第453話:第442戦闘隊かく戦えり(13/14)

 家々の屋根の上を飛び回るリノの目と、街のことをよく知っているヒッグスとニューの機転のおかげで、俺たちは比較的苦労せずに目的地に近づくことはできた。

 だが、そこまでだった。さすがに燃える家を取り囲むようにしている侯爵軍の連中を突破するような戦力など、俺たちにはない。


 けれど、ニューが『こっから入れるんだぜ!』といって、腐った木箱の山の奥に隠された塀の穴を得意げに教えてくれたおかげで、俺たちはごく近くの集合住宅に侵入することができた。「失われた大隊ザステック大隊」救出のために途中で合流した者たちも、塀の中に集まってきている。騎士、従兵、民兵。所属はばらばらだが、大隊を救うためという目的は同じだ。


 その集合住宅の最上階――屋根裏部屋の窓から、例の家を見る。


 壊れかけの鉄格子を挟んで、侯爵軍の連中が長い棒の先に金槌を取り付けたような武器で門をぶん殴る。塀の中の騎士たちが、それをなんとか阻止しようとしてか、その金槌のような武器を槍で払おうとする。だが、どう見ても多勢に無勢、門を守り切れるとは思えない。


 おまけに、時々塀を超えて石のようなものを投げ入れられている。今も一人、当たり所が悪かったのか倒れたようだった。このままでは、いずれ間違いなく突破されてしまうだろう。燃える家に立てこもることなんてできないのだから、まだ戦力が残っているうちに、一か八か打って出る方がまだマシな気がする。


 だが、屋根の上から降りてきて合流したリノが、窓辺に腰かける俺のひざの上で、窓越しに家を指差しながら言った。


「あの庭の騎士様たち、家の中をすごい気にしてるみたい」

「家の中を? そんな様子まで見えたのか?」

「うん。遠かったから、何言ってるかは分かんなかったけど」

「いや、十分だ。リノはすごいんだな」


 頭をなでてやると、はにかんでみせるのが愛らしい。うつむき、彼女のお腹に当てた俺の手を撫でながら、けれど顔を上げ、じつに幸せそうに微笑む。


 生理中はお腹を冷やしてはいけない――ペリシャさんからは口を酸っぱくして言われている。だから彼女が屋根の上から降りてきたら、生理帯を交換するついでに腹巻代わりに手ぬぐいを腹に巻くように提案した。だが、リノはそれも嫌がって着けてくれなかった。


 仕方なく、せめて俺のひざの上にいる間はと、彼女のお腹に俺の手のひらを当てている。今ではだいぶぬくもりを感じられるようになったが、最初にお腹に触れたとき、やたらと冷たかったのには驚いた。


 彼女のほうも俺の行動に少し驚いたようだったが、すぐに意図を察したらしかった。嬉しそうに俺を見上げて、俺の手を撫でながら身を寄せてくれた。まあ、温かいカイロ程度には役に立つ、と認識してくれたんだろう。


「当然だろ、リノは目がいいんだぜ!」


 自分が褒められたように自慢するニューを、「自分のきょうだいのことを自分のことのように誇れるニューも、心根の優しい、いい子だ」と褒めてやると、ニューは目を丸くした。口をとがらせうつむいて、「そ、そんなのフツーだし!」と妙な仕草をしてみせる。

 むむ、相変わらずニューには警戒されているらしい。残念だ。


「自分たちの背後で家が燃えてるんだ、気になるのも当然じゃねえか?」


 窓から難しい顔をして家を見下ろしている隊長の言葉に、リノが「分かんない。でもボク、違う気がする」と首をかしげる。

 

「ま、そんなことは直接聞かなきゃ分かんないスけどね。……それより隊長。そもそもなんスけど」


 フェルミが珍しく、言いにくそうに口を開いた。


「今さらなんすけど、どうしてオレたち民兵が、騎士サマを助けに行かなきゃならないんスか? 逆じゃないスか?」


 その言葉に、隊長は目を丸くした。


「何言ってやがる。わしらの街を守るためだろうがよ」

「オレたちの街を守れなかった騎士サマを助けたら、街を守れるんスか?」


 隊長は、口をあんぐりと開けたまま、絶句した。


 フェルミの意図は、分からなくもない。

 彼らを救出しようとすれば、こちらにも間違いなく被害が出る。コストに見合うかどうか――こちらの出血を代償にするだけの価値があるか、ということだろう。


「それだけでもないんスけど、まあ、そんなもんスよ。隊長、どうなんスかね」

「……わしらの街を守ろうとして戦った騎士様たちだ。助けるのは当然だろう」

「ムラタさんは、どう思うんスか?」

「俺は……」


 話を振られて言いよどむ。

 できれば助けたい、少しでもこちらの戦力が厚くなるならば。


「オレはやるぜ? リノをいじめたヤツらなんか、やっつけてやる!」


 ヒッグスが胸を叩く。ニューも力強くうなずいた。実に頼もしい。


 だが、それは同時に、間違いなくこちら側に出血を強いることになる。

 リノの耳――固まった血糊が黒々としているその痛々しい耳を見れば、この小さな子供たちをこれ以上、戦禍にさらされる場所に置きたくないのが本音だ。


 今は威勢のいいヒッグスだって、結局はただの少年だ。

 大威力の大量広域先制攻撃手段MAP兵器がこちらにあれば別だが、実際にヒッグスが手にできるのはせいぜい棍棒の類。大人相手、それも鎧に身を固めた騎士や従兵相手に戦うのは無理がある。


