第455話:主人の帰還

「だんなさま、その姉ちゃん、いつのまに拾ってきたの?」


 リノが、何やら不満げに口をとがらせる。


「だんなさまって、そんなに女の人が好きなんだ?」


 うおーい。

 さすがに今の言葉は看過できなくて、ツッコミを入れてしまいそうになる。

 俺は苦笑いしながらフェルミを見ると、彼女は妙にニヤニヤしながらそっぽを向いた。


「……リノ、こいつはフェルミだよ」

「嘘。だんなさま、嘘つかないんじゃなかったの? フェルミって、あの軽い兄ちゃんじゃないか。ボク覚えてるもん」


 獣人は嗅覚が鋭いから分かると思ったんだが。血とブランデーの匂いで、ごまかされてしまっているのかもしれない。


「本当の話だ。俺は大切な人に嘘なんてつかない」


 大真面目な顔をして言うと、リノの目がまん丸に見開かれ、そして見る見るうちに顔が真っ赤になってうつむいてしまった。

 ――怒ったのか? さらに嘘をつかれたと思って?


「……リノ、信じられないかもしれないが、もともとフェルミは女で――」

「ぼ、ぼ、ボク、――だんなさまの、たいせつな、ひと?」


 かすれた声に、俺は戸惑いながら肯定すると、リノは顔を上げた。真っ赤な顔で、じつに嬉しそうに。


「え、えへへ! うん、じゃあ、信じる! フェルミ兄ちゃんは、兄ちゃんから姉ちゃんに変わったんだね!」

「……いや、変わったというか、もともと――」

「あ、でも! ボクが三番目だからね? フェルミ姉ちゃんは四番目だよ! 順番は大事って、リトリィ姉ちゃんもいつも言ってるし!」


 ……妙な誤解をされた。

 ていうかリトリィ、やっぱり序列を気にしてたんだな。

 いや、俺も気を使ってはいるつもりだけど。




 屋根の上を走るリノの目による的確なアドバイスは、怪我人だらけの俺たちにとって、まさに天からの助けに等しかった。


「だんなさま、ボク、もっと役に立つよ!」


 改めて、この「遠耳の耳飾り」の有用性が分かる。これを身に着けていた冒険者のインテレークとポパゥトのコンビが、いかに重宝されていたかがよく分かる。どちらかが死ぬような怪我を負った場合、感覚を共有しているもう片方にも大きなリスクがあるらしいが、そのデメリットを差し引いても、この耳飾りには極めて大きな価値がある。


 なにせ、リノの目を通して、侯爵軍の連中がどのように展開しているのかが、リアルタイムに伝わってくるのだ。まさにリアルタイムストラテジーのゲームをやっているかのようだ。


『だんなさま、見える? なんか戦ってるよ!』

「隊長、ちょっと待ってくれ。この先で戦ってるみたいだ。こっち側は――多分、市民兵と騎士団の混成部隊」

「任せていて大丈夫そうか?」

「……苦しいと思う」

「敵の連中を挟み撃ちにできそうな道はあるか?」

「リノ。そこまで、どんな道順で行けばいいと思う?」

『任せて! ボク、案内するよ!』


 情報って、本当に重要だということをまざまざと実感させられる。

 高所から情報をくれるリノのおかげで、俺たちは常に有利な状況から奇襲することができ、そして不利な状況を回避することができているのだから。


「これで、敵味方のステータスとか確認出来たらまさにゲームだな」

『すてーたす?』

「……いや、なんでもない。それよりリノ、あとどれくらいで敵にぶつかる?」

『そこの曲がり角を出たらすぐだよ!』

「隊長!」

「おう、出番か!」


 この立体的かつリアルタイムな情報収集の価値を、この世界の人間はいったいどれだけ理解できているのだろう。

 魔法が使えないはずのこの街で、装備者自身の力を削るだけで使えるこの端末は、ものすごい価値がある。これを装備した人間に追随する護衛をつけての情報収集を、むしろ積極的に展開するべきじゃないだろうか。多分、世界が変わる。


