第457話:種まきはどこで

「ムラタさん、ケガの具合はどうですか?」


 マイセルに腕の、リトリィに太ももの包帯を取り替えてもらっている間、俺が歯を食いしばっていたからだろうか。マイセルが不安げに聞いてきた。情けない、自分より年下の女性を、不安がらせてしまうとは。


「……大丈夫だよ。なにも問題はないから」

「だんなさま、わたしたちには気をつかわないでください。ちゃんと、痛いときには痛いとおっしゃってくださいな」


 リトリィにたしなめられるが、これはプライドの問題だ。日本ではもう流行らないだろうが、やっぱり男としてカッコつけたいじゃないか。


 家の中はすっかり野戦病院と化しているので、落ち着ける場所など俺の仕事部屋しかない。リトリィたちも心得たもので、この仕事部屋にだけは、人を収容しないでおいてくれたのだ。


 ヒッグスとニューとリノの三人は、部屋の隅で三人で丸くなって眠っている。夜明けが近いこの時間まで、このチビちゃんたちは本当によく頑張ってくれた。リノの大活躍は言うまでもないが、四番大路沿いの街について詳しいヒッグスとニューのアシストは、本当に頼りになった。


 ストリートチルドレンとして生きてきた彼らに、人生を左右されるほど助けられることになるなんて、拾ったときには想像もしていなかった。それどころか、三人は俺が救ってやる、とばかり考えていた。


「ところで、お帰りになったあなたにこんなことをうかがうのは、本当に心苦しいのですけど」


 リトリィの目が、なにやら座っている。

 リトリィと示し合わせるようにしてうなずくマイセルもだ。

 二人とも、さっきまでの不安げな目つきとはだいぶ違う。


「……なにかな?」

蜜のにおい・・・・・がします。だんなさまの、ここ・・から」


 ニオイのもとに顔をうずめるようにしながら、リトリィの、拗ねたような声。

 背筋に冷たいものが走る!


「どこで種をまかれてきた・・・・・・・・のですか?」


 リトリィが、頬を膨らませながらずいっと迫ってきた。


は、どちらのかた・・・・・・ですか?」


 しっぽがぱんぱんに膨らんでいる。


同じ畑・・・に、二度・・ほど、間を置いて種をまいていますよね?」


 ――なんという俊英な鼻なんだろう! フェルミとの行為を、回数まで見抜かれるとは!


「い、いや、……あの……」

「だんなさま?」

「ムラタさん?」


 そしてリトリィはにっこりと微笑むと、俺の上にまたがってきた。下腹を、そっとさすってみせる。


「あなたのは、ここ・・ですよ?」

「よそで種まきするほど余ってるのなら、お姉さまに全部差し上げてくださいね?」


 おい待て、こういうときブレーキ役をするのがマイセルだろう!?

 一緒になってリトリィを煽らないでくれよ!


「私はもう眠いので。お姉さまはずっと一途に、ムラタさんをお待ちしていたんです。あとはお姉さまと、じっくり粘膜で話し合ってください」


 粘膜って……おい! そりゃどういう意味だ! まるで俺が浮気でもしたかのような……ていうか一人でさっさと毛布にくるまって俺たちに背を向けないでくれよ!


「男の人というのは、戦場いくさばでのたかぶりをおんなにはき出すと聞きますし。あなたのたかぶりはすべて、わたしが受け止めてさしあげます」


 そう言ってリトリィは、くぱっと口を開けた。

 舌なめずりをしながら。


「よその畑で種まきをしてきた、元気がありあまっているの汚れは、わたしがきちんときれいにしてさしあげますからね?」

「い、いや待て、話せばわかる……!」

「問答は無用にございます」


 アッ――!




