第454話:第442戦闘隊かく戦えり(14/14)

「だらぁああああっ!」


 三階から突き落としてぶっ壊れたわら・・ベッドの上に、フェルミを抱きかかえたまま飛び込む!

 現代日本のベッドみたいにスプリングが入ってるわけじゃないけど、無いより絶対マシのはずっ!


「大丈夫、飛行機墜落事故だって生き延びた人がいるんだ、三階くらいで死にゃしねえよたぶんきっとメイビぃぃぃいいいいいいっ!!」


 半泣きになりながらそう自分に言い聞かせ、そしてくなくなと首を振るフェルミを抱きかかえて、俺は窓辺に足をかけるとベッドに向けて飛び降りたんだ。


 俺って意外に頑丈かもしれない。いや、全身を襲ったとんでもない衝撃で、俺死んだかも、とは思ったけどさ!

 三階から飛び降りたくらいでなに言ってんだって言われちまったら、確かにそうなんだよ。でも三階って、結構な高さだよ! 二度とやるもんか!


「がははははっ! いつまでたっても出てこないから、火の中で二人してナニやってるのかと思ったが!」


 ひしゃげたウォーハンマーを手にした隊長が、ばしばしと背中をぶっ叩く。

 そう、俺たちがロープを伝って突撃したのを見た隊長が、もう隠れてこそこそするのはおしまいだとばかりに、集合住宅の庭にいた味方の従兵が持っていたウォーハンマーをなかば奪い取るようにして、敵からの目隠しになっていた塀を内側からぶち破ってしまったらしいのだ。


 災難だったのは侯爵軍の連中だろう。突然、壁が吹き飛んだかと思ったら、ウォーハンマーを振り回す凶暴な熊男が暴れまわったのだから。


『おらぁ! ムラタぁっ! チビどもが泣いてんぞ、わしの手を煩わせるな! とっとと出てこい! あんたが守らずに誰が守るんだ、ゴラァッ!!』


 ビリビリと空気が割れるような、俺の心の襟首をむんずとつかんで引っ張り起こすような、そんな咆哮。思わず起き上がってしまい、俺の上にまたがって唇を重ねていたフェルミの歯と思い切りかっち合って、二人して前歯を押さえてしばらくうめいていた。お互い、歯が折れなくてよかったと思う。


 寝台からわらベッドを引きずり出し、下に放り投げ、そしてフェルミを抱き抱えて飛び降りる! あの瞬間のハイテンションあればこそだった。

 俺たちが飛び降りた、そのすぐ脇の壁が吹き飛んだ時は正直、死んだと思ったよ。なにせ二メートルを軽く超える黒い影が、柄が折れ曲がり槌の潰れたウォーハンマーを手に立っていたのだから!


 フェルミを抱きかかえ、俺はとっさに腰のナイフを抜こうとして鞘ごと突き出し、そして黒い毛むくじゃらに豪快に笑われた。


「フェルミ、いい尻してるじゃねえか。もう男の真似事なんざぁすぱっとやめて、潔くそいつの情婦イロになっちまえ」


 なぜこんなときにそんな冗談が言えるのか――不快に思った瞬間、フェルミが悲鳴を上げてからだを丸め、俺の懐に顔をうずめた。

 彼女の背中を抱きしめるようにしていたから気づかなかったけど、フェルミのやつ、隊長に尻を向けるようにして、ひざを立ててうつぶせるようにしていたんだ。


 ――しまった、フェルミが脱出時に抵抗したのは、下に何も着けていなかったからか!


 とっさに見上げるが、開け放たれた三階の窓からはすでに煙がもうもうと、火の粉を交えて噴き出してきているのが分かった。あんなところに俺たちはいたのかと絶句する。よくもまあ、あんなところで俺たちは――


「うおっ……とォ……。やりやがったな、オラァっ!」

「ば、化け物――ぶえぇッ!」


 腕を斬りつけられた隊長が、その傷をものともせずにひしゃげたウォーハンマーを振り回す! 隊長を斬りつけたはずの侯爵軍の騎士は、無様な悲鳴を上げて文字通り吹き飛んだ。