「……ニューの盗癖クセには困ったものだが、こればっかりは大金星だな」

『だいきんぼし?』

「いい働きをしたってことだ」

『だんなさま、ボクはボクは?』

「可愛いリノは、今この瞬間にもいい働きをしてる真っ最中だよ」

『えへへ! だんなさま、ボク、もっともっとお役に立つからね!』


 孤児としてすさんだ生き方をしてきたリノが、足りなければ奪えばいいとすら考えていた彼女が、人の役に立つことを喜びとしてくれている。それが何より愛らしく、愛おしい。


 ただ、それを感じさせてやれているのが、このような子供にはふさわしくない戦場であるというのがなんとも悲しい皮肉だ。より子供らしい役立ち方で、喜びを感じさせてやりたい。


 ――そのためにも、とっとと侯爵軍の連中を追い出さないとな!




 四番大路門前広場。

 ここが最後の激戦区となった。

 我が街オシュトブルクが誇る最精鋭「月耀騎士団」が三番大路を制圧し、応援に駆け付けたのが大きかった。

 そして――


「まさか、またお前と共闘するとはな」

「知らん。報酬は弾むと聞いたんでな」


 本来、冒険者ギルドは傭兵ギルドと違い、基本的にクニ同士の戦いには不干渉を貫くそうだ。


「冒険者ギルドに押し入ったケンカを売った馬鹿がいたらしくてな」


 自衛という名目のもと、一気に冒険者たちが乱入したのだという。


「クソオスが、弱っちいクセに一人前に兵士の真似事なんざしやがって」


 背後から振り下ろされた剣を、まるで背中に目がついているようにひらりとかわしたガロウは、そのまま剣を握る相手の腕をつかみ、軽やかに地面に叩きつける。

 鉄の鎧を身にまとった男が、軽々と宙を舞い、地面に叩きつけられるのだ!


 何かの冗談を見ているかのような気分だ。四四二隊の熊属人ベイアリングの隊長さんは、二メートルを超える筋骨隆々の巨躯でぶっ飛ばしていたから、まだ納得できたのだが。


「それよりクソオス! さっきはとんでもねえモンをぶちまけやがって! あれ、前にオレの鼻先に押し付けたヤツだろ!」


 とんでもねえモン、とは、瀧井さんにもらった強烈な臭いの液体だ。ガロウと合流する直前、敵に囲まれた俺は、そいつを周りの連中に振りまくようにぶちまけたのだ。


「おかげで、さっきからずっと鼻がバカになって使えねえ! 何かあったらクソオスのせいだからな!」


 ガロウが俺を助けるために飛び込んでくるなんて思ってもいなかったから、容赦なく周りの奴にぶっかけてやったんだ。


 そこへ飛び込んできたのがガロウだったのだ。彼は液体が直接かかったわけでもないのに悲鳴を上げ、鼻を押さえて「このクソオス! てめえ、オレになにか恨みでもあんのか!」などと言いながら地面を転げ回っていた。


 恨み? 恨みならいくらでもあるぞ? 特にリトリィが勝手に約束した「最初の娘をガロウの嫁にくれてやる」などという約束、俺は絶対に認めないからな。

 口に出すとリトリィが怒るから、言えないが。


「まったく、ただでさえ血の臭いのせいでニオイの嗅ぎ分けが難しくなってたってのに、クソオスのせいでの匂いが分からねえ。せっかく来てやったのにこのザマだ」


 そう言って、ガロウは俺の隣に迫ってきていた敵兵の足を絡め取り、そのままぶっきらぼうに投げる!


「……す、すまん」

「クソオス、お前にはとっととくたばってほしいが、今お前に死なれると、あのメスはきっと死ぬまで泣く」


 ガロウは、地面に伸びた兵士を蹴り飛ばすと、面白くもなさそうに続けた。


「オレをぶちのめしたあの跳ねっ返りのそんな姿なんざ、オレは見たくもねえ。兵士の真似事もいいがクソオス、死ぬんじゃねえぞ」

「……お前こそ、俺たちの娘を娶るというなら、それを邪魔する連中を追っ払ってみせろよ。それこそ――」


 四番大路のほうから軍用騎鳥クリクシェンにまたがって駆けてくる、侯爵軍の騎士たちと従兵たち。まだあんなにもいるのかよ!


