第456話:俺の嫁さんの支配圏は

「だんなさま! 急いでお水を汲んできてくださいませんか?」


 リトリィに言われるまま、外の井戸から水を汲んでくる。

 頭に大量の「?」を浮かべながら、俺は何度、居間と井戸とを往復したことだろうか。


 リトリィは怪我人たちの血を拭き、当て布を替え、暖炉の前に洗い干ししてある大量の包帯の状態を確かめては、包帯を取り替えていた。


「うう……あねさん、ありがとよ……」


 さっきまで机に突っ伏してうめいていた男が、よろよろと立ち上がる。


「こちらこそ、手当てが遅くなってごめんなさいね?」


 そう言ってリトリィは、奥の部屋に入っていく。


『もう! また! 掻いちゃダメって言ったでしょう! 傷口がんだらどうするんですか!』

『いてぇ! あ、あねさん、いてぇって!』

『それくらいなんですか! 傷口がんだら、腕を切りおとさなきゃならなくなるかもしれないんですよ! がまんなさい!』

あねさん、ひどいや!』


 ドアを開けてのぞき込むと、これまた所狭しと男たちが座り込んでいて、その間をリトリィはひとりひとり覗き込んでは、声をかけていた。


「あなた、お手がすいたなら、上の様子を見てきてあげてくださいな」

「……上?」

「はい。マイセルちゃんがみていてくださっていますから」


 俺は首をかしげながら階段を上ると、二階のベッドに、何人も男が横になっていた。下にいる連中よりよほど怪我の度合いが酷く、うめき声が途切れない。

 中には腕や足を切断したり、顔面が包帯で覆われたりしている者もいる。特に重傷な者が、ここに寝かされているようだった。


 その男たちの額の汗を拭いて回っていたマイセルが、俺の顔を見るなり弾かれたように背筋を伸ばした。


「ムラタさん! おかえりなさいませ!」

「あ……ああ、た、ただい、ま……」

「外はいくさがおわったのですか?」

「広場は……そうだな、だいたい……おおよそ」


 マイセルの顔が、徐々に歪んでくる。


「……ムラタさん……! 私……私……!」


 その時だった。

 階下からドアが開けられる音、そしてリトリィを呼ばう声が聞こえてきた。


「おおい、あねさん! 新しい怪我人だ! 面倒見てやってくれ!」

「はぁい。すこし、お待ちくださいね? すぐにうかがいますから。……だんなさま! あたらしいけが人さんです!」




 それからしばらく、俺は怪我人の対応にてんてこ舞いだった。

 怪我人が何度もやってきて、そのたびにリトリィが応急処置を施す。リトリィの血染めのエプロンの、その理由も分かった。


 あっという間に家の中は足の踏み場もない状態になり、怪我の程度の軽い連中が、頭を下げながら家を出て行く。

 今さら気づいたんだが、怪我をしたヤツらは侯爵軍の兵も、そして我らがオシュトブルクの街の騎士や従兵、民兵などもいた。


 もちろん、そうなるとにらみ合いや罵り合いも発生するわけで、そうなったらリトリィの容赦ないきっついお仕置きが飛ぶ。


「いいかげんになさい! けがをして運ばれてきたならどちらもおなじ『けが人』です! このお家にいるかぎり、敵も味方も関係ありません! はやくけがを治して、ご家族を安心させることを第一に考えなさい!」


 それを、怪我したところを捻り上げながら言うのだ。大の男が、情けない悲鳴を上げる程度に。

 リトリィのことだから、おそらく怪我が悪化しない程度には加減してのことなんだろうけど。


 リトリィに請われるまま、食品庫パントリーに芋を取りに行くと、すぐにリトリィも入ってきた。

 そのまま壁に押し付けられ、抱きしめられ、そして、唇をふさがれた。


「……あなた! あなた、あなた……! 逢いたかった、やっと逢えた……!!」


 ぼろぼろと涙をこぼしながら、声を押し殺してすすり泣く。彼女は、二日の間に生じた俺たちの隙間を埋めようとするかのように、すがりついて泣き続けた。


「こんなに……こんなにおけがをなされて……! もう! またむちゃをなさったんでしょう! わたしがついていないと、ほんとうに、ほんとうにあなたってひとは……!」


 なにやらいろいろと小言を言われた。どうも彼女の中では、俺という人間はリトリィというストッパーがいないと無茶をやらかし、どこかに飛んでいっては怪我をして帰ってくる、幼児のような生き物ということになっているらしい。