「……ごめんなさい」


 リトリィが、妙にしょげている。

 原因は分かってる。フェルミのことだ。


 煙も出なくなるほど徹底的に搾り尽くされた翌朝に待っていたのは、フェルミの訪問だった。


 リトリィがわずかににおいを嗅ぐような仕草をしたあと、一瞬にして全身の毛を逆立てて臨戦態勢に入ったのを見たのは、これが初めてだった。今から思えば、すさまじい嫉妬の念を掻き立てた瞬間だったんだろう。


 フェルミの方もそれを理解したようで、帽子を取って、そして耳をうごかしてみせた。

 いびつな形の、その耳を。


「監督は、私に、情けをかけてくれたんですよ」




 リトリィとフェルミは、俺の書斎で長いこと話をしていた。獣人のフェルミの鼻なら、その書斎で、俺とリトリィが朝までなにをしていたか、その残り香で十分に理解できただろう。実際、リトリィもそれを分からせるつもりだったに違いない。


 俺は、書斎の中で一体どんな会話がなされていたのか、ものすごく気になってはいたけれど、マイセルに家で療養している兵たちの世話を命じられ、聞き耳を立てる暇さえなかった。


 ヒッグスとニューとリノも、マイセルの指示でくるくるとよく働いた。

 街の獣人たちに対してひどいことをしていた侯爵軍の連中ではあったが、この家に収容されている連中はリトリィの制裁しつけの成果だろうか、実にお行儀がよかった。スープを配っている間も、怪我への当て布を交換する際も、実におとなしく待っていた。


 ひとりだけ、リトリィの「具合のよさ」について、下卑た顔で聞いてきた馬鹿がいた。だが直後に、マイセルの縦にしたお盆チョップで脳天を押さえて床を転げまわることになった。しかし周りの連中は知らん顔、あるいはその愚かさを揶揄する者たちばかり。

 ……うん、リトリィのしつけがよく浸透しているようだ。


「そこの旦那、夜が明けるまでずっとあねさんを寝かさなかったんだぜ? 聞くまでもねえ、最高に決まってるじゃねえか」


 その「最高に決まってる」という意見にはまったくもって同意するが、正確には俺がリトリィを寝かさなかったんじゃなくて、リトリィが俺を寝かさなかったんだ。

 ついでに、そうやっていらないことを言うからほら、マイセルの縦盆チョップの犠牲者がもう一人追加だ。




 一時間ほどだろうか。書斎から出てきた二人は対照的だった。

 フェルミは晴れやかな顔をしていて、そしてリトリィはなぜか耳を伏せていた。


「全部話しました。ムラタさんのかっこよかったこと、私にしてくれたこと、包み隠さず、全部」


 一時間の話し合いの中で一体俺のなにが語られたのか。

 おそろしく気になって仕方がなかったが、それでリトリィは、俺がフェルミを性欲のはけ口にしたわけでもなければ、彼女にうつつを抜かしたわけでもないことは理解してくれたらしかった。


 昨夜、リトリィが俺から徹底的に搾り取ったのは、藍月子作りの夜が近いからというばかりでなく、二日間の孤閨ひとり寝の寂しさを埋めてほしかったという思い、そして自分を――自分だけを愛してほしいという独占欲の発露だったという。


「……わたし、ムラタさんから女のひとの蜜のにおいをかいだとき、ものすごくつらかったのと、ものすごくうらやましかったのが、ごちゃごちゃになっちゃったんです」

「辛かったは分かるけど、羨ましかった?」

「だって――フェルミさんは、あなたに抱いてもらえたんですよ?」


 いや、そこは怒るところじゃないのか?

 思わず突っ込みそうになったが、必死でこらえる。


 リトリィは、リノたちが集めてくれた洗い物を手提げ籠に放り込みながら、困ったように笑った。


「それにわたし、あなたの妻なのに、あなたのお役に立てなかったから――」


 ――ちがう。


 ちがう、ちがうんだ、リトリィ。

 俺は、君との暮らしを取り戻したかったから、頑張ったんだよ。


 ヒョロガリと馬鹿にされ、戦い方も知らずに足を引っ張ると怒鳴られ、それでも俺は四四二隊のメンバーと共に、少しでも君のもとに近づくために――君のもとに帰るために頑張ってきたんだ。


 この世界で、俺が生きる場所は――俺が生きたい場所は、君の隣なんだ。


「あ、……だ、だんなさま……?」


 戸惑うリトリィ。

 だが、軽く身をよじった彼女を、俺はしっかりと抱きしめる。


 離すものか。

 もう二度と。


「……監督。みんな、見てるっスよ?」


 いつもの・・・・砕けた口調のフェルミに、俺は「見せてるんだよ」と返してやる。

 そうさ。リトリィは俺の嫁。

 愛する嫁を抱きしめて、何が悪い。


 ……あとで兵士たちに散々からかわれたが、いいんだよ。ここは、俺の家――家族の愛を確かめ合う場所なんだから!

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