「それに……どうして彼らはあんな場所に立てこもってるんスかね? 立てこもるならもっといい場所があったと思うんスけど」


 そうだ。俺もずっとそれが気になっていた。せめて建物の中ではないのか。

 そのときだった。


「だんなさま――ししょー! 見て!」


 リノが身を乗り出すように指差したのだ。

 思わずその指の先――家のドアを見ると、一人の騎士が、ドアを蹴破るように家の中から飛び出してきた! 続いて二人――最初の一人は肩に女性を担ぎ、二人はそれぞれ脇に子供を抱えるようにして!


 その瞬間だった。開け放たれたドアの中から、炎が大きく膨れ上がってきたのだ!

 同時に、二階の窓のガラスがいくつか割れて炎が噴き出し、火の粉が夜空に、盛大に舞い上がる。ガラス越しに、その熱が伝わってくるようだ。

 一階だけじゃなかった、すでに二階まで火の手が回っていたんだ!


 まさに間一髪!

 その地獄のような様相に、家を取り囲む連中が距離を置くのが分かった。

 それに対して、庭の騎士たちが拳を振りかざし歓声を上げる様子が見える。


「やりやがったぜ、あいつら! さすがオシュトブルクわしらの街が誇る騎士団だ!」


 隊長が、窓に張り付くようにして喝采の声を上げる。

 やっと分かった。なぜ彼らが、あんな場所にいたのかが。

 彼らはあの燃え上がる家の中に取り残された人を助けようとしていたんだ。だから彼ら自身も敵に追い詰められていたというのに、家の中を気にしていたんだ!


「……なあ、あのおばさん、見ろよ! 戻ろうとしてるぜ!」


 ヒッグスの言葉に、俺たちはハッとする。

 助け出されたはずの女性が、必死に家に戻ろうとするのだ。それを押しとどめ、羽交い絞めにする騎士たち。

 その時、リノが声を上げた。


「見て、三階の窓! だれかいる!」

「なんだとぉっ!?」


 俺たちは一斉に、リノの指が示す先を見た。


 ――いる!

 あの女性の子供だろうか、確かに少年のような影が見える!


「……ありゃ、もう、ダメだな」

「近くに木でもありゃあ、運を天に任せて飛び移るって話もあるが……それも無いみたいだしな」

「焼け死ぬか、飛び降りて死ぬか……どっちがマシかって話だな……」


 ぼそぼそとした声が、部屋のあちこちからもれる。

 無理もない。周囲を取り囲む敵を蹴散らしてあの家に飛び込むのも無理筋なうえ、燃え盛る一階、二階を突破して子供を助け出し、あまつさえ出てこなければならないのだから。


 正直、俺も、もう無理だろうと思った。

 先に女性や子供たちを救出した騎士たちが、半狂乱になっている女性に、戻ることをいさめているのだ。家の中を突破するのは、もう絶望的だろう。


 その瞬間、弾かれたようにフェルミが走り出した。


「お、おい! どこへ――」

「助けに行くに決まってるっス! 隊長! 弓、借りるっスよ!」


 フェルミは、立てかけてあったクロスボウをかっさらうようにして部屋を飛び出していく!


「助けに行くって、お前、弓なんかで……!」

「何言ってんスか! オレに教えてくれたの、監督っスよ!」




 二度とやらないって言ったよな、俺!

 今度こそチビるかと思ったよ、俺!


 俺に何かあったらお前たちだけで逃げろ――リノに言い聞かせて部屋を飛び出した俺は、フェルミを追いかけた。


 フェルミの意図はすぐに分かった。昼間にやった、アレだ。

 フェルミがクロスボウで矢を窓の上に撃ち込み、矢に縛り付けていたロープにカラビナを引っかけて滑って移動する、あの恐怖のロープ渡り!

 おまけに今回はガラス窓が閉まっていたからさ!

 ガラス窓をぶち破っての侵入だったよ!


 樫の木で強化した安全靴、履いててよかったよ! おかげで窓をぶち破れた!

 それから隊長から借りた、厚手の革のマントのおかげだろう。ガラス窓に突っ込んでも俺、とりあえず怪我、なかったよ!


『俺が先に行く! フェルミは俺の後から来い!』


 カッコつけて飛び込んで、それで床に丸まって震えてりゃ世話はないよ俺!

 俺が飛び込む寸前、目を丸くした少年が慌てて逃げてくれてよかったよ!