 それを、顔じゅうを舐められたり、口の中を舌で占領されたりしながら言われた。

 ……だいたい合ってるような気がして、情けないやら申し訳ないやらだ。


「……ただいま、リトリィ」

「おかえりなさいませ、あなた」


 暗い食品庫の中で、けれど声の調子から、彼女が微笑んでくれたのが分かる。

 改めて彼女を抱きしめた。

 ふかふかの彼女の毛並みは、こんなにも柔らかく、そしてあたたかいものだったのか――改めて自分の妻の感触に感激した。




「……で? この家は、臨時の救護院になったっていうことか?」

「はい。玄関の扉の上に、『聖者の紋章の旗』を下げてあったでしょう?」


 聖者の紋章の旗。知らんぞそんなもの。


「あとで教えて差し上げますね?」


 リトリィが微笑み、マイセルが、ひきつった笑みを浮かべて続けた。


「それで、お姉さまが一喝して。『この家はわが夫のものです!』って。『あの方は、あなたたちがここでお休みになることはお許しになるでしょう、けれどそれ以外の乱暴狼藉は、夫に代わって家を預かる者として許しません!』って! すごくかっこよかったんですよ!」


 マイセルが我が事を自慢するように、大げさに身振り手振りを交えながら話す。

 剣を突きつけられながらそれを言い放ったというから、俺の奥さんはどんだけ気が強いのやら。当のリトリィは、恥ずかしそうにうつむいてしまっているが。


「それから、いくさが始まるまでは、ただの休憩室というか、侯爵軍のみなさんがお茶を飲みに来るおうちになってたんです。いやらしい目でわたしたちを見る人もいたし、実際にその……乱暴しようとした人もいたんですけど、そういう人は、みんなお姉さまが窓から放り投げちゃって」


 ……おい。

 思わず突っ込みそうになった。さらっとすさまじいことを言う。


「『わたしたちは髪の一筋、吐息ひとつまで、すべて夫のものです!』って。以前にガロウさんに教えてもらった護身術でぽいぽい投げ飛ばすお姉さま、素敵でした!」


 ――アイツ!

 とんでもないことをリトリィに仕込みやがって!


「そうそう。それであねさんたちに手を出す奴がいなくなったんだよな」


 包帯グルグル巻きの男が、ソファに横たわったまま笑うと、そのそばで床に横たわっていた男が「そんなあねさんを射止めた野郎はどんな野郎なんだって話、してたんだよな」と、相槌を打つ。


「おお、そうだ! 滅茶苦茶強いから惚れた説と、どうしようもないモヤシ野郎だからほっとけなくてくっついた説があったよな!」

「……で、アンタがその、あねさんのダンナ……なんだよな?」


 問われて、「そうだ!」と胸を張ると、一斉に落胆のため息と、一部で歓声が沸く。


「なんだよ、賭けはモヤシ野郎説の勝ちかよ!」

「くそっ、誰だよ大柄で鋼の肉体をもつ犬属人ドーグリングに違いないって言ったヤツ!」

「うるせえよ! あんだけ強くて肝っ玉も太いあねさんが惚れたっていうダンナだぞ!? そう思うのは当たり前じゃねえか!」

「だよなあ! なんでこんな……」


 うるせえよ! 大きなお世話だよ!

 ていうか侯爵軍の連中もうちの街の騎士団のやつも、なんでそんなに仲良く賭け事なんかできるんだ!


 俺の腹立ちまぎれの問いに、リトリィがふわりと微笑む。


「だって、おけがをされて苦しむのは、敵も味方もありませんから。この家に運ばれてきたひとは、みんな『おなじ』けが人さんです。ですから、このおうちに入ってきた以上、けんかは一切禁止でしたよ?」

「いやリトリィ、喧嘩って、そういう話じゃ……」

「いけませんでしたか?」


 不思議そうに小首をかしげるリトリィに、俺は何も言えなくなる。


「……リトリィ、君は、……その、侯爵軍の連中の手当てをしたんだよな?」

「はい。もちろん、このまちの騎士団のかたがたもお手当てしましたよ?」


 それが、血染めのエプロンの意味。

 リトリィは、傷を洗ったり包帯を巻いたりするだけでなく、時には傷口を縫ったり、切開して血を抜いたり、何ならどうしようもない部分を切断したりまで、何でもやったらしい。

 呆然として、それ以上、俺は言葉が続かなかった。


「お姉さま、お医者さまかと思いました!」

「さすがにお医者さまのようにとはいきませんけれど。前にゴーティアスさまのお屋敷でおしごとをしたとき――あなたのお手当てをしたときの経験が活きました」


 ……ああ! そういえば奴隷商人の残党に襲われた、あのときの!