「おい、フェルミ! オンナをやるのはここを切り抜けてからだ! 大隊の連中をかっさらったらとっととずらかるぞ! ――ホレ、ムラタさんよ! コイツはあんたのモノだろう?」


 毛むくじゃらのゴツい手で差し出されたのは、複雑な幾何学模様が彫り込まれた銀色の耳飾り――俺がリノに渡した、『遠耳の耳飾り』だった。


 うなずいて受け取り、耳に着けると、悲鳴のような歓声が聞こえてきた。


「……リノ、ただいま」

『だんなさま――だんなさま! ボク、ボクもう逢えないかと思った!』


 通信越しに、泣きじゃくっているのが分かる。頑張ったことを後でいっぱい褒めてやろうと心に決めつつ、俺は努めて冷静に聞いた。


「今どこにいる?」

『さっきの家の屋根の上だよ! だんなさま、すぐ逃げて!』

「分かってる。俺は大丈夫だから」

『違うの! だんなさま、すぐ逃げて! 屋根が、屋根が――!!』


 リノの悲鳴と、そして上のほうから木のきしむ音、石の砕ける音が重なる。


 ――そうか! 廊下へのドアノブが触れないくらいに熱くなっていたのは、つまりもう、あの部屋以外の部屋はかなり燃えていたということだ。


 家の構造上、外壁は石やレンガ、漆喰などで覆われていても、内装は基本的に木造。床も木造で、だから俺たちは蒸し焼きにされかけていたわけで……


「やばいっ! 隊長、すぐ表の庭のほうに走ろう! 家が焼け落ちる瞬間が絶好の機会だ!!」

「おいおい、あんた、ろくでもないことをいうんじゃない! 家が焼け落ちるのが絶好の機会だと? 落ちた衝撃で頭がイカレたのか?」

「い・い・か・ら!!」


 俺は隊長に、大隊の連中の脱出ルートを手短に伝えて走らせる。

 家の正門から出ようにも、侯爵軍の連中がひしめいていて無理だ。

 それに対して、隊長がぶち抜いた壁の穴からの脱出経路は狭いけど、今ならその壁から抜ける道は、四四二隊について一緒に来てくれたやつらが制圧してくれている。

 ――なにより、リノが上で見張ってくれている!


「……ムラタさん、私、夢……見てるのかな……?」

「夢じゃない! 生きてるんだよ! 生きてあの部屋から出てきたんだよ!」

「……じゃあ、わたし、ムラタさんとさっきしたことは……」

「あれも夢じゃない! とりあえずこれ着てろ!」


 家への突入前に隊長から借りた、俺にとっても大きな革のマント。それをフェルミの肩にかけると、ナイフを抜き彼女を背にして立ち上がる。

 俺たちの前に立ちはだかる、軍用騎鳥クリクシェンにまたがった鎧騎士に向かって。


 ――怖い!

 見上げる相手というのは、本当に恐怖を掻き立てる。


 だけど、俺がやらなきゃ誰がやるんだ!

 フェルミはさっき、助けた少年を下ろす際に手にやけどを負っている。

 剣を握るのもつらいはずなんだ。


 だから、俺がやるしかない!

 四四二隊の壁をくぐり抜けたこの敵から、俺は自分自身の命と、そしてフェルミの命を拾わなきゃならないんだ!




「まったく、そんな短剣一本で一丁前に鎧騎士に立ち向かおうたあ、無謀な人だよあんたは」


 もう死ぬと思っていた。

 俺たちを見て助けようと駆けつけてくれた民兵が、一刀のもとに打ち倒されて。

 せめてフェルミを逃がそうと思った行動をあっさり読まれて、腕を斬りつけられて。

 俺の腕からしたたる血を見て激昂したフェルミが、無造作に振られた剣でたやすく斬られるのを見て。

 逃げてと泣き叫ぶリノの悲鳴を、「遠耳の耳飾り」から聞きながら。


 その鎧騎士の頭が、派手な音を立てて、その瞬間まで。


「だ、だれだっ!」


 微妙に凹んだ部分を押さえながら振り返った騎士の頭が、また


 黒い毛並みが珍しい狐属人フークスリングの男――シュバルクスが、石を手で弄びながら呆れてみせた。


「なんだムラタさん、投石がそんなに珍しいかい? ――ああ、投げ方? なにを言ってるんだ、前にあんたがやってみせた投げ方だろう? 腕をこうやって大きく振り回して――」


 そう言って、シュバルクスはぎこちないながらも、ピッチャーのように石を振りかぶって――もう一発!


