第452話:第442戦闘隊かく戦えり(12/14)

 はぐはぐと、二つ目のパンを頬張るリノは、さっきまでの死にそうな顔とはうって変わってにこにこ顔だ。曰く、腹が減って死にそうだったとのこと。


 気付けに呑ませたブランデーのせいもあってか、すでに顔は真っ赤。盛んに体をこすりつけるようにして、俺の耳の下あたりのにおいをすんすんとかいでは、うれしそうに目をとろんとさせ、腕をからめてくる。


 怖い思いをしたのだ、かぎ慣れたにおいで安心したいという思いでもあるんだろう――そう解釈してみるのだが、なんだか違う気もしてしまう。なんというか、藍月の夜のリトリィと、やってることがそっくりなのだ。


 ただ、リノの場合、むっしゃむっしゃとパンを口いっぱいに押し込みながらというところが、いかにも子供らしいのだが。


「……で? 腹痛と空腹が我慢できなくなってきたから降りようとしたら、失敗して落ちてつかまったんだな?」

「うん……でも、もうだいじょうぶだよ? おなかは痛いけど、パン食べて、お腹ふくれたもん!」


 地面に胡座あぐらをかく俺にべったりとしなだれかかるようにして、堅パンを食べながらリノはにこにこしていた。

 ……大丈夫なものか。

 腫れが引かない頰、切れたまぶた。胸や腹のあざ、ちぎれそうな大怪我をした右耳と、斬りつけられた跡が痛々しいしっぽ。


「えへへ……ししょーのにおい……ししょー、ししょー……えへへへへ」


 これが家なら頭を撫でてやるなりなんなりして、辛い思いをしたぶんだけ、存分に甘えさせてやりたいところだ。だが、残念ながらここは路上、それも四四二隊のメンバーの目の前。


 引き裂かれたワンピースのせいでほぼ半裸の彼女が、とろんとした目で頬を赤く染め、すんすんと鼻を鳴らしながら体をからめてくるのは、……なんというか、俺の社会的な信用を木っ端微塵に破壊しかねない気がする。


「……ねえ、監督」


 フェルミが、俺の隣に座った。

 妙に生温かい目で、俺を見る。


「オレがいない間に、リノちゃんにナニしたんスか?」

「……気付けの酒を飲ませただけだ」

「マタタビの匂いがするんスよ。そのせいですかね、さっきからオレも、ずっとこう、ムズムズしてて」


 小声で、ニヤニヤしながら言うフェルミに、俺は目が点になる。


「……は?」

「リノちゃんのことは責任もって嫁にするって言うんスから、オレがとやかく言うことじゃないんすけど……さすがにマタタビまで使うのはやりすぎじゃないスか?」

「……おい、ちょっと待て。俺はな……」


 マタタビ、この世界にもあるのかよ! というか、ブランデーに漬け込まれてたの、マタタビだったってことか!? ――じゃあ、今リノが妙な仕草をしているのは、それが原因ってこと!? なんちゅーモノを寄こしたんだよペリシャさん!


 俺はリノに水でも飲ませて落ち着かせようと思い、彼女を抱えて立ち上がろうとした。だが、フェルミが隣から腕を回してきて、それを阻止する。

 ……しまった! フェルミ――こいつも猫属人カーツェリングだった! ということは――!?


「マタタビの匂いでこんなになっちゃったこと、今までなかったんスけどね。やっぱりさっき、監督のオンナにされちゃったからっスかね?」

「ちょっ……とんでもないことを口走るな!」

「何言ってんスか、事実でしょ? ……ねえ監督、もう一度だけ、しません?」

「お前な! 今はそんな冗談を言ってるときじゃ――」

「監督、逃げるんスか? やっぱり監督は、女の子を手籠めにしては街を転々と逃げてきたとか、そんなオトコだったんスか?」


 ニヤニヤしながらしなだれかかってくるフェルミの頭を、安全帽ヘルメットの上からひっぱたく。


「冗談でもそんなことを言うんじゃないっ!」

「監督、オレは軽口は叩いても冗談なんて言わないっスよ?」


 だったらなおさら問題だっ!




 アルコールとマタタビの相乗効果で、リノが興奮状態になっていたのは分かった。

 そのおかげだろうか、冷え切っていた彼女の体はすっかり温まったようだった。リノの体調を整えるには最適だったらしい。

 俺の社会的信用を破壊しかねないブレンドだったけどな!