 毒塗りナイフで大怪我を負って、仕事の依頼人ゴーティアス婦人の家で、しばらく厄介になった、あのときか。


「はい。あのかたは私たちが生まれる前に起きたいくさのときに、ご自宅を救護院として開放して働かれたそうですから。いろいろ教えてもらったんですよ!」


 マイセルの言葉に、リトリィが微笑む。


「おかげで、少しはお役に立つことができました。それに、前にお山にいたときにだんなさまに教えていただいた『血止めの点』のことも、とても役に立ちましたよ?」


 血止めの点? 言われて首を傾げ、そして思い出す。

 ――止血点か!

 ああもう、思い出したくないが絶対に忘れちゃいけない記憶!

 リトリィのことを想うあまりに彼女とは一緒になれないと思い込んで、彼女の心を壊しかけた――左腕に傷痕の残る、あの事件!


 そういえばあの時、大学のスポーツ科学の講義で学んだ全身の止血点の話、リトリィにしてたんだっけ。


「ふふ、どんなことだって、過ぎてしまえば思い出です。あなたのおかげで、たくさんのひとを助けることができました。ありがとうございます」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、侯爵軍の連中なんか、傷口を洗ってやる程度でよかったのに」


 俺が顔をしかめると、リトリィはすこし、悲しそうな顔をした。


「あなた、そんなことをおっしゃらないで。このかたたちにだって、ご家族がいらっしゃるんですよ?」


 あなたにとっての、わたしのように――そう言って、目を伏せる。

 リトリィにそう言われると、俺は何とも返しづらくて、口ごもる。


「最初は乱暴しようとしたかたもいましたけれど、このかたたちだって、みんながみんな、すき好んでこんな戦いをしにいらっしゃったわけではありませんから」


 怪我の処置をしたあと、上官に引っ張られるようにして家を出て行った若い兵たちの、そのなんとも悲しげな礼が、胸に残ったのだという。


「こちらにいらっしゃったかたがたは、みんな、ひどいおけがをされたかたばかりです。もう、戦えなくなったかたがたなんです。故郷に帰っても、しばらくは――ううん、なかにはもう、ずっと不自由をされるだろうってかたも多いんです。でもわたしには、おけがのお手当てをすることしかできませんでした。あとは温かいお茶をお出しすることくらいで……」


 顔を上げるリトリィ。

 たしかに、目の前の、怪我に苦しむ連中を見れば、そうほだされるのは無理もないかもしれない。


 ――だが、こいつらは侵略者なんだ。こいつらのせいで、怪我どころか、殺された仲間だっているんだよ。

 フェルミだって、あんな――

 彼女の白い肌に刻まれた、右脇腹から左の乳房までの、黒い糸で縫われた赤黒い傷が鮮明に脳裏に浮かぶ。


「……だんなさま。こちらのかたがたがこんなにひどいけがをされているってことは、もちろん街のかたがたも、きっとひどい目にあっているでしょう。このかたがたがしたことは、赦されることではないでしょう」


 でも、とリトリィは続けた。


「このかたがたの傷をお手当てすることで、いずれつぐないをする機会をもってもらうこと、わたしは大切なことだと思っています。わたしたちみんなが、しあわせなさいごを迎えられるように」


 気が付くと、まわりの負傷兵たちがみんな、うつむいていた。中には涙もろいのか、小さく鼻をすすっている者もいる。


「……あねさんには迷惑かけねえよ。世話になったからな」

「なに言ってやがる、今ここにいる時点で迷惑かけてるじゃねえか」

「うるせえ、これからだよこれから!」


 表では、ついさっきまで命のやり取りをして(逃げ回って)いたというのに。


 なんなんだ、この家の中の平和な有様は。

 これが、俺の妻が作り出した世界なのか。

 俺の嫁さんは、なんてすごいひとなんだ。

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