 鎧騎士の兜が再び、ガンといい音を立てる。

 しかし拳ほどの大きさの石を、至近距離からだ。「ふごっ!」といううめき声。


「――こうでいいのかな? 面白い投法だね。あまり重さを感じずに、だがなかなか威力のある石を投げられる。連中を追っ払ったら、またあとでくわしく教えてくれよ」

「き、きさ――ぐぅっ!」


 今度は、俺がわらベッドを包んでいたボロ布で石を包んで作った即席のブラックジャックが、剣を握る奴の腕を直撃する!

 よしっ! うまいこと剣を弾き飛ばすことができた!


「ふ、二人がかりとは騎士の道にもとる卑怯者め!」

「人の家に土足で上がり込んで我が物顔する奴らに、言われる筋合いはないな!」


 もう一撃!

 遠心力を伴った打撃が、奴の脇腹を襲う!

 バランスを崩したところに、シュバルクスの投石!

 これは騎士には当たらなかったのだが、軍用騎鳥クリクシェンに当たったらしく、鳥は悲鳴を上げて騎士を振り落とし、ついでにそのまま侯爵軍の兵とおぼしき奴を蹴り飛ばしながらどこかに走り去ってしまった。


 で、落鳥してうめいている騎士野郎に、俺からの愛のこもった金的キック!

 びくんびくんと痙攣して動かなくなった野郎はほっといて、倒れているフェルミを抱き起こす。


「フェルミ! だいじょう……ぶ、か……?」


 大丈夫か、だって?

 聞いた自分の馬鹿らしさに、それ以上何も言えなくなる。

 斬りつけられて真っ赤に染まった自分の左腕の痛みなど、瞬時に忘れるくらいに。


 フェルミの体は、右の脇腹辺りから左の乳房まで、真っ赤に染まっていた。


『だんなさま、もうだめだよ! 屋根が崩れるよ! 逃げて、逃げてぇーっ!』


 リノの絶叫が耳をつんざくのを、どこか遠くに感じながら、俺は、その場にへたり込んでいた。


「おう、ムラタさんよ! さっさとずらかるぞ! なに座り込んでんだ!」


 怪我をした騎士たちを、鎧のまま二人、両脇に抱えて走ってきた隊長に蹴り飛ばされるまで、俺は多分、放心状態だったんだと思う。


「ほれ、死なせたくなけりゃさっさとそいつを担げ! そいつはあんたの女なんだろ!」




 崩れ落ちてきた屋根が巻き上げた大量の火の粉は、この屋敷を囲んでいた奴らを追い払う程度には十分な効果を発揮した。俺は隊長に叱咤されながら、フェルミを担いで撤退した。


 ただ、いくらリノが屋根の上から支援してくれているといったって、これだけの騒ぎの中での撤退だ。敵がゼロなはずもなく、いくらかましな程度、という状況。


「ムラタさん……もう、いいスよ……」


 何度、フェルミが言ったことだろう。


「怪我人は黙ってろ!」


 何度、フェルミに怒鳴りつけたことだろう。


「俺たちは大工だ! 大工は家建ててナンボなんだよ! こんなところで死んでたまるか!」

「ダメ……です、よ。あなたまで、死んじゃったら……おかみさんに、もうしわけ、ない……スから……」


 運悪く投石を食らって、切れた額から流れる血。それがぽたぽたと地面に染みを作るのを目にしながら、それでも必死に足を動かす。


「だから黙ってろって! さっき言ったろ、俺だけじゃない! 俺たちは幸せになるんだよ! そのために生きて帰るんだよ!」

「……口だけは威勢がいいな」


 隊長が、襲い掛かってきた侯爵軍従兵に自慢の鉄拳をぶち込む!

