こういうでっかいイベントほど、夫婦での参加が求められるのだそうだ。


 それを知らされたとき、一人で出席するものだと思い込んでいた俺は、マレットさんから非常識の塊のようにあきれられて、妙な敗北感を覚えたものだった。


『当たり前だろう、何のために夫婦になったんだ。ケガやら病気やらで動けないような事情でもなけりゃ、こういう公式の場は夫婦で動くのが当然だ。そんなことも知らないなんて、あんたの郷里クニはどんだけ田舎だったんだ』


 日本では夫婦で公式の場に出るなんてことはない。こういったところは欧米っぽいと感じる。


 ただ、それはあくまでも「夫婦」。

 ヒッグスとニューとリノは、法的には家族ですらない、ただの同居人。ゆえに、正式には居並ぶことは許されない。


 しかし、三人のおかげで第四四二戦闘隊は大活躍できたのだし、ザステック大隊も救出できた。嫁二人の同席が義務ならば、せめて会場のすみっこでもいいから子供たちも、という欲がでてくる。


 するとマレットさん夫妻が、面倒を見てやるからと言って三人を連れ出してくれることになった。しかも、


「まあ、ぴったり! ハマーの小さいころを思い出すわね」

「こっちもよ? 子供たちが小さかった頃の服、取っておいてよかったわね」


 マレットさんの奥さん二人――ネイジェルさんとクラムさんが、大喜びでチビ三人を着せ替え人形にしたのである。


 おかげで、マイセルとその兄のハマーの、子供の頃のお下がりを着せてもらった三人。慣れない服に戸惑いつつも、会場の隅っこでおとなしくしているのが、実に微笑ましい。


 リノなど、ニューと違って俺からの「絶対に嫌だと言うな」という厳命を忠実に守った結果、ご夫人がたの趣味てんこ盛りにされたらしい。おかげで、リボンとフリルに埋もれるかのようなフリフリドレスで固まっている。

 ……うん、大変可愛らしくて結構だ。マイセルも、小さい頃はあんな動きづらそう――もとい! 華やかなドレスを着せられていたのだろうか。


「……あそこまでフリルとリボンに埋もれるドレスなんて、親戚の結婚式のときにしか着てませんよう……」


 マイセルが、恥ずかしそうに言う。なるほど、納得。




 フェクトール公の演説が終わり、鐘塔までのパレードにくっついて移動すると、 塔の周辺の広場は人だかりで埋め尽くされ、着飾った人々が、鐘が鳴るのを今か今かと待ちわびている様子だった。


 一気に緊張がよみがえってくるが、リトリィがそっとしっぽを俺にからめてきたのを感じて、改めて深呼吸をして気を落ち着かせる。


 ――大丈夫、大丈夫だ。


 そう自分に言い聞かせる。


 ――俺は幸せだ。みんなに支えられ、いまもこうしてそばに寄り添ってくれる、できた妻がいる。なにも心配することなどないのだ、と。


 呼吸を整え、辺りを見回したときだった。

 会場の隅にいる女性を見つけた。


 ミネッタだ。フェクトール公の側付きの、猫属人カーツェリングの女性。いつ産まれるやらという大きなおなかを抱えている。


 俺が小さく挨拶の手を示すと、彼女も気づいたらしく、手を上げてから腰を落として挨拶してみせた。


 彼女は獣人だし、いくらフェクトール公の子を身ごもったといっても結婚しているわけでもないから、きっとこういう場で姿を見ることはないだろうと思っていた。


 それだけに、彼女が姿を見せたのは意外だった。

 意外であると同時に、安堵した。彼女は平民出身でしかも獣人。なんやかやと理由をつけられて、いずれはフェクトール公から遠ざけられると思っていたからだ。


「なにをおっしゃってるんですか。ついこの間まで、わたちたちといっしょに炊き出しをしていたんですよ? お屋敷にちゃんとお部屋を与えられて、いつでもお産ができるようになっています」