「薙ぎ払え! この世で最も古い一族の末裔なら!」

「もとよりそのつもりだ」

 

 そう言うと、彼は夜空に己の遠吠えを響き渡らせ、そして地面を蹴って侯爵軍の連中に向かって突っ込んで行く。


 信じられないことに、彼の駆け抜ける先で人間が宙を舞う。

 投げ飛ばしているらしいのだが、どうやっているのか全く分からない。




『だんなさま……中、人、いっぱいいそうだよ?』


 リノが、やや離れた家の屋根から様子をうかがう。

 分かってる。

 二階――俺たち夫婦の寝室にも、明かりが灯っている。なにをしているのか――されているのかは、ここからは分からない。


『ほんとに、行くの?』

「当然だ。家の主人が家に帰る、当たり前のことだろう?」

『……だんなさま、危なかったら、すぐ逃げてね?』


 ようやくたどり着いた、四番門前広場に面する、我が家。

 もはや投降した者以外の侯爵軍は、ほぼいなくなっていた。

 離れたところで剣戟の音が時々聞こえる。


 俺は家に近づいた。

 家の周りには、誰もいない。


 ドアの前にたどり着く。

 ようやく、ようやくだった。


 結婚式の前夜、ナリクァン夫人がドアに投げつけて突き刺さった皿は、ひびが入って一部欠けているが、無事だった。


 瀧井さんからもらった「お守り」の竹筒は、中身が液体のものはすべて使い切った。いったい、何人の鼻をつぶしたことやら。


 残っているのは、中身が粉末のものが一つだけだ。油紙で密封されていて、さらさらと、やたら細かそうな感触だった。一度ふたを開けてみたら、鉄臭いにおいがした。おそらく、目つぶしの鉄粉か何かだろう。

 狭い家の中なら、きっと効果的に違いない。家の中が臭くなることもない。


 やっとだ。やっと俺は帰ってきた!

 リトリィ、マイセル。

 今すぐ助けてやる!


 右手にリトリィのナイフ、左手に竹筒を手にして、そっとドアに近づく。

 中からは、うめき声のようなものがわずかに聞こえてくる。

 ぎしぎしと、机が軋むような音。


 ざわりと、背筋に冷たいものが走る。


 もはや自分を押さえてなどいられなかった。

 俺はそっとドアのカギを開けようとしたが、鍵はかかっていなかった。

 もう、この家のまわりはすべて侯爵軍の連中は排除されているというのに。

 なのに、中の連中はそのことにも気づいていないというのか。


 ――くそったれめが! 


 感情が一気に爆発し、俺は一気に飛び込んだ!

 目の前にいたのは数人。鎧も何も身に着けず、安い普段着のような服の連中!

 上半身に何もまとっていない奴もいる!


 ああそうか、そういうことかよ、この家はお前らの下劣な欲望を満たす家になっていたってわけかよくそったれめが!


「動くんじゃねえっ!」


 左手の鉄粉入りの竹筒を、思いっきり振った瞬間だった。


「うぎゃああああっ!?」


 鉄粉を浴びた数人が悲鳴を上げた!

 俺自身、ただの鉄粉だと思っていたそれが、思いっきり火花と化したのだ!


「ほ、法術使い!?」

「な、なんで『詠唱』も『力ある名の宣告』もなしに法術が使えるんだ!?」

「我が騎士団の法術師は、だれも法術を使えなかったっていうのに!」

「た、た、助けてくれ!」


 部屋の中の男たちは恐慌状態に陥った。

 俺も意味不明だった。なんで鉄粉があんなおっそろしい火柱に化けるんだ。


「……死にたくなければ今すぐ投降しろ! 俺は毒使いでもあるんだ、お前らの肺を腐らせ死に至らしめる毒を、今すぐにでもまき散らしてやれるんだぞ!」


 そう叫んだときだった。


「……あなた?」

「……リトリィ!?」


 部屋の奥で、情けないうめき声を上げる筋骨隆々の男を机にうつぶせにし、ぎしぎしと机を軋ませながら――丸太のような腕に包帯を巻いていたのは、血染めのエプロン姿の、リトリィだった。

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