 人間が本当に宙に浮いて吹き飛ぶ、そんな珍事が見られるのはこんな時しかないだろう。


「――だが、そういう空元気からげんき、わしは嫌いじゃない」


 隊長が、不敵に笑った。彼が俺たちに付き添うように一緒に行動してくれなかったら、俺はフェルミと共倒れになっていただろう。




 ザステック大隊は、俺たちが救出するまでに多くの負傷者を出したものの、それでも、確かに俺たちの手によって救われた者たちがいたはずだ。


 その数、騎士六名、従兵九名、一緒にいた民兵二名、そして館から助け出された夫人一名とその子供たち三名、合わせて二十一名。


 こちら側の死傷者は、騎士二名、従兵四名の死者を含む十六名。十五名の騎士団員を救うために、十六名が死傷した。


 ようやく俺たちの勢力圏までたどり着いて、人心地ついたってのはあったんだろう。

 無事でよかった――そう言って毛むくじゃらの手のひらを向けた四四二隊の隊長に、バウンズとかいう騎士が、返礼の手のひらを向けることもせずに、つまらなそうに言い放ったんだ。


 だから余計に許せなかったんだ、その一言が。


「なんだ、ケモノ部隊か」


 瞬間。

 そう吐き捨てた奴の胸の鎖帷子チェーンメイルを、俺は掴み上げていた。


「俺たちはオシュトブルク市民兵、第四四二ヨンヨンニ戦闘隊だ! 言い直せ!!」


 俺の勢いに飲まれたか、俺に胸ぐらを掴まれたクソ野郎バウンズは、目を見開き口をパクパクとさせる。俺がなおも言おうとすると、隊長が俺の肩を掴み、後ろに押しやった。


「監督……声、でかいっす……。傷に響くんスよ。もちっと、お手柔らか、に……」


 俺の背中で、かすかな吐息で、かすれた声でかすれた笑いを交えながら、フェルミが軽口を叩いてみせた。


「味方、じゃないスか……。せっかく、体張って、助け、た……」


 そして、もう一度かすれた声で笑ってみせたフェルミの腕が、だらりと下がる。

 急にズシリと重くなる、その体。


「フェルミ? ……お、おいフェルミ!?」


 うろたえる俺に――俺たちに、バウンズの隣にいた騎士が目を見開いた。そして、奴を取り囲む怪我だらけの獣人たちの姿に目を走らせると、彼は俺のほうに一歩前に出て、そしてひざまずいた。


「……すまない。貴官らも我らが街のためにひと働きされたのだな。この者にはよく言っておく」

「うるせえッ! あんたらみたいなクソ野郎どもに命をかけた俺たちが馬鹿だったんだ! 口先だけの謝罪なんか心底どうでもいいから、とっとと連中を追っ払ってくれよ!」


 ぐったりとして動かないフェルミを抱きかかえながら叫んだ俺の頭に、黒い毛むくじゃらの拳が振り下ろされる。


「……失礼した、騎士殿。この男は四四二ヨンヨンニ隊の一員ではない、ただの民間人だ。ご覧の通り、知人が傷ついて動転しているだけだ。この男の無礼の責任はわしがとる。容赦願いたい」




「よく言ってくれたな」


 隊長は、がははと笑いながら俺の背中を叩く。

 よく言った、というなら、あの脳天の一撃は何だったんだ。目から星が飛び散った思いだったぞ。


「バカヤロウ、ああいう場で騎士様に恥をかかせたら、ろくでもないことになるに決まってるだろう。まさか騎士様に向かって噛みつくとは思わなかったぞ、わしの寿命が縮んだ代償がゲンコツ一発なら軽いもんだ」


 隊長はそう言って、そのごつすぎる指に似合わぬ繊細な手つきで、フェルミの傷を縫っていく。

 彼女の白い肌を、黒い糸が跡をつけていくのがなんともいたましい。けれど、それで傷が少しでもふさがるなら。


 まだ残っていた蒸留酒ブランデーで傷口を洗うと、フェルミがか細い悲鳴を上げた。だが、それくらいしか消毒方法が無いんだ。歯を食いしばってすがり付いてくる彼女を、俺は抱きとめることしかできなかった。


 ――でも。


 食いしばった歯からもれる悲鳴は、

 痛みに耐えるその腕の震えは、

 柔らかな肌のぬくもりは、


 ――生きている、証なんだ。

 俺たちは、第四四二戦闘隊は、生きて、還ってきたんだ。

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