 リトリィに言われて驚く。


「屋敷を与えるって言ってなかったか?」

「ミネッタさんがそれを望まなかったんです。屋根裏部屋でいいから、お屋敷で働かせてくださいって。そうしたら夫人部屋を与えられてしまいましたって、目を白黒させていましたよ」


 夫人部屋とは何かと聞いたら、まあ要するに第一夫人以外の女性を住まわせる部屋だという。


 ……なるほど。フェクトールの奴、思い切ったことをする。血統を重視するはずの貴族のくせに、平民、しかも差別的に扱われがちな獣人の女性を、あえて愛人として正式に周知させようということか。

 今も彼女には席が与えられ、そして彼女のそばにはレルバートさんが控えている。


 たしかレルバートさんは、フェクトール公に仕える忠実な執事。そんな人間が主人のそばを離れてミネッタの隣に控えているってことは、それだけ彼女が大事にされているってことなんだろう。


 いろいろ思うことはあるけれど、自宅の外に屋敷を与えて放り出すよりは、よほどマシに違いない。クソ野郎という評価はすこし訂正しよう。




 で、ハプニングが起こった。


 フェクトール公が鐘塔の前で改めて街の勝利を高らかに宣言し、俺の合図で鐘が打ち鳴らされたときだった。

 塔の中の反響地獄とは違って、澄んだ音色が響き渡るのを、俺は安堵と共に聞いていた。


 そのとき、すこしざわめきが起こったのだ。

 何かと思って目を走らせると、ざわめきの元は――ミネッタだった。

 椅子の上で、苦しげに身をよじらせている。


 ……まさか!?


 毒にまみれたナイフが、脳裏をよぎる。

 リトリィを救い出したあとに俺を襲ったヤツが持っていた、「血を壊す毒」とやらがたっぷりと塗られた、ナイフ。


 まさか――彼女にも、そのようなものが!?


 ありえる!

 侯爵軍のほとんどは街を出たばかりだが、一部は今後の交渉のために残っているのだ。そいつらが何かをした……!?


 俺は自分の立場も忘れて立ち上がると、ミネッタに駆け寄った。

 一度は、拉致されたリトリィをフェクトールの女にすべく薬物を盛り、それを正当化したミネッタ。


 だけど、差別されて生きてきた彼女がとり得る最善の道が「有力者の愛人」だったこと、その価値観でリトリィを「救おうとしていた」ことは、今は理解できる。


『ボク、お役に立つよ!』


 あの愛らしいリノだって、俺のもとに来たときには相当に荒んでいた。

 将来、俺のお嫁さんになる――そんな夢を抱き、現実になると信じているから、今の彼女はああも生き生きとしてくれている。

 将来を約束されることが、こんなにもひとの心の安定につながるのだ。


 それを否定することなど、今の俺にはできない。ミネッタは、ようやく幸せを手にしようとしているのだ。

 そんな彼女を見捨てることなどできるものか!


「ミネッタ! 大丈夫か!?」


 騒然とする周りに構わず、俺はミネッタを抱き起そうとした。

 だが、それをレルバートさんに制止される。


「ムラタ様、大丈夫でございます。すぐに医者が……」

「大丈夫!? 苦しんでるじゃないか、どうしてそんな――!」


 食って掛かろうとした俺に、ミネッタが微笑んだんだ。


「だい、じょうぶ……。ちがう、の」


 少し苦しげに、けれど確かに、笑顔で。


「産まれ、そう……なの……」




 それからは大変だった。

 フェクトールの奴が、俺以上に立場を忘れて走ってきて(平時に貴族が走るというのは、あってはならない醜態らしい)、そして俺以上に狼狽し、しかし生まれそうだという話を聞いて、言っちゃったんだよ。


「私の子が生まれるのだ、申し訳ないが私はこれで中座する。礼を失する詫びとして、酒を用意させよう! 我らが勝ち得た平和を堪能してくれたまえ!」


 そりゃもう、蜂の巣をつついたような大騒ぎになったよ。

 当分、街の話題はこれで尽きないだろうというくらいに。

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