「お、おじさん、大丈夫……?」

「あ、あ、ああ! だ、い、じょう、ぶ……ッ!!」


 言いかけたところにフェルミが突っ込んできて、俺はケツから蹴り飛ばされた。




「絶体絶命、ってやつだな」

「こんどこそ……っスね」


 フェルミが滑り込んできたのと同時に、ロープがほどけて矢から抜けてしまったのだ。おかげでもう少しのところでフェルミが窓から落ちるところだったし、それを助けようとして二人ともひどい目に遭った。窓枠に残っていたガラスの破片で俺もフェルミも腕を怪我するわ服が破れるわで大変だったのだ。


 二階の窓からの炎にあぶられる少年のことを考え、彼自身をシーツに包み、それにロープを結んで降ろした。

 もう少しというところで二階の窓からの火が強くなり、ロープを伝うように火が上ってきた時にはどうしようかと思ったが、最終的にはキャッチの下手な騎士一人の尊い犠牲で、少年は無事、地上に降り立つことができたようだった。


 そして俺たちは、脱出手段を失った。


 ドアを開けて駆け抜けようと思ったときには、ドアノブが熱くて触れないほどだった。床の熱さは、下からあぶられているからに違いない。事実、床板の隙間から煙が立ち上っている箇所が増えている。踏んだら踏み抜きそうで、近づきたくもない。


 窓辺からは、階下の火柱がちろちろと顔をのぞかせる。窓から顔を出して下を見る勇気は、もはや失せた。

 さっき、少年を下ろす際、俺は髪が焦げ、フェルミは左手を焼かれた。水ぶくれができているのが痛々しいが、冷やしてやるものもない。


「は、はは……。俺、女房のところに、絶対に生きて駆けつけるつもりだったんだけどなあ……」

「監督、泣くほど弱っちいのに、無茶するからっスよ……」


 フェルミが、力なく笑いながら言った。


「オレなら……家族も未来もなんにもないオレなら、死んだって誰も悲しまなかったってのに……」


 自嘲するフェルミの頭をこづく。


「馬鹿野郎、子供一人助けてお前が死んでたら、差し引きゼロで意味無くなるだろ。第一、お前が死んだら俺が悲しむ」

「それを言ったらムラタさん、オレたち二人が死んだら、差し引き一人の損じゃないですか。……それに、オレと違って、あなたを亡くすと悲しむ子が何人もいるのに……」

「うるさい。お前が死んだら俺が悲しむんだ、同じだろ」

「同じじゃないスよ。ムラタさんは子供、産ませる相手がいたでしょうに。きっと子供なんて産めないオレと違って」


 そう言って、疲れたような笑顔をみせながら、腹を撫でるフェルミ。

 ガラスのせいで大きく裂けた服の隙間から見える、傷跡だらけの白い肌。先端のえぐれた乳房。


「……ムラタさん? マイセルちゃん、妊娠、してるんでしょ?」

「……ああ」

「いつ頃、生まれるんです?」

「夏頃、だと、聞いてる」

「そっか……可愛い子が生まれるといいスね」

「マイセルが産むんだ、くりくりの目の、可愛い子に、決まってる……」


 熱のせいか、煙のせいか、積み重なった疲労のせいか。はたまた絶望感のせいなのか。……頭が重い。ぼーっとする。


「……お前、なんで今回、こんな無茶をしたんだ」

「助けてほしい……そう思ったとき、自分は誰にも、助けてもらえなかったんスよ……」


 国境近くの村で育ったフェルミは、ある年の紛争で敵国の兵に捕まったという話だったか。

 大勢の兵たちの見ている前で、聞くに堪えない辱めを受けたそうだが、その間、同じように捕えられた村の者は、自分を遠巻きにして、見ているだけだったという。

 顔を背ける者はいても、遂に誰も、助けに動こうとしなかったらしい。


「……見てるだけで、同情するだけで、動こうとしない四四二隊ヤツらを見たら、居ても立ってもいられなくて……」


 気が付いたら動いていたという。


 そうか。だからフェルミは、民兵になったのか。

 護りたい者を守れるように。

 すごいやつだ。フェルミのことを軽いチャラ男だと思っていたかつての俺をぶっ飛ばしたい。

 俺なんて、フェルミが動くまで動けなかった。


「そんなこと、ないですよ……。こうして、ムラタさんは、来てくれた……」

「いや、フェルミに言われるまで俺は動けなかった。俺は――」

「ムラタさん」


 フェルミは、静かに首を振った。


「すごく、嬉しかったんですよ……? やっぱり私、このひとと、いっしょに、って――」


 フェルミが、そっと、体を寄せる。


「私も、子供、産んでみたかったな……」

「産めるだろ……産めるさ。あきらめなきゃ、いつか、絶対、かならず」

「……そう、ですね。産め、たら、いいですね……」

「産めたらじゃない……産むんだよ。この戦いが終わったら、好きなひとと一緒になって、そいつの子供を、さ……」

「すきな、ひとの、子を……?」

「当たり前だろ……? みんな、幸せになるために生まれたんだ……おまえだって、しあわせになるんだよ……」

「しあわせ、に……?」


 かすれた笑い。


「……ムラタさん……こんな、ときだけど……」


 フェルミが、涙を浮かべながら、笑った。


「ううん、こんなとき、だから、私――」


 ――さいごに、もういちどだけ……


 彼女の唇は、とても柔らかく、情熱的に熱く、そして――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る