 もう一つ――


 リノはいま、赤い下着をはいている。本人は嫌がっているが、我慢させている。

 ワンピースがボロボロだからそれが見えてしまうのがなんとも言えない。


 赤い下着――フェルミからもらった生理帯だ。こんなときでなければ、祝ってやりたかった。またあとでペリシャさんあたりに祝い方を聞いておこう。


 そう、リノの下腹部の出血――あれは俺の早とちりだった。暴行によるものではなく、女性特有のアレだったのだ。


「ボク、大丈夫だよ! ちょっとお腹、痛いだけ! ボク、お役に立つから!」


 そう言って、また屋根に上ろうとする。俺は慌てて止めようとしたが、リノは窓のひさしを上手く使って、あっという間に屋根の上までのぼってしまった。


『――ししょー、聞こえる?』

「……ああ、聞こえる。それによく見えるよ」


 日の沈んだ暗い街、ところどころ炎の上がる家々。

 四番大路は未だ侯爵軍に占領されたまま。

 一瞬で現状を把握させられる。

 ……ここは、戦場。


『えへへ、ししょーの声が耳元で聞こえる、うれしい! ボク、いっぱいがんばるよ! だから――」


 耳元に聞こえる、リノの元気な声だけが救いだ。


「分かってるよ、……可愛いリノ。ただ、腹が痛むんだろう? 無理はするなよ?」

『だいじょうぶ! ボク、お役に立つから! ……だから、ねえ、ししょー?』


「……どうした?」

『今だけ……今だけでいいの。……あの、「だんなさま」って、呼んでいい?』

「いつでもそう呼んでいいからな、可愛いリノ」


 愛らしい歓声が耳をつんざく。だが、彼女を見失い、喪失感を味わっていた時のことを考えれば、リノの元気な声が聞こえる方が百万倍マシだ。


「おっ、子供遣いの復活か?」

「……リノが、それを望んでいますからね。ついでに、少し回り道になりますが、あの二人が隠れている小屋に立ち寄ってもいいですか?」




 リノの耳や尻尾の怪我を見て、ヒッグスもニューも、再会の喜びよりも強いショックを受けたようだった。

 当然だろう。特に耳の怪我はひどいものだから。


「ケンカに協力しろって? 当然じゃねーか! リノをこんな目に合わせたヤツらなんか、許せるわけねーだろ! オレたちにできることなら、何だってするぜ!」


 鼻息荒く言ったのはニューだった。ずっと姉妹同然に過ごしてきたリノが大怪我を負わされたことが許せないらしい。


「任せろ! 昼間と同じで、オレたちが裏道を教えればいいんだよな?」


 鼻をこするヒッグスに、俺はうなずいてみせる。


「そうだ。二人とも、頼りにしているぞ」



 

 『失われた大隊』――ザステック大隊は、もはやそのように呼ばれていた。


 その理由の一つは、彼らはどこかに立てこもったりせず、少しずつ移動を繰り返しながら戦い続けているらしいということ。理由は不明だが、そのせいで情報が入り乱れ、実際にどこにいるのかが分かりづらかったのだ。


 そしてもう一つ。敵の手に落ちた街の中では、彼らを救い出そうにもなかなか近づけなくなってしまっていたこと。


 何人の騎士が生き残っているのかは不明、どこにいるのかもあやふやで、そして物理的に手が届かない。ゆえに、まだ生き残っているはずだが『失われた大隊』――味方にそのように呼ばれているなどと知ったら、彼らはどんな顔をするだろうか。


『だんなさま、あれかな? 分かる? あの人たち!』


 リノの声に、目を凝らす。

 ――ああ、いた。見えた! ぼろぼろになった旗が、燃え上がる家に照らされている。

 樫と橄欖オライブの緑の葉の束が下から伸びて、円を作るような葉冠ガーランド。そのなかに、銀の五芒星が描かれている。その背景にあるのは、赤、白、青に塗り分けられた五角形の盾。


 間違いない! 話に聞いていた、ザステック大隊の紋章だ!


「よくやった、リノ! ……思ったよりも近くにいたみたいだな。だが……」


 先に聞いていたのとは、状況が違っていた。

 どこかの家のなかに立てこもっているというようなことはなかったが、石積みの塀に囲まれた立派な家の庭に、彼らはいた。


 ただ、状況は極めて悪かった。

 見たところ一つしかない出入口のまえには侯爵軍の連中が陣取っていて、壊れかけの鉄格子門を挟んで、大隊の騎士たちと対峙している。

 家自体は立派だが、一階の窓からは火の手が上がっている。じきに火の手は二階、三階まで回るだろう。


 燃えている家の庭にあえて飛び込んだのか、彼らがあの庭に逃げ込んだあとに家が燃やされたのか、それは分からない。だが間違いなく、そのような状況に追い込まれている彼らは袋の鼠。時を待たずに彼らが殲滅されるのは目に見えていた。


『だんなさま、どうするの? ボク、もう少し近くに寄ってみようか?』


 リノの提案を即座に却下する。あんなにひどいけがを負っていて、しかも生理で体調が悪い彼女に、無理などさせられない。


『大丈夫だよ! ボク、お役に立つから!』

「だめだ! リノ、俺はお前を失うためにをやってもらっているわけじゃない。お前は俺のものなんだ、俺の言うことを聞け」


 やや大げさに、強く止める。

 リノが息をのむ気配を感じたが、多少嫌われてもいい。彼女の安全こそが大事なんだから。


 ……しかし、伝わってきた声は違った。


『……ふふっ、しょうがないなあ』


 実にうれしそうに、弾んだ声。


『そうだよね! ボク、だんなさまの赤ちゃん、産まなきゃいけないもんね!』


 その言葉に、俺は一瞬、固まる。

 思いっきり突っ込みたくなったのをギリギリ押さえて、大きく深呼吸。


「……そうだ。だから無茶をするな。俺たちが前進するのを待て」

『うん、わかってる、だんなさま! じゃあボク、道案内するよ!』

「――ああ、空からの目、頼りにしているよ、可愛いリノ!」

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